第6話 真剣同士
郡山は少し姿勢を崩す――それまでがあまりにも綺麗な直立姿勢だったのでだいぶ姿勢を崩したように見えてしまうが実際はわずかに首を傾ける程度だけ――と、
「馬鹿にしたつもりはなかったんだよ。正直、今でも、なんでこんなも……失礼。なんでこのような作品をわざわざ一人でここまで大量に運んできて配ろうなんてしてんだか俺にはわからなかっただけで」
漫画で描くなら、きっとこめかみをぽりぽりとかいているような雰囲気で。
たしかに、創作者でなければわからないことかもしれない。
「こっちも仕事でやっててさ。わかってくれ。大事なご子息を預かってる立場で、ピリピリしてんだ。帰れと言われて帰るわけにいかない」
そしてこの人が同人作家の苦労をわからないのと同じように、愛里にもこの人がそんなに真剣にこの場に留まろうとする理由だってわからないのだ。
ここにいさせてほしいとこいねがう真剣さの熱量は、たしかに愛里の作品制作の熱量と匹敵しているように感じた。
「わかりました」
愛里は大人しく引き下がった。
郡山は安堵したように、顔を元の位置に戻す。
すると、
「あの人にあんまり関わらない方がいい」
「へ?」
もうまっすぐ前を向いたままこちらに視線を合わせず、冷ややかにそう告げてくる。
「あの人はああ見えて、大企業の御曹司でね。名前を言ったら、たぶん誰もが知っているようなグループで」
遠くを見据えながら。
「そんな人に嫌われでもしたら、生きていけなくなる。関わるのはやめたほうがいい。常識だって違うんだからな」
この人も、ここまで必死になるほどの何かがある。
昔、愛里が学生のころに、コンビニで張り詰めた空気を醸し出すヤクザに出会ったことがあった。一歩間違えれば取り返しのつかない目に遭わされると、恐怖で身がすくむような。
今、それに似たものを感じた。
生きていけなくなる……。
「ご忠告、ありがとうございます」
この人、目つきは怖いが、どうやら親切心で忠告してくれているのも、もうなんとなくわかる。別にこちらを見下しているとかでもないことも。
たぶん、この人も愛里と同じ庶民(?)で、庶民の気持ちや常識がわかるからこそ、あえて失礼を承知で教えてくれているのだろう。
だが。
「でも、ここでは関係ありません」
不遜にも、愛里は言い切った。
脳裏には、尚貴のあの無邪気な笑顔を思い出しながら。
「コミケにはコミケの常識がありますから」
こっちが常識を教えて導いてあげます、と。
さっき、この人を全身全霊で押し退けた勢いが、まだ残っていたのかもしれない。
びっくりするような大企業の御曹司だか知らないけれど、だけど愛里の主体はこっちなのだ。生活の糧を得るための仕事とか、将来とかも大事だけど、でも今日はコミケの方がもっと大事。釣りバカ日誌で言うなら、今は浜ちゃんが漁船の上にいるところなのだ。
男は黙り込み、「知らんぞ」と呟くと一歩下がった。
尚貴が戻ってきた。
尚貴はペットボトルの水を二本買ってきており、差し入れですとにっこり微笑み愛里に一本くれた。お礼を言って受け取る。萌え絵パッケージの高いやつだった。
……やっぱ金持ちなのかな。
いや、今日という日は貧乏人だって「萌え」のためにはお金を使いまくる。関係ないか。
尚貴は自分の分のボトルの水を一口飲むと、はにかみながらもじもじと、
「その……こちらこそ、さっきはありがとう、ございました」
打ち明けるように礼を述べてきた。照れたお顔も可愛らしい。
って、……さっきは? ああ、つい私が口出ししたことだよね……。
「私、出しゃばってすみません」
たしかにあの時は尚貴をかばったつもりだったけれど、事情がありそうだったし、余計なことしたかなって思いかけていた。
「いいえ、すごくうれしかったです」
にっこりと微笑む天使に、それならよかった、と愛里はほっとする。
誰だって、どんな形になったって、心込めて手作りしたものをけなされたら悲しい。無視されたら寂しい。漫画を作り続けてきた愛里だから、どうしても口を挟まずにはいられなかった。
「さ、もうひと頑張りですよ!」
そう渇を入れると、
「はい!」
尚貴は両手を軽く握って、頑張るぞのポーズを取る。
華奢で細身で、カーテンのような不思議な衣装が似合っていて、なんだか女の子以上に女の子っぽさを感じてしまう。
この人のそばにいると、愛里の中で眠っていた男性的な一面がむくりと鎌首をもたげてくるような気がする。
……ていうか、彼に恋する男子とか、いそう。
それから、お隣さんが熱のこもった視線を投げかけ続けること数時間。客足は途絶えたまま、無情にも閉場のアナウンスが響いた。
結局、お隣さんは愛里の買った分と郡山の買った分を合わせた二冊の売上げに終わったようだ。愛里が席を離れていた時間もあったが、几帳面に並べられた頒布物の配置が変わっていない。
ま、一冊も売れなかった自分の初参加の時よりマシかな。
今でこそ、愛里にはリピーターになってくれたお客さんが数名いるが、それだってごくわずかだ。それでも有難いことで、今後も地道な努力を続けようと思っている。
しかしそんなことは知らぬ尚貴はやはり過度な期待を抱いていたのだろう。中身が全く減っていない段ボール箱を無言でサクサクと台車に積み替えていく郡山を見つめるその顔は、悲しみに暮れていた。
「やっぱだめかあ」
ひとりごちる尚貴に、郡山は苦々しく無言で返すだけで。
彼はこれからこの郡山と、帰路を行くのだろうか。
「……何やってんだろうね、僕」
そんなつぶやきが、聞こえてきたりして。
本人は気にしていないようだが、後ろに直立不動のスーツ男がいるのは不利だと思うし、郡山さんのせいにしたっていいと思うけど。そう教えてあげようかと愛里は口を開きかけ、やめる。
いや、でも。
イベントはもう終わってしまった。
売れなかった事実は変わらない。
言い訳したところで、その穴はもう埋まることはないんだよね。
だったら、
「あの、よかったら!!」
愛里は思わず、声を上げていた。
「これから、仲間の集まる打ち上げ飲み会があるんですが、参加しますか? そこで、情報交換とか、できればいいなって」
向上のために、行動し続ければいい。
創作したことでむなしくなる必要なんてないから。
たとえ売れなかったとしても、そんな創作者、ごまんといる。
それでも創作している。
その行為には意味がある。
尚貴の顔が、希望の色を帯びみるみるぱああっと明るくなる。
「はい! ぜひ、参加させていただきたいです!!」
つい、誘っちゃったなー。
お付きの郡山をちらりと見ると、呆れたような視線を向けられる。
だって、しょうがないじゃん……。気持ち、わかるんだもん……。
大企業の御曹司か、はたまたヤクザか、皇族か、スーさんか、知らないけど。
でもコミケは、すべての表現者を許容し、表現の可能性を広げる為の「場」なんだから。




