第44話 御曹司様はご機嫌ななめ
尚貴の家について、まず尚貴は郡山の用意した食事をとる。
……と、思っていたのだが。
「食べたくないから」
そう言って尚貴はそっぽを向くと、作業着を脱いで楽な格好になり袢纏を着こむ。そして液晶タブレットを起動してさっさと線を引き始めた。愛里もちゃぶ台についてパソコンを操作する。
「お茶を淹れますね」
れんこんハンバーグにラップをかけて冷蔵庫にしまった郡山がこちらに呼びかけるが、尚貴は無視。代わりに愛里が「ありがとう」と返事をする。
(集中しているの……か、な)
愛里も黙々とペンを走らせる。
すると、五分もしないうちに尚貴が言った。
「郡山」
「はい」
「アイス買ってきて」
「かしこまりました。愛里様はよろしいですか?」
「あ、うん」
郡山は一礼すると、尚貴から財布を預かって外へ出ていく。
「待って、私も行きたいかも」
愛里は郡山を追いかけた。
なんだか、尚貴の周りに不穏な空気が流れていて、ちょっと怖い。
「わたくしが買ってまいりますが?」
「うん……。でも、自分で見て回りたいの」
「左様ですか」
「いってくるね、なおさん」
尚貴からの返事はない。
(……なんか)
怒ってる?
不安になりながらも、郡山の車で二人、近くのスーパーへ向かった。
(なおさんとの気まずさが増している気がする。なんでだろう)
助手席で愛里は、じっと考え込む。尚貴のことを思い出しながら、心当たりを探してみる。
(もしかして落選通知が来ちゃったのかな? たしか、もうすぐだった気がする)
でも、結果はお互いに報告し合うのが常だ。黙り込むほどショックなものだったのだろうか。
(それとも、郡山さんと喧嘩したのかな)
でも、矛先は愛里にも向いている気がした。さっきも返事がなかったし。
(告白したのがそんなにいけなかったかな。気持ち悪い……と思われていたら、どうしよう)
それを思うと胃がしくしくと痛む。
告白して玉砕した身としては、なるべく「なおさん離れ」しようと思って意識しているつもりなのだけどな。一方的につきまとったらストーカーだ。今もこうして、尚貴と二人きりにならないように、出てきたのに。
「なおさん機嫌悪いね」
耐えきれなくて、運転中の郡山にぼやいた。
「そーだな……。ま、なんとなく想像つくが」
「え、なんでなんで?」
やはり、執事は主人をよく見ているものなのだろうか。それとも、何か知っている? 愛里は続きを待つ。
対向車がの流れが切れるのを待って右折しながら、郡山は言った。
「妬いてんだろ」
その返答にぽかんとして、その後、愛里は肩を落とした。
「……そんなわけないじゃん。なおさん私のことフったんだよ」
それだけはありえない。
自分からフったのに、嫉妬しているなんて、それはおかしい。
意味不明だ。
「たしかにそうなんだけどさ、乙女心はフクザツなんだよ」
そうなのだろうか。
尚貴が乙女かどうかは置いておくとしても、
嫉妬?
なおさんは、だから怒っているの?
それは……嬉しいような、ちょっと腑に落ちないような、プラスとマイナスの感情がないまぜになるような気が愛里にはした。
嫉妬するということは、尚貴は愛里のことを好いているということだ。それは単純に、嬉しいし、ほっとする。
でも、尚貴は愛里の告白を断った。それなのに、実際には独り占めしたいと思って態度に表わすなんて、どうなのだろう。少なくとも、そんな権利はない。
けど、言われて考えてみると、わからなくもない、かもしれない。
もしも、本当に、自分が不甲斐ないが故に愛里と付き合えないと言うのなら、嫉妬の感情だってごく自然なものだ。
(……私は、付き合ってくれたらいいな、って思うんだけどな)
なんて、本当は全然違うかもしれない。
嫉妬なんてそもそもしていなくて、愛里の思い込みかもしれない。でも、郡山がそう言うなら、もしかしたらそうなのかも、と、思ったのだ。
郡山の一服に付き合ってからスーパーでアイスを買って、尚貴の家に戻る。
駐車場に停めている時、一階の角部屋に――つまり尚貴の家に、妙な人だかりがあることに気付いた。
「誰? 誰か来てる」
郡山も驚いて車を降りると、歩みを早める。
玄関で押し問答をしているようで、結婚式に参列した帰りのような寒そうなドレスを着た美女が、不安そうにきょろきょろしている。
「やだーなにここー? おもしろいとこ行こうって、ここのことですの?」
「たしかに貴志様には物珍しいかもしれませんわね」
貴志!?
どこか聞き覚えのある名前に嫌な予感がした。
もしかして、
「よーっす」
美女の腰を抱いていた男が奥から顔を出し、洒落たグレースーツの片手を挙げ、そんな声をかけてくる目つきの悪い長身――
「あーっ! あの時の……暴君王子……!!」
チャラチャラしたシルバーアクセサリーが似合う、藤田家の次男、藤田貴志がそこにいた。
愛里がフジタの高級ホテルにふらっと立ち寄った時、部屋に連れ込んで犯そうとしてきた危ないヤツ!
と、控えるようにしてお付きのスーツ眼鏡男性が一人立っている。郡山のような付き人だろうか。
「ナオちゃんの特定、ばっちりじゃーん。さっすが二葉」
「お褒めにあずかり光栄です」
生真面目そうな付き人の名前は二葉というらしい。
手下をぞろぞろと引き連れて、こんなところまで一体、何しに来たのだ。
「ど、どいてください。入りますので……!」
人が詰まって、玄関を抜けられそうにない。
「俺達も入るから、ちょっと待てよ」
貴志の発言に、女性から「ええ~本当に入るんですの?」「汚そう……」と文句が飛び出る。
「へっへ、ここは弟のナオちゃんのお住いなんだよ」
女性ははっとした様子で、興味津々に中を覗き込む。
「まあ、尚貴様の?」
「どうなさったの一体」
玄関にはひどく不機嫌そうな尚貴が立っていた。
「貴志兄さん、なにしに来たんだよ!」
「んな怒んなよ。ナオちゃんが家出してどんな感じかな?って気になって見に来てやったんだぜ」
「来なくていいよ」
尚貴は顔を赤くして、そっぽを向く。
「すげーところだな。よくもまあ……何か月だ? いいかげんにしろよ、ナオちゃん。もっと楽して生きようぜ」
「うるさい!」
愛里は進み出て「貴志さん、帰ってください」と願い出る。郡山や尚貴がいるからまたあんな目に遭わされることはないだろうが、
「おお、いつかの子猫ちゃんじゃん。なんだ、デキてんのか?」
下劣な言葉を浴びせられ、愛里は憎しみを込めて睨んだ。
「そういうのじゃありません。やめてください」
貴志は「ほお」とどこか見抜くような目をすると、
「なーんでこんなギスギスしてんの?」
と疑問を投げかけてきた。どきっとして言葉をなくす。
「あはーん、さてはやっぱり、ボンビーだからじゃね?」
「ちがう!」
今度は尚貴が吼える。
「じゃあなんでさ?」
意外にも、貴志は観察眼が鋭いらしい。
それは、私も知りたい。




