第37話 御曹司の貧乏夢追いライフ
尚貴が大豪邸を出て愛里の近所に暮らし始めてからも、創作作業は一緒にやっていた。場所は尚貴の家だ。
四畳一間という狭さに郡山も含め三人も集まっているともう身動きが取れないほどなのだが、各々持ち場についてさえいればギリギリ我慢ができる。
尚貴は椅子に座ってデスクに向かい、愛里は自分で持ち込んだ座布団を敷いてちゃぶ台で漫画を描く。郡山はミニキッチンで夕飯や夜食を作ってくれたり、翌日の弁当の支度をしているのが常だ。
尚貴の漫画道具は郡山に頼んで実家から持ってきてもらったので、その点は困らなかった。線画を手描きで行う愛里と違って尚貴は完全にデジタル漫画描きなので、液晶タブレットさえあればいい。便利な時代になったもので、場所を取らないのだ。
郡山を通して実家から液タブを持ってこられたなら、同じように通帳も持ってこられないのかと愛里が聞いてみたところ、尚貴個人の貯金はなんと「ほぼ無い」のだそうだ。すべてクレジットカードで買い物をしていて、親が払っていたとか。そのカードはまだ止められていないかもしれないが、家出した以上は封印すると尚貴は宣言した。これからは自分の力で夢を目指すと息巻いている。
「だいぶ描けた。今日はここまでにしようかな」
尚貴が伸びをしながら言う。愛里も手を止めて時計を見ると、もう十一時だ。
「おつかれさま。明日も早いもんね」
「うん。そうだね。エリンギちゃんは調子どう?」
「まあまあだよ。私もここまでにしようと思う」
徒歩五分、車で一分の距離なので、寝る間際まで作業ができる。これは前の作業部屋にはない魅力だ。
「それじゃ、帰るね」
「うん。おつかれさまエリンギちゃん。いたた……腰痛い」
尚貴が何度も伸びをしながら手を振る。
「大丈夫? あんまり無理しないでね」
「うん……イテテ」
郡山がドアを開けてくれ、駐車場まで見送ってくれる。尚貴もわざわざ来てくれた。
「それじゃあね、エリンギちゃん。あー腰イテテテ……郡山、マッサージしてー」
「かしこまりました」
「お邪魔しました、おやすみーまた明日ね」
愛里はお礼を言って、車に乗り込んだ。
(ふう。今日も頑張ったな)
心地よい疲労感に包まれながら車を走らせる。今ごろ郡山にマッサージを受けている尚貴を想像して苦々しく思いながら。
さてこの暮らしはいつまで続くかな?
尚貴も作業がかなり進んでいたようだったけれど、腰が痛い痛いとおじいさんのように嘆いていた。それは愛里もわからなくないことで、座布団に長時間座っているとキツかったし、気分転換をしようにも部屋が狭くて窮屈で歩き回れない。
最低限の作業環境は今も整っているものの、やはり前の作業部屋は本当に至れり尽くせりだったと改めて思う。
前の広い作業場所にはL字型のデスクが二人分置かれ、さらに複数台のパソコンを用途に合わせて使い分けたり、椅子だってふっかふかの社長椅子だった。さらに、マッサージ師だって家まで来てくれるらしかった。
今はもちろん、そんなところまで充実させる余裕はない。
(なおさんが、ずっと近くにいてくれたら、いいんだけどな)
自宅に到着。
(いつか、夢を諦めて、家に帰っちゃう気がする)
それは仕方のないことだ。
尚貴は職場ではとても単純な軽作業を任されているらしく、仕事が難しいということはないようだったが、始まって三日で早くも飽きてきたらしい。それと節約のために郡山が三食手料理を作っているが、舌の肥えた尚貴は文句をつけてばっかりで、郡山がちょっぴり気の毒だった。
(執事付きの恵まれた家出……でも、今までが今までだもん)
始まったばかりの今は物珍しさが勝っても、しばらく続けば疲労の方が勝つのは目に見える。
(この日々も、大切にしなくちゃね)
そう思いながら、愛里は寝支度を整えて目を閉じた。




