第36話 安いアパートと袢纏
翌日、愛里が出勤するとともに尚貴は郡山と買い物に出かけた。ちなみに郡山は昨晩はどこか別の場所で泊って、朝に尚貴を迎えに来たのだった。移動手段は郡山の車だ。
「わたくしの運転は、専門の三屋と違って多少、乱暴ですが……平にご容赦ください」
とか郡山さんは言って、なおさんも「いいよ」なんて許していたけど、
(なんか、私の知ってる家出とちょっと違うなあ……)
御曹司の家出と言ったら執事が運転手までしてくれるものなんだろうか。
ちょっぴり釈然としないが、便利なのはいいことなのでそのまま何も言わず出勤する。
これから尚貴は職探しを始めると言っていた。
愛里は仕事をしながら、なおさんはいったいどんな仕事をするのだろうかと考えてみた。
アルバイトでパッと思い浮かぶのはコンビニのレジ打ちとか新聞配達だけど、なおさんには想像もつかなそう。
やっぱフジタ関係の仕事かな?
幸い、ここ愛知県にはフジタ関係の仕事なら山ほどある。
(雇った人、なおさんの正体を知ったらさぞかしびっくりすると思うけどね……)
仕事の間に入ったLINEによると、アパートは見つかったようだ。最低限必要な家具も買ったそうなので、愛里も仕事が終わったら手伝いがてら様子を見に行くことにした。
尚貴は愛里の家のほど近くに居を構えることにしたらしく、歩いて五分もかからなかった。尚貴の急なご近所さん化に戸惑いつつ、少し寒くなってきた夕方六時過ぎにスマートフォンのマップアプリを頼りに住所の地点まで行くと、なかなかのオンボロアパートを見つけた。
ここか……。
薄汚れた壁がひび割れている。洗濯機も外に置いてあるし。
カラスもおうちに帰る日も暮れし黄昏時なのも相まって、微妙にセンチメンタルな気分になった。
ビーーーーという時代錯誤なチャイムを押し、
「来たよー! なおさーん」と顔を出す。
こんな場所でも変わらぬスーツ姿の郡山がドアを開けてくれて、その後ろから喜び勇んで駆けてくる尚貴の姿――
「エリンギちゃん! お仕事おつかれさま!」
「なっ、その格好はいったい……!?」
に、衝撃を受けた。
なんという格好をしているんだ、なおさん……!
「もう秋だし、少し寒いでしょ? だから、暖をとるためだよ! ……てへっ、なんてね。実はね、憧れてたんだ。こんな漫画家に」
そこには御曹司の袢纏姿があった。
袢纏!?
「♯」柄のちりばめられた紺色のTHE・袢纏をもこもこ着た、長身痩躯の美人なおさん。
「あ、あは、は、そう……」
楽しそうで何よりです。
ていうか、まだそんなに寒くないけどね。
「お邪魔しまーす」
「上がって上がって! 狭いけど、ごめんね」
「うん」
靴を脱いでフローリングの床をギィッときしませながら上がる。
中は薄暗く、狭く、そこかしこに昭和の匂いが漂っていた。
さすがに引っ越したてなのもあり埃などはなかったものの、キッチンのデザインなんてまさしく昭和だ。築二十年は経っているだろうから無理もない。床も畳敷きで、四畳一間に買い揃えた真新しい家具だけが浮いている状況。あと袢纏の中の人も浮いてます。
「家具を買い揃えるのに信頼と実績のフジタ家電がいいのはわかりきっていたんだけど、結構高くてね。こんな機会今までなかったし、違うメーカーのも使ってみようかなって」
「へえ~」
そのせいか、たしかに家具のチョイスは庶民のそれだ。
冷蔵庫も電子レンジも炊飯ジャーもどこのお宅にもありそうな一般的なものだし、ベッドはなく畳みに布団を敷いて寝るそうだ。机も小さいものしかない。テレビは見る習慣がないとのことで買わなかったそうだ。
そして仕事も見つけたらしく、聞いてみれば愛里の勤める会社の隣の隣の工場だった。まあ、この辺で探せばそうなるか。
そこの社長がいい人で、事情を聞いて初めのうちは給料を日払いでくれると言ってくれたそう。
こうして尚貴の庶民暮らしが幕を開けたのだった。




