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第35話 なおの家出(執事付き)

 そのとき、家のベルが鳴った。


「え、誰か来たみたい」


 尚貴の関係者だろうか。

 親が出る前にと、愛里は慌てて階段を駆け下りる。


 インターホンで名前を聞いたらしい母が、「愛里、郡山(こおりやま)さんって知ってる?」と訊ねてくる。


「なおさんの付き人! 私が出る!」


 愛里が玄関を開けると、いつもとかわらない黒スーツの郡山が立っていた。


「郡山さん!」

「おう」

 少しやつれたような顔で「坊ちゃんがいろいろ面倒掛けてすまないな」と苦笑。


「い、いえいえ……」


 こちらも苦笑いで中へ迎え入れる。愛里の背後に母を見つけると郡山は踵を揃えて直立し、丁寧に一礼した。母も恐縮したようにぺこぺこと頭を下げている。


「じゃあ、郡山さんも二階へどうぞ。なおさんいますよ」

「失礼します」


 郡山は靴を揃えて、ついでに尚貴の靴も綺麗に揃え、玄関を上がる。


 ああ、郡山さんが駆け付けてくれて、なんとかなる気がしてきた。


「尚貴様、こちらにおいででしたか」

「郡山!」


 お茶を飲んでいた尚貴は、敵の襲撃を受けたような顔で立ち上がりかけて言う。


「まさか、邪魔をしに来たの……?」

「いいえ、そのようなつもりはありません」


 愛里は郡山に座布団を渡してひとまず着席を促すが、お気遣いなくと断られた。そんなところに立ちっぱなしで会話される方がよっぽど気を遣うけど。


「申し訳ありませんが、わたくしは監視を仰せつかっております。その代わり、なんでもお手伝いをいたします」


 どうやら郡山は尚貴の監視に来たらしい。


「要らないよ。そんなの」

「しかし、それでは現実的ではないかと」

「お手伝い付きで家出するやつがどこにいるんだよ!」


 尚貴が苛立ち混じりにツッコむ。


「まったくもっておっしゃる通りでございます」


 郡山も冷静に頷く。

 ……そんなコントみたいなことしている場合ではない。


「では、御用があればお申し付けくださいませ」

「はいはい。ないよ。だからあっちいって」

「失礼いたします」


 郡山はドアの前、壁際に待機することにしたようだ。

 狭い部屋なので、「あっちいって」という距離ではないが。


 ところで、郡山の登場で愛里はふとあることを思い出した。


「あ、これ使おう! なおさん」


 机の引き出しから取り出したのは一通の封筒だ。


「これ、郡山さんから受け取った手切れ金なんだ。でも、もちろん一円も使ってないからね。連絡取っちゃったし……。なのでなおさんにお返しするね!」


 なかなかいいタイミングで返すことになったと思う。


 厳密には返す相手は違うような気もするが、そこはまあ、気づいていないフリをして尚貴に握らせる。


「でもこれ、出所は藤田ってことだよね」

「後で返せばいいんじゃない?」

「そうしようかな!」

「そうしよう!」


 うんうん。きれいごとだけでは生きていけない。

 郡山の視線が痛いが、無視を決め込む。


 中を確認すると、三十万円が入っていた。


「なおさんの所持金と合わせると、四十万円だね」

「そうなるね」


 尚貴はうーんと考えて言う。


「明日、アパートを借りようと思う」

「じゃあ、私もいろいろ手伝うよ」

「ありがとう、エリンギちゃん。エリンギちゃんは引っ越しとか、一人暮らしとか、したことあるの?」

「私? 私は、ないなあ……ずっと実家」

「そっか……」


 沈黙。

 あの……アパートを借りるって、どうやったらいいのでしょうか?

 尚貴もまったくわからない様子だ。


「郡山、ちょっといい」

「はい」


 待ってましたとばかりに歩を進めるのが気に入らないような顔で、だが尚貴はしぶしぶ尋ねる。


「アパートを借りようと思う」

「はい」

「借り方がわからない。えーと、所持金は四十万なんだけど、これって、どれくらい生活できるものなの?」

「一般的には二~四か月は生活可能です」

「四か月も生活できるの!?」

「はい」

「ホテルに一泊したら消えちゃうと思ってた……」


 驚くところ、そこ!?

 愛里は尚貴の未来が前途多難な気がして頭が痛くなりそうだった。


「しかし住み始める際の初期費用や家具代を差っ引きますと、手元には十万円ぐらいしか残らないと思います」

「十万円……」

「尚貴様の場合、半月も厳しいかと」


 現実的なことがどんどん見えてくる。


「その間に職を見つけて働き始めなくちゃいけないってことだね」

「そうですね」

「仕事、仕事かあ……」


 尚貴は困ったように繰り返しながら、目の前の四十万円とにらめっこしている。


「仕事は、住む場所を見つけてからだ。アパートを押さえたい」

「かしこまりました。手配いたします」

「頼むよ」


 郡山はすぐさま自分のスマートフォンを操作してどこかへ電話をかけていた。部屋探しについては、郡山に任せればよさそうだ。尚貴は世間知らずだけれど、執事がサポートするなら家出もどうにかなるのかもしれない。

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