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第29話 プリンセスマナーレッスン(スパルタ)

 さっきとはまた違う廊下を歩いて階段を下り、食堂へ行く……と思ったら別室に案内された。音楽室だそうだ。バレエやダンスの練習なんかもできそうな大きな鏡があり、隅にはグランドピアノが置かれている。その部屋の中央に配置された小さな机が違和感を放っているが、きちんとテーブルクロスまで掛けられ、カトラリーも調えられている。


 食堂は現在食事の用意で大忙しということで、模擬用に一部屋用意してくれたらしい。ご希望に添えず申し訳ありませんと郡山には謝られたが、たしかに、食事の準備で殺伐とする中、客人がマナーレッスンなんてやっていたら気を遣わせてしまうだろうし、そうしてくれるのは一向に構わなかった。実際にここで食事をするわけでもないし、練習場って感じだ。


「テーブルマナー予習してきたんだけど、全然身についてない」

 愛里が尚貴にぼやくと、笑って言う。

「いいんだよ適当で」


 たしかに、早く戻って漫画の話もしたい。

 尚貴は読みかけの漫画本を持ち込んで、読んでいる。


 んー……。


 でも、メイドさんにせっかくここまで用意してもらったんだし、なおさんと一緒に食事をとるためにはやっぱり最低限は身に付けるべきだし、せっかくの機会は有効活用するべきだと思う。


「大切なことはね、一緒に食事をしている人と楽しく過ごすこと。それだけだからさ」

「う」

 尚貴に言われて愛里はレストランで相手を悲しませてしまったことを思い出す。

「それはごめんなさい……」

 

 でも。


 いくら相手が許してくれて、自分の無作法を気にしないことが相手の為だとしても、それなりの高級店に入った時には、それなりの振る舞いを身に付けていたかった。今まではそんな需要がなかっただけで、需要が出てきた今となっては、立派なレディとしてかっこよく振る舞いたかった。自分の振る舞いのせいで相手の足を引っ張って恥をかかせたりだって、したくない。


 だけど、そんなことはなおさんは望んでいないのかな。

 今まで経験を積んでこなかった自分が悪いのに、こんなことで困らせてる……?


 愛里が沈んだままでいると、尚貴はようやくぱたんと漫画本を閉じて言ってくれた。


「そうだね。マナーを覚えないとエリンギちゃんが楽しく過ごせないっていうなら、それは僕だって協力しなくちゃいけないってことだもんね。わかったよ」


 それは愛里のことを心底思うが故の配慮で。


「ありがとう、なおさん」


 やっぱりなおさんは、優しい。


 よし、頑張ろう。


 まず、一通りのレクチャーを尚貴から受け、覚え、そして実践していく。


 椅子の前に右から入って……

(あ、ちがう、左だ)


 テーブルに前ももが付くように立つと、給仕者が椅子を押してくれるから……

「わっ」

 しまった。早かった。

 椅子がふくらはぎに当たるまでじっと待たないとだめだった。


 間違えるたびに、尚貴はいいよいいよ大丈夫だよって励ましてくれる。


「よくなーいっ。よくないもん。全然うまくできてないのわかるもん」

「あ、あはは……一生懸命なのはいいことだね」

「なおさんは優しすぎるよっ」

「可愛いからいいのに」

「だめ! もう一回やらせて!」

「いいよ、何度でも」

 

 あれっ座る位置は、この辺で良かったかなぁ……?

 テーブルとの距離、ちょっと狭すぎるかな?

 なおさんは何にも言わないけど……。


「んー……」

 何か言いたげな尚貴だが、表情から合っているかどうかを読み取るのは難しい。それに時間がかかる。いいのかダメなのかはっきり言ってくれないとわからない。


「入室から退室、和・洋・中・アフタヌーンティまでそれぞれやると結構時間かかるねー」

 ぽつりと、尚貴が言う。

「あ、そんなにあるんだ……」

 なんか途方もなく感じてきた。


「エリンギちゃんとテーブルマナーのことで過ごすのもいいけど、僕としては漫画の話が早くしたい、かな」

「私も、マナーだけで終わるのはちょっと本末転倒というか……。なおさんと楽しく過ごすためにマナーを覚えたいのに、その時間が減っちゃうのはもったいないね」


 ていうかなおさん優しすぎて、どこがどう悪いとか指摘もあんまりされないし、なーんか、本当にこのままでいいのかなぁ……?


「じゃあ、うーん……奥の手を使う?」

 尚貴が突然そんなことを言い出した。

「奥の手?」

「そこまで覚える気があるなら、一つ方法があるんだ。レッスンが短時間で終わって作法もしっかり身に付く方法。――僕はできないまま戻っても構わないけどね」

「え?! そんな方法があるならぜひお願いします!」


 ふう、と一つ深呼吸を始める尚貴。郡山に目配せをする。

 その後、郡山と目が合う。

 

 あれっ、なんか、嫌な予感がするのは、気のせい?

 ……獣のような目をしていたけど。


「じゃあ郡山……僕は席を外そう。あとを頼む」

「承知しました」


「僕はエリンギちゃんの漫画を読んで待ってるから~」

「かしこまりました」


 尚貴は漫画本を手に、そそくさと出ていってしまう。


「ごめんね、エリンギちゃん……」


 去り際に意味深なセリフを残して。

 ……どういうこと?


 しん……とした中、郡山が、放たれたライオンのようにのそりと近寄る。


「尚貴様は私に後を頼むとお言いつけになり、席まで外された。言われていなかったらどこまでもお客様扱いしてやるが、これはつまり、思いっきりやれ(・・・・・・・)ってことだからやらせてもらう」


 うわー久しぶりに、従者の仮面を外した「デキる年上男バージョン」の郡山さんだ。


「は、はい……望むところです!」 


 頼りがいを覚えたのも束の間。


「そうじゃない! 座る位置は座面の半分から三分の二の深さだって体で覚えろ! テーブルとの距離は握りこぶし一つ」

「はいっ」

「こら、そのまま進めるんじゃない。椅子を移動してもらいなさい。上半身はまっすぐキープ! ふらふらしない!」

「はいっ」

「鏡を見てみろ、それが美しい所作だと思うのか?」

「思いませんっ」

「ナプキンの置く位置が違う。中座は左で退席時は右。また戻ってくるつもりか?」

「はいっ」

「あのな、何回言わせんだ!? 集中してないだろ!」

「ひぇっ」

「ダメ。笑顔が消えてるやり直し」

「はひっ」

「やり直し!」

「はいっ」

「やり直し!」

「はいっ」


 防音壁なのをいいことに、怒号が轟く。

 ――超スパルタ特訓が幕を開けたのだった。


「郡山さんっ、待って、待って!」

「なんだ。時間ないんだ。そのままじゃ藤田家で食事なんて一生無理だぞ」

「でも、覚えられないよ~」

「集中しろ。なんとかなるなんて幻想は捨てるんだ」

「そんなこと」

「うまくなりたいとか口では言いながらも、また間違えてもまあいいか、みたいな浮ついた気持ちがあるから何回も同じこと繰り返してんだ。興味本位とか遊びのつもりなら坊ちゃんにやってもらえ!」


「うっ」

 返す言葉もない。


 うまくなりたいと言いつつたしかに優しいなおさんに甘えていた。あと、場所のせいか「練習」って感じも抜けなくて、失敗してもいいやって思っていた節はあった。


 さらには興味本位とか、遊び半分の気持ちがあったことまでズバズバ言い当てられ、自分の愚かさを痛感する。なおさんにははっきり言ってほしいとか思いながらも、実際に言われたら凹む自分って……穴があったら入りたいよ。


「はいわかったら、や・り・な・お・し」

「鬼教官……っ!!!」


 だけどそうだたしかに望んだのは自分である。


 郡山の指摘は意地悪なようでいてその実、愛里が即席にでも立派なレディになるために必要なことを過密に詰め込んでくれている。


 だから食らいつくしかない。


 それからみっちり一時間半、なおさんとの食事が始まるまでしごかれた。

 それはそれは気の抜けない、濃い時間だった。音を上げたりもした。


「もう嫌だ!! もうレディになれなくてもいい!!」

「ん、それじゃ御曹司に恥をかかせ続けていくんだな。それでもいいんだな。今おまえが決めたことだからな」

「やだー!」

「じゃあやれ!! はい始めから!」

「ひぃぃぃ」


 けれどピリピリとした緊張感は、尚貴との甘々レッスンとはまるで違っていた分、メキメキと上達するのを感じた。


 そのおかげで……


「すごいすごい、エリンギちゃん! さすが、もう立派なレディだよ!」


 なおさんとの食事も、自分でも別人のように振る舞うことができた。

 自分の世界観が変わるほどの、なかなかのご令嬢ぶり。


「あ、あはは……ありがとう! ありがとうなおさんありがとうもっと褒めて」


 だから食事の間は、漫画そっちのけで尚貴にべた褒めしてもらった。

 郡山が厳しかった分、尚貴には思い切り甘やかしてもらう。

 郡山とはなるべく目を合わせない。

 粗はたくさんあったのが、自分でもわかっていたので……。

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