第22話 ディナーのお誘い
外に出て、バスも待たずに研究等の方へと歩く。たしかに離れるとロクなことがないことがわかった。尚貴の元に戻ろう。
日はだいぶ傾き、西日になっていて少しだけ風が涼しい。それでも歩くには暑いけど、ここから一刻も早く離れたい一心で歩き続けた。木々で彩られた商店街(服屋や床屋まであった)を汗だくになりながら突っ切ると、尚貴と別れた研究棟が見えてきてほっと力が抜ける。
自動ドアを入り、涼しい空気に一息つきつつ、とりあえずロビー横の自販機でドリンクを購入し一気に呷る。はー。
さて、と。
尚貴はどこにいるのだろう。
そういえばと愛里は思い出す。まだ着信拒否設定を解除していない。これじゃ自分からも電話をかけられない。設定をいじればいいのだが、着拒なんてしたこともないし不慣れなのでとりあえずは別の方法を模索してみる。付与されたゲストカードでは各扉を開けることはできないが、透明なガラスの大窓から中の様子を見られるようになっている部屋もちらほらあるのだ。愛里は尚貴の入った部屋を思い出しながら、ふらりと歩き回った。通行人に聞くのもありだ。と思っていると、ガラス張りの部屋にいる白衣を着た女の人に指さされた。顔を向けると、その人の横に立っている尚貴とぱちりと目が合った。いた! ドアの方に駆けてきてくれる。
「どうしたのエリンギちゃん」
尚貴はチェック柄ブラウンスーツの上から白衣を羽織っていて、また違った知的な雰囲気を醸し出している。
「お仕事中ごめんなさい。近くで待たせてもらってもいいかな、やっぱ」
「いいけど、どうしたの? 何かあった?」
愛里は事のあらましをざっと説明する。
「そんな……っ、信じられない。貴志兄さんに絡まれるなんて、ひどい災難だ。本当にごめんね……」
心底すまなそうに謝る尚貴は腕時計を確認すると、
「もうすぐ終われそうだから、ちょっとだけ待ってて」
「うん」
「夕飯一緒に食べられる?」
「うん」
わーい。なおさんとお食事だ。
「それと、食後によかったら、この前言っていたキャラカクテルをごちそうしようと思うんだけど、どうかな?」
「はい……よろこんで」
ってことは、なおさんの家に行くってことだよね!?
うわー緊張する……。
持ち場に戻った尚貴に代わって出てきた郡山に嫌いな食べ物はないか聞かれ、特にないと答える。
(さすがというか、こういう予約は郡山さんがするのかな)
研究棟にはハンバーガー屋のチェーン店が入っていたのでそこでポテトだけ注文して待つこと二十分。
店に黒服の男が入ってきた。エレベーターに連れ込まれたトラウマから身構えたらその人は郡山で、
「尚貴様がこちらに向かわれております。ご準備を」
と、愛里を迎えに来てくれたのだった。
仕事を終えた尚貴と合流する。
「おまたせー!」
「なおさん、お疲れさま」
「ありがとう」
研究棟を出ると黒塗りの車が一台待機していた。外に立って待っていた運転手さんが一礼する。夏コミの時に迎えに来ていた人と同じ人だ。
「お久しゅうございます。どうぞ」
運転手さんが愛里のためにドアを開けてくれながら、また天井に頭をぶつけぬよう手を添えて乗せてくれる。愛里は普段のように足から乗ろうとして、スーツのスカートが開かず、運転手さんもいて狭くて乗りにくい。
愛里がまごついていると、
「腰から乗ってみてくださいませ」
と、運転手さんが白髭を動かしてこっそり耳打ちしてくれた。
言われるがまま踵を返してお尻から乗ってみたらすごく上品な乗り方になった。
「すみません、ありがとうございます」
車内から小さくお礼を言うと、
「失礼を致しました」
とにっこり微笑んで一礼してくれる。
庶民の愛里からしたらこういう厭味のない指摘はすごくありがたかった。
何気なく尚貴を見ると、自然と愛里と同じ所作で乗り込んでいる。
(ああ、今のがスマートな乗り方、なんだろうな。車の乗り方なんて、考えたこともなかった。もしかして、正しい降り方なんてのもあるのかな……?)
急に緊張してきた。レストランで食事なんて、うまくできるだろうか? 尚貴の真似をしようにも、限界がありそうだ。
夕暮れの中、二十分くらいで目的地についた。そこは黒を基調にしたシンプルさを感じる洋風の料亭で、いかにも高級ですといったギラギラした雰囲気ではなく、あ、これなんかたぶん高そうなとこかな? みたいな感じのお店。だけどおそらく、高いんだろう。なんというか、わかりにくくしてある分、余計に高そう。あのへんのさり気ない生け花とか、棚にグラスがライトアップされているところとか。
「接待にも使われる店がもう一つあるんだけど、こっちは僕のお気に入りで」
お出迎えするスタッフに慣れたように挨拶を返しながら、尚貴が言う。
その接待に使われる店というのはおそらく見た目にも高そうなのだろう。
高級料亭も憧れるが、あまりにも格式高すぎるのはしんどいので、こっちのシンプルな方が助かるかもしれない。
なんて思っていた。この時は。