第20話 暴君王子
行く宛もないままバスに飛び乗ってみて、どこで降りるべきか地図とにらめっこする。ショッピングモールに行くならすぐに降りなくてはならない。でも丸ごと委託されたショッピングモールなんて日本全国にあるし、いつでも行けるといえば行ける。せっかくなら企業街ならではの場所へ行きたい気持ちもある。
(うーん、けどさすがに工場内へは入れないか)
各工場の食堂までは誰でも入れるらしいが、工場内はセキュリティエリアに指定されていた。愛里に発行されているゲストカードでは立ち入ることが出来ない。かといって、尚貴の仕事がいつ終わるかもわからないのにプールや温泉に入るわけにもいかない。化粧も落としたくないし。
(ホテルをちらっと見にいってみようかな?)
温泉の隣、来客用の宿泊施設がある。旅館もあるみたい。一体どんな宿泊施設だろうと興味がわいた。その付近にはお花畑もあるらしく、景観も良さそうだ。さすがに暑くて外は歩けないけど。
愛里は三つ先のフジタホテルというバス停で降り、炎天下から逃げるように一番立派そうなホテルのロビーに入る。自動ドアを抜けると青色の空気が心地よい。そしてさすがというか、期待通りの豪華絢爛な内装に胸が躍った。まるで貴族の邸宅のよう。それと同時に冷やかしするにはレベルが高すぎたかと緊張する。すぐさま「いらっしゃいませ」と品の良いホテルマンに出迎えられてしまって、「あ、いえ、パンフレットだけもらいたくて」と慌てて宿泊目的で来たわけではないことを説明する。
少々お待ちくださいと言われて、ソファに着席する。ソファは柔らかで上品な手触りと深い光沢感のあるベルベットやシルクを用いていて、なんとも華やかで上質だった。天井にはクリスタルのシャンデリアが飾られている。今更ながら、スーツで来ていることにほっとする。ドレスコードも問題ないよね。さてパンフレットをもらって、泊まった気分にでもなろうと思っていると。
「ああん貴志様~、私にもくださいませ~」
ロビーの奥からなにやら黄色い声が聞こえてきた。
愛里が振り返るとそこにはまるでコンパニオンのような美女に囲まれて、ソファに深くどっかりと腰掛ける男がいた。
「いいぜ、スイートルームでな」
足を組んで王様のような態度で、真昼間からそこだけ高級クラブのごとき雰囲気を醸し出している。
中央のその男はグレーアッシュの髪をワックスで逆立てていかつさ満点、攻めた黒のワイシャツとグレースーツが、この世を我が物顔で支配するかのような強い眼光と妙に合っている。
目が合ってしまった。
「オイ、おまえ、見ない顔だな」
愛里は固まった。これは……自分に呼びかけられている。
「あ、ええと、はい……すみません」
なんだか反射的に謝ってしまう。
「おまえも抱いてやるから俺の私室に来いよ」
「は!!?」
何? え、これ、ナンパ!? こんな場所で!?
「羨ましいですわ」
「おまえは、今度な」
「はい……」
べったりと彼の横について甘える女性数人が口を尖らせている。
(ちょ、っと、待ってよ)
たしかにこの人、見た目はかっこいいけれど、いやいやいやいや、かっこよさとかじゃなくて、「抱いてやる」って何よ!?
「ていうかオレのことも知らないみたいだし。子羊ちゃん、迷い込んじゃったの~?」
男は勢いをつけて立ち上がると、黒の革靴を鳴らして面白そうに近づいてくる。
「いえその……私は、通りすがりの者で……」
やばい、もうパンフレットとかどうでもいいから逃げなきゃ。
「教えてやろうか? 俺様のこと」
男に自信たっぷりに微笑まれて、その鋭い瞳に吸い込まれそうになる。たしかに顔はかっこいい。怖いほどに整っている。
「いえ、結構です!! し、失礼します!!」
愛里は振り切るように踵を返す。正面玄関から出よう。だが、玄関脇に控えていた二人のドアマンに、がしっと両腕を捕まれる。
「ひえっ!?」
なんで!?
「申し訳ありません。貴志様のご意向ですので」
「ご同行願います」
二人の黒服は口々に言うと、問答無用で愛里を担ぎ上げる。力で敵うはずもなく。
(なんでそっちの味方なの~~~~~!?)
「そりゃ、思うようになるわけないだろ。ここは俺様のキングダムなんだから」
男に呆れたように言われた。
「じゃ、ベッドへごあんな~い」
無理!!!
助けて!
愛里の抵抗むなしく、エレベーターに載せられる。愛里がどんなに暴れようと、ホテル従業員は驚くほど無視を決め込んでいる。今更ながら、「貴志」という名前をどこかで聞いたような気がしてきた。たしか、尚貴が言っていた。「女を連れていたら貴志兄さんみたいになっちゃう」って。
(え、じゃあ、この人がなおさんのお兄さん!? 藤田家の次男!?)