第17話 本社ビルの応接室にて
「行ってらっしゃいませ」と姿勢よく一礼して見送ってくれる受付さんとバトンタッチしたのは、またもや美しい女性だった。スーツとフォーマルドレスをミックスしたような制服は受付・案内人の共通らしく、全員後ろでお団子にする同じ髪型をして、堅くもなく派手でもないにこやかな笑みで応対してくれるため、一見すると同じ人のように見えてしまう。
相次ぐ美人さんの接客に、「かわいいのぉ」とつい口走る丸井社長の様子に愛里はちょっとだけ緊張がほぐれた。けど、これだけ大企業だとセクハラに対して非常に厳しいかもしれないと気付いて、ああやっぱり怖い怖いと肝を冷やす。案内役の女性は幸い気を悪くした様子はなかったけれど、セクハラ案件には計上されたかもしれない……。
愛里と丸井社長が通されたのは応接室だった。黒と濃茶の色調で統一された、重厚な雰囲気の部屋だった。
黒のレザーチェアーに着席すると、ふわっと宙に浮くように心地よい感触がした。天板の濃い木目の配色や、大窓から差し込む光量は緊張感と落ち着きの両方を感じさせるようにバランスが考えられていて、極上という言葉がふさわしく思えた。
(世界のFUJITAだもんね……)
天井から膝下までの高さの大窓があり、高層ビルからの景色を一望できたので、愛里は興味深く眺めてみる。敷地内はテーマパークのごとく、ところどころに緑が配置されていて、天から見ても美しく整備されていた。
なんだか本当に別世界に来たようで、今日の午前中まで自分がベルトコンベアーで流れてくるネジの計量作業をしていただなんて、夢か幻だったような気さえしてきた。
ノックの音がして、びくっとしてドアの方を社長と二人同時に向く。
入ってきたのは、黒いスーツに白いエプロンをかけた女性で、サービスカートを引いていた。
「お飲み物は、何に致しましょう?」
愛里が、何があるかを訊ねると、
「ただいまお持ちしましたのは、緑茶、ウーロン茶、コーヒー、紅茶、オレンジジュースですが、他にご要望がございましたら、なんなりとどうぞ」
とのこと。どうやらわがままもウェルカムらしい。キウイジュースください、とか言ったら用意してくれるのだろうか。
丸井社長と共に大人しくラインナップ内から選び、エプロン女性が給仕を終えて退室すると、入れ替わるようにして見覚えのある男性が入ってきた。
「大変お待たせをいたしました」
愛里も社長も、弾かれたようにその場に起立した。
その声の主は、尚貴の付き人――郡山だった。きっちりワックスで左右に固められた黒髪に、皺のない黒いスーツは、夏コミの時とは打って変わり、まさしくこの場にふさわしい佇まいとしてよく馴染んでいる。
さらに奥からもう一人若い男性が付き従うようにして現れた。愛里は期待と共に視線を向けるも、その人は尚貴ではなかった。丸い銀の盆を両手で捧げ持っており、その上に透明の袋を被せられたねじねじロボット一号が鎮座している。
(なおさんは、来ないのかな)
郡山は前に進み出ると「藤田の代理で参りました、郡山と申します」と名乗り、手慣れたように社長と愛里に名刺を渡してきた。丸井社長は名刺交換をしていたが愛里は自分の名刺を持っていないので、ただ受け取るだけだ。郡山の下の名前は勇作というらしい。
着席を促されたので、社長に倣って座る。郡山は立ったまま名刺を机の上に置くと、
「東京では大変お世話になりました。ご連絡いただければ、こちらからお届けにあがる予定でございましたが、ご足労いただきありがとうございます。こんなに早くおいでくださり、恐縮です」
と、深く頭を下げる。
慇懃な態度とは裏腹に、愛里はどこか遠回しに、がっつきやがってと非難されているような気がした。重い封筒を渡された苦々しい記憶が脳裏によぎる。
「愛里様のお人形で間違いありませんか? 車内に落ちておりました」
「はい」
郡山の確認に愛里が頷くと、
「では、メールの送信者であります藤田尚貴の代理として、わたくし郡山が責任もってお返しさせていただきます」
郡山は白い手袋を装着し、部下らしき男の持つ盆から、骨董か何かを扱うようにねじねじロボット一号を手に取り、両手でこちらに差し出してくる。
(そんなに丁重に扱わなくてもいいんだけど……)
丸井社長が受け取ると、そのまま愛里に渡された。
愛里は手の中の一号を眺めながら、ありがとうございます以外の言葉を探す。――特に何もない。
(あれ……これ、このまま帰される流れだ)
用は済みましたよね、というような間が開く。
まさか、これでハイ終わり?
門前払い、という言葉がまさに当てはまる。
つまりはこの人形を返すためだけに呼ばれたってこと?
なおさんに一目も会えないなんて思わなかった。
車内に落ちていた鉄屑キーホルダーを愛里に返すために社外メールを打って探した……ということなのか? うーん。まあ、あのちょっと天然入ってる尚貴なら、そこまでするのも、あるかも、しれないと残念ながら愛里は思う。
なーんだ。
愛里の口から、ついにふうっとため息が漏れ出てしまう。
なんだ、なんだ。
……なんだ。
わざわざ……オーバーなのよ、もう。やんなっちゃう。
愛里の胸の中に、失望とやるせなさが渦巻いていく。
だけど、そうだとしても、
なおさんにもう一度だけ……会いたかったんだけど、な。
そんなことを思ったら、尚貴を困らせてしまうだろうか。きっと、こんな風に言い寄る女の子はたくさんいるのだろうし。
すると、
隣の六十路が動いた。
「いや~、郡山さん! これ、この人形! すごいでしょう、これ、全部うちのネジでできているんですよ!」
何を思ったか、突如口を開いた丸井社長。
(!!!???)
愛里は驚いて隣を見た。
「ほら、分解するとこの通り、ね? ナットやボルトなんですよこれね、うちには使用箇所や環境・目的に対応する材料・技術・強度・精度など、細か~く対応できる設備とスタッフが揃っているんですよ!」
社長は鞄からサンプルや資料を出し、デスクに並べ始める。
(社長……? 郡山さんにプレゼンしたって、意味ないような気が、しますけど……!?)
社長は想定通りのパフォーマンスをしなければ帰れないとでも思ったのだろうか。突然の訪問販売に郡山も固まっている。
でも、少しでもこの場に長くいられるならそれでもいいやと思って愛里は追従笑いを送る。守るものも特にない。
社長の熱弁は続く。
それにしても、社長がここまで強引な売り込みをするなんて、珍しかった。
「申し訳ありませんが、そろそろ時間ですので――」
郡山も困り顔だ。
「おおっと、では、少し工場を見学させてもらえませんか?」
「それはまた日を改めまして……工場見学申し込みをしていただければ、一般のお客様と同様にご案内させていただきますが」
「じゃあそうしよう。愛里ちゃん、申し込みをして帰ろうか」
なんて積極的なんだろう。
……んん?
愛里はここで、ようやく社長の意図に気が付いた。
(……そういう、ことですか? でも、でも、私、もう自信ないです……)
つまり、
社長は疑っているのだ。
郡山が、愛里を尚貴と直接会わせないようにしているのではないか? と。
愛里が、打ち消してしまった可能性を、丸井社長はまだ信じている。
そう、なの、かな……?
愛里は必死に考える。
たしかに、それは十分考えられる。
自惚れないよう、傷付かないよう、勝手に排除しようとしていたけれど……だって郡山さんは、手切れ金を渡してきた人なのだ。
本当は、なおさんは……?
やっぱり、私に会いたいと、思ってくれているのだろうか。
その時だった。
廊下から、どたどたと足音が聞こえてきた。
愛里は、悟った。
(ごめんなさい、信じられなくて)
扉が勢いよく開いた。
半泣きで、飛び込んできたのは、
「やっと、やっと、会えた……エリンギちゃん!!」
チェック柄のブラウンスーツに身を包んでいるのが、なんとも彼らしく似合っている。
「なおさん!」
郡山の口から、チッと舌打ちが聞こえたような気がした。




