第15話 FUJITA本社へご挨拶
愛里ははやる気持ちを押えて一旦(有)丸井螺子に戻った。すぐにでもFUJITAへ向かいたい気持ちは山々だったが、さすがに車で片道一時間はかかる場所まで寄り道するわけにもいかない。帰社してすぐ社長に事の顛末を報告した。
丸井螺子の社長は冗談はよしこちゃんなどと言って初めは信じてくれなかった。だが愛里がねじねじロボット一号の写真と、FUJITA電機からのメール本文の印字された紙を見せると、
「す、す、すぐに準備だ!」
大慌てで鞄をひっつかんで、社長机の上に出していた筆記具などをしまいはじめた。手がガタガタ震えて、ペンを落としては拾い、落としては拾いを繰り返している。
「いやっ、たぶんっ、私ひとりで行った方がいいと思います!」
社長の動転っぷりに慌てて愛里は進言するが、
「何を言ってるんだ愛里ちゃん! たしかにこの人形(?)を作ったのは他でもない愛里ちゃんだ。というか勤務中に製品で何やってるのかな? まあいい」
「いえ、ちゃんと昼休みに作りました! 主に不良品を使ってます」
「よしよし、いやうん、そんなことは別によかったんだ。むしろ感謝するよ、大いに結構だ。これからは正規品で作ってくれてもいいからね。でもね、あのね、いいかい。これは愛里ちゃんだけの問題ではないんだ。我が社の将来を左右する大事な話なんだよ」
やはりFUJITA電機に呼び出されるというのは並のことではないらしい。
「スーツは持っているかな? 帰って着替えてきて!」
「え、スーツ!? 今からですか?」
愛里は普段、家から着てきた汚れてもいい服にエプロンをかけている。たしかにこのまま行くのはちょっと嫌だったが、そうかスーツか。
「ああ。タイムカードはそのままでいいから」
「わかりました」
「僕が君の家まで車で迎えに行くから、それまでに準備するんだよ。いいね?」
「はい」
社長はあっちこっちに走っては製品サンプルを袋にいくつも詰めている。
「ああ大変だ大変だ……。FUJITA電機から何千、何万ロットの注文が一気に入ったらどうしよう。こんなちっぽけな会社ではとてもじゃないが受けきれない。でも、飛躍の時かもしれない。いや、でも、リスクが大きすぎる……」
なんだか大げさなことになってしまったなと愛里は呆然としてきた。尚貴と再会するのはとても楽しみだったが、それだけでは済まないかもしれない。
愛里の前で作業靴を止めた社長が尋ねる。
「このメール、五馬技研さんが教えてくれたんだよね。まずは五馬技研さんにご挨拶に行かないと。それが筋ってものだからな。むしろ同席してもらおう」
なんと、FUJITAに行く前にもう一度五馬技研に戻るのか。どんどん話が大きくなっていく。
「でも、仲介料取らないって言ってました!」
「そうか! いや、ウウム……、それでもまずは五馬さんと顔を合わせてからだ」
取引先同士のややこしい関係もあるのだろう。そのあたりのことは愛里にはわからないし、そうするべきなのかもしれないが、だけどもこれはおそらくビジネスとは関係ないお呼び出しなのだ。そのことを伝えたいが、伝えるためには……。
こうなったら社長には夏コミでの出来事まで話しておいた方がいいかもしれない。
「すみません、社長……。あの、言いづらいんですが」
いろんな意味で言いづらかった。期待に満ちた顔でこちらを振り返る社長。もうすぐ六十になるという白髪交じりの社長に、なんでこれからコミケと色恋沙汰の話をしなければならないというのだろう。
「な、なんだって……!? それじゃ、FUJITA電機の息子さんが、愛里ちゃんに会うためにメールを流しているっていうのかい!?」
「そうとしか思えません」
あんな鉄屑で作ったおもちゃの写真が今も東海三県に拡散されていると思うと恥ずかしすぎて早く止めさせたい。
仕方なく夏コミでの出来事を話し終えた愛里に、社長は何と返せばいいのかわからないように「なんてこった」と小さくつぶやいた。
自分の会社で作っていたネジが元請け大企業に高く評価されるというビッグドリームをこの場で打ち砕かれた社長はちょっとかわいそうだったけれど、期待して後から知るよりはいいだろう。
しばし沈黙した後、これを契機と捉えなおしたらしい社長は顔を上げると言った。
「スーツはとびっきりの可愛さ重視のを僕が買ってあげよう。本社まで送って行ってあげるから。もちろん帰りもね。ああ、よしこ、おまえも来てくれ。愛里ちゃんのスーツを見繕って」
社長は奥さんを呼ぶと、車の鍵を取り出して出口へ向かう。
「社長、私タイムカードは?」
「切らなくていい。だから、お願いだ、頑張ってくれよ、頼むから。頼むから、変なことには、なっちゃわないでくれ、後生だから!!」
涙目で。
う。
プレッシャーがすごい。
(頑張るってどう頑張ればいいの!?)
ともかくも、さりげないフリルの裾が可愛いお高めスーツをゲットした愛里は、社長の車でFUJITA電機株式会社へと向かっていた。
社長は事情を理解してくれたようだが、それでもせめて自分も一緒に行かないと失礼になるとのことだったので、愛里は大人しく従った。小さな会社の社長とはいえ経験豊富な年長者がついているというのは、一人で行くよりはたしかに心強くもあった。
FUJITA電機の敷地は愛里の通っていた私立大学の七倍ぐらい大きく、道も自動車学校のコースのように特殊な形をしていて、脇には作り物みたいな並木が続いていた。
「ええと、本社はいったいどこだ」
「とりあえず、駐車場に一旦停めたら、案内が出てるんじゃない?」
社長と奥さんのよしこさんが口々に言い合いながら、迷い迷い近づいていく。それっぽい建物を見つけたので脇に停め、社長の奥さんが社長から運転を代わる。
「じゃあ、終わったら連絡してね。迎えに来ますから」
「ああ、よ、よ、よろしくな」
社長が震え声で応えて片手を上げる。
「頑張ってね、あなた、愛里ちゃん」
「は、はい」
愛里もつられて声が上ずった。
走り去っていく車を見送り、いよいよ敵地へと乗り込む。
「行こうか、愛里ちゃん」
「は、はい社長」
作業着ではなくスーツという社長の見慣れない姿にどぎまぎしながら、社長の後に続く。守衛室でゲストカードを発行してもらい、首から下げていざ本社へ。
ここがFUJITA本社なのかと、見上げるほど立派な社屋の磨かれた自動ドアを通り、
「す、すみません! 有限会社丸井螺子という者ですが」
社長が右袖の受付窓口に顔を出す。
美しくメイクを施した受付のお姉さんは、きっちり決められた通りの表情と声色で出迎えてくれた。が、社長から事情を聴くと少々戸惑ったような顔に変化していっているのに愛里は気づいた。なんだか途端に自分が小さくみじめに感じてしまう。社長の自腹で精一杯のおしゃれなスーツを用意してもらったが、所詮は付け焼刃でしかなく、どこか変だったかもしれない。社長のふるまいも、愛里には何もおかしくは思えなかったが、大企業の中では通用しない何か常識外れのことをしているかもしれない。
お姉さんは言った。
「こちらは労働組合の本部でございます。弊社FUJITA本社はあちらとなります」
場所を間違えていた。
――牙城は遠く、あまりにも大きすぎた。




