第14話 ガラスの靴
愛里は家に着くと取るものも取らず階段を駆け上がり、自分の部屋に置いてあるキャリーバッグを二つに開いた。
荷物の片付けは後回しに、尚貴から購入した薄い漫画本を取り出す。淡い色使いだが色が何色も使われていてステンドグラスのようなカラー表紙絵に、タイトルの『最果て丘の小さな家』という黒文字ロゴがやや浮いている。パラパラとめくると、ちょっぴり抽象的な魔法世界の物語が広がっていた。描き込みがとにかくすごい。ちょっとしたコマにも背景やら小物やらがびっしり詰め込まれていて、洋服の飾りつけや皺の一本一本に至るまでに美学を感じる。物語の意味はいまひとつわからないが、目で楽しむ作品って感じで本棚にしまっておきたい。
そして奥付にはメールアドレスが記載されていた。
愛里はメールに感想をまとめると、何度も見直しをする。
(……送っちゃうよ)
LINEで連絡を送れない事情も簡単に説明しておく。送信マークをタップする指が震えた。
(送っちゃった……)
すうっと緊張が広がっていく。
すぐには返事も来ないだろう。
愛里は浮足立つ足で一階に降りると、棚からレシピ本を取り出して、クッキーを作り始めた。クッキーを作るぐらいの材料は買いに行かなくとも揃っている。作り終える頃には、返事があるだろうか。
こねては新着メール問い合わせ。
型抜いては新着メール問い合わせ。
焼いては新着メール問い合わせ。
(来ないなあ)
出来上がったクッキーを一人寂しく食べながら、愛里はまたメールの新着問い合わせを繰り返していた。
クッキーは家族にあげるつもりだったのに、そのまま一人で全部食べてしまった。
こりゃ、太っちゃうな。
まあいっか。
メール来ないし。
そうして、毎日毎日時は流れていき、あれから二週間が経過してしまった。
返事はいまだなかった。
愛里は半ば諦めながらも、一応毎日スマートフォンをチェックし続けていた。
仕事中も、ポケットでスマートフォンが震えるたびに手を止めて画面を点けて、尚貴でなければまたしまうのを繰り返す。
先日には尚貴からメールが届く夢まで見てしまったりして、目が覚めたときには夢であることに軽く落ち込んだりもした。
けれどももう寝食を忘れてWi-Fi切り替え行動や新着メール問い合わせに勤しむことはしない。
冷静に考えれば、愛里に金品を渡してまで連絡先を削除させた郡山が、尚貴に対しても同じようにしないはずがなかった。
ただ尚貴が愛里の連絡先を消されていたとしても、愛里と連絡を取る手段はある。愛里の方はTwitterやPixivをやっているし、ネット上に手がかりは見つけられるだろう。尚貴は愛里の作品を買って帰ってはいなかったけど、サークル名で検索すれば出てくるはずだ。そもそも愛里の方からメールだって送ったのだし。
それなのに連絡がないということは、ま、サヨウナラということだ。
(大企業の御曹司だもんね。自己表現も、もっといいやり方が見つかったのかもしれない。出版だって、できそうだったし。コミケなんて回り道だと気付いたのかもね。それじゃ私なんかに構っていられないかも)
昨日今日ははあえてスマートフォンを鞄の中に入れっぱなしにするなど、なるべく距離を取ることを始めた。見るたびに凹んで、精神衛生上よくないから。メール来ないし。
昼休み。愛里は不良品の中から手ごろなネジやナットやボルトを見繕い、くるくると組み合わせていく。
「みてみてー! 新作、できました! ねじねじロボット二号」
丸井螺子で製作している様々な種類のネジ等を組み合わせてロボットのような小さな人形を作る――という、愛里のあまりにもくだらなすぎる創作活動だ。こんな気晴らしでもしていないと、仕事がつまらなくて発狂してしまう。あと、スマートフォンを見たくなっちゃうし。メールなんて来ないというのに。
「あっはは、かーわいいねえ! ねじねじロボット一号はどうしたの?」
パートの村田さんが弁当をつつきながら訊ねてきた。
「それはどっかに落っことしちゃったみたいで」
一号はキーホルダーとして鞄に付けていたのだが、気付いたら針金部分がちぎれてなくなっていた。蝶ナットがぴょこんぴょこんと耳みたいになっていてかわいくて結構気に入っていたが、まあ材料はいくらでもあるし、また作ればいいし、別に悲しくはなかった。
「愛里ちゃん、昼休み終わったら納品行ってきてくれないかな? みよさんが今日休みでね」
「はーい」
社長からの頼まれごとを快く引き受け、愛里は昼休み終了のチャイムと同時に会社を出た。たまに頼まれる納品の仕事は、外の空気を吸えるから好きだ。愛里はコンビニでも寄ってから戻ろうと画策する悪い子でもある。
今日の納品先は地元の電機部品メーカーである五馬技研だった。よく仕事をくれるお得意様で、これまでに愛里も何度か納品に来たことがあった。
「失礼しまーす、丸井螺子ですがー」
勝手知ったるままに入室し、小さな段ボールの箱をいつもの棚に置いて、さて納品書を渡して帰ろうとその辺にいる人を捕まえる。
「あっ、丸井螺子さん!? ちょっとちょっと!」
すると、廊下の奥の方からすごい剣幕で現れた女性に、ずいずいと服を引っ張られた。
「な、なんでしょう……?」
そのまま奥へと連れ去られる。
社長室と書かれたプレートの部屋に通されて緊張が走った。
(もしかして前に納めた製品になんか問題でもあっただろうか……? いやだなあ。よりによって今日発覚しなくても……)
妙齢のこの女性は、社長の奥さんだろうか。社長室には五馬技研の社長がいて、入室した女性が愛里を連れていることに気付くと席を立ってこちらに駆け寄ってきた。
「丸井螺子さん! これ見てよ、このナットとさ、あとこのネジも!」
五馬技研社長は愛里の横に並び、カラー印刷された一枚の紙を見せてくる。正直、製品についてあまり細かいことは愛里にはわからないので、問題点をしっかりよく聞いて持ち帰らねばならない。どれどれと愛里は集中力を高めて問題に向き合う。
「襟のとこのナットが四角形で……どっかで見たことあるなあと思ったんだけどさ、おたくの作ってるナットだよね」
「あっ」
そこに写っているのは愛里の作ったねじねじロボット一号だった。
「これ、私のキーホルダーです。どこで落としたんだろう」
ていうかなんでわざわざ写真に撮られて、しかも五馬技研さんのところにあるのだろう。とても恥ずかしい。顔から火が出そうな愛里は、思わず紙をひったくって、四つに折りたたんでポケットにしまってしまった。
「すいません、こんなの処分していただければいいですいいです!!」
大事なものだと思われて、わざわざ落とし主を探してくれたのだろうか。
すると、社長の奥さんっぽい女性は慌てて愛里のポケットから紙を取り出して、また大きく広げる。
「違うのよ! これ、よく見て! FUJITA電機様から送られてきたメールなのよ。なんか、FUJITA電機様が、このネジ人形の持ち主を探してるみたいなの!! 」
「ええええ!?」
FUJITA電機が!?!?!
「うちだけじゃなくて、愛知県、いや東海中の関係各社に送られてきているみたいで。もしかしたらって思って、ちょうどよかったわ!」
なんですって……!?
脳裏に思い出すのは、最後に見たねじねじロボット一号の姿で、それは夏コミ当日に持って行った鞄にぶら下がっていた。
社長夫人は愛里の背中をポンポンと叩いて素直に祝福の意を示してくる。
「行った方がいいよ! 丸井螺子さんの部品が評価されたのかも、ビッグビジネスチャンス到来なんじゃない!? 仲介料は取らないから安心して頂戴。ふふ、よかったわね!」
たぶんそれは、違います。
なおさんだ。
なおさんが、私を探しているんだ。




