第12話 (有)丸井螺子での勤務風景
日付が変わる頃家に帰った。
玄関のドアを開けるとすぐに、まだ起きていた母に、
「おかえり、あんた明日は仕事でしょ、さっさと寝ないと」
と息付く暇もなく急き立てられた。
たしかに、ここで一息ついたら動けなくなりそうだった。
考えたい事は山ほどあった。
けれど、疲れた肉体では考えたくはない事ばかりだった。
言われるがまま愛里は風呂を済ませると、荷物も紐解かないまま、布団に入った。電気も消して、布団の中でスマートフォンのアラームを午前七時に設定する。
目を閉じた。
明日からまた仕事だ。
脳裏に尚貴の顔が浮かんでは消え、思わずスマートフォンの画面を点けては消し、消してはまた点ける。
連絡はなかった。
こちらから連絡をするわけにもいかない。
そんな勇気はない。
あったらあの時、郡山に対してもう少し抵抗していた。それが出来なかったのは、自分に自信がなかったからだ。
気付いたらスマートフォンで延々とFUJITAを検索していた。
大正から昭和にかけて企業城下町として一大成長し、市名まで「藤田市」と社名に基づいて変更させてしまったという。
華々しい歴史に胸をえぐられる。
だめだ。頭から振り払う。
眠らないと。
もう自分とは関係ない。
受け取らされたお金も持って帰ってきてしまったし、郡山から、連絡は控えるよう厳しく言われたのだ。約束は約束だ。
それでも検索することはなかなかやめることができなかった。
調べれば調べるほどFUJITAの情報はザクザクと出てきて、尽きることがなかった。
尚貴のことについて、何か書かれていないかと「FUJITA 息子」とか「藤田尚貴」など、キーワードを手を替え品を替え調べてみたが、その事についてだけは綺麗に何も情報は無かった。
超上流階級というのは、個人情報の隠し方も何か特別な方法を使っているのかもしれなかった。
そう、愛里にやったように。
(そうだよね……)
だとするなら、本人があれだけ常識外れになってしまうのも無理もないかもしれない。無菌室で純粋培養された御曹司といったところか。
(近づいちゃ、いけないね)
納得したような気持ちで、枕に顔をうずめる。
ぽっかりと穴が開いたような喪失感を、埋めるように。
朝。
遅刻ギリギリに母に叩き起され、寝覚めは最悪だった。
スマートフォンは電池が切れていて、アラームが鳴らなかったらしい。充電しそびれたままいつの間にか眠っていたようだ。愛里は充電器を鞄に入れると、車に乗り込む。
慌ただしく、愛里のいつもの一週間が始まった。
「おはようございます」
「おはよう愛里ちゃん、今日もよろしくね」
出勤簿をつけると、愛里は持ち場について作業を開始した。
愛里の勤める有限会社丸井螺子は従業員数十数人の小さな会社だ。家から車で十分ほどの、小さな工場が立ち並ぶ一画にあり、数種類の小さなボルトやネジを作っている。
ベルトコンベアーの前の椅子に座って作業できるし、仕事自体は単調で、大きな重圧もなければ変化も求められない。そういう意味では気楽だが、つまらないことを繰り返さないといけないという意味ではあまり楽ではなかった。
いつもは勤務時間の七時間を使って、頭の中で物語を細部まで考える。物語が上手くまとまった日は、有意義に過ごせたと満足して帰宅できる。夢追い人としては、ごく当然の努力だと思っていた。
けれど、今日はどうしてもそういう気分になれなかった。
午前中だけでも小さなミスを連発し、ベルトコンベアーを何度も止めさせてしまった。締切間際で寝不足な時でももう少しまともにやれるのだけど。
「すみません」と謝って、作業を再開する。
愛里がいくつミスをしようと、工場の仲間は優しく励ましてくれた。
給料は良くもなければ悪くもなく、新人賞やイベントの入稿の締め切り間際には、パートさんと同じく融通だってきかせてくれたりもする。恵まれた環境だ。スマートフォンの充電をしていてもうるさく言われないし。
(早く、昼休みにならないかな。もし、なおさんから連絡が来ていたら、どうしよう。謝りのLINEとか、来るかもしれないし。そしたら、とりあえず、返事だけはしてもいいよね。事情を話して、私は郡山さんから連絡しないよう言われて連絡先も消されているってことを伝えて、あとはなおさんに任せて……)
チャイムの音が響き、午前の作業から解放された愛里は一目散にコンセントの元へ駆けつけた。
電源を入れる手が震える。
満充電になり復活したスマートフォンは、あくびでもするような間を空けて、通常の待機モードに入る。
数件の通知ポップアップが出ていたLINEアプリをすぐさま起動し、一覧を確認した。
LINEニュース、母、LINEニュース、LINEニュース。
(……ないか)
念のため着信履歴も確認した。こちらは通知もないし、確認済みの履歴が並ぶだけだ。
Twitterも確認した。はなやんから「昨日はおつかれー!」のメッセージが飛んできているだけだった。それでも昨日の思い出が一瞬鮮烈によみがえり、嬉しくなる。返信の挨拶はちょっぴりテンション高めの無意味な長文になってしまった。
することもなくなり、愛里はその場に座り込んだまま、Wi-Fiのオンオフを切り替えてみたり、LINEの友達リストを最後まで追ってみたりといった行動を意味もなく繰り返した。
(あー……何、期待してるのかな、私ってば)
でも、なおさんは、お礼にキャラカクテルごちそうするってたしかに言ってたもん。自分から言ってたもん。期待するくらいいいじゃない。
コンセントの前にしゃがみこんだまま、昼休み終了のチャイムが鳴った。
お昼ご飯は食べ損ねた。