第10話 愛知県藤田市ってまさか……
「うちにあるバーってなに!?」
「バーカウンターあるんですよ」
たしかにこの人の家にならありそう。
異性の家に呼ばれるいかがわしさよりも、興味の方が上回る。
「行ってみたい」
愛里は思わず、そう答えていた。
「いいですよ」
にっこりと、微笑み返してくれる。
異性の家になんて、小学生の時以来行ったことがない。
が、尚貴のなよやかな物腰は「異性」らしくもないし、バーカウンターがあるなんて「家」らしくも……ないし、いいよね。うん。
「今日のお礼をしたかったのもあります、ふふ」
尚貴はそう言うとスマートフォンを取り出した。電話番号も教えてくれて、LINEの連絡先も交換した。尚貴はTwitterなどのSNSはやっていないらしく、今日もしこのままお別れしていたら、今後気軽に繋がり合えはしなかっただろう。交換できてよかったと思った。中学生のようにドキリと嬉しくなる。
こんなすごい人と……本当に、知り合ったんだなあ、なんて、実感する。
「田舎って、なおさんのおうちは、どこにあるの?」
オフ会で個人情報について突っ込んで聞くのはマナー違反だが、家に招待されることになったのならいずれ知るのだし聞いてもいいだろう。
「愛知県藤田市です」
「ふーん」
藤田市か。たしかに都心部からはちょっと離れるし、自虐的になら田舎と言ってもおかしくはない地名だった。だがそれはあくまで日本三大都市の名古屋市と比較してということで、実際は名古屋市に次いで二番目に栄えていると言っていい中核市だ。理由は天下の大企業FUJITA電機株式会社の城下町だからで、愛知県に生まれ育ち、今なお県外に出ずに二十五年過ごした愛里には常識中の常識だった。
「え?」
そこまで思い至って、はたと気づく。
ちょっと待ってちょっと待って。
聞きたいことがあった。
あなたの苗字ってなんでしたっけ?
たしか、たしか、お付きの人に「藤田家のご子息」――とか言われていたよね。
でも、オフ会で本名を勝手に明かすのはタブーだし、尋ねるのもマナー違反だ。キャラカクテルの話で盛り上がっていてみんな聞いていないとはいえ口に出すのは憚られる。
だから、この場では慎んだものの。
(ちょっと、待ってよ……)
嘆息する。
(……待ってよ)
愛知県藤田市といえば、世界的に有名な電機メーカー「FUJITA」の町。
FUJITAはテレビ、洗濯機といった家電に始まり、電車車両やエレベーター・エスカレーター、果ては航空宇宙機から軍用機やミサイルまで、電気機械ならなんでも作っている大企業で、その手広さと品質の高さで電気機械のあらゆる市場を席巻している。国内最大手、というより今や世界最大手とも言われるモンスター企業だ。
FUJITAのおかげで、愛知県には大企業から零細企業に至るまで仕事はいつだってあるし、そのおかげで愛知県民はいつまでも県外に出ない、一生そこで暮らす者が多く、代々家を建て替えて動かないといわれる。
愛里だってそのうちの一人で、FUJITAに勤めている人など親戚や知り合いに何人もいるし、そうでなくとも子会社や下請け・孫請けなど、関連した企業で溢れている。
藤田家……?
彼のこの現実離れした空気や、お付きの人のぴりぴりした警護――
もしあの天下のFUJITAの御曹司だというなら、
……そりゃそうなるわと理解できる。
日本屈指の超大企業FUJITAの挙動で、国が傾く――国が。
米国が日本に対して何か気に入らないことがあると「日本の家電に関税かけるぞ」と経済制裁の切り札として使うのが常套手段なほどである。
そんな「藤田家」には、万一のことがあってはならない。
国益にかかわる。
やばい。会話がまともに頭の中まで入ってこない。
付き人郡山の言っていた意味がよくわかる。
たしかに、こんな人と何か問題でも起こしたら、生きていけない。
FUJITAの工場は細かい部品から大きな機械製品までを東海周辺で調達していて東海地方で作るものと言えば、電球一個、ネジ一本取っても、最終的な納品先はほぼFUJITA。
(ていうか、私の勤め先が作ってるのもFUJITAの部品だし)
もちろん中心部が藤田市というだけで、日本全国に工場は数多くある。元請けFUJITAに睨まれたら生きていけないのだ。
隣で、両手でスマートフォンを握りしめながら、受信した愛里のLINEアイコンについてなにやら楽しそうに感想を述べている世間知らず乙女男子が、
FUJITAの御曹司……!?
愛里はまたもや現実味が薄れかけていくのを感じた。