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小学生最後の夏休みが近づいていた。僕はもんもんとする気持ちをいつもと同じように抱えながら、こっちを見ているお向かいの沢田さんの視界から消えるように家に入った。誰もいない家。老人ホームで働く両親は大抵どちらかがいない。今日はお父さんが夜勤でいない。
まだまだ明るい窓の外。沢田さんに見つからないように洗濯物を取り込み、さっさと雨戸を閉める。むわっとする部屋の空気はガマンする。おせっかいなのか親切なのか、距離の近い沢田さんが苦手だ。絶対に見つかりたくない。ほめられるのも、めんどくさい。
三年の春休み、ぼくは小学生残りの三年を私立の学園に転入させられた。理由は「今、入学しておけば、受験も楽だから」。その学園は基本、小学生の転入はないそうだ。不定期にばらまかれる情報にお母さんがくいついた。運がよかったのか、なんなのか、転入するときのテストも簡単だった。転入することがよく分からないまま、四年生になった。
近所のみんなより、一時間早く家を出る。制服もあったが、着なくてもいいと聞いたので普段の服で通った。沢田さんは自分の子供みたいにぼくを誰かに紹介する。すごいのよ、蒼太くんは。おばちゃん、自慢しちゃうわ。
ムカッとした気持ちが通じてしまったのだろうか。インターホンが鳴った。モニターにはニコニコした沢田さんが目一杯映っている。無視することも出来ずに玄関を開けると、唐揚げのいい香りがした。
「おかえり、蒼太くん。ほら、唐揚げ、いっぱい揚げたから」
受けとりたくはない。でもいい香りに手が伸びる。小さい声で、お礼を言うと、沢田さんは、いいのよと笑った。唐揚げを持たされたまま、沢田さんの話にうなずく。何をいってるのかよく分からない。分かりたくないのだ。早く、帰れ。
「じゃあね、ちゃんと鍵をしめるのよ」
聞こえるようにドアを閉めた瞬間に鍵をガチャリと回す。はい、閉めました、閉めました。台所に行くと僕とお母さんの夕飯が並んでいた。山盛りのサラダと鮭があった。沢田さんはうちの夕飯が鮭だけなのを見ていたんじゃないだろうか。