stage7 力のない番人
「よし、こんなもんかな」
エイヤは座ったまま自分の体をぐるりと見回す。
苦労の甲斐あってか、その姿は悲壮感が漂う見事な仕上がりとなっていた。
「ふふふ、今からでも驚くアイリスの顔が目に浮かぶな。今まで散々からかわれてきたんだから、今度は俺がからかう番だ」
なんとも器の小さい男だった。
「にしても、今日は嫌になるほどの満月だな。せっかくの夜空が台無しだよ」
エイヤが再び夜空に目をやると、そこには雲一つないのをいいことにこれでもかとその存在を主張する満月があった。
「自分で光ろうともせずに誰かに照らしてもいやがって。俺はお前が大っ嫌いだよ」
小さく、だが力強く月に向かって呟くエイヤ。
言葉通り余程月が嫌いなのだろう。
その言葉には隠しきれない程の嫌悪感が滲んでいた。
「どうせ照らしてくれてる太陽のことなんて考えたこともないんだろうな。お前からしたら当たり前に感じてるかもしれないけど、照らしてる方からしたら命がけなんだぞ」
本気で言っては無いのだろう、その言葉は八つ当たりのようにも感じる。
「ちょっとは自分で光る方法ぐらい考えろよ。方法がないなら諦めろよ。そこまでして光ることになんの意味があるんだよ」
エイヤの愚痴は止まらない。
怒りの矛先は街の路地裏へと向けられた。
視線の先には溢れんばかりに輝く色とりどりの光が見える。
光を見つめるエイヤの瞳が大きく揺れる。
路地裏の先に微かに見えるのは、学生の姿やスーツを着たサラリーマンの姿。
まだ陽が昇る時間でもないのに彼らが何をしているのかはわからない。
もしかしたら素行の悪い学生が夜更かしをして街をぶらついているのかもしれない。
もしくは遅い時間まで酒を飲んでこれから帰るサラリーマンなのかもしれない。
何にせよ。
エイヤの瞳に映る彼らは、皆笑顔でありとても楽しそうに見えた。
別にそれはいつもの日常だ。
見慣れた光景。
なのにエイヤはその姿を見ると胸に苦いものがこみ上げてくる。
感情牧場を出た後はいつもそうだった。
「誰のおかげだと思ってる」
自然と心の声が漏れていた。
同時に拳に力が入る。
エイヤはその光景が感情牧場が造られる前と何ら変わらない景色だと知っている。
だからこそエイヤの中にはその平和を許せない黒い何かがあった。
平和を許せないなんておかしいのかもしれない。
しかし、その平和の代償に感謝の気持ちも無く、当たり前としている彼らの姿がエイヤにはどうしても許せなかった。
ただ、感謝していたとしても許せはしなかったが。
見ているだけで殴ってやりたい。
吐き出しそうな怒りをグッとこらえるエイヤ。
例えそんな事をしたところで何も変わらないのはエイヤ自身が一番わかっていたから。
感情牧場が造られたのは今から10年近く前になる。
当時は急激な人口増加に伴い、著しいエネルギー不足が問題視されていた。
このままではいつ限りある資源を求めて争いが起こるかわからない。
加えて『捨てられた子供』と呼ばれる親のいない捨てられた子供達。
人口増加の主な原因は増えすぎた子供にあった。
子供の人口が増えた事は本来喜ぶべきことだろう。
しかし、問題となったのは育児放棄や必要とされずに捨てられた子供の数だった。
初めは政府もこの件について対応するつもりはなかった。
しかし無視できない問題が出てくる。
それは犯罪件数の増加。
子供が増えるにつれて未成年の犯罪が増加したのである。
増加の原因は感情をコントロールできなくなった捨てられた子供にあった。
詳しい原因は未だ解明されていないが、捨てられた子供となった子供は感情が昂ぶると自身の感情を制御できなくなり、結果、他者を傷付ける行為に出る。
中には光る粒子を操る者まで目撃されていた。
多くの苦情と非難が政府の元へ集められた。
捨てられた子供が生まれた原因はそもそも政府の責任だと。
ようやく政府が重い腰を上げた時には、エネルギー不足の問題よりも未成年による犯罪の方が問題となっていた。
政府の対応が後手に回る中、それを見計らったように1人の科学者が新エネルギー開発の成功を発表する。
その発表を多くの人が喜んだ。
勿論政府も喜んだが、今はそれよりも捨てられた子供の問題を何とかしたかった。
そんな折、公表されたのが新エネルギーには子供の感情が必要というもの。
当時は様々な反発があった。
子供の人権確保を訴える保護団体や非人道的だと反対する一般市民の声。
これには政府も頭を悩ませたが、科学者からある提案をされる。
捨てられた子供を使えば問題ないと。
そして捨てられた子供がいなくなれば人々も喜ぶ。
人口削減。新エネルギーの開発。犯罪件数の減少。
それは悪魔の囁きに近かったかもしれない。
政府はその後、捨てられた子供を収容する感情牧場を建設する。
表向きは子供たちの更生施設。
しかし、多くの人間にはそれが嘘だということはわかっていた。
それでも反発する声は少なくなっていった。
新エネルギーが必要だと言うのは人々にもわかっていたし、それが捨てられたなら問題ないだろう。
誰も声を大にして言わないが、捨てられたならまあいいか。
そんな空気が人々の中にはあった。
捨てられた子供。
エイヤはその呼び方が嫌いだった。
当時は人々に煙たがられていたかもしれないが、今の生活が保たれているのは彼らのおかげなのだから、せめてその呼び方ぐらいは変えるべきじゃないか。
エイヤはそれ以上は見ていられなくなったのか、街から視線を逸らした。
重い腰を持ち上げると瓦礫で汚れた黒装束を手で払う。
「もう少し休みたかったけどさっさと帰るかな。これ以上ここにいても腹が立つだけだし」
そして街の方は見向きもせずに反対側へと歩き始めた。
月はビルの陰に隠れてしまって見えなくなったが、まだ夜空を譲る気は無いのか太陽が昇る気配はない。
もう少しばかりは闇の独擅場は続きそうだった。
黙々と歩き続けるエイヤ。
自分の足音だけがその場に響く。
人の気配はない。
闇に目が慣れてきたのか数メートル先までは見える。
左右には高層ビルとは違いボロボロになったビル群が廃墟となって淋し気にこちらを見ている。
闇と廃墟、そしてゆっくりと足音を響かせる牛の悪魔の組合わせは、見るものからすれば悪霊そのものだったかもしれない。
エイヤが歩き始めてから数分後。
目の前に現れたのは、闇に紛れて道の中央に置かれた立て看板と“KEEP OUT”と微かに印字された何重にも張り巡らされたテープ。
それらが道の先を塞いでいた。
看板は黒一色で何が書かれているのかわからない。
テープも風化して擦り切れてしまったものがいくつかある。
人の行く手を阻むにはあまりに頼りない番人だ。
そして案の定、役目を全うする力の無い番人はいとも簡単にエイヤの侵入を許してしまう。
抗うこともできずに成すがままの番人。
闇に溶け込むようにして姿を消してしまったエイヤに二人の番人が出来ることはこれ以上何も無かった。
残された番人の一人である立て看板は、無視されたことを悲しむようにして闇の中に佇んでいる。
よく見ると立て看板は所々、塗装が剥がれ落ちて錆び付いており、その機能を失ってから長い年月が過ぎているのがわかる。
やがてそんな立て看板を慰めるようにして優しく夜風が吹き撫でた。
ジジッ……。
立て看板は夜風に勇気づけられるようにして一瞬だがその身を光らせる。
輝きを取り戻したおかげか立て看板に浮かび上がる光る文字。
それは警告文だった。
この先で何かあっても国は一切の責任を負わないという文言。
そして次に映し出されたものは、この先が何なのかを示すための文字だった。
【光る粒子供給エリア外 旧東京都・第七地区】
立て看板は久しぶりに役目を果たしたことへの喜びを噛みしめるようにして、ゆっくりとその輝きを闇へと委ねる。
残されたのは闇と擦り切れたテープ、そして輝きを失った立て看板。それだけだった。