stage1 牛の仮面をつけた侵入者
「なあ、こんなまどろっこしいやり方じゃなくて、もっと派手にやった方が早いんじゃないか? いっそこの施設をぶっ壊してやるとかさ」
通路を挟んでアクリルケースがいくつも並べられた白い部屋。
その真ん中に位置する場所で少年のぶっそうな声が響き渡った。
全身を黒装束で覆い顔の上半分を隠すように着けられた仮面。
悪魔をモチーフにした泣いた牛のデザインは黒装束も相まってかなり不気味な雰囲気を醸し出している。
少年は右手をアクリルケースの扉に埋め込まれた四角い端末へと添えたまま、じっと何かを待っていた。
すると少年のすぐ後ろから少女の呆れた声が返ってきた。
「バカねぇ。こういうのは盗まれたかどうかわからないギリギリが一番いいのよ。神隠しってあるでしょ。それに似せて盗むのがばれないし、効率がいいのよ。大体そんな派手なことしたらすぐに捕まるのがオチよ。これだから“仔牛くん”は」
やれやれと首を振る少女。
背中に流れる赤と少年と同じ髪黒装束に牛の仮面。
こちらは口元だけが露わになっている。
少女も少年と同じように扉に埋め込まれた端末に右手を重ねていた。
「おいアイリス! 仔牛って呼ぶのはやめろっていつも言ってるだろ! 俺の名前はエイヤだ!!! いい加減覚えろよ!!」
再び通路に響き渡るエイヤと名乗る少年の声。
エイヤは振り返りもせずに抗議の声を上げる。
「もちろん知ってるわよ。けど仔牛くんって呼ぶ方がなぁんかしっくりくるのよねぇ」
アイリスと呼ばれた少女は一人納得するように呟いた。
その口調からその呼び方が心底気に入っているようにも聞こえる。
そして納得できない様子のエイヤは当然のように再びアイリスに向かって声を荒げた。
「なんでだよ!?」
「真夜中で誰もいないのは確認済みだけど、わざわざここにいますって叫んでる辺りがまだまだ子供だと思ってね」
エイヤはハッとしておそるおそる周囲を見回した。
しかしアイリスの言うように誰もいないせいか、静寂がその場を包んでいる。
周囲を気にする黒装束に牛の仮面はどこからどう見ても不審者のそれだ。
何故そんな露骨に不審者であることをアピールするような仮面を着けているのか疑問にも感じるが、2人にはそれなりの理由があった。
それは2人の正体が、『牧場荒らし』と呼ばれるレジスタンス組織のメンバーであること。
『感情牧場』と呼ばれる施設に捕らえられた子供たちを助ける為に、日夜施設に忍び込んでは子供たちを連れ出している。
そんな牧場荒らしのトレードマークが牛の仮面だったからだ。
誰もいないことにホッと胸を撫で下ろすエイヤだが、一瞬でも慌ててしまった恥ずかしさからか出てくる言葉もどこかバツが悪そうだった。
「い、今のは誰もいないのを知ってて叫んだんだよ」
動揺してしまったせいか端末に当てていたエイヤの右手が僅かに離れる。
すると掌から薄っすらと青く輝く光の粒子が漏れ出した。
しかしエイヤが気持ちを落ち着かせながら再び端末に手を当てると、光の粒子は吸い込まれるようにして端末の中へと消え、そして見えなくなってしまう。
「仔牛くんはすぐに言い訳をする。見苦しい男は嫌われるわよ」
「だから仔牛って呼ぶのは……! ああ、もういい。今はこっちに集中だ!」
エイヤはアイリスの言葉に振り回されながらも、気持ちを切り替えるようにしてアクリルケースの中に目をやった。
中には膝を抱えながらぼーっとしている女の子の姿が見える。
歳は十歳前後だろうか。
白地の簡素な服を身に着け、首には無骨な黒い首輪が巻かれている。
「そうよ。仔牛くんはただでさえ扉を開けるのが下手なんだから、喋ってばかりいないで集中しないとね」
からかうようなアイリスの声。
仮面から唯一見える口元はクスクスと笑っていた。
「うるせぇ。俺だって本気を出せばこんな扉くらいすぐに開けられるんだよ」
「へぇ、仔牛くんにねぇ」
アイリスは意味ありげに微笑んで見せるとニヤリと口元を吊り上げた。
その表情はまるで悪戯を思いついた子供のようだ。
「じゃあお姉さんと勝負してみる?」
端末に手を当てたまま固く閉ざされた扉と悪戦苦闘するエイヤの姿に、アイリスが微笑みながらも挑発するようにそう提案した。
「勝負?」
「そう、もし仔牛くんがお姉さんより早く扉を開けることが出来たなら、仔牛って呼ぶのは止めてあげる。今度から下の名前で、エイヤって呼んであげるわ」
アイリスは視線をアクリルケースへと向けたまま、エイヤを煽るようそう告げた。
「言ったな!? 約束は守れよ!」
まるでご褒美を前にした子供のように、目に見えてわかる程エイヤがここぞとばかりに気合を入れた。
すると端末に置かれた掌からは青い光の粒子が溢れ始め、手元を仄かに照らし始めた。
「ええ、約束は守るわよ。そうねぇ、なんだったらエイヤ様って呼びましょうか。ついでに何でも言うこと聞いてあげるわよ」
絶対に無理だと思っているのだろう。
アイリスの声はどこまでも挑発的だった。
「いいぜ。絶対にぎゃふんと言わせてやる! 後で泣いて謝ったって許してやらねぇからな! 普段俺をからかってる仕返しだ。この場でお前に泣きっ面かかせてやるよ! そんでもってお前がドン引きするようなお願いをしてやる!!」
「その発言に既にお姉さんはドン引きしてるんだけど」
「うるせぇ!」
周囲を気にもせずにまたしても叫ぶエイヤの姿にアイリスは呆れつつも、しかしその口元はどこか嬉しそうでもあった。
「全く。仔牛くんの有り余る感情をあなたにも分けてあげたいぐらいね」
アイリスはアクリルケースの中にいる男の子に声を投げかけた。
歳は十歳前後。
女の子と同じ服に同じ首輪。
虚ろな瞳を宿しながら微動だにせずその場に座り込んでいる。
アイリスは男の子に話しかけながらも、返事は初めから期待していなかったのだろう。
男の子に反応が無くてもアイリスは気にする様子も見せなかった。
……5分後。
「扉は開きそう? 仔牛様?」
「変な呼び方は止めろ。それならまだ仔牛って呼ばれてる方がマシだよ……」
エイヤは疲れているのか声に覇気がない。
端末に当てた右手から漏れ出ている青い粒子。
その輝きも徐々に弱々しくなっていく。
「早く開けないと、そろそろマズいわよ。誰もいないとは言っても不審者に好き放題させる程、ここも甘くないんだから」
「言われなくてもわかってるよ。だいたい、そう言うお前は扉を開けられたのかよ?」
エイヤが恨めしそうに振り返る。
するとそこにはいつの間に扉を開けたのか、男の子を抱えたアイリスが立っていた。
「はあ、誰に向かって言ってるの。とっくにこっちは準備オッケーなのに。ねぇ?」
口元に優しい笑みを浮かべながら男の子をあやすアイリス。
男の子は聞こえていないのか表情一つ変えること無く、アイリスに抱かれたままだ。
「お前っ、いつの間に開けたんだよ!?」
完全に予想外だったのか素で驚いた様子のエイヤ。
「仔牛くんが気合いを入れると同時に扉は開いちゃったわよ。あっさりとね」
簡単に言ってのけるアイリスだが、未だにそれができていないエイヤにとってはただの嫌味にしか聞こえなかっただろう。
牛の仮面が不満そうにアイリスを睨み付ける。
「てことはお前、ずっと後ろで俺が悪戦苦闘してる姿を見て楽しんでたってわけか」
「楽しんでたなんて人聞きが悪いわね。決着がついたのにそれに気付かず頑張る仔牛くんの後ろ姿に、心の中で笑ってただけよ」
「やっぱり楽しんでるんじゃねぇか!!」
疲れも忘れて声を荒げるエイヤ。
そんなエイヤの姿にアイリスが楽しそうに微笑んで見せた。
「仔牛くんはいつも元気ねぇ。一緒にいても本当に飽きないし」
「おい、それ絶対に馬鹿にしるだろ」
「お姉さんなりに褒めたつもりよ。それよりもさっさとここから出ましょう。予定時間はとっくにオーバーしてるし」
そう言いつつもアイリス焦る様子もなく左手に巻かれたデジタル時計に目をやった。
時刻は午前0時を少し過ぎたところ。
「わかってるよ。もう少しで開きそうだからちょっと待ってくれ」
エイヤが気を取り直して再び端末に手をかざす。
が、待てども待てども扉が開く気配はない。
掌から漏れ出た青い光の粒子は、エイヤの期待に応えようと目一杯その輝きを強めるが結果は変わらず。
扉はピクリともしなかった。
「仔牛くんの言うちょっとって、いつもアテにならないわよね」
アイリスの嫌味も今のエイヤには聞こえていないようだ。
「くそ、光る粒子の『同調』は苦手なんだよ……」
端末から右手を離すとエイヤは掌を覆う青い粒子を見つめがら小さくぼやいた。
エイヤが光る粒子と呼ぶ青い粒子は今のエイヤの気持ちを代弁するかのように、悲し気に揺らめいている。
疲れた様子のエイヤを見てアイリスはもっともな疑問を口にする。
「光る粒子操作の基礎の基礎である同調にこれだけ時間かけて出来ないなんて、仔牛くんて才能ないんじゃないかしら?」
本気で言ってはいないのだろう。
どちらかというと、からかっているような口調だ。
「うっ……。そもそも自分以外と同調するのは苦手なんだよ」
エイヤもアイリスの言っている事が正しいとわかっているのか、そう返すので精一杯だった。
「ま、同調って人間性が出るっていうしねぇ。仔牛くん人付き合い苦手そうだもん。お姉さんに名前で呼んでほしいならまずは同調以前に、友達作るところから始めた方がいいかもねぇ」
クスクスと笑う口元はエイヤをからかうことを心底楽しんでいるようにも見える。
「うるせぇ。友達がいるかいないかなんて関係ないだろ!」
「大ありよ。友達というよりかは相手に合わせられるかどうかが問題なんだけれどね。でもその辺の判断って友達の有無で簡単にわかるものなのよ。つまり友達のいない仔牛くんは同調性ゼロ。人間失格ね」
どう考えても最後の一言はからかっているというよりかは、馬鹿にしているといった感じだ。
「言いたい放題言ってくれるな。友達なんて必要ないし、いなくても世の中生きていけるんだよ。同調だって自分と同調するのは得意だから別にいいし」
ふてくされたようなエイヤの言葉に、アイリスが思わず首を傾げた。
「ねぇ仔牛くん」
「何だよ?」
「自分と同調とか言ってて恥ずかしくない? というか自分と同調って何? ナルシスト的なあれのことかしら?」
男の子を抱えたまま若干引き気味にエイヤを見る憐れむような牛の視線。
その視線に耐えられなくなってか、今日何度目かになるエイヤの叫び声が通路に響き渡った。
「何でそうなるんだよ!? 上手く言えないけど、言葉のニュアンスで大体わかるだろ!! その辺は察しろよ!!」
「冗談冗談。仔牛くんには別の所で期待してるし、そっちはそっちで認めてるところもあるのよ」
「ホントかよ」
牛の仮面が疑うようにアイリスに向けられる。
本当にそう思っているのか、もしくはからかっているのか、ニヤニヤとしたアイリスの口元から判断するには難しそうだった。
エイヤは疲れたように端末に手をかざす。
掌から溢れ出す青く輝く光の粒子は必死に端末をその輝きで覆うが、…………アクリルケースは微動だにしていない。
「コツは無理矢理しようとしないこと。彼女の一人でもいればわかるかもね」
アイリスの言葉にエイヤが少しイラっとしたのがわかる。
「そういうお前は彼氏の一人でもいるのかよ」
「ええ、いるわよ。おかげで光る粒子を使った同調も機械相手なら余裕ね」
アイリスが子供を抱えた手とは反対の手に光る粒子を纏わせてエイヤに見せつける。
こちらはエイヤと違い赤い輝きだ。
エイヤはまさかの返答にどう返していいかわからないでいた。
そんなエイヤを横から覗き込むアイリス。
口元がクスクスと笑っている。
「ねえ、今ちょっとショックだったでしょ? お姉さんに男がいて残念って思ったでしょ? ねぇ? ねぇ?」
エイヤをからかうことが生き甲斐のような心底楽しそうなアイリスの声。
からかうアイリスに腹を立てたのか、それとも男がいないことにホッとしたのか、エイヤの手から出る青い粒子が大きく揺らいだ。
そしてそんなエイヤを嘲笑うかのようにエラーを示す赤いランプが点灯する。
「お前がからかうから失敗したじゃねぇか!!」
照れ隠しのようにアイリスのせいにするエイヤ。
「この程度で光る粒子が揺らぐなんて仔牛くんもまだまだね。あ、ちなみに彼氏はいなくて募集中だから、応募したいならいつでも言ってね」
表情がわからないためどこまで本気かわからないが、悪戯っぽく吊り上がった唇からまたからかってるんだろうとエイヤは予想する。
アイリスはエイヤの横に並ぶと微笑みながらエイヤの手に自分の手を重ねる。
そして耳元でわざとらしく囁いた。
「時間も無いから今日はお姉さんがリードしてあげる。だから仔牛くんはリラックスしてて」
嫌でも目に入るアイリスの唇にエイヤは自分の顔が赤くなっている事を自覚する。
「だから、いちいち含みのある言い方をするなよ」
意識するだろ、とはさすがに声には出さない。
そして、扉はあっけなく開かれた。
「どお? 一緒に同調した感想は? お姉さんの流れるような光る粒子の動きに惚れ惚れしちゃった?」
手に赤い粒子を纏わせながらエイヤを覗き込むアイリス。
「別に、何とも」
エイヤはぶっきらぼうにそう答えると、中に入り女の子を抱きかかえる。
抵抗もせず、かといって身を委ねるわけでもなくエイヤに抱きかかえられる女の子。
なすがままの女の子の姿はまるで魂を抜かれてしまった人形のようだ。
「それじゃあ帰りましょうか」
エイヤが中から出てくるのを待ってアイリスが歩き出す。
名残惜しそうに別のアクリルケースの中にいる子供たちをじっと見つめるエイヤだったが、しかしそれも一瞬。
エイヤは踵を返すと足早にアイリスの背中を追いかけた。