見習い魔法使いと家電兄妹
「落ち着くのよ、落ち着いてリキス」
岩肌がむき出しの薄暗い洞窟の中を一人の少女が慎重に進んでいく。
灯りが一つも設置されていないので本来なら真っ暗な闇しかない空間なのだが、少女の手がほんのり光っているので問題なく進めている。
小声で自分を励ましながら、一歩踏み出すごとに辺りを警戒して大袈裟にも思える動作で見回す。
その少女は長い金髪を二つに分けて括った髪型で、両耳の上ぐらいから馬の尻尾のように束ねられた髪が下がっていた。
少女は十五歳なのだが同年代の者達よりもかなり小柄で顔も整ってはいるのだが、美人というよりは可愛いと表現した方がしっくりくるだろう。
服装は黒に近い青を基調としているワンピースで、正面から見ると縦に二列ボタンが並んでおり左右のボタンは紐で繋がっている。そして上からマントを羽織っている。
それが彼女の通う学園の制服だった。
「大丈夫、大丈夫よ。これは『魔の道』恒例の中間試験。自分に合った発動具を見つける試験でしょ。だからこれはみんなやっている事。そうよ、特別な事じゃないの」
現在の状況を自分自身が納得できるように、同じ説明を繰り返している。
少女の言っている事は間違いではない。
彼女は魔法使いの育成機関である『魔の道』の学生である。
そこに所属する生徒は四年みっちりと魔法を学び、卒業後は魔法使いとして華々しくデビューする。と少女リキスは思っていた。
少女は生まれつき魔力量が多く、入学時はかなり期待されていたのだが致命的な欠点が見つかり、今では落ちこぼれの烙印を押されている。
「ここで発動具を手に入れて、みんなを見返してやるんだから。『停滞のリキス』なんて呼び名、二度と言わせないんだから」
同級生に馬鹿にされていた事を思い出して少しだけやる気と勇気が出てきたらしく、さっきよりも歩行速度が上がっている。
リキスが『停滞』という不名誉な呼ばれ方をするのには理由がある。
彼女の魔法は前に飛ばないのだ。どんな魔法も発動はするのだが、手のひらで留まり前に飛ばない。
風も火も水も光も闇も彼女から離れようとしない。ただそこに停滞し続ける。
それ故に『停滞のリキス』と呼ばれるようになった。
だがそんな彼女にも望みがあった。二年生になると必ず誰もが経験しなければならない試験が用意されている。
それが――
「発動具への道!」
リキスが力を込めて口にした言葉がそれである。
これは『魔の道』が用意した魔法陣に生徒が一人ずつ乗り、自力で発動させる事で自分と相性のいい発動具の元へ転移される仕組みだ。
発動具というのは魔法使いが魔法を扱う際の補助器、武器といったもので、これを使えば魔法の操作が簡略化され安定する。
更に魔法の威力上昇、魔力消費量減少、他に特殊な能力がある発動具も稀に存在するらしい。
発動具は職人が作り出し、『魔の道』が所有している巨大な地下保管庫に収納してある。
そこは小さな部屋が幾つも存在し、各部屋に一つずつ発動具を配置。
魔法陣を起動した生徒の魔力と相性のいい発動具の元へ、転移する仕組みになっていた。
「私にあった発動具があれば、魔法を撃てるようになる! 絶対に!」
落ちこぼれ扱いされていたリキスが意気込むのも無理はないだろう。
洞窟の壁に手を当てながら、進み続ける彼女の前に白く輝く両開きの巨大な扉がお目見えした。
「あれ? 発動具に繋がる扉って木製でもっと小さいって話だったような?」
事前に先輩の学生や先生に聞いていた話と違う扉を前にして、首を傾げている。
恐る恐る扉に近づき、つんつんと指で突くとすっと扉が開いていく。
「えっ⁉ 力を入れてないのにっ!」
音もたてずスーッと開いていった扉の隙間から目も眩むような光が漏れ、その先は小さな民家ならすっぽり入りそうな空間になっていた。
壁は洞窟とは違い磨き上げられた床石のようにつるっとしていて白い。
中心部には透明の六角柱が存在しているのだが、それが何かを理解したリキスは呼吸をするのも忘れて見入っていた。
「えっ、これはもしかして魔力の結晶なのっ⁉ それもとんでもない魔力量を感じるわ……」
魔力を秘めた結晶に目を奪われていた彼女がどうにか落ち着くと、その空間にあるもう二つの物体に気付いた。
「もしかして、これが私の発動具? 発動……具? 見たこともない形状をしているんだけど」
そこにあるのは彼女が今まで見たこともない形をしていた。
元々発動具は武器や防具の形をしている事が多い。
格闘が得意な物には手甲や脚甲。
魔力が高いものには杖。
剣技が優れている物には剣。
それが普通だった。だというのに彼女の目の前にある魔道具は、そのどれにも当てはまらない形状をしている。
一つは細長い棒状をした胴体があり地面に接している部分には、大きな皿のように丸い物体が付いている。
胴体の上部には丸い格子のようなものが被せられ、その内部には四枚の半透明の羽根が見えていた。
「杖っぽいけど、下の土台みたいなの邪魔だし、先端の丸っこいのも大きくて使いにくそう。見た感じ鉄にも見えないわね。素材は何なんだろう?」
直立不動で地面に立っている怪しい発動具を見た、リキスの率直な感想だった。
「でもまだ、これは分かるんだけど。こっちは……うーん、鞄なのかな」
その杖っぽい物の隣には、手提げ鞄のような取っ手が付いた丸い物体があった。
大きさは自分の頭と同じぐらいだろうか。つるっとした表面は隣の杖っぽい物と同じく、材質がなんであるかリキスには分からない。
目を凝らしてみると上部に切れ目があり蓋のようになっているのが分かった。
何より一番気になるのは蓋から湯気が吹き出ている点だ。
湯気が出ている謎の鞄。警戒しない方がおかしいだろう。
「どっちもイメージと違ったけど、これが私の発動具なのよね。どっちか選べって事なのかな。発動具は一人一個だよね」
扉付近から踏み出せないリキスだったが、このまま何もしない訳にもいかず、怯えながらも二つの怪しげな発動具に近づいていく。
まずは両方の材質を調べてみようと、二つ同時に手を触れる。
『問おう、あなたが俺の客か!』
『今ならイチキュッパでプリティーな妹も付いてきます!』
唐突にリキスの頭に男と女の声が響く。
それが魔法使い見習いと家電兄妹との出会いだった。
『妹よ、暇だ』
『そうだね、お兄ちゃん。ここずっと明るいから朝なのか夜なのかも分からないし』
俺が横振りモードにして辺りを見回してみるが、つるっとした壁しかない殺風景な部屋だ。中心部に透明の柱があるぐらいで、家具の一つもない。
『人間って適応する生き物だよなあ。初めは焦ったけどさ』
『そうだね。もう人間じゃないけど』
妹に話しかけると妹の上部が開いて閉じた。頷いているつもりのようだ。
以前は俺と血が繋がっているのか疑いそうになるぐらい、可愛らしい容姿をしていた妹だったが、今はその面影がどこにもない。
薄い桃色の体をした丸っこい体。そこには小さな液晶画面とスイッチが幾つかあるだけ。
書かれている文字は保温や炊飯といった漢字だ。
『まさか、妹が炊飯器になるとはな。炊飯器好きなのは知っているけど、だからといって炊飯器になる事はないだろ』
『そういうお兄ちゃんは扇風機じゃないの』
『……だな。扇風機は好きだったけど、まさか扇風機になるとは』
四枚羽根のシンプルな形状をした青いボディーの扇風機。それが今の俺だ。
この訳の分からない部屋で気が付く前の記憶で覚えているのは、二人の趣味である最新家電のチェックに大型電気店に向かう道中だった。
新型扇風機と炊飯器が特価というチラシの誘惑に負けた俺と妹が、豪雨の中を二人で一つの傘に入って向かっている最中、視界が光に包まれたかと思ったら意識が飛んだ。
そして意識が戻ると、俺は扇風機、妹は炊飯器になっていた。
……正気を疑われるところだろうが、事実なのだからしょうがない。
確か目覚めて少ししてから交わした会話の内容はこんな感じだった。
『やっぱこれって転生ってヤツなのかね?』
『家電に? 普通は人間にとか他の生き物とかだと思うんだけど』
『逆なら付喪神なんだけどな。長い年月を経た道具とかが意識を持って、動いたりするやつだ』
『あー、漫画とかで見たことある! でも人から家電だもんね……』
落ち込む妹の声。
色々とツッコミたい事は多く疑問は尽きない。
『口もないのに会話が成立しているのがまずおかしい。たぶんテレパシーみたいな感じで直接脳に届いているんだろうけど』
『お兄ちゃん、家電だから脳ないよ』
さすが我が妹。的確なツッコミだ。
一人だったらもっと絶望して取り乱していたのかもしれないが、妹の前でそんな恥ずかしい姿を見せるわけにはいかない。
俺もそうだが妹はもっと動揺しているはずだ。兄として余裕を見せてやらないと、不安が増すだけだからな。
『なったものはしょうがないし、何でこうなったのか考えるのもたぶん無駄だよな。ということでできる事を考えてみよう。こうやって話ができるんだ、他にも何かやれないか試してみるぞ!』
『うん、そうだね。私はお兄ちゃんがいてくれたらそれでいいし』
昔から若干ブラコンだったところはあったが、人間の形を失い炊飯器になってからはその気持ちを表に出すようになってきた。
不安だからこそ唯一の肉親である俺への依存が上がったのだろう。
『くっ、可愛いヤツめっ。よーし、お兄ちゃん頑張っちゃうぞー』
わざとらしいぐらいにテンションを上げる。
こんな状況なんだ、いつも以上に明るく振る舞っていこう。
『扇風機だからまず羽根を回転させてみるか。ええと、頭を回転させるようなイメージか? ふんぐああああっ! ちょいやあああっ!』
『……動かないね』
気合だけは空回りしているが、羽根は回らない。
うーん、何が足りないんだ。扇風機が回るには……。
『家電……。はっ、電気だ! 電気が通ってないから動かない!』
『あっ、確かに! 私達は家電だもんね。コンセントは何処かに……あるわけないか』
体から電源コードが伸びているが、肝心の差込口がない。
これでは電気が供給されないので、家電として何の役にも立たずただの置物だ。
『コンセントがあったとしても、プラグをどうやって差し込むかって問題も……。あれ? プラグが透明の柱に刺さっているぞ? いつの間に』
『あっ、本当だ。私のも刺さっているよ』
さっきまでは刺さっていなかったと思うけど、まあいいか。
家電になった事に比べたら些細な事だ。
『よく分からないけど、もう一度試してみるか。今度は頭を動かすイメージじゃなくて、胴体の操作部分のスイッチを押す感覚でいくぞ』
俺の体は地面に接する部分にスタンドベースがあり、それは体を支える台なだけでそこにスイッチはない。
代わりにスタンドポールの上の方に様々なスイッチが配置されている操作部がある。
そこの『弱』を押し込むようにイメージしてみた。
すると全身に力が流れ込むような感覚があり、頭の羽根がクルクルと回り始める!
『おおっ、動いた! やったぞ!』
『お兄ちゃん凄い! 扇風機しているよ!』
兄妹して喜び合い、ひとしきりはしゃいだ後に今の自分達は何ができるか色々と試してみた。
その結果、自分は『弱』『中』『強』の風量調節。首振りの横と縦。
妹は『炊飯』と『保温』と蓋の開け閉めが可能だった。
後はお互いにパーツを外したり戻したりできるようだ。俺だと体を支えるスタンドベースや扇風機の羽根のカバーを消したりできる。
それ以上は何もできない事が分かると、二人して毎日馬鹿な事をして過ごすしかやる事が無くなってしまう。
『妹よ熱くないか? 扇風機で風を送ってやろうか』
『大丈夫だよ、お兄ちゃん。でもお兄ちゃんにじっと見つめられると、頭が沸騰して白いものが吹き出ちゃう!』
『それは蒸気だ! ご飯が炊けているだけだから!』
俺は風しか送れないのだが、妹は材料もないのに無からご飯を炊くことが可能なのだ。
米や水がどこから現れたのかは考えるだけ無駄なので思考を放棄している。
まあそんなやり取りがあって今に至るのだが、二人とも状況を受け入れて日々を過ごしている。
『お兄ちゃん美味しいご飯が炊けましたよ~。はい、あーんして』
『残念ながらお兄ちゃんは食べられないんだ……』
『どうして! 私が炊いたご飯が食べられないのっ! 酷いっ、あの女の家でご馳走になったんでしょっ!』
妹が蓋をパカパカ開け閉めして怒りを演出している。
『あの女、幼馴染であることを利用して何かと世話を焼こうとしているもんね! 学生時代は優等生で生徒会長って、ギャルゲかっ!』
『あ、あの、凛さん。芝居にしては感情が入りすぎてませんか』
『前々から言いたかったんだけど、お兄ちゃんは三美さんに甘すぎなの! この世の中に優しくて大人しい女なんて存在しないんだよ?』
『それは極論ではないでしょうか……』
前々から幼馴染の三美と妹の凛は仲が良くないとは思っていたが、ここまで毛嫌いしていたとは思いもしなかった。
この姿になってから妹は気持ちを素直に吐き出すようになったのは嬉しい事だけど、知りたくもない事情もあるわけで。
『大人しい女ってのは、大人しい振りができる頭のいい女なの。言いたいことをずけずけと言って余計な争いを起こさず、男はおしとやかに見える女に弱い事を理解したうえで、芝居しているだけなんだから!』
ああ、だから妹も前までは大人しかったのか、とは口が裂けても言えない。
『こういう女って結婚したら、ころっと態度が変わるんだからねっ! お兄ちゃんは三美さんに惚れられていたのを気づいてなかったみたいだけど……』
昔から面倒見の良かった俺を気の弱い幼馴染が頼ってくれているのは知っていたが、あいつ俺に惚れていたのか? ……この姿になる前に教えて欲しかった。
妹の話は途切れることなく、次々と驚愕の事実が飛び出してくる。
裏で幼馴染が俺に女が近寄らないように手を打っていた、という話は特に知りたくなかったぞ。
そしてそれを妹も放置していたという更なる事実に言葉を失っていると、ずっと動く事のなかった扉がゆっくりと開いていくのが目に入った。
『お兄ちゃんの干しているパンツをじっと三美さんが――』
『その話、続きが非常に気になるけど待った! 扉が開くぞ! 誰か来るみたいだ!』
『あっ、本当だ! どうしよう、どうしよう!』
『落ち着け。人が現れた時のリハーサルやったろ。それを思い出すんだ』
時間と暇だけはたっぷりあったので、人と遭遇した際の打ち合わせと演技指導は終わっている。
家電が動いていると不審に思われる。だからまずは微動だにしないで待つ。
開かれた扉の先にいるのは金髪ツインテールの少女だった。
アニメのキャラみたいだ。染めてない限りは外国人だと思うが、顔つきは日本人に近いな。たぶんハーフだろう。
凝ったデザインのワンピースを着ているな。マントなんかしているけど、今はこういうファッションが流行りなのか?
少女の目線はこの透明の柱に向いている。驚いているようだが、そこまでびっくりするような物だろうか。ガラスの柱は綺麗だけど。
硬直していた少女は頭を左右に振ると徐々にこっちへ近づいてくる。
俺達の体に触れた瞬間、手筈通り声を掛けた。
『問おう、あなたが俺の客か!』
『今ならイチキュッパでプリティーな妹も付いてきます!』
俺達の売込みに対して少女は沈黙している。
目を限界まで見開いたまま、ぴくりとも動かない。
『……やっちまったな、妹よ』
『私が受けなかったみたいな言い方やめてっ! お兄ちゃんがこの台詞考えたんでしょ!』
『ばっか。お兄ちゃんはもっとカッコイイの考えていただろうが』
『あれは色々パクりすぎだから怒られるよ!』
兄妹で罪のなすり合いをしていると、少女が噤んでいた口を開いた。
「えっ、意思のある発動具なの? これって超レア級の発動具じゃないの⁉」
驚きながら喜んでいるようだが、発動具ってなんだ。
俺達は家電なんだが。
『あのーつかぬ事をお伺いしますが、発動具ってなんですか?』
「はっ、反応した! やっぱり、意思があるのね!」
少女の笑顔が魅力的なのは良いんだが、説明をしてもらえないかな。
家電になった時点でここがまともな場所でない事は、薄々理解している。でもハッキリと他の人から説明して欲しい。
『すみません。俺も妹も気が付いたらこの姿になっていて、状況がよく分からないのですよ。説明してもらえるとありがたいのですが』
「えっ? 自分が発動具であることを理解していないの? 欠陥があるのかしら。まあいいわ。ええとここは――」
少女は感情豊かに身振り手振りを交えて、一人芝居をするように語り始めた。
彼女が魔法使い見習いで学生。
ここが異世界で魔法が存在する。
発動具という魔法を補助する役目の道具だと勘違いされている。
全ての説明を聞き終え、状況が把握できた。
『ゲームの世界みたいだな』
『最近はこういう小説多いんだよ。異世界転生ってジャンル知らない?』
『凛が最近見ていたアニメとかだよな』
『うんうん。異世界に飛ばされた日本人が活躍する話だね』
『でもあれって、本人がそのままか人間として生まれ変わるって話だよな……。家電って、どう考えてもおかしいだろ』
『あ、うーん。でも原作が投稿されている小説サイトには、魔物とか虫とか物に転生する話も結構あったよ』
妹は内気でパソコンの前にいる事が多かったが、そういう小説を読んでいたのか。
マンガやアニメに詳しいだけかと思ったら、そっち方面にも詳しいようだ。
人生って何が役立つか分からないものだな。今はその知識に助けられている。
「という事なんだけど、分かったかな?」
ツインテール少女がこっちを覗き込んでいる。
今得られる情報としては十分だ。
『ありがとう。自分達の置かれている状況が理解できた気がする』
と答えたのだが、少女は俺を見つめたまま黙っている。
返事に対しての反応がない。
「あれ? 黙っているけど、よく分かんなかった?」
『そんな事はないよ。ありがとう』
まるでこっちの声が聞こえていないかのように、少女は眉根を寄せてじっと俺を見ている。
『お兄ちゃん。もしかして、聞こえてないんじゃないかな。ええと、その金髪は染めているんですか?』
妹の問いかけに反応は……ない。
さっきまでは普通に会話が成立していたのにどういう事だ?
声が届いていた時と今は何が違う。
『あっ、触れてないからか。俺と凛は同じ家電だから会話ができているだけであって、普通の人と会話するには触れてないとダメなんじゃないか?』
『なるほど。お兄ちゃん偉い!』
となると、また触れてもらわないと意思の疎通ができないのか。
いや、簡単な動作なら可能だったな。
「あれ? 話せなくなったのかな。急に黙り込んでいるけど」
心配そうな顔をしている少女に応えるため、俺は扇風機の『弱』を入れて横振りモードにする。
「きゃっ! 急に風が……。この発動具は自動で風も操れるの?」
少女は興味津々ですり寄ってくると、物珍しそうに俺の体をぺたぺた触っている。
今の状態なら会話も可能だよな。
『体に触れてないと言葉が通じないみたいです』
「わっ! びっくりした……。そういうことなんだ。ごめんね、私が手を離したからだよね」
素直に謝れるいい子だ。
そんな少女に嘘を吐くのは忍びないが、日本からやってきたことはぼかして遠い異国からやってきたという事にした。
「ええと、つまり……。この大陸とは違った島国出身で、そこでは魔法の代わりに科学というのが発達していて、それは発動具じゃなくてカデン? って呼ばれる物なのね。なんだ、ガッカリだなぁー。凄い発動具が手に入れたと思ったのに」
脱力した少女は床に尻をぺたりとつけて落ち込んでいる。
魔法が撃てなくて悩んでいる身の上話を聞いた後だと、悪い事をした気持ちになってしまう。
『その魔法って見せてもらえないかな? 俺達の住んでいた国には魔法がなくて興味があるんだよ』
『うんうん。どんなのか見たい! ええと、何て呼んだらいいのかな。お名前聞いてなかったね』
「私の名前はリキスよ。貴方達は……名前あるのよね?」
さてどうしよう。日本での名前を名乗ってもいいけど、リキスという名前からして日本名は馴染みがないだろう。
ここは偽名かあだ名を教えるのがいいかな。
『ええと俺は――』
『私は炊飯器でお兄ちゃんは扇風機よ』
妹が勝手に名乗ってくれた。
それは名前じゃなくて製品としての種類だろ。
「スイハンキにセンプウキね。でも、『き』って最後に着くと『鬼』みたいなイメージがあるから、スイハンにセンプウって呼んでいい?」
『いいよ、それで』
『うん、リキスちゃん』
「これで私達は友達よ」
意思のある怪しげな家電相手に友達と言ってくれるのか。
リキスの対応に軽い感動を覚えたその時、俺達に触れている彼女の手と俺達の体が光に包まれた。
『えっ、放電⁉』
「これは発動具の契約⁉ えっ、二人はカデンで発動具じゃないんだよね⁉」
『そ、そのはずだけど』
その光は一瞬で消えて、リキスが痺れた様子も俺の体が壊れた感じもない。
それにさっき彼女は『契約』という言葉を口にしていた。
つまり、今までの話から察するに発動具として彼女と契約を交わしたという事になるのか。
あれ? よく見ると俺と妹のプラグが彼女の腰辺りにくっついている。リキスは痛くないのだろうか。
「えっと、発動具として私の所有物になったみたいなんだけど。話が急すぎて理解が追い付かないんですけど」
リキスが軽いパニック状態らしく、俺と妹を握ったままあたふたしている。
持ち上げられて揺らされているので軽く酔いそうなのだが、口も脳もないので冷静になると気分が悪くなることもなかった。
プラグの事は後で聞いてみるとして、まずは冷静にさせないと。
『落ち着いて、リキス。よく分からないけど、発動具とかに俺達がなったのなら魔法の手伝いができるんじゃないか?』
「そっか! うん、試してみる価値はあるわ! 何処かに的でもあるといいんだけど」
『ねえ、部屋の隅になんか魔法陣っぽいのが浮かんでいるんだけど、あれ何?』
リキスが妹の声に反応して部屋の隅に目をやる。
俺も釣られて同じ場所を見ると、確かに部屋の隅に青白い光を放つ魔法陣みたいなものがあった。
光量を増して光の柱のようになると、その中から一体の骸骨が現れる。
大きさは大人の男ぐらいで昔は学校にあった骨格標本のようなのだが、全身が透明のガラスの様で思わず、
『スケルトンだけに透けとるん!』
ダジャレを言ってしまった。
リキスは俺をちらっと見ただけで何も言わない。
妹は沈黙したままだ。
『……あれで魔法を試してみたら如何でしょうか?』
「……そうね」
触れない優しさが辛い。
リキスは魔法を放とうとするのだが、俺と妹を交互に見つめ首を傾げている。
少し悩んだ結果、扇風機である俺を振り上げてスケルトンに羽根の部分を突きつけた。
「こっちの方が杖っぽいから! 飛べ炎の玉よ!」
彼女が魔法名を叫ぶと、俺の羽根の部分が炎に包まれる。
『お、お兄ちゃん燃えてるよっ!』
『おおおっ! ……熱……くないな』
羽根が溶ける様子もないから俺は平気だけど、炎は羽根にくっついたまま動かない。
「やっぱり、飛ばない! なんでよ! 発動具があれば魔法が使えるようになると思ったのに。これじゃ停滞のままじゃないの……」
涙目で唇を噛んでいるリキスの顔を見ていると何とかしてやりたいと思うが、どうしたらいいんだ。
スケルトンはそんな俺達にお構いなしに迫ってきている。
「もういい。いつものように殴ってやる!」
開き直った彼女は炎が着いたままの俺を振り上げて、スケルトンに向かっていく。
リキスは魔法が前に飛ばないので、手に留まった魔法で直接殴るスタイルだったらしい。なので格闘技の腕はクラスで一番だったそうだ。
魔法使いとしてどうかとは思うが、勝てるならそれでいい。
でも見知らぬ魔物に接近戦を挑むのはリスクがないか。どうにか魔法を飛ばせてあげられたらいいんだけど
『お兄ちゃん。扇風機を回してみたらどうかな? 風を起こせば炎を飛ばせるかも?』
『おおっ、グッドアイデアだ!』
試してみる価値はあるよな。
俺は『強』のスイッチを押して扇風機の羽根を回転させる。
すると、高速回転する羽根から炎の竜巻が生まれスケルトンを呑み込んだ!
炎の竜巻はスケルトンを軽々と吹き飛ばし、炎に包まれ回転しながら壁に激突して爆破粉砕された。
呆然と爆風に煽られていたリキスが掲げた俺を目の前に降ろすと、俺の頭をがしっと力強く掴んだ。
「えええっ⁉ 魔法が飛んだのっ! 何したのっ⁉」
『そう言われましても、当方としましても何が何やらさっぱりでして』
『お兄ちゃん、仕事の口調になってる、なってる! おめでとうリキスちゃん。お赤飯炊かないと!』
これが魔法使い見習いの少女と、家電好きの俺達との初めての戦闘だった。
リキスは俺を右手に妹を左手に、しっかりと握りしめるとその部屋を共に出ていく。
異世界で何が待っているのかは分からないが、妹とリキスと乗り越えていくしかない。
体は扇風機になってしまったが兄として男として、彼女達を守っていかないとな。