麻木凛音 その4
パイレーツモール。それが神奈川県横岳市西区に最近できたショッピングモールの名前だ。横岳湾の近くではあるものの、海に面しているわけではないこのショッピングモールで、何故パイレーツなのかというと、その理由は三階までを吹き抜けにした、広いロビーにあった。
そこには、全長二〇メートル、幅五メートルほどの、巨大な海賊船の立体映像が映しだされていた。高波の映像に揺られながら、ゆっくりとロビーを回転する海賊船。その船の上には、無造作に積まれた金銀財宝――むろん造り物だが――と、船首の先で高笑いを上げるモック船長――このショッピングモールのマスコットキャラクター――が乗っている。
この地域では、少し前からパイレーツモールのCMが流れていた。そのCMで、パイレーツモールの魅力を、モック船長が陽気に説明していたのだが、驚くほど印象には残っていなかった。そのため先織はロビーにある案内板を眺めながら、思案に暮れていた。
「参ったな……特に目的があって来たわけでもないからな。どう廻っていけばいいものか」
先織は腕を組みながら、眉根を寄せた。彼女には、目的もなくショッピングを楽しむといった、同年代の女子には当たり前にある経験が不足していた。良くも悪くも、明確な目的を立ててからでないと、彼女は行動に移らない。感情の赴くままといった、曖昧模糊とした指針で行動することは、彼女にとって非常に、困難な作業であった。
案内板の前でうんうんと悩む先織。そんな彼女に、悩み知らずの陽気な声がかけられる。
「あ、これこれ。ほら、あの芸能人のパシフィック森山さんがプロデュースするファッションブランドのお店だよ。ねえねえ杏ちゃん、ここ行ってみようよ」
頬を上気させて、ぴょんぴょん跳ねる麻木凛音に対し、先織は冷ややかに返した。
「誰だよ……そのパシフィック森山ってのは」
「えええ!いま巷ではひっそりと人気のある、パシモリブランドを知らないと!」
「ひっそりと人気って矛盾してないか?あとパシモリって略も気に入らない。そもそもパシフィックが、なんで服のブランドなんだよ」
「芸名だよ。太平洋にいかだを浮かべて、何日過ごせるかっていう、テレビの耐久バトル企画があってさ、その第一回にして最後の優勝者。それがパシフィック森山さんなんだよ」
「つまり打ち切り企画の参加者か。だがそれこそなんで服なんだ?」
「耐久バトル九日目に、神の啓示を受けたんだって。服を着なさい―ーって。それから服の大切さを理解して、アパレル業界に進む決意をしたって」
「色々突っ込むところがあるが、そいつテレビ放送で裸だったのか?」
先織は呆れて凛音に言った。凛音は「あれ?そうだったっけ?」と、小さな首をコクンとかしげて、真剣な表情で考え始めた。そんな少女の姿を見て、先織は笑った。
先織杏と麻木凛音の二人は、アパレルショップを見て廻ることになった。先織が服に無頓着すぎると、凛音が主張したためだ。凛音は先織の黒のセータにデニムパンツといったファッションを見て、指を立ててこう言った。
「杏ちゃんはもっと女の子らしくすべきだと思うよ。折角スタイル良いんだからさ。宝のモチゴメだよ」
「持ち腐れな。苦手なんだよそういうの。ていうか、お前だって人のこと言えないだろ。なんだその、ガキっぽいスカートは」
「ええ!可愛いじゃん。特にこのフリル」
「そこが際立ってガキだな」
そんな事を言いながら、数件の店を廻って、気に入った洋服を、何着か購入していった。そのなかには――凛音に強引に勧められて――膝丈ぐらいのスカートもあり、先織としてはかなり勇気のいる買い物だった。先織は凛音に似合いそうな洋服を、いくつかピックアップして彼女にも勧めた。
「あたしはいいよ。お金ないから」
「少しぐらいなら貸してやれるけど?」
「ありがとう。うん。でもやっぱりいいよ。まだ着てない服いっぱい持ってるから」
凛音はそう言って、洋服を一着も買うことはなかった。そしてそんな彼女に、先織も強く勧めるようなことはしなかった。凛音の内情には深く踏み込まない。それは先織が凛音と付き合うにあたって、無意識に自分に課しているルールであった。
三時間ほどショップを廻り、いい加減足も痛くなってきたところで、先織と凛音はカフェで小休憩を取った。丸いテーブルを挟んで、向かい合う形で、二人は席に座る。生クリームとチョコレート、砕いたクッキーやイチゴが何層にも重なったパフェを買い、会話をしながらそれに舌鼓をうつ。
先織は、見た目の華やかさだけを重視したこの食べ物を、今まで好んで食べるようなことはなかった。だが、凛音に勧められて食べ始めてみると、すっかり虜になってしまった。
「これは……すごいな。この繊細な味わい。まろやかな口当たり。クッキーの食感がちょっとしたアクセントとなって、全体の存在感を高めている。使っている果物もみずみずしい。こんな食べ物がこの世の中にあったのか」
「ずっと前からあるじゃん。杏ちゃん食わず嫌いが多いから」
そう言う凛音は、自分のパフェには手を付けずに、先織がクリームで口を汚しながら食べる姿を、ニコニコと眺めているだけだった。
「凛音も食べてみろよ。意外とイケるから」
「あたしはお腹すいてないからさ」
凛音は初めからそう言っていたのだが、強引に二人分のパフェを頼んだのは先織だった。友人とカフェでデザートを食べながら雑談を交わす。それは先織にとって、憧れのシチュエーションだったからだ。つまり先織の我儘に凛音をつきあわせてしまっているのだが、折角注文したのだ。一口ぐらいは食べてくれても、いいようなものだろう。
しかし先織はここでも「そうか」とだけ言って、深く言及することは避けた。
凛音との距離感はこれでいい。これ以上踏み込むことは危険であると、自分の心が警告していた。知りたくもない真実を、自分で暴き立てる必要など何処にもないのだから。
とその時、予想外の声が聞こえてきた。
「ほら。やっぱり先織さんだよ」
「ホントだ。え?なんでなんで。なんで先織さんが、ここにいるわけ?」
先織が振り返ると、そこには見覚えのある顔が二つ、眼を丸くしてこちらを見ていた。
すこしの間、先織はその二人が誰なのか思い出せなかった。だが、中学校の同級生だとわかると、サッと顔が青ざめる。
同級生の二人は、こちらを非難するような口調で、先織に話しかけてきた。
「どういうこと先織さん。補習を受けるから、一緒にはいけないって言ってなかったっけ?」
「言ってた。言ってた。なにそれ。嘘ついてたの?それってひどくない?」
「いや……これは……」
もともとは、この二人と一緒にショッピングに行く予定だった。だが先織は、凛音のそばにいたいがために、補習という嘘をついて、二人の約束をドタキャンした。まさかこんな広い場所で、偶然会うこともないだろうと高を括っていたのだが、読みが甘かったようだ。
「違うんだ。いや……違わないんだが……違うんだ。これは……優先順位的な発想でだ……決して君たちを蔑ろにしようとか……そういったマイナス感情ではなくて……」
「優先順位って何よ!言ってる意味分かんないんだけど!」
「言い訳とかすっごいムカつくんだけど!」
怒りを露わに先織に詰めかけるふたり。なだめようとしたつもりが、火に油を注いでしまったようだ。彼女はだらだらと冷や汗を流しながら、二人の怒りを鎮める、奇跡的な言葉を必死に模索する。しかし、ふたりが口にした次に言葉に、先織の思考は停止した。
「器が二つあるけど、私たちの約束ドタキャンして誰ときてんのよ!もしかして男?」
「うそやだ!私たちに嘘ついて彼氏とデートなんてしてたら、絶対許さないからね!」
「え?」
――男――彼氏?
この二人は何を言っているのだろうか。自分は凛音と、彼女と二人でショッピングに来ている。向かいに座っている彼女を見れば、一目瞭然だと思うのだが。
そう考えて先織は、自分の向かいの席に座っているはずの凛音に、視線を向けた。
そこに凛音の姿はなかった。溶けかけたパフェが、無人の席に差し出されているだけだ。
耳元で騒ぎ立てる同級生の二人。それを無視して、先織は静かに納得した。
ああそうだ。
彼女はいつもそうだった。
私は彼女を皆に知ってもらいたいのに。
私は彼女を皆に感じてもらいたいのに。
彼女は周りの人間が近づいてくると――
いつのまにか姿を消してしまう。
自分の前から逃げてしまう。
この世界からいなくなってしまう。
彼女は自分以外の誰にも会わない。
彼女は自分以外の誰にも触れない。
彼女は自分以外の誰にも観えない。
その理由に――
私はまだ気付いてはいけない。