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〜汚れた誇りは身体を締め付ける②〜

 銃を突き付けられ、ヴォブリットは手を上げ動かなかった。

今動けば隊員にも危害が加わる可能性がある、それは避けねばならない。

隊員達の安全の為、ラーナ大佐から言われた容疑を否定せず、従っていた。

そんな隊長を見て、隊員からは戸惑いの声が聞こえてくる。


「――ラ、ラーナ大佐。何かの間違いではないのでしょうか? 隊長に限ってそんな事をするとは、私は到底思えませんっ」


ラーナの一番近くにいたシマ軍曹が、半信半疑の表情をしながら聞く。

自分の知っている隊長はそんな人間ではない。彼の目はそのように語っていた。


「君がどう思うか思わないかに関係なく、これは事実なのだ。現にヴォブリット大尉が容疑を否定せず沈黙しているのは、黙認したと取れるように見えないか?」


煙草の煙を吐きながら、男はシマ軍曹を見据える。

その威圧感に押され、彼は冷や汗を流す。


「君達が彼を信じているのは知っている。私も出来れば彼を信じたいしな。だが、タレ込みがあったのだよ。ヴォブリット大尉が情報を流出させているとな――そうだろ、シムル少尉」


その言葉に、シムルが喋り始める。


「――その通りであります、ラーナ大佐」


第一部隊の面々が、ヴォブリットが、驚きの表情で彼を見る。

彼はそれを見て、今まで見た事のないような陰湿な笑いをし、書類をヴォブリットから取り上げた。


「これにはその確たる証拠が記録されています。どうか確かめて下さい」


深々と頭を下げ、それを大佐に渡すと、シムルはヴォブリットの方を向いて悲しそうな表情をする。


「俺、実はラーナ大佐直属の諜報部員なんすよ。前々から不審な動きのある大尉を見張るように潜入していて……俺、悲しいっすよ。この事実を見つけた時、信じていた大尉に裏切られたと分かった時、めっちゃ悲しかったです」


泣きそうな表情で悔しそうに言うシムル。

それを怒りに震えた眼でヴォブリットは見つめた。


「ずっと、私を騙していたのか……シムル!」


「騙されたのは俺達だ! アンタはずっと俺達第一部隊の連中を騙していたんだよっ!」


――ヤバい、と思った。この流れでは……このままではっ。


「ではヴォブリット大尉を取調室まで連れて行け。シムル少尉、君には重要参考人として一緒に来てもらう――他に何かあるかな、諸君?」


だが室内を見回しても、誰もヴォブリットを助けようとする者はいなかった。

――彼は、味方を奪われたのだ。


「では……連れて行け」


部屋から出ていく直前、シムルと目が合った。

彼は目を細め、底意地の悪い笑みを返してきた。


(裏切り者は――あいつだったのか)


気付いた時にはもう遅く、彼の周りからは、誰もが居なくなってしまっていた――。






 日の沈みかけた空。

茜色から紺色の交わる奇妙な空は、ゆっくり、確実に夜の匂いを強めていく。

明かりの灯った街灯の下を、少女が歩いていた。

全身を黒の衣装で包んでいる。だが、垣間見える白絹のような肌、僅かな夕陽で黄金色に輝くなめらかな髪。そして、強い意思のこもった碧眼の瞳。

少女は無言で歩き、目的の場所へ、急ぐ。


「あの子が来たよぉ~」


間延びした女の子の声と共に、何百の置かれてモニターの1つが少女の姿を捕らえる。

至る所に設置された監視カメラに、少女の凛とした表情が映る。


「来ましたか……。しかし我等が主よ、今回の刃の身勝手な行動を本当にお許しになるのですか?」


モニターを見つめていた老人は、隣りに座っている男に問うてみる。


「ふっ、イベントは多い方が楽しいだろ? どうせ片を付けなければいけない相手だ、何処で殺すも同じ事だ」


そう言って目でモニターの少女を追う。

楽しそうに口の端を吊り上げながら。


「それに……マガイモノと呼ばれる彼女の力を見てみたいしな」


「! あの子がマガイモノだと言うんですかっ!」


その二つ名を聞き、老人は驚愕した。

――フラスト遣いの中で言われ続けている一つの噂……。

どんな依頼も受け、敵であるはずのWPFへも力を貸すフラスト遣い。

その強さは尋常ではなく、かつて生きる伝説とまで呼ばれたあのフラスト遣い程だと言われている。

だが、その姿を見た者は無く、囁かれるのみとなっていた噂。


「あんな少女がマガイモノ……あまり信じ得ない話ではありますね」


モニターに映る少女を凝視しながら、老人は唸る。


「彼女の二つ名がマガイモノだというのは、上層部の人間と第一部隊の者しか知らん。隊長のヴォブリットとは何かしらの縁がありようだしな……その力も、ヴォブリット以外は知り得ていない」


また葉巻を吸い始めたラーナを余所に、老人は今日見たあの光景を思い出していた。


(あの強さは異常といえました……。少女の正体、気になりますね)


幾人もの敵に見られながら、少女は、目的のビルに辿り着く――。





 高くそびえる灰色の人工物の真下、人が入る為に設けられた大きな自動ドアの前に、シエルは立っていた。


(辺りは暗くなりかけてる……でも、それにしてもここは人の気配が無さすぎる)


WPFを恨むフラスト遣いは多く、彼等からすれば本拠地であるこのビルは、格好の獲物といえた。

そういった輩がビルに攻め込まぬよう、半径百mから対フラスト遣い用の罠を多数設けられているはずだ。

昔にそのような話をヴォブリットから聞き、何とかしてもらおうと連絡したが、電話はいっこうに繋がらなかった。

恐らく、彼も捕まったのだろうとシエルは推測する。

そして、懸念していた罠であるが――


(ここに辿り着くまでに罠らしい罠は無しか……代わりに、おびただしい数のカメラはありましたが)


周りを警戒しながら進んでみたが、罠にかかる事なくここまで来れた。

そしてそれの意味するのは多分――


「私をビル内に招き入れようとしている……何の為に?」


シエルの独り言に答える者はなく、ビルの入口の前で彼女は立ち尽くした。と、中から一人の男がこちらに向かってくる。

外に出る為でなく、明らかにシエルに話し掛ける為に。

シエルは静かに身構え、相手の攻撃を警戒した。

関係の無い者と戦いたくはないが、今回はそうも言っていられない気がする。



ウィー……ン



自動ドアが開き、男が外に出てくる。

黒いスーツとサングラスをかけた、何だか個性の感じられぬ雰囲気の男。

彼はシエルの前まで来ると、恭しくお辞儀をした。


「――シエル様ですね。ラーナ大佐からお話は伺っております。大佐の所までご案内致しますので、付いて来て下さい」


そう言って顔を上げた男は無表情だった。


(何処までも……ナメたマネをしてくれます)


まるであざ笑うかのように、自分の懐の奥深くへとシエルを誘ってゆく。

己に絶対の自信でもあるのか、それとも別の思惑があるのか……とにかく、シエルは敵の提案に乗ってやる事にした。


「分かりました。案内をお願いします」


くすり、と微笑で答えたシエルを見て男が少しばかり頬を染める。

あまりにも妖艶に笑う少女。

成熟と未成熟の間にあるその笑顔は、背徳的で、背筋を震わせる何かがあった。

しかし妖艶なその顔には、人に対する感情のこもっていないような、一見すれば恐ろしいような、不可思議な雰囲気を纏っていた――。






 ビルの中へ入ったシエルへ、すれ違う人達は奇異の目を向ける。

彼女の服装に、彼女の雰囲気に、釣られ、見ずにはいられない。

そんな視線を無視してエレベーターの前に来た時、前を歩いていた男が喋る。


「地下に今から向かいますが、アナタの求めるものは全てそこに集まっております」


感情無く言う男に、返事をせずにシエルは話を聞く。


「地下――か。確かにそこなら色々と都合が良さそうですね」


前にヴォブリットに聞いた事がある。

WPF日本支部の地下には、捕まえたフラスト遣いを取り調べる為の様々な施設があると。

地下三階におりると、そこは駐車場のようだった。

物音一つなく、独特の圧迫感のあるそこに、二種類の靴音が響き渡る。

足音のみが駐車場に、こだまし、点灯している明かりも、心無しか弱々しく見える。

無言で歩いていると、一つの扉が現われた。

頑丈そうに造られたドアには電子式のロックがされており、立入禁止という字が書かれている。


男がカードのようなものを差し込み、暗証番号を打ち込む。

ピーッという電子音を響かせ、分厚いそれは口を開けた。

中をみると、通路が広がっていた。

一人分の幅しかない通路が、薄ぼんやりと非常灯で照らされ、向こう側に小さく見える扉まで続いている。

男はドアの横に立つと、シエルに頭を下げる。


「どうぞ、中で皆様がお待ちしております」


彼はどうやら、ここまでらしく、通路に入ろうとはしない。


「……道案内、有り難う御座いました。あの、良かったらこれ貰って下さい」


はにかむようにシエルが差し出したのは包装紙に包まれた飴。

お礼です、と男にそれを握らせ桃色に顔を染め足早に通路へと消えた。

扉を閉めた後、飴を貰った男はシエルの事を思い出し、今までの無表情が嘘のように、だらしのない笑顔を浮かべ飴を食べた――途端に男の意識は混濁し、その場に崩れ落ちてしまう。

飴には、協力な自白剤が仕込まれており……その直後、エレベーターで誰かが降りてくる。

エレベーターの扉が開き、そこから現われたのは――。






 扉が閉まった後、凛とした表情に戻りシエルは歩を進める。

左右のコンクリートが妙な圧迫感を生む通路で、彼女は止まる事なく歩き続ける。


(あの扉の先に……全てが、ある)


そして、辿り着いた扉のドアノブをゆっくり回す。

姿を現わしたのはコンクリートに囲まれた空間。

先ほど通ってきた駐車場の半分ぐらいだろうか、何も無い空間が広がっていた。

そして、そこにいるのは――


「……刃」


「また、会ったわね」


顔の腫れが多少引いてはいたが、まだ痛々しく残っている、あの時の女。

彼に通じる何かを持っているかもしれない――フラスト遣い。


「貴女のさらった人はドコです?」


「気になるか? 残念だけど――ここには居ない。扉の前で分かれた男、閉じ込めた後の事はあいつに任せたからさ、今頃は監禁場所に向かったあいつと仲良くヤってるかもしれないね」


せせら笑うようにシエルを見る。

命乞いをした時とは打って変わって、冷徹といえるその表情に、しかしシエルは動揺しない。


「そうですか……なら大丈夫でしょう」


「は?」


その答えに訝しげな声を出す刃。

シエルは普段通りの落ち着いた表情で言う。


「ある信用できる方に頼んで、彼女の事は任せてあります。自白剤入りの飴を食べていれば事は簡単に運びますし、食べていなくとも――まぁ、ナナエさんなら大丈夫でしょう」


不安など何も無いと口にする。

それを見て、刃は苦々しくシエルを睨み付ける。


「本当に……本当にムカつくなぁっ! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺すっっ! 今すぐぶっ殺してやる!?」


憎悪に彩られた瞳を凶悪に開き、左右の手に持っていた直刀と呼ばれるまったく反りの無い刀を構える。


「……私も今回は見逃しませんよ」


右手で十字架型のネックレスを掴み、殺気を解き放つ。

触れば切れそうな高濃度の殺気を放ち合う2人は、その奔流に任せるように、行動を開始した――。







 始まろうとしている二人の戦いをモニター越しに見ている者達がいた。

一人は年輪を重ねた老紳士。

一人はイスに座り、葉巻を吸う細面の男。

一人は手を縛られ、銃を持った男達に囲まれた筋骨隆々の男。


彼等は、いちように画面に魅入っていた。


「さて、では囁かれるマガイモノの噂の真実をこの目で見てみるとするか」


細面の男がそう言う。

老紳士は黙ったまま画面を見続け、筋骨隆々とした男は奥歯を噛み締め、怒りに身体を震わせる。


「……なぜ、あの子をここに呼んだ? あの子は今回の事に何ら関わりは無いだろう」


「彼女を招待したのは私ではない。あそこで醜く私怨をたぎらせている私の部下が勝手にした事だ」


男の方を振り向かず何でも事のように言う。


「ならばなぜ止めなかった! 部下の行動まで制御出来ぬ程墜ちたというのか、ラーナ!!」


「……上官に対しての口のきき方がなっていないな、ヴォブリット大尉」


ラーナと呼ばれた男が手を上げると、銃を構えた男の一人がヴォブリットを殴り付ける。


「ぐっ!」


苦痛に顔を歪めるが、倒れず踏みとどまる。

そして、ラーナを睨み付ける。


「っあの子を巻き込むな。あの子はこんな場所に来てはいけない――普通の、女の子なのだ」


「ふっ、最初に巻き込んだのは君ではないか。それに、画面越しにでも分かる程の殺気を放つコレが普通だと? ……化け物だよ、コレは」


顔を歪めるように笑うラーナの言葉に、ヴォブリットの怒りは爆発した。


「あの子は人間だっ! あの子の事を何も知らぬ貴様が、戯言をぬかすな!」


「――言いたくもなるでしょうよ~。こんなの見てたら」


――突然、後ろから声が聞こえた。聞き慣れたその声にヴォブリットは振り向く。


「……シムル」


「おいお前銃渡せ。こいつは俺が見とくから、お前等は下がっていいぞ」


そう言って銃を受け取り男達を下がらせた後、シムルは下卑た笑いを浮かべる。


「いやぁ残念っしたね隊長。信用してた部下に裏切られた気持ちってどんなもんすか? 教えて下さいよ」


クククッと笑いながら見つめてくるシムルに、ヴォブリットは歯ぎしりをしながら睨み付ける。


「貴様っ……いつから私達を騙していた!」


「いつからってそりゃ~最初からに決まってるっしょ。最初から俺はアンタの監視役として配属されたんだし」


ラーナの隣りに腰かけ、画面を見てみる。

まだ戦いは始まっておらず、探り合いのように距離を取って2人は対峙していた。


「んだよ早く殺り合えよなぁ~。こっちはその為に臭い芝居したんだからよ」


銃をいじくりながら、苛立つように吐き捨てる。しかし、ヴォブリットの聞きたい事はまだある。


「シムル……書類を持っていた男と友達というのは嘘だな?」


「あ? ――ああアレね。えぇ違いますよ、あんなの口から出たでまかせ。好きな食べ物すら知らねえよ」


「ならばなぜ私に調査するよう仕向けた? 私が調べるより貴様らの方が早く情報を集め、居場所を特定する事が出来ただろう」


「分かってないっすね~、隊長。そんなもん、アンタに罪を被せるために決まってんじゃん」


「……やはりか」


「まぁ殺した時に書類が燃えればそれで万々歳だったんだけど、念の為に用意させてもらったんすよ。喫茶クローバーの事を教え、万が一の時の身代わりとして、アンタにはヤツの事を調べてもらった。これなら大佐の言葉とパソコンに残った履歴を使って、アンタを犯人に仕立て上げるのは容易だしな」


銃口をゆっくりヴォブリットに向ける。


「でもあの時の演技は予定外……アカデミー賞ものでしたしょ? 隊長」


ばぁんっと口で言って、打つ真似をする。

そして高笑いをする。


「でもあの時の隊長の顔は最高だったっすよぉ~! 思わず噴き出しそうになりましたよ!」


「――そうか、ならば今、噴き出させてやろうではないか」


「えっ?」


「――血をな」


言うが早いか、一瞬の内にシムルに近付いたヴォブリットは右手首に付けていた仕込みナイフを抜き取り、目の前の敵の首へ突き立てる。

目を見開いて信じられないものを見るようにヴォブリットを見て、シムルの身体はゆっくりとイスからずり落ちていった。


それを確認せずに左手首の仕込みナイフを取り、悠然と座ったままのラーナに駆け出す。

そして脳天を貫く為ナイフを振り下ろした。

――が、刺したという感覚はいつまでも襲ってこず、代わりに全身を駆け巡ったのは気が狂いそうな程の激痛。


「ぐっ――がぁぁっ!?」


脂汗を滴らせ、床に崩れ落ちるヴォブリット。

押さえるようにしている左手はナイフと一緒に消え去っており、残ったのは肉の焼ける匂いと炭化した手首。


「っ――まさか貴様、力が!」


「いきがるなよ若造。私はそんな汚らわしいものなど持ってはいない」


蔑むように見下すラーナは、老紳士を指差した。


「それは炎がした事だ。君を殺さなかったのは、犯人として確実に仕立てるため」


片付けろと炎に命じ、男は再び画面に戻る。

炎は杖の先をシムルの死体に向けた――途端、シムルの身体が火に包まれ、肉の焼ける匂いを撒き散らしながら炭へと変わり果てていく。

それは、もうシムルという人間には見えず、吐き気を催す悪臭を放つ、炭のようなものであった。

そして、炎はヴォブリットを見る。


「今度我等が主に手を出そうとすれば、次は右手を頂きます。それが嫌でしたら大人しくしていて下さい」


丁寧な物言いの中に、鋭利な刃物のように殺気を孕んだその言葉に反応する事が出来なかった。

――今一度確認させられた壁。人とフラスト遣いの、あまりに違いすぎる、差。

自失したヴォブリットがふと画面をみると、そちらも局面が動き出そうとしていた――。








 「はぁっ!」


本来ならば大型車を駐車するスペースである空間、そこに二人はいた。

ピリピリと肌を灼くような殺気の充満する室内に響き渡る、怒声。

耳をつんざくようなその声を聞きながら、シエルはナナエに言われた事を反芻した。


「……まずは穴に入ったものが出て来られるか」


「何を喋ってる!」


目の前から突進してきた刃に注意しながら、ポケットに入っていたソレを取り出す。


「――そんなボールで何が出来る!」


手に持ったのは小さな黒いボール。

何個かを左手に持ち、シエルは嘲る。


「さぁ? もしかしたら凄い武器かもしれませんよ?」


「っナメるなぁ!」


そう言って肉薄してきた刃は、上段から右手を振り下ろす。

それを難なくかわしたシエルはバックステップを踏みわずかに距離を取る。が、刃はそれを許さず左の直刀で突きを放った。

間一髪、身体をひねる事で避けたシエルだったが、その瞬間あの時と同じ悪寒が全身を駆け巡った。


(――きた!)


悪寒を感じた方に全神経を集中させ気配を読み、後ろに現われた直刀を蹴り上げて軌道を変える。

驚きと蹴り上げられた反動でバランスをくずした刃に、上げた足をそのまま使っての回し蹴りを繰り出す。眼前に迫るそれを身を反ってかわした刃はバク転をしながら後ろに下がる。

充分に距離を取った後、悔しそうに顔を歪める。


「なぜナイフを使ってこない? ――忘れでもしたっていうのか?」


「私の戦い方はそもそも肉弾戦が主です。ナイフなどの武器は必要時以外使う事はありません」


「……なら今は、使う場面ではないというのか?」


「――いえ違いますね。『使わなくても大丈夫な場面』でしょうか」


その言葉により刃は顔面を真っ赤にし恐ろしい形相で睨み付けてくる。


(――これでいい。あいつが力を遣えば遣う程、コレを投げ入れるチャンスは増える)


左手に持つボールを強く握り、避けるという動作のみに意識を集中させる。


「そんなに死にたいか……なら望み通り、ぶっ殺してやる!」


両手の刀を前に突き出し、再び突進してこようとする刃。

シエルもその殺気に気圧されぬよう必死に己を奮い立たせる。


「――死ねぇ!」


その言葉に合わせ突っ込んできた二本の刀を、シエルは触れる直前で避けようとした。

だが――


「っ!?」


シエルの目の前に穴が出現し、その中に刀は消えていく。

そしてまた、あの悪寒が走る。


「!?」


完全に意表をつかれたシエルは一本の気配は何とか読み背中からの攻撃は身をよじる事でかわしたが、右側からの攻撃には反応が遅れてしまった。


「――はははっ!!」


そんな笑い声と共に刀はシエルの脇腹を抉り、深々と切り傷をつける。


「くっ……」


距離を取ろうとするのだが刃がそれを許さず、二人は接近戦を続けた。

右から……左から……上から……後ろから……時には穴を使わず正面から。

怒りに狂った凶刃は止む事はなく、シエルはそれを避け続けるしかなかった。

徐々に増える傷、脇腹に出来た傷はどんどん血を滲ませ赤い体液を滴らせる。


「どうしたぁ? 私の本気に付いてこれてないな! もう死ぬか、オイ!!」


攻撃の手を休めない刃。

息がだいぶ上がり肩が上下しているのだが、疲労を上回る高揚感に包まれた彼女にとって、それは意味を成さない。


「何も出来ずに死ぬなんて惨めだなぁ? ――させるはずないだろぉ!」


更に攻撃を強める刃、しかし彼女は気付いていなかった。

自分が優勢だと思っている、この戦況が変わりつつある事を――。「……攻撃が当たらなくなりましたな」


モニターを見ていた炎が、眉をひそめながら言う。


「先ほどから刃の攻撃がまったく当たらなくなりました……それに、何やら彼女はタイミングを計っているように見える」


猛攻をかわし続けながら反撃するでもなく、少女は何かを考えるように避けるのみだけである。

あらゆる方向から来る凶刃を最小限の動作でかわし、そしてとうとう――少女は動いた。


「!? 左手で……ボールを穴に投げ入れた?」


炎がいう通り、少女はずっと左手に握ったままだったボールを、刀の出てきた穴に放ったのだ。

そのボールは吸い込まれるように穴の中に消え――


(穴から出てきた……だがそれが何だというのでしょうか)


何か特殊な武器なのかとも思ったが違った。

投げ込まれたボールは別の穴から出てきて、それ以上の事は何も起こらなかった。

だが、少女の様子がおかしい。


(なぜ、あんなにも嬉しそうな顔をしている……)


ボールが出てきた事実を確認するや、命を賭けた戦いの最中というのに少女は笑った。

これ以上嬉しい事は無いという風に。


「どういう……事なんですか?」


「――あれは穴に入ったモノが出て来られるか確かめていたのだ」


今まで黙っていたラーナが口を開ける。


「しかしそれは刃の刀を見ていれば分かる事でしょう」


「他人の力だ、不確定な予想でなく確たる証拠が欲しかったのだろう――ふっ、そんな事をせずとも私が全てを教えてやるというのに」


そう笑うラーナの真意が掴めぬまま、また炎は画面に見入る。

そしてとうとう、戦況が彼にとって最悪の方向に一変する――。






 「なっ!」


今まで休まず攻撃を繰り出していた刃が、初めて手を止めた。

――いや、止められた。

避け続けるのがやっとのはずだったシエルが、今はその華奢な足を上げ、靴底で剣撃を防いだのだ。


「くそっ! 何で!」


苦虫を噛み潰したように顔を歪める刃は、止められている刀をカタカタ震わせ、力任せに動かそうとする。

しかし、刀はビクともしない。

引こうにも靴底の凹凸で巧く挟まれた刀身は動かず、まるで噛み合ってるかのようである。

そしてシエルは残った足で地を蹴り、刀身を防いでいる足を軸に、地面に対して平行に身体を回転させる。

すると刃の持っていた直刀は、いともたやすく根元から折れ、女の手に残ったのは柄のみの刀ともう一本の直刀。


音もなく着地したシエルは静かに刃を睨み、容赦なく殺気をぶつける。


「――貴女の攻撃パターンは大体把握しました。力のせいもあり多少読みにくかったですが、これでもう貴女の攻撃は当たりません。あとは貴女の残った武器を破壊して……終わりです」


そう言って地面に転がっている折れた刀を、勢いよく踏み付ける。

金属の割れる音が響いて、少女が靴を上げると刀は粉々に砕けていた。


「な……何で私の刀が靴なんかに止められる!」


「この靴底には特殊な金属が使われていて、並の刃物では傷一つ付けられないのです。まぁその分重量は増しますが、これが接近戦をする私の武器と言っておきましょうか」


嘲りの色の漏れる笑いを浮かべる。

それを見て刃は、身体中を震わせ、怒りを露にする。


「――刀一本で充分!!」


爆発的な瞬発力で地面を蹴り、一瞬でシエルの懐に入る。

しかし――


「相変わらずワンパターンな戦い方ですね」


「何だとっ!」


シエルは冷静に状況を分析、刃の行動の一手、二手を先読みする。

――ずば抜けた身体能力。

戦況を読む洞察力。

それを使いこなす、技量。

これらは殆どが血の滲むような特訓の賜物であった。

シエルを他のフラスト遣いと一線を画す程の強さに短期間で育て上げたその人物は、ある倉庫街へと走り続けていた――。






 「あぁいたいた。大丈夫? 鯉瀧ちゃ~ん」


シャッターの開く音がして、次いで女の人の声が聞こえた。

しかし私は目隠しと猿ぐつわをされイスに縛り付けられている為、その言葉に反応できない。


「待ってな、今助けてやるから」


そう言って声の主の気配が消えたかと思うと、急に視界に光が差し込んできた。


「ほら、あんたを縛ってた物は全部取ったよ。……もう大丈夫だ」


布に塞がれていた目は光に慣れるのに少しだけ時間がかかり、やっと声の主の姿を確認すると――


「ナナエ……さん?」


「あいよ」


その人は、シエルちゃんの居候している喫茶店の主で、何回か会った事のあるナナエさんだった。


「ナナ――エ――ふえ、ナナエさ~ん!」


助けられた安堵感からか、見知った人という安心感からか、私は一気に恐怖に全身を襲われ、その場に泣き崩れてしまう。


「おぉよしよし……。ゴメンなぁ、何か巻き込んじゃったみたいで」


ナナエさんが膝立ちになり、私の頭を優しく撫でながら、すまなそうに謝る。


「ひっぐ、うっぐ……あ、あの女、の人がい、言ってた『スカした金髪のガキ』って、いうのは、もしかして――」


「……そう、うちのシエルの事。鯉瀧ちゃんはあいつの友達だから、だから狙われたみたい」


そして深々と頭を下げ、彼女はもう一度謝ってきた。


「お、教えてくだ、さ、い。シエルちゃんは……一体、何をしてるん、ですか?」


しゃくり上げながらも何とか喋れる事は出来る。聞きたい事が……聞ける。


「教えてもいいんだけど……今はもう少し待っててくれないか? ――私はすぐに行かないといけないからさ」


えっ――と私が言うとナナエさんは立ち上がる。


「ちゃんと憲安を呼んどいたから、あと五分もしない内に来てくれると思う。私は――出来の悪い弟子を助けに行かないといけなくてね」


彼女の目が光る。

まるで猛獣のように猛々しく、宝石のように輝く、その不思議な瞳に一瞬、吸い込まれそうになる。


「それは……シエルちゃんを、助けに行くって事ですか?」


「――もしも今日が無事に終わって、それでもシエルと友達で居たいって思ったら、うちに来な。そしたら、その時は全部教えてあげるから」


彼女によく似合う、鋭く獰猛な笑みを浮かべて、そしてナナエさんは瞬く間に消えてしまった。


「シエル――ちゃん」


薄暗いコンテナの中で、少女は友の名前を呼ぶがその声は小さく、儚く、ただ周りへと溶けてしまっていった――








 ガキィィッ! ギキンッ! ドガッ!



コンクリートに囲まれた、窓の無い沈殿したような空気の満たすその地下の一角からは、金属のぶつかり合う音と、時折鈍い音が響いていた。



ドグゥ!!



「――がっ!」


蹴りの威力で数m吹き飛びながら、刃は腹部を辛そうに押さえる。


「ぐっ……がは!」


口からは血反吐を吐き、歯を食いしばりながら何とか立っている。

だが先ほどから幾度となく蹴られた腹部がズキズキと疼き、痛みが全身を周り意識が朦朧とする。


「……どうしました? まさかもう終わる訳では無いですよね」


しかしシエルは息切れする事なく、悠然とそこに立っている。


(やだ……私は、あの人に捨てられたくないっ!)そう思うと、無意識のうちに昔の記憶が頭を包んだ。






 ――刃がまだ力に目覚めておらず、ちゃんとした名前で呼ばれていた頃。

WPFから来たと名乗る男が家を訪ねてきた。男は言った。

『お嬢さんがフラスト遣いかどうか検査をしなければなりません』

その頃からフラスト遣いを処罰するWPFは畏れられており、両親は我が子の命を守る為と……多分、もしフラスト遣いだった時の保身の為だろう、その話を承諾した。


だが――それは地獄の始まりだった。

検査と称された数々の淫靡な行為。まだ幼く育ちきっていない少女の身体を食らう、ねっとりとした欲望。

初めてを散らされ、深い傷を付けられた事を両親が知った時、男はもう逃げた後であった。

すぐに両親はWPFに行き事情を説明したが取り合ってもらえず、そればかりかフラスト遣いに成り得る可能性がある事が分かり、捕まってしまったのだ。

その頃、刃はあの時のトラウマから精神病院に入院しており、両親の事など知らなかった。

彼女は後で知る事になるが、両親は収容施設に入るが脱獄を試み、そして失敗し――射殺されたのであった。


刃が天涯孤独となった時、出会ったのがラーナであった。

彼は病院でその少女を探し出し、こう言った。


「両親ともフラスト遣い陽性か……しかも天涯孤独の身、実験体としては丁度良い」


心を塞いでいた刃はその言葉を理解出来なかったが、病院から出られるというだけは分かった。

――ラーナに引き取られると、様々な薬物投与や人体実験を繰り返された。

元々壊れかけていた彼女の心はいとも簡単に砕け散り、そして、ある変化が起きた。

支えの無くなってしまった今の彼女は、非道を尽くすラーナを必要と感じたのだ。

自分はこの人しか要らない、この人に必要とされたい、求められたい、役に立ちたい。

その気持ちが実験により植え付けられたものなのか、心が崩壊し廃人になるのを恐れた彼女自身が望んだ事なのか分からぬまま、澱み、あまりに異色であるその感情は肥大していった。

……そして、奇跡が起こる。

彼女は、彼の望む力を手に入れたのだ。

誰かの為に欲した、己の欲望の化身。

しかしそれが、ラーナの思う通りの結果だったとは、今でも彼女は気付かない――。






 「あの人に捨てられたくない……1人は嫌だ……お願いします、何でもしますから」


突然泣き始めた刃に、シエルは訝しげな視線を送る。


(人体が穴の中に入っても大丈夫かどうかを調べないといけないのに……)


今ここで彼女に壊れられては困った。

まだ、私の疑念を振り払うまでは――。


「……貴女はなぜ泣くんですか? 私を、屈辱を与えた私を倒さなくてもいいのですか?」


両手を開き攻撃を誘うような事を言う。

リスクの伴う行動だが、こんな事で幕引きされるのは嫌だったのだ。

だがその言葉にも刃は答えず、下を向いたままだ。

誰かに必死に謝っている――誰に?

そして、シエルはその言葉を聞いた。


「ゴメンなさいラーナ様……私を捨てないで、いつでも私はラーナ様の命令通りに致しますから、お願いしますどうか、捨てないでっ――」


必死で哀願する言葉。時折ビクッと身体を震わせるのは、まるで誰かに叩かれそうになったからみたいであった。

――彼女が必死で守ろうとしている人に対する気持ちは、多分疑似的に植え付けられたものなのだろう。

あの目からは……哀しみしか、読み取れない。

彼女の心はもう、その人しか見ていない。

例えどんなに最低のヤツだったとしても――


(――許せない)


ふつふつと何かが沸き起こる。

それは彼女に対する同情であり、哀れみであり、愛しさであり……そして、彼女をこんなにした者への、怒り。


「イヤダイヤダイヤダッ……ワタシハステラレタクナイ!」


叫ぶように刃は哀願を口にし、シエルに憎しみのこもった瞳を向ける。


「――コロスッ!!」


それはもう私怨ではなく、好きな人に捨てられたくないという、小さな願い。

言葉にならぬ奇声を上げながら、刃は己の欲望の化身である力を遣い、穴を出現させる。

そしてそこへ刀を勢いよく差し込み、シエルの背中に通じる別の穴を出現させる。

刀が勢いの乗ったまま背中に突き立たろうとした――が、それは、起きなかった。


「……心配しないで、刀を置いて下さい」


そう優しく言うシエルの左手には、背中に突きささろうとした刀身が握られていた。

手の平からは血が流れ、床を鮮血に染める。

怯えるようにそれを見つめる刃の表情に怒りはなく、ただ泣きじゃくる子供のような雰囲気が漂っていた。

そんな彼女をなだめるように、ゆっくり、静かに喋る。


「貴女の事は私が……私が助けてあげますから、だから今は何も考えないで、これを捨てて?」


包みこむように言われるその言葉に、刃は戸惑いを見せる。

今の彼女の心を満たしているのは、例え疑似的であろうと『愛』であった。

彼を裏切る事になる……捨てられるのは嫌だ……刃の考えている事が分かったのか、優しく、諭すように言い続ける。


「貴女は捨てられないから、だから安心して? ……こんな哀しい物、持っちゃ駄目だよ」


そう言われた瞬間、刃の目から涙が零れる。

自分でも意外だったのか驚いてそれを確かめる。

――心で理解は出来ないが、本能は、シエルの言葉を理解したのだ。

今までずっと欲しがって、遂に与えられる事のなかった、優しさを……。


ゆっくりと刀から手を離し、刃は床にへたり込む。

涙が流れる中、ただ、惚けたように視線を彷徨わせる。

一安心といった顔でシエルは掴んでいた刀を離し、今だに開いている穴を見据えた。


(とうとう……か)


いつ彼女が力を切るか分からないので、早くした方がいいのだが、いざとなると震えた。無性に怖いのだ。


「恐れて何もできないよりも、何もしない事を恐れよう――か」


自分の言った言葉を思い出し、覚悟を決めると右手を持ち上げた。

そして穴に触れる。


「――――」


瞬間、彼女の視界は暗闇に包まれた――。






 「シエルっ!」


モニターが無数に並ぶ部屋で、ヴォブリットは絶叫した。

炎と呼ばれた老人に左手を消し炭にされた後、痛みに堪えながらじっとシエルの戦いを見守っていた。

自分に出来る事はそれしか無いと思い知らされながら、それでも少女の安否を気遣う気持ちは衰えぬままに。

いまや渦中の真ん中にいる少女が、敵を戦意喪失に追いやった所までは理解できた。

声までは拾えぬ映像専用のカメラからの映像を、食らい付くように見る。


「なぜ……倒れてしまったのでしょう」


炎も不思議な思いで画面上の少女を見やる。

まるで穴に触れた途端、操り人形の糸が切れるかの如く倒れ込んでしまったのだ。


「それ程までに刃の遣う力は強力なものだったのでしょうか?」


隣りに腰掛けている男へ、炎は聞いてみる。

だが返事はなく、代わりにくぐもったような笑い声が聞こえる。


「くくくっ……やはりそうか。マガイモノの力、やっと得心がいったぞ」


全てを悟ったかのごとく言い放った男は、携帯電話を取り出し部下へ指示を出す。


「三階の大型駐車場に向かえ。そこに二人倒れているから私の部屋へ連行して来い」


そして席を立ち、部屋を後にしようとする。


「待て! 何処へ行くつもりだ!」


「無論、私の部屋だ。そこにマガイモノは連れて行き――ふはは」


それ以上は、おかしいとでも言うように声を上げ笑う。

そんな態度に底知れぬ恐怖を感じたが、ヴォブリットは大事な人を守る為、声を張り続ける。


「あの子に何かしてみろ! 貴様、ただでは済まさんぞ!」


「……つくづく学習をしないな君は。炎、ヤツを伸した後実験室に連れて来い。私の崇高なる思想を最後の手向けとして聞かせてやる」


男が出ていった後、炎はシルクハットで表情を隠すようにし、ヴォブリットに杖を向ける。




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