第零話 堕天使の誕生
~第零話に関して~
今後連載していく上で私の作品にここまでのものは出すつもりはありませんが、第零話では『女性同士の恋愛描写(R15くらい)』があります。
苦手な方は閲覧にご注意していただくか、閲覧をご遠慮願いますようお願い申し上げます。
世界は、ありきたりでつまらない。
一人の無名の神は、三つの鏡に映る世界を眺めながらため息をついた。
この世界に存在するのは、天使の住む天界、悪魔の住む魔界、人間の住む現界…、他を挙げればキリがないが、主に分類されるのはこの三つ。
天界では、善だけが存在し、平和が日常。天使たちは行く先々で、幸福をもたらす。
魔界では、悪だけが存在し、戦争が日常。悪魔たちは行く先々で、不幸をもたらす。
現界では、善と悪が存在し、混沌が日常。人間たちは行く先々で、幸福も不幸もそれぞれによって与え、与えられる。
この三つの世界で一番見応えがあるのは、現界だろう。
人間は人生という各々の物語(環境)の中で、善にも悪にも変わる。またその対なるモノと関わる事によって、元が善でも元が悪でも、きっかけがあればいつでも変わってしまう。
ならば、直接関わり合っていなかった天使と悪魔が手を取り合った時、今までの天使と悪魔の物語はどう変化するのか。
天使と悪魔の繰り返される日常を見ることに飽きた神は、本棚にある一冊の本を手に取って開く。
そこには何の知識も物語も書かれておらず、ただ白い世界が広がっているだけ。
真っ白な表紙に、真っ白なページしかない。
神は、新しい世界を創ってみようと考え、椅子に腰をかけて机に向かうと、何色ともなり何色ともいえない色鮮やかな不思議な筆を執り、思い浮かぶままに一棟の立派な洋館と二人の女天使と一人の女悪魔を最初のページに描いた。
ひと通り描き終えると、集中し疲れたのか、椅子に座ったまま眠りに就いた。
そして神の描いた物語は、何の予兆もなく突然始まった。
§ § §
あるところ、天界でも魔界でも現界でもない世界の立派な洋館に、仲の良い三人の女性がいた。二人は天界に住む天使、一人は魔界に住む悪魔。天使と悪魔は対であり、相容れぬ存在。また、住む世界も天界と魔界の間には現界が存在し、直接関わり合うことはなかった。互いの存在は認知していても、実際の姿を見たことがない。
初めてこの場所に来た時、既に三人そろっていたが、初めて見る天使、初めて見る悪魔に戸惑い、各々状況把握することで精一杯だった。
しかしどれだけ辺りを調べても、何処にもこの場所からの出口、自分たちの本来住むべき場所に帰れる道が見つからないとなると、落胆と諦めから次第に行動しなくなっていく。
出口のない場所での焦りや同様や混乱…、そんな一致があると、天使だろうと悪魔だろうと、共有するものが一緒であれば帰れないという状況を打開する為には、天使も悪魔も手を取り合うべき、それがどちらにとっても最善だと一人の天使は判断した。
この場には、天使が二人、悪魔は一人。
悪魔は、必然的に立場上悪いと思っていた。それなのにどうしたことか、一人の天使が友好的に話しかけてきた。もう一人の天使は初めて見る悪魔が恐ろしいのか、その天使の背に隠れつつ顔を覗かせている。
雑談も兼ねて些細な挨拶から自己紹介を始めた。名前やここに来た経緯など…。
経緯に関しては、三人そろって『気付いたら此処にいた』という、つまりは突然の出来事だった。
最初こそ会話もぎこちなかったが、友好的な天使が、背に隠れている天使とこの場に一人きりの悪魔を気遣って話をしている間に、時間もかからず三人は仲が良くなり、友人となった。
時間の経過など忘れ、帰れないことなど忘れ、三人は遊び続けた。
悪魔も二人の天使に悪さなどしなければ、二人の天使を裏切ることもしない。背に隠れていた天使も、悪魔と会話を交わすたびに警戒心を解き、彼女の本来の姿であろう明るさが戻った。しかし、天使と悪魔という互いの立場を弁えつつ、友人という均衡を保っていた。
しかしある時、悪魔が一人の天使に恋をした。それはその友人の二人の天使の内の一人。悪魔である自分に最初から友好的で、この場のリーダー的存在の天使。
同性という壁、天使と悪魔という対の存在だが、その天使を愛しているという感情を抑えきれなかった悪魔は、勇気を出して恋した天使に告白した。
だが、告白された天使は悪魔の告白を断った。自分は悪魔に恋愛感情を抱いていないこと、悪魔のことを想えば生半可な気持ちでは付き合えないということもあったが、その天使はそれ以上に今の三人の関係が壊れることを恐れたからだった。万が一にも付き合ったとして、何かしら問題があれば別れることにもなるだろう。そうなれば気まずい雰囲気にもなり、友人ではいられなくなる可能性がある。であれば先に断ってしまえば、悪魔の心の傷も深くはならないだろうし、友人として戻れる可能性の方が強く感じた。最善の選択だと思っていた。
しかし、その天使が悪魔の告白を断ったことによって、その天使の予想外にも今まで保たれていたバランスが崩れた。
悪魔は余程ショックだったのか、姿を見せなくなった。もう一人の天使は事情が分からないにしても、「あの子がああなったのは、貴女のせいだ」と、激しい剣幕でその天使を責め立てた。
三人はそれ以来顔を合わせなかった。遊びもしない、話すこともしなかった。時間がどれだけ過ぎても二人の天使の前に悪魔は姿を現さなかった、二人の天使も喧嘩をしたまま会わなかった。
それから一切遊ぶこともなくなり、その天使は帰るべき場所に帰れる手段を一人で考えるようになった。
そして、三人が遊ばなくなってから随分時間が経った頃、かつて悪魔に告白された天使の前に、あの時の友人の天使と悪魔が揃って姿を現した。
以前と変わらない仕草でその天使の前に現れた、天使と悪魔。
「あの時は事情を知らないのに責めてゴメンね」
「もう一度あの頃に戻ろう」
天使と悪魔は微笑みながら順に言った。
ただひとつ、天使は違和感を覚えた。それは、この目の前にいるかつての友人たちが本心で言っていないのではないか、という予感。
案の定、その天使の予感は的中した。
「でもやっぱり貴女がこの子と一緒になれば、この子は幸せになれるのに」
天使は、満面の笑顔だがどこか棘のあるような口調で、悪魔に恋されし天使に聞こえるように呟いた。
「悪いけど恋愛感情はないよ。その上で応えたとしても、この子の気持ちに失礼だよ」
恋されし天使は、悪魔のことを気遣いながらも本心を言った。
前もってその天使がそう答えることを解っていて、天使と悪魔の二人はその天使がいないところで段取りをしていたかのように、すんなり言葉を交わした。
「それなら、貴女のモノにしてしまえばいいよ」
「そうするよ。…元いた場所になんて帰らないで、何処にもいかないでね?」
悪魔の右手には銀色に輝くナイフ、天使と悪魔は笑っていた。
悪魔に恋されし天使は、純粋だったせいなのか、この二人の異様さと生まれて初めて向けられたであろう凶器のナイフに恐怖で硬直し、腰が抜けてしまった。これから自分にとって厭なコトをされると思うと、初めて裏切られたと感じた。
天使は紛れもなく悪魔のことを想い動いていた。しかしそれは深い友情として。悪魔は天使の言葉に背中を押されて有言実行する。天使は悪魔のために、天使としての力を使い瞬時に恋されし天使の四肢を拘束する。囚われた天使は、腰が抜けて足に力が入らなかったが悪足掻きで拘束から逃れようとするも、鎖は外れない。
「じゃああとはお二人で仲良く、後でうまくいったか教えてよ」
「ありがとう、絶対結ばれるね」
裏切りの天使と悪魔は、新しい遊びを思いついた子供のように目を輝かせていた。
裏切りの天使は悪魔を応援するように、去り際に悪魔の肩を軽く叩いた。
悪魔はそれに対して、とても幸せそうな顔で大きく頷いて応えた。
裏切りの天使が言った「貴女のモノにしてしまえばいい」、悪魔が言った「絶対結ばれるね」という言葉。囚われた天使は、純粋とはいえこの後に始まることは容易に想像できた。
天使が悲鳴も助けを求める声も全て誰も受け止めない。この帰り道のない、どの世界からも隔離された洋館にはたった三人しかおらず、それ以外誰もいないのだから。
目の前にいる悪魔は目をうっとりさせながら近づいてくる。そして天使の耳元でねっとりと女性としては色気のある声で囁いた。
「アナタのその純粋な心と純白な羽根、綺麗だね……。アナタの全部、ウチのモノにしたいなぁ」
「イヤ…、やめて、やめてよ…、僕たちは友達でしょ…?」
悪魔の絡みつくような吐息が耳にかかり、その気持ち悪い感覚から解放されたいと顔を背けながら、天使は懇願した。
「大丈夫、友達じゃなくてこれから恋人になるの。今は不安だろうけど、すぐにヨくなるよ」
悪魔は頬を紅潮させながら、天使の顎をナイフの持っていない左手で掴み、無理やり接吻する。天使は唇を固く閉ざしていたが、それすらもこじ開けて舌を入れる。天使は何とか絡みつく舌から逃げようとしても、そう簡単には悪魔も放さない。長い接吻で口内を犯され続け、天使は抵抗しつつも力が入らなくなり、次第に息苦しさから酸素を求めて息が上がる。その酸素を求めるが故に力の抜けた一瞬を、ここぞとばかりに悪魔の接吻は荒々しいものに変わる。
経過した時間は僅かだったが、満足したのか悪魔は唇を離し、天使の唇を指先でなぞる。
「もうやめて…、僕はこんなの望んでない…」
虫が啼くような声で天使は懇願し続けた。どれだけ暴れても、この四肢を拘束する頑丈な鎖から逃れられないと頭で解っていても、なんとか逃れようと身をよじり動き続けた。
「ウチは望んでるよ、アナタがウチのモノになることを…」
天使の懇願などお構いなく、悪魔は一言自分の気持ちを告げると次の行動に移った。
そこからは天使にとって悪夢だった。友人と思っていた悪魔に、厭な夢を見せられた。肌に触れられる度に思うのは、既に嫌悪感しかない。
自分は選択肢を誤ったのか、あの時しっかり自分の気持ちを答えずにはぐらかした方が良かったのか…。天使は、何度考えても悪魔の想いには応えられなかった、応えた場合の想像が一切できなかった。
厭な夢が終わった後、天使を拘束していた鎖もいつの間にか消えていて、それに気付いた天使は、本能的に逃げようとした。未だ腰は抜け、足は自由に動かなかったが、この場から逃れたいという執念で、腕の力だけで床を這いずった。
なおも自分から逃げようとする天使を逃さまいと、悪魔は相手の翼を掴んだ時に、目を見開き驚愕した。
天使の純白の羽根は汚れ、灰色に変化してしまった。髪や瞳の色も、元は綺麗で鮮やかで眩しかった色だったが、白と黒の狭間の色に染まった。それは悪魔と交わったことによる変化だったのか、天使の心が幸福以外の負のものを感じた故の変化だったのか、この場にいる二人は知る由もない。
ただ天界と魔界の両方の世界でかつて言い伝えられていた、善と悪をもつ人間と同じ類の存在、しかし人間よりは神に近い存在である『堕天使』と、目の前にいる天使のこの変化は一致した。天使と悪魔が関わることはなかったので、ただの伝承や作り話とされていた。
天使の白が綺麗だと思っていた悪魔は、あの伝承は本当だったのかと絶望した。
この天使の白を自分のモノにしたかっただけだったのに、その恋した白が汚れてしまい思考が追いつかなくなった。
悪魔は驚愕と絶望と、目の前に起きた変化に追いつけない自分の思考に頭を抱え呻いた。その時、自分の右手にずっと持っていた銀色が視界の隅に入った。
(確かに、天使の白は自分が欲しかったもので、何が理由で汚れてしまったのか解らない。でもウチが欲しいのは白だけじゃない、コノ人も欲シイ…)
悪魔は自分の欲しかったものを思い直した。そして、目の前にいたはずの…恋心を抱いた時から欲しかった天使を慌てて探した。
短い時間しか手を放していないから、そんなに遠くには行っていないはずと、悪魔は自分の傍から目を遣っていくと、数歩先に堕ちた天使はいた。
恋した天使はまだ自分から逃げていないと思うと、悪魔は安心し笑みがこぼれた。
「どうしてそんなにウチから逃げようとするの?何処にもいかせない…、こんな白か黒かもわからない、人間みたいに中途半端な色の翼は要らないよね、汚いもん。こんなの棄てて、アナタはずっとウチの傍に居ればいいんだ」
悪魔は目当てのモノに歩み寄り、左手でもう一度堕ちた天使の双翼を掴むと、右手に持つナイフで翼の根本を片方ずつゆっくりと切り落とした。
部屋に響くのは、肉と骨を断つ音、血が床に落ちる音、堕ちた天使の苦痛に叫ぶ声。
汚れた天使の背から滴る雫は鮮血。ナイフに付着した血を悪魔は舐めとる……異常に狂った、幸せそうな顔で。
まさに、これこそ悪魔。これが悪魔としての本性なのだと、翼を切り落とされた堕ちた天使は灼けるような痛みと憎悪の中で確信した。
痛みに耐えながら睨まれているとも知らずに、悪魔は安心しきっていた。
「これでアナタは飛べない、何処にも行けないね。あの綺麗な白はないけど、アナタがずっと傍に居てくれればそれでいい」
しかし、切り落とした双翼が突然消えて光に変わり、双翼の持ち主の身体を優しく包んだ。悪魔には眩しすぎる光、嫌な光だと思った。自分を拒絶されていそうで、自分のモノをどこか遠くに持って行ってしまいそうで。そこまで考えて悪魔は、自分にとってこの光は悪いモノだと気付いた。誰にも渡したくなくて、自分から離れた場所に連れて行ってほしくなくて、すぐに堕ちた天使に手を伸ばしたが、眩しい光は拒絶するように悪魔を弾き飛ばした。
翼のない堕ちた天使もその光を眩しいと思いながらも、懐かしさと温かさと安心感を得ると、背中の痛みも徐々に消え、意識が朦朧としてきた。
光は堕ちた天使を包んだまま、まるで彼女を救うように何処かへ運んで行った。
堕ちた天使は、朦朧とした意識の中で悪魔が何かを叫びながら泣く声をただ聞いていた。
§ § §
ふわりふわりと身体も意識も漂いながら、堕ちた天使は自分の意思とは無関係に運ばれる。
傷ついた身体が、温かな光に包まれながら。壊れそうな心が、懐かしい光に支えられながら。
天使の証である鮮やかな色は汚れてしまったが、天使としての定め故か、この温かで懐かしい光のおかげか、完全な黒に染まることはない。しかし堕ちた天使は、天使に戻ることもできず、悪魔になることもできず、中途半端な存在としてこの先を歩む他に道は残されてはいない。
堕ちた天使は漂う意識で、天使と悪魔、堕天使の存在意義を考えた。
『天使は、善き心で誰かを救うための存在』
『悪魔は、悪しき心で誰かを陥れる存在』
それなら『堕天使は、善き心も悪しき心も持ち合わせた、何方付かずな存在』
それしか答えは出なかった。少なくとも前例がない。伝承でしか堕天使という存在は訊いたこともなければ、視たこともない。
いつまでこの光に包まれ漂うのか、堕ちた天使は分からない。自分を何処まで運んでくれるのかなど、堕ちた天使は知る由もない。ただ、これ以上自分という存在が壊れることなく壊されることなく、自由に存在できるところまでこの光が運んでくれたら良いと、それだけを思って灰に染まってしまった瞳をゆっくり閉じた。
背中の傷は、完全に癒えたようで全く痛みを感じなくなった。自由に羽ばたける翼はもう無い。自分では何処にも行けない。
『助けましょう、救いましょう、自由は掴めます、翼がなくとも、貴女にはまだ足があります、恐れずに、生きて、往きなさい…』
そんな声が何処からか聞こえた気がした。女性と男性の声が交互に。
(お…母さん…、お父、さん…?)
堕ちた天使は、自分でも何故そう思ったのかは解らなかったが、それがしっくりと当てはまる気がした。遥か昔に何処かで聞いたことのあるような、安心できる声。それから堕ちた天使は、何も考えることなく漂う意識を完全に手放した。
空は闇に包まれ、僅かな輝きが無数に瞬く頃、彼女は翼を失った堕天使となり、光は闇を揺蕩いながらゆっくりと現界へ向かって往った。