8.黒龍の名前
「そうだわいつきくん。黒龍の名前はもう聞いたのかしら?」
パチ。と手を叩き異様な空気を解放してくれたのはリリーさんだった。
「名前?名前なんてあるんですか?」
「当たり前だ。お前も樹という名前があるだろうが。」
「うん、それはそうなんだけど。」
龍は龍!っていう類だとも思っていたが、黒龍の言い分も一理ある。
「で、名前何?」
「誰が教えてなるものか。」
「はぁ?何言ってんだよお前。」
苛立つ口調になった俺を、黒龍は楽しそうに瞳を細めて見ている。名前があるのなら教えてくれないと俺だって呼びようがない。
「コイツって最後にお前に会った時人間だったんだろ?名前ないんじゃねぇのか?」
すっかりと先ほどの不気味な表情が無くなったアキラが、ポケットに手を突っ込み黒龍を見上げながら言った。
「アキラがどうして知ってるんだ?」
「神様がコイツと話してるの聞いてたんだよ。な、ナーク。」
「ええ。何千年も引き籠っていた事までバッチリと。」
うねうねとアキラの近くまで降りてきた赤龍。ナーク……って言ったか?アキラたちを睨み付ける黒龍をさておき、俺は赤龍を見上げた。
「ナークっていうのが、お前の名前なのか?」
「ええ。以後宜しくお願いしますわ樹様。」
アキラを回って俺の前に泳いできたナークは、本当にきれいな赤色だ。黒龍と違って目の色は黄色く、丸く大きいというのもあってか愛嬌がある。口は……多分、開けば黒龍みたいにおっかないことになっているんだろうけど、閉じていると顎が黒龍よりも丸みがあって怖い、というよりは可愛い方だ。
「様って……やめてくれよ。樹でいいよ。」
「あらそうですか?では樹。宜しくお願いしますね。」
「おう、宜しくな。」
黒龍との言い合いもあって、てっきり捻くれた性格しているのかと思っていたけどそうでもないようだ。礼儀正しいし、口調も俺には穏やかだ。
「龍にはもともと名前がある子が多いんです。聞いて答えてくれればその名前を。答えてくれない場合や転生した場合、生またての場合は本人が名前をつけてあげるんです。」
赤山さんがアドバイスを入れてくれた。
「成程ねぇ。黒龍が人間だった頃の名前って何だったんだ?それでいいじゃん。」
「覚えておらん。」
「おまえなぁ……覚えてねーのに名前があるって堂々とよく言ったもんだな。」
「フン。」
何かコイツさっきから態度悪くないか?
そんなに守備部隊が嫌なんだろうか。
「じゃあ俺が勝手につけるぞ。」
「妙な名は断るからな。」
「贅沢な奴だな……。」
黒龍をジッと見ると、ナークと違って鋭く真っ黒な瞳が俺を捉える。
只管じっと眺めていると、昔近所の姉ちゃんが買っていた犬を思い出した。名前は確か……シロだ。柴犬によくいそうな名前だ。シロ……だけだと柴犬と被ってしまいそうだし、何か後ろにくっつけてやりたい。
「う~~~ん……。」
「城山さん、パッと思い浮かんだものでもいいんですよ。」
「オイ。」
黒龍の突っ込みを見て、思いついた。
「分かった!シロスでどうだ?」
「ッ!?」
黒龍の瞳がカッと大きく開いた。
「え、だ……駄目?」
ナークに比べるとこいつの顔は本当に怖い。夢の中だからまだしも現実にこんなもんいたら心霊なんて可愛いもんに思えてくるだろうな。
黒龍は少しの間だけ黙って、フッと笑い声を噴出した。
「いいや、シロスか……いい名だ。」
思いの外気に入ったようで、どことなく声色も嬉しそうに聞こえる。
「気に入ったみたいでよかったよ。それじゃ、シロスな。これから宜しく。」
「樹、お前の名も覚えたぞ。今世ではあの時のようにお前を死なせはしない。」
シロスの口調は今までと大差なかった筈だったが、やけに言葉が重々しくて。大きな瞳の中に映っているのは俺の中の前世の俺のようで……俺自身が言われたわけじゃないのに何だか無性に泣きそうになった。
「お前が知ってる俺を、俺は知らないけど……お前たちが生きてた時代とは違って今は平和だから、首を切られて死ぬなんてことはないよ。安心しろ。」
「あら、ありますよ。」
「へ?」
ちょっとシロスと距離を縮めようと思った台詞を、あっさりとナークの衝撃な言葉にかき消された。
「樹はもう”普通の人間”じゃありませんもの。確かに昔の様な殺し合いは今の時代ではないでしょうけど、あくまで人間同士の話ですよ?」
「……ええっと、つまり……魔界の連中は首を切ってくる、と?」
悪魔とか妖怪なら確かに人間の首なんてぽんと軽く飛ばしそうだが、納得したくない自分に乗っかりナークへ訪ねた。瞼を細めたナークは、フフッと上品に笑い言った。
「骨が残れば良い方ですよ。」
そして、打ちのめされた。
背筋に寒気が走り、これは夢だこれは夢だと何度も自分に言い聞かせもうそろそろ夢から覚めて欲しいとも祈った。
「あ、大変もうこんな時間。城山さん、お母様が心配されてしまうのでそろそろ帰りましょうか。」
祈りが通じたのか、スマートフォンを見ながら赤山さんが少し早口で言う。
夢の中なのにリアルな話と繋がっているのも珍しいもんだ。ポケットからスマートフォンを取り出し画面を付けると、時刻は20:48。随分と此処での時間を過ごしていたようだ。
「そうですね。帰るというか、いい加減夢から覚めたいです。」
「はは!まだ夢だと思ってんのか?イツキはおもしれーな!」
軽快に笑うアキラを見て、せっかく出来た友達ではあるがそれももう終わりだと思うと少し寂しい。
「夢の中で友達が出来たのは初めだったよアキラ。リリーさんも、赤山さんも。シロスとナークもな。」
「大丈夫よいつきくん~またすぐ会えるわ。」
「リリー様の言う通りですよ樹。夢から覚めてもまた夢だと言う姿が目に浮かびますが、次に私たちを見た時は現実だと信じてくださいね。」
「イツキ!あっちでまた会いに行くからな!」
夢の中だというのになんて奴らだ。温かな笑顔が心に染みる。
目が覚めて忘れてしまうのが惜しいくらいだ。
「はは、そうだな。また会えるといいな。」
「俺は樹とずっと共に。」
随分と愛想の無い態度を見せてきたシロスが、すうと俺の身体の横に頭を付け頭に俺の手を乗せるように誘導した。
前世とか、龍との思い出とか考えられないような話ばかりだったが、シロスの前世の俺への思いは絶対であり、深い。夢がもう少し続けば、シロスの想いを遂げてやりたい。そう思える程、俺はシロスへの恐怖は薄れていた。
「ああ、守ってくれるって信じてるよ。」
頭を優しく叩くと、心地よさそうに瞳を閉じだ。
結構可愛い所あるじゃないか。もう会えないだろうけど。
「それじゃあ、帰りましょう。家のベッドまで送りますね。」
「ご丁寧に有難うございます。皆も、ありがとう。」
赤山さんが差し出した手を握ると、ふわっと白い光が俺たちを包み皆の姿が霧の中にでも入ったように薄れてきた。
既に何を言っているか聞こえないけれど、リリーさんとアキラは手を振って何かを言っているようで、ナークも体をうねらせながらも見送っているようだ。
すぐに視界は真っ白となり、足がついている感覚も薄れ宙に浮かんでいるような……ふわふわと心地良い。
顔を上げると一面真っ白な世界に、シロスの真っ黒な色が余計に目立って見えて、俺の視線に気付いたのか顔を下ろした。
「どうせ夢なら、ばあちゃんに会いたかったな。」
せっかく天界という祖母が昇った場所へと行けたのだから。
シロスはむう、と声を唸らせこう言った。
「お前の祖母にはあそこに居ても会えない。まだ完全に昇りきれておらんし、昇ったにしても余程のことが無い限りは大抵の人間の魂は転生をすべく勉強に入るのだ。俺たちが足を踏み入れる事は出来ない場所でな。」
「そうなのか?」
「転生は大体300年に一度くらいですので、随分と長い時間勉強をしなくてはいけませんが、勉強だけをしなくてはいけないというわけではないのです。それこそ、城山さんに会いに来たり、お盆に帰ってきたりもしますから。」
赤山さんが静かに言う。
「結構遊んでるんですね。」
「遊んでいるわけじゃないが、人間として生きているよりは辛くはないだろうな。」
「そっか……。ばあちゃんが幸せになれるならそれでいいや。」
また会えるなら嬉しいと思ったものの、夢とはいえこっちでは幸せに暮らせると解っただけでも良いもんだ。
それからまた暫くして、赤山さんが「そろそろですよ。」と言い俺の手を取った。
「城山さん。最後に大切なことを言います。城山さんの学校の生徒会の人達は皆貴方と同じです。話によれば、生徒会長含めて全員天界から人間界へと来ている情報部隊員だそうです。……ですが、彼女たちの存在自体が信憑性に欠けていて一部では魔界と繋がりを持っているのではとも言われているんです。」
最後の最後に……と思ったが、赤山さんは真剣な眼差しだ。
「天界の住民じゃない、という可能性もあるということですか?」
「いえ、天界の住民であることは確かなのですが……仲には魔界の住民に心を囚われて堕ちてしまう人もいるので。彼女たちはその可能性があるかもしれないということです。情報部隊である以上城山さんの黒龍が目覚めた事をいち早く察知は出来た事自体には何も問題はないのですが、生徒会自体に引き込もうとしているところが妙なんです。導くだけならまだしも……。」
「どうして赤山さんが、俺が生徒会に入らないかと言われた事を知ってるんですか?」
「それは、私も情報部隊員だからです。」
赤山さんの身体が次第に薄れてくる。
「そうなんですか!?ちょっと待って下さい、俺は学校でどうしたらいいんですか!?」
赤山さんはみるみると薄れていき、俺の声も届いていないんじゃないかというくらいに赤山さんの存在が遠く感じる。
「とにかく、生徒会の人達は謎が多いです。無暗に関わらないようにして下さい。」
エコーのように赤山さんの声が小さく響き、俺は赤山さんに何かを問いかけようとしたが真っ白な光が強く輝き声が出せなくなった。
まだ、まだ聞きたい事はあるのに──!!
光の強さで瞼を閉じると、そのまま眠りに落ちるように意識を失った。