2.予兆
3日ぶりに学校へと向かい、下駄箱で早々に中学からの友人に鞄を頭にぶつけられる挨拶をされた。
「おっはよー樹!大変だったな!」
「お前なぁ、大変だったなんて微塵も思ってない挨拶すんなよ。」
「へへっ、わりぃわりぃ。久しぶりに顔見たからつい嬉しくってよ。」
「薄気味悪い事言うなよ。」
シューズに履き替えぶつけられた頭を撫でる俺の隣に上機嫌の男。三ヶ尻博。俺はシリと呼んでいる。
中学で同じクラスなってから仲良くなったが、知り合った当時からクラスに一人はいる盛り上げ役であり成績の悪さではトップクラスの教師に目を付けられるトラブルメーカーだ。
中学時代は野球部に所属していた事から年中坊主を貫いていたが、部の引退後髪の毛を伸ばし現在はロックミュージシャンを目指すためと言って、肩口位まである。
正直に言えば気持ち悪いの一言だが、シリの人間性は好きだ。
こいつが馬鹿やっているのを見ると楽しいし、話していて頭が痛くなることもあるが、まあ…良き友人だ。
「お前がいない間に色々あったんだぜ。」
「色々?」
階段を上りながら問いかけると、シリはふふんと鼻を鳴らして笑う。
「まずはテストの範囲が発表された!」
「え、まじで?ていうかお前はテスト範囲なんて関係ないだろ。」
テスト前日には一緒に勉強をするといって一日人のベッドで寝続けた上に、テスト当日に今日のテスト科目を聞いてくる。終いにはテスト直前になってテスト範囲を聞いてくるような奴に、テスト範囲が発表されることなんて右から左へ流れていくだけの雑談の一部に過ぎない筈だ。
「樹にとってのニュースだって~お前が授業に遅れないようにってノートも3日分しっかり取ってんだから感謝しろよ。」
「有り難いけどお前のノートは当てにならん。」
「俺じゃねぇよ!倖月の!」
「倖月が?」
倖月といえば我がクラスの学級委員で、真面目な堅物印象の強い和風眼鏡美人だ。
面倒見が良く、クラスの連中だけじゃなく他のクラスの連中からも頼られているのを何度が見たことがあり、入学して三ヶ月も経たずして生徒からの信頼は厚い。とはいえ、倖月は苦手だ。
何故かって、入学して間もない頃、クラス全員に社会勉強の一環でもあるから部活に入れと脅迫紛いの演説を放課後1時間近く行ったことがまず一つ。お陰で俺のクラスは俺とシリ、そして一部を除き9割近くが部に所属している。何でもいいから入ればよかったんだろうが、青春の汗を流すのも芸術を磨くのも面倒だったし、何より見学に行くこと自体が時間の無駄としか思えなかった。
入部届の提出期限を無視して生活を送っていた俺は、二人セットで倖月に放課後残れと、キレた口調で言われた。大人しく待ったさ。ここで逃げたら面倒になりそうだとシリが言ったから。逃げたにしても、逃げなかったにしても担任よりも口煩い説教を受けるハメになったに違いないが。
何故部活に入らないのか。青春の思い出を作りたいと思わないのか。年上と交流をすることできっといい勉強になるから……など、とにかく色々とグチグチと言われ続けた。シリは”バンドを組みたいから部活には入らない”という言葉にて倖月をしぶしぶ納得させたが、特に理由もなくただ面倒だと言う理由一つで断った俺への当たりはそりゃあそりゃあきついものだった。最終的に”勉学に励む”という理由を強引につけたのだが……。
「適当なこと言うもんじゃないな…。」
「倖月言ってたぜ、『城山君は勉学に励む人間だから、3日間の抜けは痛手。しかも傷心だろうから委員長として手助けしてやりたい。』ってな。」
その心遣いが酷く重たく感じるのは俺だけなのだろうか。
「はぁ~、テストいい点とらないと不味いよなぁ。」
「不味いなんてもんじゃねーよ!嘘ついたのかー!ってまぁた長い説教くらうことになる。」
「それは全力で勘弁…。」
階段を上がり切り教室へと続く廊下に曲がった直後に人が現れ肩がぶつかった。
「あ、すいませ…。」
「うおっ」
謝ろうとした俺も、シリの驚きの声と共に言葉を飲んだ。
やや茶色掛かったつやの良い腰元まで伸びた髪。男心をくすぐる制服からでも目に見て分かる豊満な胸。すらりと長い白い脚を膝丈から覗かせ触ると実に気持ちよさそうで、目丈がほぼ等しく、茶色の大きな瞳と、長いまつげ、ピンク色の潤った少し下唇厚めの唇。白い肌に、さらりと揺れるセンター分けの前髪。
全校生徒の憧れの的、男にとっては彼女にしたいナンバーワンに君臨する美女。しかも生徒会長という我が校の生徒の中で頂点に立つ天堂あさひ。
長い睫毛の下で揺れる大きな瞳が俺を捉え、まるで背後に美しい花でも咲いているかのような幻覚を見せるふわりとした笑みを向けた。
「失礼致しました。お怪我は御座いませんか?」
透き通るような声。
上品さが身体中から溢れ出ている天堂先輩を前に、俺は口をぱくぱくとさせるだけで上手く声が出せなかった。
「あなたはたしか…1年生の城山君、でしたよね?」
「えっ、あ…なんで俺の名前……。」
ようやっと絞り出せた声に、天童先輩は口元を手で隠してくすりと微笑む。
「素敵なものを持っていらっしゃると思っておりまして。」
天童先輩は俺の後ろを見て言った。
俺の後ろと言えばシリが居て、つまり…天童先輩はシリが素敵な友達だと言いたいのか?
「めめっ、滅相もございませんであります!素敵だなんて俺は…樹のことを少々お世話しておりますくらいで!!」
「…あらあら。面白いお方ですこと。」
「はひっ」
シリが天堂先輩の天使のような笑顔にやられてぶっ倒れた。
「お、おいシリしっかりしろ…!」
「城山君。」
「へ?」
シリをしゃがんで揺さぶっている途中、天堂先輩の呼びかけに顔をあげると腰を曲げて顔を近づけた天堂先輩のドアップが視界に映り、その美貌と香水…だろうか?ふんわりと届いた甘い匂いに心臓が飛び跳ねた。
「へ!?て、天堂先ぱ──」
「城山君に、私はどう映っているのでしょうか。」
「………は?」
睫毛は長いし、二重のラインも程よい幅にくっきりとしていてきれいだし、鼻筋も整っているし唇のぷるぷる感がこんなにも近くにあるとは夢でも見ているんじゃないだろうか。
「……ふふっ、冗談ですわ。では、ごきげんよう。」
答える余裕もなく、腰を上げた天堂先輩は会釈をして長い髪をふわりと靡かせて3年生の教室の階へと続く階段を上っていった。
「な、なんだったんだ。」
美人なんて信じていない。
天堂先輩だってその一人だと思っていたんだが……あれだけの美人を前に平常心でいられるわけがない。
そもそも、天堂先輩は何故1年の階にいたんだろう。
生徒会室でもない、音楽室があるわけでもない。職員室は下だ。1年のクラスしか並んでいないこの階に一体何の用事があったんだろうか。階段を見上げるとスカートを揺らしながら階段を上がる天堂先輩のパンツが一瞬だけ見えた。……ピンクだった。先輩らしいというか、なんというかだ。
「ハイ喜んでェ!!!!」
「うわぁ!なんだよお前!」
余韻に浸る間もなく意味不明な言葉を発しながら飛び起きたシリ。
周囲を見渡し、「あれ、天堂先輩は?」ときょろきょろとするのでとっくに上に登った事を話すと解りやすくショックを受けていた。
教室へ入るとクラスメイトの男子が数人飛び掛かる様に俺たちを囲み、天堂先輩と何を話していたのかと食い掛かってきた。
「天堂先輩何て言ってた!?」
「いい匂いした!?」
「胸当たったりしなかったのか!?」
一斉に聞いてくる上に血に飢えた狼のように息を荒くして聞いてくるもんだからちょっと引く。
「べ、別に特にこれといったことは話してねぇよ…ただぶつかっただけだって。」
「嘘付け何か言われてただろ!」
確かに言われたが……あれは、俺も意味がわからない。
「…自分が、どう見えてるかっては聞かれたけど…。」
どうも何も天堂先輩は天堂先輩なのだからといか言いようがない。
そう俺は思っていたのだが、シリも含めて男性陣が悲鳴を上げ同時に俺は肩を掴まれ揺さぶられ始める。
「そこはお前…!世界で一番お美しいとか言うところだろ!」
「え、そういうこと!?」
「当たり前じゃねぇか!綺麗ですね、とか俺にはあなたしか見えませんとか言うべきだろ!」
予想外のブーイングの嵐に他の男子も寄ってきてああでもないこうでもないと主に俺への愚痴が始まる。
ぎゃあぎゃあと喚き立てるクラスメイト達に圧倒されつつ、天堂先輩のあの言葉は本当にこういう意味だったのだろうかと考えた。
もっとほかの意味が含まれていたような気がするんだが、もしもこいつらが言ってるようなことを求めていたのならそれはそれで……しくじったな。
「ちょっと男子、うるさい!」
賑わう俺たちの背後から大声を上げた声の主は、倖月だ。両手を腰に当てて鋭い眼差しを俺たちを向けている。
あまりの声の大きさに教室はピタリと静まった。
すると、倖月だけじゃなく女子が立ち上がり今度は俺たちへの非難が始まる。
教室で野球をするなだの、授業中にエロ本見るのやめろだの(誰が見ていたのか俺は知らんが。)天堂先輩にいちいち反応し過ぎだの。
お互いを貶し合い愚痴り合う戦場へと化した教室に、他のクラスの生徒もちらほらと様子を見に来て野次馬が増え始めた。
主に倖月とシリの声が大きく、部活入れの事件もあってか何かとこいつらはお互いを敵視している。それだけに倖月に即座にシリが食い付き、倖月もそれに応戦するものだからほかの男子も女子も罵りあう。
こいつらを止めれば丸く済むんじゃないかと思った俺はシリに制止の声をかけた。
「おい、そこらへんにしておけよ。」
「樹も言ってやれよ!天堂先輩を見習えって!」
「はぁ?別に見習う必要なんて…」
「私は私なりにクラスを纏める努力をしているのよ!あなたたちが規律を乱すから言ってるだけじゃない!天堂先輩のことになるとすぐに鼻の下伸ばして破廉恥だわ!」
「破廉恥って…お前たちだって会計の王子先輩のことになると同じような状態になるだろ?」
「なんですって!?」
しまったつい言ってしまった。
口を押えたところでもう遅い、倖月の鋭い眼差しがシリから俺へと一直線に注がれ、倖月は3冊のノートを持った手をわなわなを震わせ有ろうことか腕を振り上げてノートを俺へとぶん投げてきた。
避ける瞬発力もなく、1冊のノートの角が俺の額へと辺り、残りの二冊も体に当たった。
「いってぇ!」
「一緒にしないで頂戴!!不愉快だわ!」
倖月の怒り心頭の声が教室中に響き、男女ともに俺たちの方へと一斉に視線を集めた。
「どう考えても同じだろ。お前らが王子先輩を見てはしゃぐのと、俺たちが天堂先輩を見てはしゃぐの。俺たちだけ非難されるのは間違ってんじゃねぇの?」
だるそうに言ったシリの言葉は思いのほか女子に効いたようで、「確かに王子先輩見たらはしゃいじゃうけど…。」とぽつぽつと静かな声で女子たちが告げる。
ちなみに王子先輩とは生徒会の会計係りをしており、王子という苗字の通りブロンドに綺麗なブルーの瞳をした顔立ちの整い過ぎているイケメン野郎だ。
男が天堂先輩を支持するなら女は王子先輩…といったところで、とはいえ同性に嫌われるような人柄でも両者なく、男の俺から見ても王子先輩は格好良いし天堂先輩に並ぶ運動神経と学力の高さ、高い身長に細身の身体。
白馬にでも乗ればそれはもうまさに王子様と言えるような人物だ。
教室が静かになったところで、散らばったノートを拾うと3冊分ぎっしりと各教科の3日分の授業内容が綺麗にまとめられているのを見た。
この字は間違いなく倖月の字で、倖月を見ると頬を赤らめたまま俯いていた。
そういやコイツ、クラスで密売していた王子先輩の写真買ってたっけ。
「もういいだろ、お互い様ってことで。ノート、さんきゅ。」
「…。」
俯いたままの倖月を見ると、俺の言葉は少しきつかったのかもしれない。
倖月の様なプライドの高い人間がミーハーな女子のように王子先輩の写真を買って、俺の知らないところで王子先輩のことで話が盛り上がったことがあるのかもしれない。自分を棚にあげて俺たちを怒ったことが、倖月にとっては悔しいのか、反省したのか…とにかくダメージは大きかっただろう。
クラスメイトを何人と通り抜けて自分の席へと腰かけると、徐々に他の連中も散り散りとなり野次馬も消えていく。
タイミングよくチャイムも鳴り、最後まで突っ立っていた倖月も担任が来ると俯いたまま自分の席へと戻り着席した。
一番後ろの席の俺からは倖月の斜め後姿がよく見えて、何を思っているかは分からないが…HRの間始終黙っていた姿に申し訳ないことをした罪悪感に包まれた。
だが、俺もでこが痛い。
何も投げつけなくて良いだろうにとも思う。
HRが終わって、昼になる頃には女子たちに慰められすっかりと復活した倖月を見て安心した。
午後の授業も穏やかで、倖月のノートのお陰で復習しつつもなんとなく授業についていけたし、後からでもお礼を言っておかないといけないな。
梅雨を前に晴れ渡った空を見ていると、昼食の後ということもあってか、ウトウトとなりはじめ…天堂先輩のあの華やかな笑みを思い出しているうちに、次第に視界が暗くなっていった──。
***
目を開けると、視界一杯に広がる見たこともない綺麗な光。
テレビでしか見たことはないが、オーロラのような光のカーテンが一面に張り付けられたように、虹色の光を放ちキラキラと揺れる光のカーテン。
地面は土でもなく、コンクリートでもなく木でもない。
足踏みをすると少しだけ足が食い込み、ふわふわと…雲の上に乗っているようなそんな感じがする。実際に見た目は雲のようなモヤに包まれており、360度見渡しても綺麗な光しか見えない。心地よい空気に、暖かい気持ちになるこの空間には俺しかいない。
「どこだここ。」
人の気配すらも感じない空間。
目を凝らしてみても先に変わったものがあるわけもなく、少し歩いてみたが5分近く歩いたところで何一つとして変わらない。
「おーい、誰かいませんかー?」
それなりに声を上げてみたが、返事はない。
相変わらず光のカーテンが綺麗にふわふわと揺れているだけ。
「夢でも見てんのか…?」
であればこの異様な心地よさの空間も納得が出来る。
何度か声を上げた見たが、何度やっても返事はこない。
歩き続けても、矢張り何も変わらない。
振り返っても誰もいない。
一人という恐怖を感じた俺は、誰か一つでもいいから人を見つけたくなり、走り出した──その時だった。
「ようやく出られる」
「………は?」
声が、声が聞こえた。
この場所には全くを持って合わないようなドスの効いた低い声。
「誰かいるのか?返事してくれ!」
声が怖くてもどうでもいい、誰かに会いたい。
この声の主と話したい。
「ようやく、ようやく出られる。」
「…何を言っているんだ!?なぁここはどこなんだ?助けてくれ!」
「ようやく、ようやく──…」
何を言っているんだ。
なんで同じことしか言わないんだ。
見渡しても誰もいない、声だけが頭の中に響いてくる。
「姿を見せてくれ、頼む!」
「私は今、お前の目の前に──」
目の前──?
はっと正面を向いたその瞬間、大きな鋭い眼差しが二つ、真っ黒な闇に包まれて俺に迫ってきた。
食われる、殺される、そう思っても逃げられない。
一瞬だけ見た大きな二つの目を最後に、目の前が真っ暗になった。
***
「────、!──…なさい、起きなさい城山君!」
「いでっ。」
ゴン、と頭に鈍い音が鳴りその衝撃で目が覚めた。
顔を上げるとクラスの全員が俺の方を向いていて、正面には両手を腰に当てた先生が鬼の形相で俺を見下ろしていた。
「あれ…俺。」
「先生の授業でよくもまぁぐーっすりと眠ってくれたわねぇ。」
授業…?
視界が次第にはっきりとしてきて、自分が教室にいて更に授業中であることが分かった。
ということは…さっきのアレは、やっぱり夢か…?
「……?」
いや、夢にしては妙にリアルだったような…。
「城山君…?」
片手を机についた先生にはっとなり、顔を上げた。
今日は合コンにでも行くのだろうか、いつもより化粧をしっかりとしている先生が頬をひきつらせている。
「まだ目が覚めてないのかしら?」
「あ、いやすみません。覚めました。」
「そお?それじゃあ二度寝しないように残りは立って授業を受けなさい!」
「マジか……。」
「マジです!」
くすくすと笑われる中、本当にチャイムが鳴るまで立ったままで授業を受けた。倖月の鋭い眼差しが何度か送られてきたが、それについては敢えて見えなかったフリをして過ごし、終了のチャイムが鳴った後は先生に放課後までにクラス全員分のノートを持ってこいと命じられ断れるわけもなかった。
ようやっと腰を下ろせたところで、シリが茶化しにやってくる。
「お前どんだけ熟睡してたんだよー。」
にやにやと面白がっている表情で、机の端に尻を乗せて笑うこいつのこういう時の顔はイラッとくる。
「うるせぇな、ちょっとうとうとしてただけだろ。」
「ちょっとぉ?先生、お前の事5回は呼んでたんだぜ。」
「は?そんなに?」
驚いた。
俺は朝の起床は携帯のアラームで一発だし、中学時代も一声掛けられればすぐに目覚めていた。
「最初は教卓、次は倖月の近く、残り3回はお前の目の前で。なのにお前ピクリともせず寝続けてたもんだから、先生青筋立ててたんだぜ?」
「嘘だろ…。」
「嘘なわけねぇよ。お前がこんだけ起きないの初めて見たし。もしかして、なんかイイ夢でも見てたんじゃないのー?」
…夢か。
夢なら見ていたが、あれは一体なんだったんだ。
「あれ、もしかして本当にイイ夢見ちゃってたの?」
「…夢は、確かに見たけど。」
けど、あれがいい夢だったのかは定かではない。
居心地も良かったしこの世のものとは思えないくらい綺麗だったけど…あの声は一体なんだったんだ。
「おい!樹のやつさっきの授業中エロイ夢見てたらしいぞ!」
「はぁ!?」
シリの大きな声に夢の内容どころじゃなくなり、女子の白い目と男子の輝いた目が向けられる。
「エロイ夢とか見てないから!」
「だってイイ夢見たんだろって言ったら夢か…て意味深に呟いたじゃん。」
「それはっ、そっちのイイ夢じゃなくて…。」
野郎どもが俺へと、何を見たんだとか、エロイ奴だとかいう茶々よりも、女子の本気で引いている顔が何よりも突き刺さる。
「じゃあどんな夢見てたんだよ。」
「どんなって…。」
異世界の空間にでも入ってきたような場所で、ドスの効いた化け物が意味のわからんことを言ってたって…流石に言えないだろ。
黙った俺にシリは「ほらやっぱりエロイ夢じゃん!」と騒ぎ立て男子がわらわらと寄ってくる。「城山きも。」という女子の低い声が耳に届いたが、夢の内容を聞いてくる男子によりそれ以上のことは耳に入ってこなかった。
「AV女優にでも抜いてもらったんだろ?」
「誰だった?誰に抜いてもらってた?」
「だから、エロイ夢じゃないんだって!」
「隠すなよ~!」
揃いも揃って騒ぎ立てて、既に勝手に話進んでいて女子は恐らくこういうのを嫌がっているんだろう。
俺だって授業中にエロイ夢を見てた奴だなんて思われたくない。
他の奴だったらノリに乗っていただろうが。違うと言っても騒ぐクラスメイトの隙間から見えた、倖月の今にもブチ切れんばかりの顔。今にもナイフを取り出して刺してきそうな眼差しに背筋が震えあがり、一刻も早く誤解をとかなくてはならないと察した。
「だから、本当に違うんだって。俺が見たのはオーロラの中に一人突っ立って怪物に食われそうになってた夢なんだよ!」
そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、シリを筆頭にゲラゲラと笑い声を上げていた奴らがピタリと声を止め、豆鉄砲でも食らったかのような顔で俺を見た。
それも束の間、プッ、とシリが噴き出すと先ほど以上に大きな声でシリが笑い始め、つられるように男子共も笑い出す。
しかも女子までもがくすくすと笑い出し言った直後に羞恥心に包まれた。
「なんだよその夢お前何してたの!?オーロ、オーロラの中で、ぶはっ…妖怪にックク……食われたぁ?なんじゃそりゃ~あっははは!」
「こっちが知りてーくらいだよ!」
「ぶわぁあはっはははは!」
クソ、言わなきゃよかった。
なんで俺がこんなクラスの笑い者にならんといかんのだ。
笑いの渦に飲み込まれた教室に居るのが絶えられなくなり、「便所に行く」という理由を付けてそそくさと抜け出すと廊下に出てもシリの笑い声が耳に痛く響いた。
だが、あそこまで盛大に笑われると、俺も夢の内容を少し勘繰り過ぎたのかとか、気楽に構えてたかが夢だったと笑えばよかったんじゃないかと思い始める。夢はいつも不思議な内容ばかりだし、俺が考え過ぎてたんだろうな。
「ねえ。」
男子トイレに入ろうとすると、呼び止められた。
声の主は隣のクラスの確か名前は………何だったっけ。
思い出せないが、小さい割には胸が大きいと体育の合同授業の時に盛り上がった子だ。一度も話したことはなかった筈だが、周囲を見渡しても俺以外に話しかけているわけでもなさそうで、「俺?」と指をさすと小さな頭をこくりと頷かせた。
「夢の中の怪物って、何色だった?」
「へ?」
「だから、夢の中に出てきた怪物のい・ろ!何色だった?何かの動物に例えるとどんな感じ?」
俺を見上げる大きく丸いくりくりとした瞳の中が光り輝いている。可愛い。
そして制服を着ていると胸の主張が乏しくてコイツを見る時は体育の時に限る。
…と、そうじゃなくて。
このキラキラした瞳を持ってこいつは何を言い出すんだ。
夢の話を聞いていたのか?教室から逃げるように出てきた俺をまさかずっと付けてきてたのだろうか。
「黒?ていうか、でかい目しか見えなかったっ…て何言わせるんだよ笑いに来たのか?」
「蛇だった!?狐?それとも龍!?」
「はぁ!?いや、そこまではわかんないけど…狐ではなかったような…。」
「じゃあ多分それ龍だよ!」
「龍?…つうかお前さっきから何言ってんの?」
「何か言ってた?会話とかしなかったの?」
なんだ、なんだこいつ。
じりじりと詰め寄ってくる隣のクラスの……チビ巨乳は笑いに来たわけではなさそうだが、この質問責めは怖い。
一歩、一歩と引いてその分近寄ってくる彼女に、「ごめんトイレ行くわ!」と流石に男子トイレの中までは追いかけてこないだろうと思って逃げ込んだ。
扉を閉めて男子生徒の輪へと溶け込み、用を足す。
本当に、なんだったんだアイツ。
突然話しかけてきたかと思ったら怪物の色だの、龍だの、会話だの…もしかして中二病でも患ってんじゃないのか?だとすればこれ以上下手に話すと、そっちの世界に引きずられるんじゃないのか?それは勘弁して欲しい。そもそもだ、アイツの名前が全く思い出せない。
手を洗っていると、隣に並んだ生徒を見て思い出した。
こいつも確か、隣のクラスの奴だ。思わず凝視してしまっていたのか、水を止めた拍子に目が合いなんとも気まずい。
「隣のクラスにいたよな。」
「あ、うん。城山。」
「俺、笹塚。さっきの授業で居眠りしてたろ。先生の怒鳴り声こっちまで聞こえてた。」
「あ~…ははっ、ぐっすりと眠ってたもんで。」
「俺もよく居眠りするよ。午後一の授業って、すっげぇ眠たくなるよなー。」
なんか気さくな奴だな。話しやすい。
「そうなんだよ。天気もいいし腹も膨れてるから余計に。」
「ははっ!ホントそれだよ。あと一限か~耐えられっかなぁ、次世界史なんだよ。もう始まるからねむてー。」
「世界史って先生の教科書読み上げる声が子守唄にしか聞こえないよな…。」
「言えてる言えてる。」
くしゃっと笑った顔が人懐っこい笹塚。こいつになら聞こえると踏んだ俺は、チビ巨乳について聞くことを決心した。
「あのさ、お前のクラスに小さい奴いるじゃん。」
「あ、さっきそこで話してた奴?」
「そう!そいつ…名前なんていうんだ?」
見られてたのか…?
いやでも扉は閉まっているから…声で判断したのだろうか。
「植松だよ。」
「植松…なぁ、アイツいつもあんな感じなのか?」
「あんな感じって?」
「その、夢の話に食いついてきたり…とか?」
笹塚はウーン、と首を捻らせた。
「いや?全然フツーな印象だけど…さっきの聞いてちょっと変な子かなって思った!」
爽やかな笑顔で結構ばっさりと言う奴なんだな笹塚。
「そっか、サンキュ。」
「あ、でもいっこだけ他の生徒と違うところあるよ。」
「何!?」
食いついた俺に笹塚ににんまりと片側の口角をつり上げて言った。
「植松、生徒会室に入れるんだぜ。」
生徒会室に入りたての1年が入れるわけがない。
生徒会役員とその他限られた人間にしか入ることを許されていないあの空間に、植松が入れるという事がどれだけすごい事なのか…流石の俺でも分かった。
天堂先輩に、植松。
生徒会に繋がる二人に一日の間に接触したことの意味を、俺はまだ知るわけもなかった。




