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キミと見た世界  作者: 岩永幸
第一章
1/12

1.祖母との別れ

梅雨を迎え、霧雨が静かに地面を濡らす中…俺は祖母の葬式に参列している。

高齢者世帯が7割を占める小さな田舎町で執り行われる葬式は静かで、小さな斎場には鉄も随分と錆びれたパイプ椅子が横に5列。通路を挟んで更に5列。縦に5列並び祖母と親しくしていたらしい棺桶に片足突っ込んでいるご老体達で埋まっている。パチンコ好きで有名なお坊さんは咳き込みながらも御経を読み上げ、親族側の席に座って俺は、隣から聞える母のすすり泣きを聞きながら呆然と祖母の遺影を眺めた。


73歳、心筋梗塞。甘いものが好きだった祖母は施設で亡くなった。

糖尿病を患っていたせいもあってか、母、そして母の妹、母の姉、3姉妹が甘いものを食べたいと強く主張する祖母を少しでも長生きして欲しいからと控えさせる説得をする光景は未だ新しい。

俺は祖母の事が好きだった。

祖母の作ったうどんは何処の店にも負けていなかった。祖母の作った餡団子も最高に美味かった。

祖母の家に行くと9割は玄関の扉は開けっ放しで無人になっており、家から50メートル先の畑でせっせと野菜に水をやっている祖母の姿を見つけるのが好きだった。口数は少ない祖母だったが、少ない発言にはいつも頑なな意思が込められていて、口数の少ない頑固者という印象が強い。

そんな祖母は、俺と姉には滅法甘く、怒られた記憶なんてほとんど無い。母たちには厳しい事を言ってたいたが、俺たちにはいつもコンパスで描けるような輪郭をした丸い顔でふんわりと微笑んでいた。遺影に映る祖母も、俺がよく知っている笑みを浮かべている。


(視界が歪む…。)


最後に祖母と話したのは亡くなる前日で、母と一緒に施設に足を運んだ時だ。

浮腫んだ足をマッサージしてやると、祖母は決まって寝始める。それを母が笑いながら「寝てるんじゃないしょうねー!」と声を掛け、祖母はうつらうつらと片目を開いてしわくちゃの顔でクックと笑う。


「樹のマッサージが一番気持ちのよ。」


祖母がそう言ってくれるから、俺は母が施設に行くときは必ず一緒についていってマッサージをした。

毎回同じことを言われるけれど、毎回嬉しくなってマッサージの効果で長生きするんじゃないかと思っていた。

あの日の祖母はいつもと違っていた。

マッサージを終えると甘いものを催促したり、俺に小遣いとあげれなくて悪いと言ったり、高校はどこに行ったのか、就職はまだかと支離滅裂だけど俺のことを気に掛けてくれる言葉をくれていたのに、帰れと言ってきた。甘い物も、俺の事も何も聞かずに早く帰れとやわらかい声で言った。だから俺は、「もう少しいいだろ。」って言った。

母だって同じ気持ちだったに違いない。

祖母は、寝たままの姿で俺たちを見て、ゆっくりと瞳を閉じて溜息を吐いた。


「わたしゃあ、こうして死んでいくのね…。」


祖母があんなこと言ったのは最初で最後だった。

俺も母も懸命に宥めた。元気になってまた甘い物食おう、夏になったら海を見に行こうって妙に俺と母はハイテンションで言っていたと思う。

祖母も、「そうね、そうね。」と笑っていた。そして、やっぱり帰れと言った。具合が悪いからまた今度って。

だから次はこっそり飴を持ってくるって母が言い、俺も頷いた。


(そうだ…ばあちゃんの最後の言葉は…。)


部屋を出る時、祖母に手を振ると目をぱっちりと開いて…いつもの笑みを浮かべてこう言ったんだ。


「樹は、器量の良い子ね。」

「ははは。ありがと。黒砂糖飴買ってくるよ。」


何言ってんだかって思ったんだ。

そんなこと言う為にわざわざ眠たいのに目をぱっちり開いて微笑んで…次に来た時に飴を貰えるのがよっぽど嬉しかったんだろうなって。

でもあれが、俺が聞いた祖母の最後の声。


(黒砂糖飴…買ってくるって約束したのに。)


昨日の通夜は、受付を任されていたから祖母をゆっくり見る時間は無かった。

椅子に座る時間さえもろくになく、今真っ直ぐに祖母の遺影を見て、御経を聞いて…隣から聞える鼻水をすする音に…制服が濡れた。

今となって祖母との思い出や声、仕草や…色んな事が蘇って何度も何度も視界が歪んだ。鼻水も垂れるし、涙は大粒の雨が降ったように落ちる。

流石に鼻水が上唇まで垂れたのには不味いと思って母にハンカチを借りようと顔を向けると、母、姉、叔母たちが揃ってハンカチを顔に当てて肩を震わせていた。それを見て更に涙がこぼれ落ちて、垂れた鼻水は手の甲に張り付けてやった。


きっと、御経を噛んだり、咽たりとするお坊さんがいなかったら俺はもっと…涙を落としていたんじゃないだろうか。



***



物心がついて好きな人が亡くなるのは祖母が初めてだった。

祖父は俺が小学2年生の頃に亡くなったが、当時の記憶といえば玄関から亡くなった祖父の足元だけを見て恐怖を感じていただけ。

部屋に入れなくて、玄関先で姉と壁に張り付いていた。

幼かったけれど、死に恐怖を覚えたのだけは鮮明に覚えている。父も亡くなっているが、父に関しては俺が幼稚園に上がる前に亡くなったから、思い出や記憶はない。


通夜も、葬式も、火葬も同じように行っていた筈なのに、小さい頃の記憶なんて適当なもんだ。

バスに乗り、街の火葬場へと向かう1時間半くらいの間家族は死んだような目をして窓の外を眺めていた。

俺も何も話す気になれなくて、ただただ窓の外を見続けた。


火葬場についてからは部屋に案内され、ぽつぽつと母たちが会話をし始めた。

それにしても、この家系は女系だ。

伯母には一人娘。叔母には子供はいない。母には俺と姉。父は他界しているし、叔母の夫はほぼ出ている。男手は俺と、伯母の夫ただ2人だ。成人した男という意味でカウントすれば、伯母の夫ただ一人の男手になる。そんな伯母の夫は伯母と娘の肩を支え、叔母、母、姉は3人で固まって何かを話している。完全に精神状態が崩れた母たちを支えてやれるのは俺と伯母の夫だけなんだろうと思った。支えになれるような男だと思われたいのもある。

だから、涙はもう引っ込めていたし、一人立ちあがって部屋を出た。


部屋を出てロビーへと向かうと、売店があった。

小さな売店で40代くらいの天然パーマの女性が携帯をいじりならだるそうに店番をしている。何気なく売店に向かい、品ぞろえの悪いスナック菓子やガムを見て、ふと目に入った。黒砂糖飴だ。手に取って、祖母との約束を思い出した俺はそのまま飴を購入し部屋へと戻る。伯母は相変わらずだったが、母は一人で茶を啜り姉と叔母が二人で弁当の準備をしていた。母の腰かける椅子の隣へと向かい腰を下ろし、黒砂糖飴を差し出すと母は「あ。」と声を上げて袋を取った。


「これ、一緒に火葬してもらえないかな。」

「そうね、おばあちゃんが好きだった洋服も一緒に焼いてもらおうって話してたし、完全に焼けるものなら入れていいって言ってたから大丈夫よ。」

「そっか。ならよかった。」


母も約束を覚えていたのだろう。

黒砂糖飴の入った袋をぎゅっと握りしめて寂しそうに微笑んでいる。


「天国で食べてくれるといいわね。」

「だな。天国に行けばもう糖尿病なんて気にしなくていいから甘い物食べ放題なんじゃないか?」

「ふふ、おばあちゃんすごく喜びそう。」


涙で晴らした瞼。充血した瞳。

今日初めて母が笑った顔を見た。


「もっとおばあちゃんに甘い物あげてたらよかったって後悔するよね。」


母の隣に腰を下ろしながら叔母が呟いた。

俺の隣には姉が座る。


「そうね…私たちが長生きして欲しいからって甘い物あげないようにしてたから、おばあちゃんずっと我慢してたのよね。」

「中に餡子がぎっしり詰まった御饅頭、食べたいって言ってたわ。」


母、叔母が再び涙を落とす。

俺だって祖母が飴を食べたいとか、ケーキを食べたいとか御餅を食べたいとか母に言ってたのを何度も聞いてた。

それくらい祖母は甘いものが好きで、たまにこっそりと職員にバレないように持ってきた小さな一口サイズのケーキを嬉しそうに食べていた顔は忘れられない。

こんなことになるなら、なんて…誰だって思う。俺だって母にばれない様にこっそり飴でも饅頭でもあげて、この世で我慢なく天国に行かせてあげればと思うくらいだ。

でも、過ぎた時間は戻せない。

どれだけ悲しいかなんて、生まれてきてずっと育ててくれた母たちの思いの方が強い。自分の母親が亡くなって、色々と後悔することだってある。


「前さ、テレビで言ってたんだけど…今俺たちがここで生きていることが修行だって。ばあちゃんにとっては大好きな甘いものを耐えるのが、最後の修行だったんじゃない?修行を終えたから、これからは天国で修行してきた分いっぱい楽しめるさ。」


…言ってて恥ずかしいが本音だ。

テレビで言っていて、成程って本気で思った。

だから嫌なテストも、運動も、面倒な人間関係も全部修行だと思えば少しは気が楽になる。とはいえ、人に話すと照れくさくなると分かっていたから敢えて誰にも言っていなかったがこうして言ってみると案の定恥ずかしい。


「うん…天国でいっぱいお菓子食べて欲しいね。」

「そうだね…樹の言う通り、ばあちゃん天国でいっぱい食べたいだけ甘い物食べれるといいね。」


泣きながら頷く母と叔母を見て、照れくさいけど嬉しくなる。


「アンタ何のテレビ見てたのよ。」

「オーラが見える人の番組。」

「ああ、なんかそういうのいたっけ。」


隣で刺々しい眼差しを向けてくる姉は現実的な野郎だ。

姉の皐は美意識が高い、とにかく高い。そして口が悪く頭の回転が速く平気で男を貶す。コイツの性格は天井知らずで悪いものの、根は悪い女ではない……筈だ。

田舎なんかで暮らしていけないと勝手に上京し、勝手に看護学校に通い学費は全て夜の仕事で稼ぎ卒業した。

そのガッツと根性はすごいと思うが、母と電話をするたびにメインの男の他にサブ要因がいつもいる。簡単に言えば浮気性だ。

俺はあまり好きじゃないが、モデルように細く七三で分け目を入れた前髪は腰まで長くそして金髪だ。上京して3カ月くらいしか経っていないのにコイツは本当のリカちゃん人形みたいな野郎になっていた。

姉弟とはいえ姉が綺麗なのは認める。

友人からは綺麗な姉ちゃんが居て羨ましいなんてしょっちゅう言われている。姉が姉じゃなければ俺もきっとその一人だっただろう。だが、こいつの裏の顔を知っている以上綺麗な女は中身が腐っているという認識を強く植え付けてくれた。

全員が全員そうじゃないのも勿論分かっているが、目の前の姉がこれだ。だから俺は綺麗な女を信用しない。例えクラスでマドンナと呼ばれる女でさえも信用しない。

なんでって、こいつも中学高校とマドンナと呼ばれていたからだ。クラスでは控えめな顔でそんなことないよと弱々しく微笑んでいた姉が家に帰ればショートパンツにタンクトップ、胡坐をかいて牛乳パックを片手に”マドンナ様に逆らってんじゃねぇよ”の態度。あと1年俺が早く生まれていれば、この女の本性をあらゆる手を使って晒してやりたかったくらいだ。


姉は常に俺を貶したくてしょうがない。

この恥ずかしい言葉にも今まさににやけた顔で突っ込まれると思ったその時、職員の人の呼びかけが入った。火葬の準備が出来たから最後のお別れをしてに来てくださいって。

どんだけ腐った性格してやがる姉でも、祖母への思いは強かったのか一瞬にして表情が崩れた。母や叔母たちもだ。俺も、心にずっしりと重たいものが乗せられた気分になる。


最後のお別れを、なんていうと本当に最後みたいで悲しくなる。実際に最後なのだが、本当に、本当に最後なのだ。

恋人たちが別れるとか、友人と喧嘩して別れるとかそんなんじゃない。この世に身体が残る最後の時が来た。触れたくてももう二度と触れられない。祖母という存在が、目で見えて触れる姿がもう二度と…確かめる事が出来なくなる。引っ込めた涙も歩くたびに簡単に視界を歪めてくれて、台車式の火葬炉の前に置かれた棺桶に安らかな顔で瞳を閉じた祖母の全身が目に入る。


(声掛けたら起きそうな顔してんな…。)


母が声を掛けたらまたクックと肩を揺らしそうな祖母の周りには、花は好物だったお菓子、服、お守りなどが添えられている。既に隣で声を上げながら涙を落とす母の手には、しっかりと黒砂糖飴の入った袋が握られていて、「かあちゃん。」と、呼びかけて袋を引くと声にならないせいか大きく、何度も頷きながら手を離して袋を俺に託してくれた。


祖母は、何処から仕入れたのか分からない飴をよく枕の下に隠していた。同じみの隠し場所だっただけにすぐに母たちに見つかっていたが。


「もう、隠して食べる必要ないからな。ばあちゃん。」


最後だというのに視界が歪みきってちゃんと祖母の顔を見れない。

せめて、すぐに取れるように手元の傍に袋を置くと、姉が苦しそうな声で「おばあちゃん、おばあちゃん。」と嗚咽をあげながら泣くもんだから心が締め付けられる。

通夜でも、葬儀でも声を押し殺していた母たちも本当に最後の別れを迎えると人目も気にせずハンカチも当てず、祖母を撫でながら祖母を呼び、泣いた。

つられるように一度嗚咽が零れると、俺も周りの声に溶け込むように声をあげて泣いた。職員のアナウンスで蓋を閉じられ、祖母は火葬炉の中へと消えていく。どっと声をあげた叔母は、3姉妹の中でも一番祖母によく会いに行っていたし、末っ子ということもあってか一番可愛がられていたそうだ。3姉妹の中でも最も祖母と相思相愛だった叔母は、誰よりも声をあげて、誰よりも祖母が火葬炉に入って行く姿を惜しむように泣いている。戸が閉じられ、再び部屋で待機するように指示をされた俺たちは最初に来た時よりも思い悲しみを背負って、涙を落としながら待合室へと戻った。



部屋へと入り弁当を食べるように勧められたが、誰もそんな気にはなれないようだ。

数分も経てば親戚は涙が止まり、弁当を手にする。俺は弁当こそ食べる気にはなれないが、涙はあらかた止まった。未だ嗚咽を上げた儘の伯母や母たちにせめて茶でも用意しておこうと立ち上がり備え付けの給湯室で人数分のお茶を注いだ。パックだったから有り難い。


(…あれ、数これで足りたかな。)


疑問を抱き給湯室から人数を数えるべく顔を出した時だ。

人を数えるつもりだったのに、目がいったのはバルコニー。すぐ隣が山なだけに木々しか見えないが、目に入った。なんとなくあそこに行きたいと、ふとそう感じたがそれよりもお茶が先だ。人数を数えて2つほど足した後、お茶をそれぞれに配ると礼を言われた。


「弁当、食えよ。」


伯母たちは昨日からろくに食べ物に手を付けていなかったのを知っているから、念を押しておいた。もう大分落ち着いてきたのか、ティッシュで目頭を押さえながらも伯母は頷き、伯父は既におにぎりを食べていた。

従姉もちまちまとながらに弁当を食べているようで、それを安心した。


「悪いわね樹。私がすることだったのに…。」

「気にすんなよ。」

「ありがとうね。樹もお弁当、食べなさい。」

「ああ、配り終わったら食べるよ。」


伯母の涙で腫れ尽した目を見るのは二度目だ。

以前は愛犬が老死した時で、当時俺は小さかったが伯母のこの泣きっ面だけはよく覚えている。伯父だってそうだ、静かに涙を落として、人一番落ち込んだ顔をしている。従姉は伯母によく似ているから、少し幼くなった伯母の泣きっ面状態だ。

母と姉、そして叔母は弁当を渡すと涙を落としつつも食べる気にはなったのかすんすんと泣きながらも弁当の蓋を開ける。既に祖母の姉たちは弁当をもっさもっさと食しながらも会話を繰り広げ、井戸端会議のようになっていた。

お盆を下げに戻り、給湯室を出ると再び目に入る窓の外。気になりだすと行ってみないと気が済まない性分なので待合室を出て、非常口から外へと出る。

三段のコンクリートの階段を下がり土の上へと足を付けると、前髪を上げるくらいに勢いよく風が吹いた。


「って。」


風と共に目にゴミが入り一気に視界を奪われ、ごろごろと異物感が襲う。

目をこすってみたり、瞬きをしてなんとか異物感が取れ顔を上げたその時だ。


『樹。』


祖母の声が聞こえた。


「ばあちゃん…?」


返事は無い。ざわざわと風に煽られる木々の音だけが響き、風が止むとシン、と静まり返った。


(ばあちゃん。)


頬に伝う涙は風を浴び、冷たく感じた。

同時に、思った。


好きな人が亡くなるのは、もう嫌だって。

次は誰なんだろうって。


高校1年で、改めて死の恐怖を覚え、死を迎える悲しみを覚えた。

人間なのだから避けては通れない道なことくらい知ってる。俺だっていつかはこうなる日がくるのだから。



それでも、死というものは…出来る限り無縁でいたいとそう思った。

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