団結
「おい!」
「ッ!!」
僕は疾患者に肩を揺すられたことにより意識を現在へと引き戻された。
「大丈夫か?」
彼はこめかみを押さえて俯いていた僕の表情を窺いつつ問うてきた。
「え、えぇ……」
本当はまだ少し混濁しているが大したことはない。疾患者は返答を聞くと表情を和らげた。
「君は……罪の子だな?」
彼は僕の容姿、服装から判断したのかそう聞いてきた。
「えぇ、そういうあなたは疾患者、ですよね?」
濃紺色の長髪は肩下まで伸ばされており、それらは右肩側で一房に纏められていた。髪と同色の瞳は切れ長で、顔立ちは凛々しく好青年という印象を受ける。身長は僕より高く、体格もがっちりとしていた。
「あぁそうだ。まぁ上位管理者の間では隔絶された異能者、《絶異者》なんて呼ばれているけどな」
僕は眼前の男と咎人を潰した瓦礫の間で目を行き来させた。
「聞きたいことは山積みだろうけど、今は協力してくれないか?」
僕の心情を読んだかのように彼はそんなことを言ってきた。
「分かりました。けど僕が出来ることなんて殆どありませんよ」
断る理由は無い。むしろこの人と共に行動をすれば危険も半減する。それどころかほぼ無くなるだろう。
無力な人間は力のある者の背に隠れていればいい。力というものは残酷で求め、渇望してもそう簡単に手に入るものではない。
「そんなことはない。君は生存者を見つけてくれれば良い」
間。そして彼は僕の顔をじっと見つめてきた。
僕は咄嗟に顔を背ける。理由も分からずに見られているのは気持ちが悪い。
「そういえば名前を聞いていなかったな。君、では不便だろう」
確かにそうだ。僕も疾患者なのか絶異者なのか、彼をどう呼ぶべきなのかを頭の片隅で考えていた。
「俺は緋ノ都 京夜。重力を操る絶異者だ」
「覇魔 黎鴉。罪の子です」
絶異者改め緋ノ都京夜は握手のつもりだろうか、右手を差し出してきた。僕もそれに答え、握手が成立した。
「よろしく」
「こちらこそ……」
言葉を交わすと緋ノ都は満足そうな笑みを浮かべた。
この親しみやすい感じ、悪く言えば馴れ馴れしい感じ。こういうタイプの人間、僕は苦手だ。
「緋ノ都さん……」
「何だ?」
「僕の正面の牢に囚われていた罪の子の安否を確かめてもらってもいいですか?」
僕は瓦礫に埋もれた氷華の牢を指しつつ問うた。
氷華の牢を埋め尽くしている瓦礫は緋ノ都の力によってあっさりと排除された。
瓦礫を排除した彼は周辺の様子を探りにいってしまった。
「なん……だ?」
結果的に言って氷華は見たところ無事だった。無事どころか掠り傷一つ無く、牢の中心で仰向けとなって穏やかにに眠っているように見えた。
ただ崩壊前とは明らかに牢の様子が異なっていた。
横たわる氷華を中心として牢の内側が全て黒に染まっているのだ。より正確に表すのなら氷華が触れている地面から壁、天井に至るまでの全てが闇色の氷のようなものに覆われているのだ。
「……氷じゃない」
牢の内側を覆うそれは冷気を帯びておらず、ただただ頑強だった。これが何なのかは分からない。だが今は氷華の安否を確かめるのが先決だ。
「おい氷華…… 生きてるか……?」
僕は氷華の傍らに膝を付いて声をかけ、身体を揺さぶってみた。これまでは会話をするだけで触れることなどなかった彼女の身体は柔らかく、女の子らしかった。
「ん……」
数回身体を揺すられた氷華は意識が覚醒したのか小さく声を上げた。
「ッ…… レイア?」
「あぁ、大丈夫か……?」
「えぇ……あなたこそ……」
氷華は頭痛を抑えるようにこめかみに触れながらゆっくりと身体を起こした。
「ッッ!? 何……これは……?」
氷華はようやく自分達のいる空間の異質さに気が付いたのか目を見開いていた。
「お前も分からないのか? 僕が来たときには既にこうなってた」
「分からない……」
氷華は俯きつつ、懸命に自身の記憶を探ってみるが何故か思い出せないらしい。
「分からないなら考えても仕方ないな」
僕はこのまま考えていても結論は出ないと諦め、立ち上がった。
「まずはここを出よう」
僕は氷華に手を差し伸べ、彼女はその手をとって立ち上がった。
「生きていたか」
ちょうどその時、捜索を終えて戻ってきた緋ノ都が声をかけてきた。
「誰……?」
緋ノ都が姿を現すと氷華は身構え、刃のような警戒心を彼に向けた。
「そんなに警戒しないでくれ 俺は君に危害を加えるつもりは無いよ」
緋ノ都は両手を上げて氷華の警戒心を解いた。
「俺は緋ノ都京夜。君たちの言う疾患者に分類される人間だ」
「……?」
今氷華の脳内にはいくつもの疑問が浮かび上がっていることだろう。しかし今は緋ノ都に協力することが先決だ。
「いろいろ疑問はあると思うが後であの人が全部説明してくれる。だから今は待っててくれ」
氷華は無言で頷きその提案を肯定してくれた。
そこから僕達三人は本格的に生存者の捜索を開始した。
僕は移動の間に緋ノ都から聞いた最低限の情報を氷華に伝えた。彼女は話を聞いている最中は怪訝そうな表情を浮かべていたが、緋ノ都の力を目の当たりにして納得した様子だった。
捜索の結果、合計すると生存者は三百人程度いたのだが咎人の殆どが反旗を翻したため絶異者の手によって殺された。何も殺す必要はないのではないかと思いもしたが、咎人共はこの非常時ですら殺しを楽しんでいるような異常者ばかりだったのだ。
そのため咎人四人、罪の子百五十人強、疾患者もとい絶異者二十五人。合計二百人程度となった。
「お前らは協力してくれるのか……?」
緋ノ都は抵抗しなかった咎人達に疑わしげな目を向けた。他の咎人を見てきた僕達からすれば抵抗しなかった彼らの方が異質だ。
「あぁ、アンタらに逆らう理由がねぇ。オレらは殺されていった馬鹿共とは違うからな」
そう言ったのは咎人の先頭に立つ赤黒い髪の少年であった。歳の頃は僕や氷華と同じぐらいだろうか。血液が凝固したような赤黒い髪は目元まで伸ばされており、その下には爛々と輝く二つの金眼が見て取れた。微笑を湛えた口元からは鋭い犬歯が顔を見せている。身長は僕と同じくらいだが体格はがっちりとしており、僕なんかとは比べ物にならない程屈強に見えた。
一見罪の子とも取れるその容姿だが、不気味な微笑と黄金の双眸から放たれる威圧感が彼をただの人間ではないということを物語っている。
「他の三人も同意見か?」
そんな少年から目線を移動し、彼の背後にいる三人に問うた。
「え、えぇ……」
最初に答えたのは先頭の少年の背に隠れるようにしている女だった。彼女は目の下、いや全体にクマを浮かべ、黄緑色の長髪を腰辺りまで伸ばしている。身体の前で両手の指先を合わせて五指をしきりに動かしている様子は不気味の一言に尽きた。猫背で前屈みになっている身体は貧相で骨と皮しかないように見えた。
「ボクもだよ。殺されるなんて嫌だもん」
次に口を開いたのは十歳程度の少年だった。黒の短髪でクリクリとした茶色の瞳。身長は歳相応で僕よりもかなり目線が下だ。この歳で咎人として地の果てにいるということは無邪気な笑顔の裏にはドス黒い残虐な本性が隠されているのだろう。
「私もよぉ、生きてさえいればいくらでも男漁れるしねぇ」
最後に答えたのは色気の塊のような絶世の美女であった。夜の闇のような流麗な黒髪を後頭部上部で縛り、漆黒の尾を背中へと流していた。目鼻立ちが凄まじく整っており、ほんの少し釣り上がっている紫苑色の双眸は見る者全ての心を鷲掴んでくる。言葉を乗せる唇はグロスが塗られたかのように艶めいており、瞳が釘付けとなってしまう。肢体は完成された大人のそれで、ボロ布をさらに引き裂いたような衣服の下の、はち切れんばかりの双丘や艶やかな両脚は脳裏に焼き付いて離れない。妖艶という言葉は彼女のためにあるようにすら思えてしまう。
「姐さん……少しは慎めよ。皆ドン引いてるぜ?」
「何よぉ、私は欲望に忠実に生きているだけよ? 特に慎む必要があることは言ってないわぁ」
彼女は今にも張り裂けそうな胸を更に張って堂々と言った。
「はぁ~ ……まぁつーことでオレらはアンタらに逆らう気はねぇよ」
先頭の少年は緋ノ都に向かって不敵な笑みを向けた。
僕はこの時の彼の表情に背筋を凍りつかせた。これがこの歳で咎人となるほどの大罪を犯してきた人間の気迫。
「分かった、なら名前を聞かせてくれ。咎人と呼ぶのは不便だし何より失礼だ」
「くく……オレら咎人に失礼か。面白い奴だな、緋ノ都京夜……」
少年は喉を鳴らして笑った後、名乗り始めた。
「いいぜ、名乗ってやるよ。オレは叛燐 大牙」
「わ、私は刺城 茨……」
「ボクは餓島 広焔だよ」
「ワタシは咲神 璃宮。歳は永遠の十七歳! 趣味はセッ、んぅ!!」
咲神璃宮と名乗った女性は星が出そうなほど完璧なウインクを放った後、叛燐に口を塞がれた。
「姐さん。マジで黙ってくれよ……」
叛燐は咲神の口を塞ぎつつ、呆れたように溜息を吐いた。
「つー訳で……よろしく」
「あ……あぁ」
さすがの緋ノ都も彼らの雰囲気に飲まれそうになっていたが、すぐに振り返って生存者達全員に聞こえるほどの声で話し始めた。
「見ての通りこの四人は俺達に協力してくれる。これで彼らも俺達の仲間だ。異論はあるか?」
誰一人として異論を唱える者はいなかった。これは決して異論がなかったわけではないだろう。端からこの場には緋ノ都に意見できるような立場の人間はいないのだ。
緋ノ都以外の絶異者はもちろん咎人四人も完全に緋ノ都側だ。異論があるとしたら罪の子だが、現状この生存者内の絶対的リーダーに意見するような罪の子などいるはずも無い。彼の性格からして意見したとしてもちゃんと聞き入れて解決してくれるだろうが、それを分かっていてもこちらの行動を停止させるのが力を持つ者の言葉だ。
『異論はあるか?』
緋ノ都の問いには本人が気付くことのできない強制力がある。この問いは弱者にとってはいいえかノーでしか答えられない一択の質問なのだ。弱者の僕にとって緋ノ都のような人間は太陽と同じようなものだ。近付き過ぎたら身を焦がす。
「……よし、なら次に俺達について話す」
僕が脳内で緋ノ都を否定している内に話は次へと進み始めていた。
「俺達絶異者の話を……」
そう言った緋ノ都の背後に、この場にいる全ての絶異者が集まってきた。彼らは筋骨隆々な訳でも図体が大きい訳でもない。しかし彼らの放つ強者のオーラはこの場の人間を畏怖させる。それはきっとこの場の誰もが咎人を殺す彼らの姿を見てきたからだろう。
「ここからの説明は彼女に任せる。その方が時間が掛からない」
緋ノ都は説明するや右に一歩ずれ、背後に立っていた女性に場所を譲った。
そしてこの場の全員の目線が彼女に釘付けとなる。
息を呑むような絶世の美女。しかし咲神とは真逆のタイプの美女である。咲神は親しみ易い雰囲気だが、彼女は近寄り難い深窓の佳人のような雰囲気を放っていた。彼女は真っ直ぐな銀髪を氷華と同じように腰辺りまで流しており、それらはあたりの光を反射して星々のように煌めいている。鋭い双眸は紺青色で髪色と反して際立っている。口元は固く引き結ばれており、色素の抜けた薄桜色であった。乳白色の柔らかな四肢は細く、身体は押せば砕けてしまいそうなほど弱々しかった。
「私は鏡 白愛。今からあなた達全員の脳内に私のイメージを映し出す……」
その言葉の直後、天井から小さな瓦礫が落下を始めた。
何を言っているのか理解できなかった僕の、いやこの場の全員の頭の中に真っ白な景色と言葉が傾れ込んできた。
『私たち絶異者の生い立ちには二つのパターンがある』
頭の中で反響する透き通るような美声は鏡白愛のものだろう。彼女の声は絶異者についての説明を始めた。
『一つは《急性異能疾患症》と呼ばれる奇病により力を得て《絶異者》になるパターン』
『もう一つは《先天性異能疾患症》を患って生まれてくるパターン』
僕はこの説明で緋ノ都が前者であることを理解した。彼はある日突然力に目覚めたと言っていたのだ。先天性ではないだろう。
『私は後者のパターンでこの世に生を受けた。しかし生まれつき異能を持っていたわけじゃない。先天性の方は一度死を体験することでしか力を発現することが出来ないの』
戦慄している僕の、いや僕達の頭の中に鏡の記憶が流れ始めた。
十六歳頃、誘拐され山奥へ連れ去られた鏡は犯され続けその身に生命を宿した。そこで彼女は舌を噛み切り自害し、天能者として覚醒した。
その追憶が終了すると辺りの風景がホワイトアウトし、意識が現実へと引き戻された。
現実に引き戻された僕の耳には、鏡の追憶が始まる前に落下を始めた小さな瓦礫が地面にぶつかった音が届いた。
「これで俺達のことは理解してくれたか?」
唖然としている僕達に鏡の隣にいた緋ノ都が問い掛けてきた。
「えぇ…… 理解したわ……」
真っ先に返答したのは咲神だった。しかしその時の声音は先程までとは異なり低めで、表情には怒りが滲み出ていた。
「どうしたんだよ 姐さん?」
「女の子を一方的に嬲るのが気に食わないのよ……」
咲神は眉間に皺を寄せつつ忌々しげに呟いた。
「いやいや あんたは何人もの男を死ぬまで犯してここにいるんだろ? 人の事言えたもんじゃねぇだろ」
「いやねぇ、私の場合は相手の了承も貰ってたしちゃんと手料理も振舞っていたわよぉ?」
咲神は元の調子に戻って明るく答えた。
「でも何故かみんな食べるのを躊躇っていたのよねぇ……」
咲神は悩ましげな表情で不思議そうに呟いた。その一言に叛燐は引き攣った笑みを浮かべていた。
そんな咲神を皮切りにあたりの罪の子からも理解したとの声が上がり始めていた。
「ならこれからは行動をともにする仲間だ。互いに力を貸し合い助け合う。そういうことでよろしく!!」
暫しの静寂。
「「オォォォォォォ!!!」」
しかしその静寂は一瞬にして打ち砕かれた。打合せしていたかのように罪の子達が歓声をあげたのだ。彼らはこの短い間に緋ノ都の虜になったのだろう。
互いに力を貸し合い助け合う。
笑わせるな。
「笑わせないで」
僕が心中で呟いたのと同時に隣の氷華が同じようなことを呟いた。
「力を貸し合えるのは同等の力を持つ者同士だけ。彼らは私たちを助けることをできるけれど、その逆は無い……」
僕は感心した。氷華は僕と酷似した考え方をしているらしい。
「同感だ。けどあの人の言うことに従うのが最も安全な道だ。僕達弱者は強者の影に隠れることしかできないんだからな」
「……そうね」
氷華は僕の言葉に共感してくれたらしく、小さく頷いた。
僕達がそんな会話をしていると再び緋ノ都が言葉を投げかけてきた。
「そこで協力して欲しいことがあるんだ」
そんな下手からの頼みに罪の子達は期待に胸を膨らませ、次の言葉を急かすような目線を送った。
「これからこの地の果ての中から地上で何が起こったのか、手掛かりになるようなものを探し出して欲しい」
その言葉で僕達の置かれているこの状況が地上で何かがあったが為のものだったことを思い出した。その提案にこの場の大半の人間は賛成の意思を示していた。
「では今から約一時間後、またここに集まってくれ」
緋ノ都の一言を皮切りに密集が崩れ、地の果ての散策が開始された。
「探すと言ってもこんなとこに情報が届くのか?」
「きっと黒刀のような研究員や看守達のために何らかの形で届いているはずよ」
「なるほどな、なら研究員の部屋あたりか」
こうして僕達は研究員の部屋へと向かった。