天秤 ~リ・コネクト~
塔の裏では未だ激戦が繰り広げられているのか爆音やら雷鳴やらが聞こえてくる。
しかしそちらは奏刃や美來、緋ノ都に任せたのだ。信じて僕は僕のやるべきことをやる。
「……」
僕は氷の塔上部に囚われている氷華を見上げた後、視線を戻して側面に触れようとする。
『止めて』
僕の手が塔に触れる寸前、氷華の透き通るような声が頭の中に響いた。
すぐさま上を見上げてみるが彼女の口は動いていない。だが彼女の声は再び響く。
『私を助ける必要はない…… このままどこかへ逃げて』
「何でだよ」
『私が永遠にここで氷付けになっていれば黒刀白夜の目論見は潰える……』
「だからなんだよ。あの人の目的を阻止するためにお前が犠牲になる必要なんて無いだろ」
『私一人の命と世界、どっちが大切だと思っているの!?』
氷華が珍しく声を荒らげて言った。荒げても美しい氷華の声音は僕の頭の中で反響し、段々と消えていった。それを見計らったかのように再び言葉が紡がれる。
『私一人が犠牲になれば全て済む話なのよ……』
氷華は諦観の念が篭ったような言葉を零した。
「どっちが大切か、だって……? そんなもの決まってるだろ……」
僕は俯きながら塔の側面から手を引いた。
『そう、それでいいのよ……』
氷華の小さな呟きと同時に僕は右半身ごと右腕を引いた。瞬間、漆黒の羽根が舞い散り右掌に赤黒い靄が発生する。
「こんな壊れた世界より……」
『!! レイア止めて!!』
「お前の方が大切だ」
僕は氷華の制止を無視して全力の掌底を放った。
その掌と塔の間に舞い散った羽根の一枚が割り込んでくる。僕はそれごと掌底を塔へと叩き込んだ。
先程は破壊出来なかったが、時を破壊する羽根と万物を死滅させる掌が合わされば、ありとあらゆるものを拒絶する塔だって打ち砕ける。
僕の掌底により一瞬で塔の全てに赤黒い靄を纏ったひびが迸り、崩壊を始めた。
その瞬間、僕は地を蹴り上空へ飛び上がり翼を羽ばたかせ、更に飛翔した。
「氷華ッッ!!」
僕は落下してくる氷の合間を縫い、氷華の元へと飛ぶ。
そして氷の塔から解き放たれた彼女の元へとたどり着き、その身体を抱き寄せる。
「レイ……ア……」
藍色の瞳に涙を溜めた氷華は腕の中から僕の瞳を見つめ、震えた声を上げた。溜まった涙は決壊し、やがて清流のように頬を伝って地に落ちていった。
あの不愛想な氷華が涙を流し、しゃくりを上げながら僕の胸に顔を埋めている。
普段は喜怒哀楽を表に出さない氷華がここまで感情を爆発させている。やはり彼女も一人の少女、たった一人で永久に氷の中に囚われ続けるという決心は固まりきっていなかったのだろう。
「…………」
崩壊した氷の塔があられのように降り注ぐ中、僕達二人は互いを抱きしめ合いながら滞空を続けていた。
崩壊が終わると蒼海、天空と戦っていた面々が塔の残骸や僕達に目を向けていた。
蒼海と天空の姿が見えないことから決着がつかないまま彼らが去り、激戦は終了したものだと窺える。
すると突如として下方に厭な気配が出現した。
「いや、実に素晴らしい。あの氷をいとも簡単に砕くとは」
その軽い声は拍手と共に僕達の耳に届いた。
「ッ……」
その声の主は僕の恩人であり全ての黒幕―――
「黒刀……白夜……!」
僕は下方に現れた黒刀白夜に向けて殺気を帯びた言葉をぶつけた。
そしてしっかりと氷華を抱えて地上へと急降下。黒刀と緋ノ都達との間を割って着地した。
「やぁ、レイア君」
黒刀は狐のように細い曲線を描く瞳を少し開き笑みを浮かべた。
僕は思わずゾッとした。この人の笑みはいつ見ても背筋を凍てつかせる。
「それに氷華君、奏刃君、天時君。《刻鴉》が四人も揃うなんて奇跡のようだ」
黒刀は僕達四人を順に見た後にそう呟いた。
《刻鴉》。天空も口にしていたその単語は何を意味するのか。
僕がその言葉について思考していると黒刀の遥か横から巨大な隕石が急接近してきた。
「……天空」
黒刀が名を呼んだ瞬間、彼女は紫電と共に彼の隣に現れた。
そして閃光。
発光が収まり僕達が瞼を持ち上げた時には既に隕石は跡形もなく消え去っていた。
「あ~ 悪ぃな。あんまり不気味な気配だったから破獣だと思って攻撃しちまったぜ」
全く悪びれる感じのしない声音が隕石の飛んできた方向から聞こえた。
「! 君達も絶異者になったのか」
「あぁ、見ての通り」
現れたのは咎人の四人だった。叛燐は未だ《贖罪開放》状態の自身を見せびらかしながら言った。
「おい…… さっきの《刻鴉》っていうのは一体……」
僕は咎人達に向けられた黒刀の視線を自分に引き戻すために言った。
「あぁ、《刻鴉》というのは五人の特別な天能者のことだよ。 時の改変者、時の奏者、時の封印者、時の死滅者。そして……」
黒刀は順に美來、奏刃、氷華、僕に目を向けてから虚空を仰いだ。
「時の創造者」
その虚空に向けて言葉を放つ。この場に存在しない誰かに向けたように。
「この五人が《刻鴉》と呼ばれる天能者達だ」
「…………」
当事者である僕達四人は息を飲んだ。
「そして《刻鴉》が一堂に会する時、キミ達は封印を解く鍵となる」
黒刀の言葉の直後、残骸と化した氷の塔から眩い光の柱が発生した。
「必ず現れると思ったよ…… 時の創造者」
光の柱が薄れていくとそこから一人の少年が姿を現した。
「孤白創」
その少年は僕とまるで対極のような存在であった。
白雲のように真っ白な髪と瞳。混じり気の無い白絹のような服装。そして何故か右腕に鴉の羽根があしらわれた黒銀の懐中時計を巻きつけている。
僕を一言で純黒と表すなら彼は対極の純白で言い表せるだろう。
「いや、本当は来るつもりなんてなかったんだけどね。あまりにもレイア君が頑張ってたから」
孤白創と呼ばれたその少年は中性的な顔に小さな笑みを浮かべながら僕に目を遣って言葉を紡いだ。その双眸はまるで鏡のようで、全てを見透かされているような感じがした。
「!!」
僕は驚愕する。この声はこれまで何度も頭の中で対話した謎の声ではないか。
「お前が……」
「そうだよ。けど今は話してる暇がない、後で話すから待っていて」
孤白は僕を諭すかのように柔らかな声音で説明した。
「レイア君は彼をも引っ張り出してくれたか。感謝するよ」
黒刀はそう言って僕に微笑みかけた。
「さぁ、役者は揃った。これでようやく私の計画の一歩目が踏み出せる……!」
黒刀の力強い声があたりに響くと同時に僕達《刻鴉》の装飾品が闇色の光を放ち始めた。
僕のネックレス、氷華のイアリング、美來のブレスレット、奏刃のアンクレット、孤白の懐中時計。そのどれもが鴉羽で装飾されている。
「ッ……!」
「何ッ!?」
「うおッ!」
僕と氷華は無言で、美來と奏刃は声を上げて驚いた。
やがてその光は収束していき、小さな宝玉のような形状となって各々の胸の前に留まった。
「太古の天能者、神々の復活だ!」
その宝玉はそれぞれ形状を変化させて天へと昇っていった。
「目覚めの時だ。ウラノス、エレボス、タルタロス」
「!」
《空の果て》《海の果て》《地の果て》。
そうだ。その全てが僕達を幽閉していた施設の名称だ。
僕がそれに気付いた時、天に昇った五つの宝玉は一つになり、やがて三方向へ飛び散った。
「気が付いたようだね、レイア君」
「……」
僕は説明を求める意思を瞳に乗せて黒刀の瞳を見据えた。
「あの施設は表向きにはキミ達を隔離するための施設だ。 しかし本来の目的は原初天能者である神を封じておくための楔だったんだよ」
原初天能者、神、楔。黒刀の言葉には現実味がなく、僕が理解に至ることはできなかった。
「……あんたは何がしたいんだ」
僕は純粋に思ったことを口にした。この人がやっていることに何の意味があるのか、僕にはそれが全く理解できない。
「簡単なことさ。……能力者を否定するこの腐った世界を根底から作り変えるんだ」
なんだよそれは。
話が壮大すぎて驚くにも至らない。
「レイア君、神が復活しようとしている今、ボク達がこの世界にいるのは危険だ。《刻鴉》は神にとって害でしかない。全力で消しに来るよ」
いつの間にか近づいてきていた孤白は淡々と説明した。
だがすぐには理解できるはずもなく僕は唖然としていた。
「じゃあね、黒刀君。ボク達はお暇させてもらうよ」
「そうか。だがキミの能力でも永遠にこの世界から逃れてはいられないんじゃないのかい?」
「そうだね。だからいつか取り返しにくるよ、この世界を……」
それで二人の会話は終わったのか孤白は僕に向き直った。
「さぁ急ごう、もう時間がない。詳しいことは向こうで話すから」
「向こう? 何言って」
「《時世の切断》」
直後、一瞬にして世界の全てが白く染まり、身体を浮遊だか落下だか分からない感覚が連続して襲う。
そして頭の中までが真っ白になり何の思考も出来なくなっていき――
ここで僕の意識はぷつりと絶たれた。




