決着 ~エクスレオス~
僕の心奥に眠る大罪は七つの外にある異端。
この掌で両親を殺め、その快楽に浸った大罪。
「……《狂気の罪過》」
呟いた僕の身体全体からゆらり、影のように赤黒い靄が発生した。
これが僕の全力全開。
「《贖罪開放》」
刹那、赤黒い靄が膨張し、天を貫く柱と化した。その柱は空を覆う暗雲に風穴を空け、その全てを消し去った。
「…………」
柱と化した靄がゆっくりと消滅し、僕は亜空間の前に姿を見せた。
漆黒の髪、漆黒の眼、漆黒の腕、漆黒の翼。
「ッ……」
亜空間は僕の純黒の姿をその双眸に捉えると言葉を失った。
今の僕は一言で表せば夜。
死を運ぶ闇夜の具現化だ。
「これで本当に最後だ……」
僕は薄く開いた瞳で亜空間の瞳を真っ直ぐに見据え、決意を込めた言葉を放った。
「……あぁ、そうだな」
亜空間は口角を釣り上げながらそう答えた。同時、彼の背後の景色を全て黒く染め上げる夥しい数の黒い揺らめきが出現した。
それらはゆっくりと亜空間の両手へと収束していき、両腕を丸ごと包み込んだ。
「「…………」」
刹那、僕と亜空間は全く同時に地を蹴った。
僕は《時の破壊者》としての象徴である翼を羽ばたかせた。その羽ばたきは加速のためではない。時を破壊して一瞬にすら達しない間隔で亜空間との間合いを詰めるためだ。
それに対し亜空間は地を蹴った瞬間に黒い揺らめきを介して間合いを詰めてきていた。
よって僕達は交錯し、互いに背を向けた状態となる。どちらも相手の出現位置を予測して間合いを詰めたのだがほんの少しの誤差があったようだ。
「「ッ……!」」
背後に互いの気配を感知した瞬間、僕は身体を大きく翻して掌底を、亜空間は黒い揺らめきを纏った拳を放った。ほんの一瞬のことのはずなのにその光景は極めて緩慢に感じられた。
無音のまま掌と拳が迫る。
ドッッッッ!!!
静寂を打ち砕くような轟音。相殺によって互いの身体が後方へと吹き飛んだ。
それを合図にしたかのように激闘が開始される。
「消えろ!」
後方に吹き飛んでいる僕を押しつぶすように左右から黒い揺らめきの球体が迫ってくる。
「ッッ!」
それを躱すため、僕は翼を羽ばたかせて上空へと飛翔。直後、下方の空間が漆黒に染まった。
「ハハハ!!」
視線を下に送っていた僕に亜空間の高笑いが降り注いだ。
瞬間、天から柱のような、空間を消滅させる漆黒が押し寄せてきた。
僕は擦れ擦れのところでそれを躱し、切り裂くように右手を大きく振るった。すると赤黒い靄が五指に対応した五本の斬撃となって亜空間へと襲いかかる。
それに反応した亜空間は自身と斬撃の間に、黒い揺らめきが硬質化した壁を作り上げた。それも一枚や二枚ではない。数十枚の壁が層のように重なり彼を守っているのだ。
しかし僕が放った斬撃は万物破壊の性質を備えている。
斬撃が壁に触れるや、極薄の硝子片を割り砕くように突き進む。それでも数十枚となれば勢いが弱まってしまう。その間に亜空間は僕の右横に現れ、
「吹っ飛びやがれ」
口端を裂きながら僕に向けて拳を放ってきた。それに対して僕は右翼と右腕を重ね合わせて防御体制を取った。
「ぐッ……」
その中心に途轍もない重みを持つ拳が命中。
直後、僕の身体は斜め下方へと吹き飛ばされ、地面を抉りながら突き進み始めた。
「楽しいなぁ!? おい!!」
歓喜に迸る凶暴な笑みに歪められた亜空間の顔。それは地面を抉りながら突き進む僕の真上、本当に眼前に捉えることが出来た。視界が亜空間に埋め尽くされた直後、僕の身体が地面へと叩きつけられた。亜空間が僕の頭を鷲掴んで叩きつけたのだ。
それによって突如として横への推進力は消え、真下の地面にクレーターを穿った。
「かはッ……」
僕はあまりの衝撃に吐血し、その血が亜空間の頬を濡らす。と同時に彼は僕の身体を蹴り飛ばした。
「がッ……はッ……」
僕は黒氷の上を無様に転がって亜空間からかなり離れたところでようやく停止した。
「すげぇよお前。オレをこんなに楽しませた奴は初めてだ」
「まだ……だ」
僕は立ち上がりつつ消え入りそうな言葉を放つ。全身の骨が砕けたかのような激痛が迸る中、僕は完全に立ち上がって亜空間の方へ向けて左右から掌を叩き合わせた。
瞬間、亜空間の左右から赤黒い靄が襲いかかる。
しかしそれは彼の左右に発生した漆黒の球体によって掻き消されてしまう。
「お前は良くやったぜ。だからオレの全力全開でこの世界から消し飛ばしてやるよ」
亜空間はそう言いつつ僕の前方で両腕を大きく広げながら言葉を紡ぐ。
「無に帰せ…… 《亜空超越》」
言葉を終えるや、あたりの景色が一変、何の変化もない暗黒の空間に様変わりした。
視覚的には何の変化も見受けられないが、全方位から何かが迫ってきている感覚がある。
これまでの僕なら確実にここで諦めていた。しかし今の僕ならこれを止められる。
万物を破壊する《死滅者の掌》と時を破壊する《死滅者の翼》を有する僕なら。
「全てを……壊せ…… 《崩刻の翼撃》……!!」
僕は呟き、両翼を広げて全方位に羽根を放った。
すると知覚できない消滅の波が羽根に触れたのか漆黒の空間に亀裂が生じる。
そしてそのひびは広がり続け、
パリィィィィン!!!
やがてその全てを打ち砕いた。
「ッッ!?」
亜空間は戦慄しながら砕け散る空間を見上げる。
その最中、僕は地を蹴り翼を羽ばたかせて亜空間へと近接する。
しかし驚愕を制した亜空間は隙と言えるほどの間を与えてはくれなかった。
一直線に向かっていく僕に両手をかざして一柱の漆黒を放ってきた。もう止まるという選択肢はない。僕はそれを旋回してそれを躱す。
「がッ……」
だが躱しきれずに左翼が吹き飛ばされた。それによってバランスを崩した僕は地面に墜落しそうになる。ギリギリのところで地に足をつけて体勢を立て直した。
だが亜空間は追い打ちをかけるようにもう一度漆黒を放ってきた。
「ッッ!!」
誰がどう見ても詰みの状態。
それでも僕は足掻く。
足掻いて、足掻いて、覆してやる。
「ッッッ!!」
体勢を立て直すためにつけた足で地を蹴り、片翼だけを羽ばたかせる。命中寸前で僕の身体は漆黒の波を回避し、前へと突き進もうとする。
バランスを崩しはしたが前方への推進力が残留しているため、足掻きのような羽ばたきによって僕の身体は加速し再び亜空間へと迫っていく。
亜空間が驚愕の表情を顔に貼り付けている。
その間に僕は亜空間の懐に入り込んでいた。そんな僕に漆黒を纏った拳が襲いかかる。
全神経が研ぎ澄まされ、拳が通常の何百分の一の速度で知覚すること出来た。
僕は亜空間の拳を必要最低限の動作のみで躱し、両掌に全霊の力と全開の能力を込める。爆発のように赤黒い靄が弾けて、その量が数倍となった。
僕の背後は漆黒の波によって歪んでしまっているのだろうが関係ない。今向かうべきなのは前だけだ。僕と氷華を断絶する強固な壁である亜空間を打ち倒すことだけが今の僕の存在理由だ。
「ッッ!!」
亜空間が驚愕、いや恐怖の感情を瞳に宿してこちらを見ている。
これで終わる。
本当に最後の一撃だ。
「オォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!」
咆哮。
それと共に全身全霊を込めた掌底を放つ。
力、能力、想い。
僕の全てを込めて。
それは亜空間の胸部中心に吸い込まれていき、
ドッッッッ!!!
完璧に捉えた。
刹那、赤黒い靄が鬼哭のような唸りを発しながら亜空間を飲み込んだ。
それに包まれた亜空間は拳の威力によって遥か遠方へと吹き飛んでいった。
「く……ぁ……」
僕は掌底の勢いのまま前のめりに地面へと倒れこむ。
まだだ、まだ倒れてしまう訳にはいかない。
僕の目的は亜空間に勝利して達成されるものではないのだ。
彼女を、刻桜氷華を救い出すのが本来の目的だ。
僕はなんとか立ち上がって一歩一歩ゆっくりと、だが着実に氷の塔へ歩みを進め始める。
「覇魔……」
突然背後から声が投げかけられた。何故今の今まで気がつかなかったのだろうか。背後には無数の気配が存在していた。振り返ってみるとそこには見知った顔が並んでいた。
「緋ノ都さん…… 鏡さん……」
それに加えて生き残った地の果ての面々が勢揃いしていた。
「くッ……」
「おいッ!」
再び倒れ込みそうになった僕を緋ノ都が受け止める。
「……一体その姿は……」
鏡が僕の姿を見てそう問うてきた。それもそのはず。片翼を失ってはいるが僕は未だ《贖罪開放》状態のままなのだ。
「これは……」
僕はその問いに目を伏せた。
「それより塔の裏の二人に手を貸して下さい。あっちでも戦っている人間がいるんです」
鏡の問いには答えず、代わりに僕は塔の方向を指さしながら言った。彼女の問いに答えていると長くなってしまう。
僕の頼みはあの塔の裏で二人が生きて戦っていることを信じてのものだった。
「だが‥… あぁ、分かった。白愛、覇魔を頼む」
「えぇ、分かったわ……」
緋ノ都は一度躊躇ったが僕の強い眼差しに気圧されたのか鏡のみを残して塔の方へと急いでいった。
僕もあの塔へ行かなければ。
「待ちなさい」
塔へ向かおうと焦っている僕を鏡が呼び止める。
「そんな身体で何をするつもり……?」
「……」
「はぁ…… 傷を治すわ。こっちへ来て」
何も答えない僕に見兼ねたのか、溜息をつきながら鏡は小さく手招いた。
僕はそれに準じて彼女へと近づいた。すると鏡は僕の胸に手を触れ、もう片方を虚空に突き出した。
「《破壊転移》」
鏡のその声を皮切りに僕の身体から痛みや疲労感などが抜けていく。
「ッ…… これでいいわ」
鏡が小さく呟き僕の胸から手を離した時、既にダメージは半分以上消えていた。
気が付くと失われた片翼さえも再生しているではないか。
「……ありがとうございます」
僕は鏡の能力に驚愕しながらもただ一言言い残して氷の塔へと向かっていった。
「ハァ……ハァ……」
その背後で、残された鏡は膝をつき肩で息をしていた。