壁 ~ディメンション~
僕達は多少残っていた破獣を蹴散らしながら叛燐が切り開いた道を突き進む。
大地には黒い氷が張っており、氷華の元へと近付いていっていることを物語っている。
「塔の付け根が見えてきたよッ!」
美來の言葉通り、僕達は塔の付け根へとたどり着こうとしていた。
「ッッ!!」
そして僕はそこに一つの人影を認める。
「亜空間ッッ!!」
ドッッッ、という爆発に近い踏み込みとともに僕は全力で亜空間との距離を詰めた。
しかし瞬きの後には既に僕の視界に亜空間はおらず、ただ虚空が広がった。
「よぉ……やっと来たか」
背後からの声。同時に殺気が襲いかかってくる。
僕は瞬間的に命の危機を察知し、背後に掌底を放った。僕の掌と亜空間の拳がぶつかり合い、互いの威力が相殺される。亜空間はそこから拳を振り抜き、僕の身体を後方へ吹き飛ばした。
相殺したため大した勢いで吹き飛ばされたわけではない。僕は空中で体勢を立て直して簡単に着地した。
「氷華はどこだ……」
「いるだろ? そこに」
亜空間は僕の後方を指さした。
つまりそれは氷の塔の中、その上方に彼女はいた。自分の身体を抱くようにして苦しそうな表情のまま固まっている。
「ッ…… 生きてるのか……?」
「あぁ、これはそいつ自身の能力だからな」
これが氷華の能力。周辺一帯に冷気を纏わない黒い氷を張った上、その中心に同物質の巨塔を築き上げる。こんな光景を作り出せるほどの能力を彼女は秘めていたのか。
だがその予兆はあった。地の果てが崩壊した後、彼女の牢は黒い氷に覆われていたのだ。
「さっさと返してもらう……」
僕は背後の塔に手を触れ全力で異能を発動させた。塔の全てを壊さんばかりに。
「ッ!?」
しかし塔は崩壊しなかった。それどころか傷一つ付いていない。
「おいおい、そいつの前に」
呆れたように言った亜空間の姿が掻き消えた。
「オレだろ?」
瞬間、僕の視界が亜空間の身体で埋め尽くされた。
僕は咄嗟に右方へ飛ぶ。それと同時に亜空間の拳が砕かんばかりの威力で塔へ激突した。
それでも氷華を閉じ込めている塔には傷一つつかない。
「さっさとやろうぜ。まさか多少は強くなったんだろ?」
亜空間は狂気を孕んだ不気味な笑みを浮かべながら問うてきた。
「レイアッ!」
「レイレイ!」
そんな中、ようやく追いついてきた奏刃と美來が呼びかけてきた。
刹那、二人の進行方向前方に紫色の雷が落ち、それと同時にその地点の真横に巨大な水の球が出現してすぐさま弾けた。
「亜空間…… この二人は私達が……」
「独り占めは良くないんじゃない?」
煙、水滴が消えると共に声の主が姿を現した。
「!! 蒼海……!」
「……天空」
声の主の正体は海水の枯れた海底で出会った二人の絶異者だった。
奏刃の前に蒼海、美來の前に天空が立ちはだかっている。
「あ~…… まぁ一人でも負ける気なんざねぇんだが、こいつとはサシでやりてぇからな…… 好きにしろ」
亜空間はそう言うと目線を僕に戻して、それ以降は一度も蒼海達の方に振り返らなかった。
「……奏刃、美來。勝てとは言わない…… 絶対に死ぬな……」
僕は二人の瞳を強く見つめた。奏刃も美來も何も言うことなく、真剣な瞳でただじっと僕の瞳を見つめ返してきた。
「場所を変える」
天空の一声の後、四人が竜巻とともに塔の裏へと消えていった。
「さぁ、そいつを助けたきゃまずオレを倒すとこからだ。まぁ万が一オレに勝てたとしてもその氷は誰にも砕けねぇからどうするかは知らねぇけどな」
確かにその通りだ。自惚れのようであるが全てを死滅させる僕の掌をもってしてもこの氷には傷一つつけられなかった。つまり、この氷は何者にも壊すことはできないということだ。
そもそも僕が亜空間に勝利する確率など万が一どころか億が以下だ。まずはなんとしても亜空間を下さなければならない。だから後のことは後で考える。
「オレを楽しませろよ…… ハマ、」
亜空間は言葉の途中で地を蹴った。
瞬間、彼の目の前に黒い揺らめきが出現して彼の身体を包み込んだ。
「レイアッ!!」
直後、背後から殺気とともに亜空間の叫びが僕の鼓膜を揺らした。
背後に現れることは想定済みだ。そして――
「ッ!?」
前方から攻撃を仕掛けてくることも。
僕は背後の殺気に目もくれず、前方から迫る亜空間の拳を片手で受け止めた。
亜空間は僕の背後をとり、そこから拳を放つと黒い揺らめきを介して僕の正面から攻撃を仕掛けてきたのだ。
「へぇ……」
亜空間は嬉しそうな表情を浮かべながら黒い揺らめきで自身を包み込んで僕から離れた位置に現れた。しかし僕はそれを許すことなく追随する。
亜空間が取った間合いは瞬き一度の一瞬で無くなった。
「甘く見るな」
僕は亜空間の懐、低い体勢で彼の瞳を睨み据えた。
「ッッ!!」
亜空間はその顔に驚愕の表情を浮かべながら仰け反った。
普通にやったら僕の力なんてどう足掻いても彼の足元にも及ばない。しかしそれ故に亜空間は僕を下に見て油断しきっている。
その油断が解ける前に終わらせなければ僕の勝機は殆ど失われる。
僕は亜空間の懐で力強く踏み込み攻撃態勢に入った。それを認識した亜空間は胸の前で腕を交差させ黒い揺らめきを纏わせる。
対する僕は踏み込んだ方とは逆の足で地を蹴った。一瞬で亜空間の背後に回り込んで掌底を打ち込む。
ドッッッ、という鈍い音を響かせて命中したかと思いきや、亜空間は身体を捩り左腕のみで僕の掌を受けた。
しかし威力の全てを相殺できるわけも無く、亜空間の身体は地面と並行に吹き飛ぶ。
まさかあのタイミングで防御されるとは。僕はそんな驚愕を制し再び亜空間を追う。
地を蹴り塔の側面に着地、その接地面を全力で蹴り僕の身体は一瞬で加速してほぼ地面と並行の状態で亜空間に追いつく。
亜空間が体勢を立て直す前に追い討ちをかける。そのため僕は吹き飛んでいる彼の真上で右手を弓のように引いた。同時に亜空間は攻撃態勢に入った僕を睨み付けた。すると突如として漆黒の壁が出現し、僕と亜空間を空間的に隔てた。
しかしこの壁は僕にとって視界の隔たりにしか成り得ない。
「邪魔だ」
この壁ごと殺し切る。
僕がその殺意と共に右掌に全ての力を込めると手の形状が視認出来なくなるほどの赤黒い靄が発生した。僕はその右掌を振り下ろす。
それは赤黒い靄の尾を引きながら漆黒の壁を打ち砕く。その様子は驚く程あっさりとしていて、僕の攻撃の威力と速度は共に変動しなかった。
壁の破片が視界を奪う中、僕の掌に確かな手応えが伝わってくる。
ドォォォォン!!、という轟音と共に大地が大きく揺れる。
「…………」
あたりには大量の砂塵が舞い、何も視認することが出来ない。
やったか。いや、やったはずだ。
いくら亜空間といえどあの状態から攻撃を回避するのは至難の業だ。それに手応えはあったのだ。倒せていなくともそれなりのダメージを与えることが出来たはずだ。
ドンッッ、という高所から何かが落下し地面に叩きつけられたような音が僕の背後から聞こえてきた。
「……ッッ!!」
そして途轍もない殺気があたりに満ちて空気を鉛のように重く変質させた。
それにより僕の希望的観測はあっさりと、いとも簡単に打ち砕かれてしまった。
「あぶねぇな。いきなり全開で来やがって…… オレがこの異能を持ってなかったら即死だったぜ」
亜空間は自身の掌に黒い揺らめきを出現させてそんなことを呟いた。
そして僕は気が付く。足元、先程掌底を叩き込んだ位置の近くに黒い揺らめきの残滓が小さく揺らいでいることに。それは僕の目に入るや消えてなくなった。
僕の掌は確かに亜空間を捉えたのだ。だが威力が伝わる直前に彼は黒い揺らめきを介して上空へと現れ、地面に叩きつけられるように着地したのだ。
「くッ……」
亜空間は大したダメージを負っているようには見えない。そんな亜空間の瞳は黒目部分が白、白目部分が黒へと変化しており、通常時の数倍の不気味さをその身に纏っていた。
亜空間の油断が解けてしまった。更には相当の力を解放しているように思える。
「さぁ…… こっちも少し力を出すぞ。簡単に死ぬなよ……」
亜空間と目が合ったことにより僕の身体は硬直してしまう。固まった身体を冷たい汗が伝った。
このままだと一瞬で終わる。
『オレに身体を貸せ!』
「!! お前は……」
『いいから早くしろ! 今度こそ死ぬぞ!!』
僕がもう一つの人格の声を聞いた直後、亜空間が右掌をこちらへかざしてきた。
刹那、亜空間と僕の間の空間が墨を零したようにドス黒く染まった。
それと同時に《僕》の身体の感覚が消失した。
「こっからはオレの出番だ」
そして人格が《オレ》へと切り替わる。
「!?」
オレは前方に掌を突き出して黒く染まった空間を破壊した。
《僕》の能力が成長したことによって《オレ》の能力も大幅に成長した。
ただ万物を死滅させるだけだった掌は異能現象をも破壊するものへと成長を遂げた。
漆黒の波を破壊されたことによって亜空間は目を剥き驚愕していたが、その表情はすぐさま喜びへと変わる。
「くくッ…… ハハハ!! いいねぇ、これなら本気出してもそう簡単には死なねぇよな?」
オレは亜空間の言葉の最中、地を蹴り間合いを飛ばした。
「本気なんか出させるかよ」
一瞬で亜空間の真正面に移動したオレは彼の頭を鷲掴み、地面に叩きつけた。
瞬間、オレの掌から膨大な量の靄が発生して天を貫く黒い柱と化した。
「遅ぇよ……」
背後からの声、と同時に空間を飲み込む漆黒が迫り来るのを肌で感知した。
オレは全力で身体ごと振り向き、後方へ飛び退きながら両掌で漆黒を受け止めた。しかし勢いの全てを受け止められたわけではなく、数十メートル地面を抉りながら押されていく。
地面を抉りながら徐々にその勢いを殺していき、前方の漆黒は掌を振り払って消滅させた。
勢いが収まり危機から逃れたオレの頭上から影が落ち、視界を薄暗くする。
顔を上げると既に亜空間が黒い揺らめきを纏った拳を振り下ろしていた。
「ッ……」
オレは最低限の動きだけでそれを躱して攻撃態勢へと移行する。
オレに寸でのところで回避された亜空間の拳が地に触れ大穴を穿った。それと同時にオレは掌底を放つ。しかし、そこでオレはあることに気が付いた。
大穴の中心、そこにあるはずの亜空間の拳が消失しているということに。
ボゴッッッ、という強烈な殴打音と激痛が迸ったのはその矢先のことだった。
死角へと転移した亜空間の拳は、貫かんばかりの一撃をオレの脇腹へと叩き込んでいた。
「がはッ……」
衝撃と激痛。オレはあまりの威力に一瞬視界がホワイトアウトし、記憶が飛んだ。
だがそれは刹那のこと。オレは吐血しながら数十メートルもの距離を一瞬で吹き飛んだ。
「こんなもんか……よッ!」
吹き飛んだ先に先回りしていた亜空間によってオレは腹部を踏みつけられた。
「くッ……ぁ……」
身体が動かない。痛みはなく、しかし感覚もない。
「まぁここまでやれりゃ上出来だろ。もういいぜ、消してやる」
亜空間は踏みつけていたオレを蹴り飛ばしながら笑った。
「《贖罪開放》」
蹴り飛ばされたオレの耳にその一言が届いた。
直後、黒い揺らめきが球体となって亜空間の身体を包み込む。
「冥土の土産だ、味わって消えろよ」
声と共に亜空間を包む黒い揺らめきが四散した。
そこから姿を現した亜空間は布ではなく、黒い揺らめきで構築された外套を纏っていた。
「冥土に行けるかは知らねぇけどな」
亜空間は不敵な笑みを浮かべながら這いつくばるオレを見下して右手をかざした。
「ッ……」
ここまでか。今度ばかりはどうにかなる状況でもない。
壊すことしか出来ないオレの掌じゃ少女一人救うことすら叶わないのか。
「じゃあな……」
いいや違う。
壊すことしか出来ないのならそれでいいんだ。
救うことなんて望むな。
ただただ壊して、その結果救えればそれでいい。
だったら簡単だ。
人も、
世界も、
何もかも全部、
壊せばいいんだ。
壊せ。
壊せ。
「《亜空崩壊》」
亜空間が口を開いたと同時、オレの全方位に黒い揺らめきの球体が出現してこちらに迫ってきた。
壊せ。
壊せ。
壊せ。
「ハハッ……」
形在るもの全て。
「全て壊してやるよ」
そしてオレの意識は身体から完全に弾かれた。《僕》や《オレ》は完全に蚊帳の外の傍観者となり、今身体を支配しているのは《破壊者》としての壊れ切った自我だ。