胎動
「ハハハ! これでここともおさらばだな」
声。それにより僕の意識は覚醒した。
「待て! まだ地上で何が起こったのかも分からないんだ。それにまだ瓦礫の下にいる人間も助け出していない!」
なんだ。誰と誰の会話だ。
「ッ……」
起き上がろうとすると後頭部の鋭い痛みを知覚した。段々とその痛みにも慣れ、瞼を持ち上げた僕の目に映ったのは半壊した自分の牢だった。周囲の様子は隙間から差し込む光によって辛うじて目視できた。
僕の牢は通路側が巨大な瓦礫によって押し潰されていた。辛うじて今僕がいる場所だけが瓦礫に押し潰されることから逃れられたのだろう。もしあのとき突風によって牢の奥に吹き飛ばされていなかったらと思うとぞっとする。
「うるせぇんだよ疾患者風情が…… どうせお前らは地上から見放されてんだ。今ここでオレが楽にさせてやるよ」
どこかに抜け穴がないか探っていた僕は野太い声を聞き、彼らの会話で意識が覚醒したことを思い出した。声の発生源のほうに目を向けると偶然にも小さな穴が開いており、僕はそこから様子を窺い始めた。
この会話は咎人と疾患者によるものだろう。僕から見て奥側の潔白な衣服を纏っているのが疾患者。手前に立つボロ布のような服を纏い、手足に鎖部分が千切れた枷をつけているのが咎人だ。
手前の人影が動き、バキッという音と共に剥き出しになった鉄骨をへし折った。
咎人は常軌を逸した力や思考を有している人間が多いため鉄骨を折る、などという芸当ではそこまで驚かない。
咎人は手にした鉄骨の切っ先を疾患者へと向けた。
「どうして……どうしてお前達はそうなんだ!」
疾患者は俯きながらもはっきりとした口調で言った。
彼は血色が悪いわけでもなければ憔悴しているわけでもない。僕には彼が何らかの病を、それも地上の医療では治療できないほどの病を患っているとは思えなかった。
「死ねよ……」
咎人は疾患者を見下すように呟いた直後、鉄骨を投擲した。放たれた鉄骨は風を切りながら一直線に疾患者の元へと向かっていった。僕はその瞬間を見ないため、二人の様子から目を逸らした。
数秒間の沈黙。
「ッ…… なんだよそれ……」
静寂を切り裂いたのは咎人の野太い声だった。僕は何が起こったのか確かめるべく再び彼らの方へ目を向けた。
「ッ!?」
そして僕は驚愕し、目を疑う。何故なら咎人が投擲した鉄骨は突き刺さることも逸れることも無く、疾患者の鼻先で停止していたからだ。原理は分からない。しかし空中で停止しているということは確かだ。
「て、てめぇ! 何したんだ!」
疾患者は声のトーンを落として告げる。
「これが俺達疾患者の大多数が患っている奇病…… 《急性異能疾患症》だ」
急性異能疾患症。聞いたことのない病名だ。
咎人も僕と同じような反応をし、睨みを利かせながらも疾患者の次の言葉を待っている。
「他と異なる力、異常な能力。俺はある日突然この病を患った。人によって症状は違えど俺達はこの病を疾患してしまったが故、世界から隔絶された……」
疾患者は自分の鼻先で停止している鉄骨を、いや鉄骨を停止させている未知の力を指して説明する。
「異能? そんなもんある訳ねぇ。それだって何かトリックがあんだろ!」
咎人は停止している鉄骨を指差して言った。しかしそれを疾患者は否定する。
「まだ信じられないか。ならもっと見せてやる」
疾患者は僕の方、いや僕の眼前にある瓦礫に掌を向けた。
「俺の重力を司る力を……」
翳した掌を皿のように上方へ向け、拳を握った。そして人差し指だけを立てながら疾患者は呟いた。
次の瞬間、僕が身を隠していた巨大な瓦礫が浮かび上がった。それはみるみるうちに高度を上げ、やがて天井近くで上昇を止めた。
「これが俺の力だ。咎人とはいえ到底この力に太刀打ちできるとは思えない」
一拍。そして紡ぐ。
「……その気になれば俺はお前を殺せる化け物になれるんだ」
「ッ……」
「それでもまだ敵対を続けるのか?」
彼の言葉には途轍もない威圧感があった。故に説得力があり、加えて咎人を畏怖させるのに十分であった。
「……協力してやる」
咎人は俯きつつ囁くような声で返答した。
その時、彼の伏せられた瞳が一瞬僕の方へと向けられた気がした。
疾患者は無言で振り返り歩を進めた。
直後、咎人は彼の真逆、つまり僕の方へと駆け出し始めた。このままではまずい。頭では危機を察知していても思うように身体が動かない。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「ハハッ! このガキを人質に」
ドシャッ!!
消失。咎人の声、足音、姿。まるで存在そのものが消滅したかのごとく僕の知覚の中から掻き消えた。咎人の代わりにそこにあったのは先程浮き上がっていったはずの巨大な瓦礫であった。瓦礫と接地面のわずかな隙間からは大量の赤が円を描くように広がり始めていた。
「ッ……!」
僕はこの光景によって両親の死が脳裏に甦った。
「すまない…… 惨いものを見せてしまったな」
「いや……」
僕は頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てながら曖昧な返しをした。
目の前に流れる大量の血液によって記憶が甦っているのだ。
幼い頃に体験した鮮血の記憶が。
これは僕が両親の死後、黒刀白夜から聞かされた話だ。
僕は殺しを生業とする家系に生を受けた。それが《覇魔》の家系である。
現代の殺しは一般的にライフルや拳銃などの銃火器を用いて隠密に、且つ一撃で対象の命を刈り取る。しかし覇魔の人間は違っていた。時代劇のように刀を使用するわけでも毒を盛るわけでもない。
異質中の異質、異端中の異端。
覇魔の血は身体機能を常人のそれとは比較にならないほど上昇させる。そのため銃剣などの武器を必要としない。その身が最強の矛であり、盾でもある。
覇魔の人間は常人が即死するような害も致命傷にはならない。
覇魔の一撃は対物ライフル弾にも相当する。
僕の両親もその身一つで数え切れないほどの命を消し去っていた。
両親はそんな覇魔一族の中でも史上最強とまで謳われていた。その圧倒的な力から母は《災華》、父は《禍罪》と称されていた。
最強且つ最凶。そんな両親の禍々しい血を継いだ僕は生まれる前から覇魔の期待を一身に背負っていたらしい。だが生まれてきたのは何の力も無いただの子供。覇魔の子供は生れ落ちたときからそれなりの筋力を備えており、その日のうちに直立二足歩行を始めるという。
しかし僕は立つことはおろか人並み以下の筋力だった。強すぎる血が打ち消しあってしまったかのように無力。覇魔の人間は落胆し、僕を異端児とした。
両親はそんな僕を放棄するでも虐待するでもなく、普通の子供のように育てていった。
あまりの無力さに迫害されることすらなく僕は十歳になった。
そして悲劇が起こった。災華、禍罪として恐れられてきた両親が何者かに惨殺されたのだ。
この時の記憶は前後が欠落しているため非常に曖昧なものだ。
僕は気が付くと赤い水溜りの中に呆然と立ち尽くしていた。
どちらを向いても赤、赤、赤。紅に染まるその空間は家の大広間であった。
僕の眼前には身体の至る所が抉られたように消失している両親の亡骸が転がっていた。その傷口から鮮血が飛び散り、辺りを紅に染めていたのだ。
広間に設置してある大鏡には頭からつま先まで血まみれの僕の姿が映っていた。棒立ちの僕は鏡に映る自身の姿を無感動に眺めていた。
腕から滴る血が何度も水溜りの水面を揺らす。そんな光景を幾度となく目に焼き付けた頃、僕は黒刀白夜に発見された。黒刀は凄惨な殺害現場に残り、僕は別の場所で彼と共に現れた人物に事情聴取などを長々とされたらしいが何一つ記憶にない。そして後日、様々な手続きを終えた僕は地の果てに罪の子として幽閉されることとなったのだ。
両親を惨殺した相手は未だに不明だ。しかし彼らをあれほど無残な姿に変えることのできる者がこの世界のどこかにいるということだ。