咎
「姐さん、こいつら治してくれ」
「はぁ~い。ちょっとあの子連れてきてくれる?」
咲神が指したのは少し離れたところで倒れている美來であった。僕は言葉通りに彼女を咲神の元へと運んだ。
「今からキミ達のダメージを回復させるわね。……でもそれは一時的な錯覚だから無理は禁物よぉ?」
錯覚。それが咲神の能力なのだろうか。僕はそんなことを思考しながら咲神の説明に小さく頷いた。それに対して咲神は柔らかな笑みを返してきた。
「《色欲の罪過》」
するとすぐさまその笑みを消し、瞳を閉じて小さく呟いた。
直後、咲神の周囲に紫色のオーラが発生した。そのオーラはただでさえ艶かしい咲神を更に妖しく演出していた。
「《感覚交錯》」
言葉を放ちながら咲神は僕達に手をかざした。
それに従うように彼女の周囲のオーラがゆっくりと僕達三人の方へと移ろい始めた。
僕と奏刃は慈しむような咲神の表情に目を奪われていた。いや、目だけではなく感覚やその他全てを奪われているようだ。
視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚。
ありとあらゆる感覚が働かない。それなのに何故か心地好いということだけは感じ取れる。
茫然自失になりながら咲神だけを見つめる時間。
それは数秒のはずなのに永遠を思わせるほど圧縮された時間であった。
「はい、これで大丈夫よぉ」
「「!!」」
その声ではっとする。それは奏刃も同じだったらしく目を見開いて瞬きをしていた。
停止していた感覚がゆっくりと活動を再開する。と同時に僕はあることに気が付いた。
連戦に次ぐ連戦により身体に蓄積していた倦怠感や疲労感、ダメージの一切が感じられないということに。
「ん…… あれ……? 身体が軽い……」
美來も目を覚まし、開口一番にそんなことを呟いた。ダメージが消えているという感覚は間違いではないようだ。
「え…… 誰……?」
美來は意識を取り戻して早々叛燐達を目にしたため頭上にはてなを浮かべながら呟いた。
「まぁ、敵じゃないから安心しろ」
僕はダメージが回復したことで説明よりも先に目の前の敵を倒すべきだと考え、美來への説明をその一言に凝縮させた。そして前方の破獣へと踏み込もうとした瞬間、叛燐が口を開いた。
「さて、お前らも回復したことだし…… 姐さん、広焔、茨。あそこまでの道を開くぞ」
叛燐は拳を鳴らしながら前方にそびえ立つ氷の塔を見据えた。
「ちょっ…… お前らだけじゃ」
僕はこの数が遮る道をたった四人で切り開けるわけがないと考え共闘を提案しようとしたのだが、その言葉を叛燐が手で制す。
「オレ達を誰だと思ってんだ? こんな雑魚の山を蹴散らすぐらいどうってことねぇんだよ」
叛燐が不敵な笑みを浮かべつつ言い切ると他の三人はそれに対して頷きを返していた。
「いくぞ……」
瞬間、四人の表情が真剣なものへと変化し、それと同時に纏う雰囲気すら変貌する。
「「《贖罪開放》」」
四つの声が重なり合った。そして四つの異なる光があたりを照らす。
聞き間違いではない。この四人は一字一句違えずに《贖罪開放》と言った。
彼らは既にそこまでの域に達しているのか。
叛燐は赤黒い溶岩のようなものに飲まれ、咲神は薄紫の衣に纏われる。そして刺城は自身の緑髪に覆われ、餓島は金色の炎に包まれた。
《贖罪解放》というものは一日二日で会得できてしまうものなのか。蒼海や蘭のものを見てきたが、どちらも絶異者の奥義と言っても過言ではないほどの威力を秘めていた。
僕が戦慄していると叛燐と咲神の贖罪開放が完成したのかその姿を現した。
叛燐は両手の肘から先と両脚の膝から下が赤黒く染まっている。それはまるで手足の先が溶岩に浸されたようであった。
一方咲神は身体に変化はないものの纏っている衣服が変化していた。天衣のような滑らかな質の紫の装束が彼女を包み込んでいる。ゆったりとしたそれは露出度が高く彼女の身体のラインを強調し、しかし何故かいやらしさは無くむしろ美しさを彩っている。その姿はまるで天女であった。
「姐さん」
「えぇ……」
咲神は小さく返事をすると破獣の軍勢に両掌を向けた。
「《夢幻鏡界》」
パリィィン、と何かが砕け散るような心地好い音が鳴り響いた後、こちらに向かってきていた破獣達が進行方向を転換してあらぬ方向へとバラバラと歩み始めた。中には互いを攻撃し合っている個体すらいた。
「みーんな食べていいんだよね?」
そんな中、叛燐の隣で贖罪開放を終えた餓島が問いかける。
彼の容姿には何の変化も見受けられない。しかし背後に黄金色の炎のようなオーラが揺らめいている。
「あぁ。いいぜ」
「やった! 《暴食の罪過》」
無邪気な笑みで喜んだ餓島の一言の後、彼の背後のオーラの量が倍加した。そしてそのオーラが変化していき何かが形成され始めた。
「《暴食王の顎》」
それは黄金色の巨大な頭蓋骨であった。しかし人間の骨格ではなく額には小さな角、眼窩は中央に巨大なものが一つだけであった。
「う~ん…… また頭だけだ。毎回身体まである大きいのを想像してるんだけどな~」
餓島は不満そうに呟いていたがすぐに破獣へと向き直った。
「まぁいっか。いただきま~す」
餓島がそう言いながら大口を開けると対応するように背後の頭蓋骨もその巨大さに見合う大口を開けた。そして餓島は勢い良く口を閉じ、歯を噛み合せた。
次の瞬間、彼の背後にあったはずの頭蓋骨が眼前の破獣の大群の中に移動してそれらを食い散らかしていた。一部分や半身、果ては全身を食い尽くされた個体もいる。部分的に食われた破獣の断面には黄金色のオーラの残滓が揺らいでいた。
「一口も残さないよ」
言葉の直後、突如としてオーラが極小の頭蓋骨へと変化して破獣の残った身体を肉片一つ残さずに食い尽くしてしまった。
「ごちそうさま」
餓島は満足そうに手を合わせて呟いた。
今のたった一回の攻撃で見える範囲にいる破獣の半数が跡形もなく消え去った。
咎人の力はこれほどまでデタラメなのか。僕はそう思わざるを得なかった。
地の果ての文献の中に能力の強さは七つの大罪の強さに比例するというものがあった。咎人のそれは他の人間の比ではないということか。
「つ、次は私が……」
僕が戦慄していると隣からおどおどした小さな声が聞こえてきた。そちらに振り返ってみるとボサボサの髪の毛が地面に広がるほどに伸びた刺城が破獣に不気味な眼差しを送っていた。黄緑色だった髪は深緑へと変化しており、今の彼女はまるで大樹のようであった。
「……《嫉妬の罪過》」
ゆらり、途轍もなく伸びた刺城の髪が緑色のオーラを発しながら揺らめいた。そして深緑の髪が浮き上がり、凄まじい速度で破獣の大群の方に伸びていった。
それらは束となり数十本の槍のように変化して残った破獣を串刺しにした。
「す、少ない…… 百本は出したつもりだったのに……」
刺城は自身の伸びた髪を見詰めて言葉を零した。発言から察するに餓島にも刺城にも更に上があるのだろう。僕は強力すぎる二人の力に背筋を凍りつかせていた。
「で、でもこの数なら十分ね……」
呟きつつ刺城は髪の槍に突き刺された破獣を睨みつけた。
「刺し殺せ……《串刺し姫の咆哮》」
瞬間、キィィィィィという金切り声のような不快な音が鳴り響き一瞬で破獣の身体に風穴を開けた。
「ぁ……」
圧倒的。
餓島と刺城のたった二回の攻撃で数千はいた大群を蹴散らしてしまった。これならすぐにでも氷華の元へたどり着けるかもしれない。
「「アァァァァ……」」
そう思った矢先のこと。前方、塔付近から更なる大群が呻き声を上げながらこちらに向かってきた。
「あ~ オレ達の異能に反応して集まってきやがったか」
「? どういうことだよ」
「破獣ってのは絶異者クローンの成れの果てだ。だから自分が得られなかった異能に反応して集まりそれを喰らおうとする」
そんな習性があったのか。だったらこの異様なまでの大群にも頷ける。
あの塔は絶異者、もとい氷華によって形成されたものだ。それもかなり強力なものだろう。それに向けて破獣が集まってくるのは必然と言える。
「まぁそんなことはどうだっていいだろ。オレが全部ぶっ殺すんだからよ」
叛燐は犬歯を見せながら不気味に笑った。
「準備しとけ。あの塔まで一気に道を開いてやる……」
叛燐はこちらに迫ってきている破獣の大群を睨みつけた。その様子はさながら獣が獲物に標準を合わせたようであった。
「《憤怒の罪過》」
言葉の後、赤黒く変化した叛燐の手足が発火した。炎とは思えない、影のような漆黒の炎。その不気味な炎は叛燐の強さを顕著に示していた。
「ぶっ殺せ……」
叛燐はその燃え盛る腕を天空へとかざす。すると彼の頭上で無数の岩石が形成されていった。
「《流星の怒号》!」
振り上げた手を声と共に振り下ろす。
刹那、頭上で形成された岩石が破獣の大群へと降り注いだ。岩石、というよりは隕石と呼ぶべきであろうそれは形成されるや破獣に降り注ぎまた形成されていった。
隕石が着弾するとその地点は爆散し、地下から溶岩を吹き上がらせていた。
「ッ……」
僕は眼前に広がる煉獄のような光景にただただ絶句するしかなかった。
それと同時に叛燐大牙という少年の恐ろしさを知ってしまった。彼は元々叛燐の血を持っていたにも関わらず、更に絶異者としての資質すら持ち合わせていた。条件は僕も同じようなものだが能力のレベルが違いすぎる。
彼と敵対したら僕は確実に負ける。そう確信させるほど叛燐の力は絶大なものであった。
「あ~あ…… これじゃ通れねぇか……」
叛燐は無数の隕石の落下によって煉獄とかした景色に呆れつつ呟き、右手を前方に突き出した。掌に漆黒の炎が凝縮されていく。
そして叛燐は笑った。
「《灼炎竜の逆鱗》」
直後、叛燐の右掌から漆黒の火柱が塔の方向へ一直線に放たれた。
その火柱は吹き出す溶岩や破獣に構わず、直線上の物質全てを焼き尽くしていった。
「さぁ行けよ」
叛燐はそう言いながら僕の背を叩いた。
「こいつらとはオレ達が遊んどいてやる」
叛燐は隕石や火柱から逃れた破獣に目を向けながら楽しそうに呟いた。
こいつは本当に心の底から戦いを楽しんでいるのだろう。地の果てにいた時よりも眼が輝いている。
「あぁ……いくぞ。奏刃、美來」
「よし!」
「うん!」
奏刃は掌に拳を叩きつけながら、美來は真剣な表情で、しかし小さく口元を綻ばせながら返事した。僕はそれを聞くとすぐに駆け出した。次いで二人が地を蹴った音が聞こえた。
「…………」
僕は直感的に分かっている。この先には必ず立ちはだかる人間がいるということを。
奴が、亜空間が必ず待ち受けている。
生物として根源的な恐怖を覚えるほどの強敵。
しかし絶対に負けるわけにはいかない。
僕の全身全霊、命をかけてでもあいつを倒して氷華を救い出してやる。