決戦
「見えてきたよッ!」
美來は前方を指差し叫ぶ。そこには焼け焦げたような漆黒の大地が広がっていた。その更に奥には巨大な塔のようなものが見て取れる。
「氷華はアレの中にいるんだな……?」
「そうだよ…… でもあそこには……」
僕が問うと美來は小さく頷いた後、表情に影を落として目を伏せた。
そこには死の未来が待っている、と言いたいのだろう。
「おい、レイア……」
そんな中、今まで黙りこくっていた奏刃が口を開いた。そちらに振り返ってみると彼は口だけではなく目も見開いていた。
「ッッ……」
「そんな……」
奏刃の視線を追って僕と美來は絶句する。
戦火で焼け焦げたものと考えていた漆黒の大地はそんな理由で黒く染まっていたわけではなかった。目を凝らしてみればその黒は蠢いている。蟻の大群のように小さな何かが内陸に向かって進行しているのだ。
「あれ全部…… 破獣だ……」
奏刃が震えた声で小さく呟いた。僕も眼下の光景に背筋を凍てつかせ、厭な汗が頬を伝う。
今見えているだけでも一万は下らないほどの数がいるだろう。そんな数を相手にたった三人。実質戦えるのは二人だ。勝てるわけがない。
そもそも僕の能力は一対多の戦いには不向きなのだ。いくら再生能力を無視して敵を朽ち果てさせることが出来る奏刃でもこの数全てを倒すまでは能力が持たないだろう。
「くッ……」
ここまで来ておいて諦めるのか。
ふざけるな。何故どいつもこいつも僕の邪魔をするんだ。
「美來…… 奏刃……」
僕の呼びかけに二人は無言で振り向く。
「お前らは大陸についたらどこかへ逃げろ」
これは死にに行くような無謀な戦いだろう。
氷華を助け出す目的は僕個人の勝手なものだ。そんなことのために関係の無い二人を巻き込んで死なせることなど出来ない。
「これは僕の問題だ。死の危険を背負うのは僕一人だけでいい」
僕の口から言葉が零れた直後、高度が下がり僕達の身体に重力が戻った。それはつまり大陸についたということだ。大陸に足がついたことを確認して僕は再び言葉を紡ぐ。
「……さぁ早く。ここから先は僕一人で行く」
僕は二人に背を、破獣の大群に目を向けて言った。それと同時に能力を発動させ臨戦態勢に入ろうとした。その時鈍い衝撃が僕の背中に走った。しかしそれは攻撃ではなく、ただ僕に衝撃を与えるためのものだった。
僕はその衝撃により前方へ倒れ込みそうになったが、何とか踏ん張って体勢を立て直した。
そして振り返ると僕の背後には脚を上げた体勢のままの奏刃と腰に手を当てた美來が偉そうに立っていた。
先程の衝撃と現在の奏刃の体勢から察するに、僕は奏刃に背中を蹴られたのだろう。
「バーカ。ここまで来て逃げろだ? 死の危険を背負うのは自分一人でいいだと? かっこつけてんじゃねぇよ。今更逃げねぇし一人だろーが三人だろーが誰一人死なせやしねぇよ」
「そうだよ、レイレイ。私は君が未来を壊すのを見届けるって言ったよね? 一人で行くなんて許さないんだから!」
二人は僕に言葉を投げかけてくる。僕の考えなど無視して自己の主張を押し付けてくる。
だけど―――
「ハハッ……」
そんなのも悪くない。
そう思うと僕は吹き出してしまっていた。笑いと共に様々なものが身体から抜けていく。
不安、絶望、葛藤。それらの全てが馬鹿らしくなり身体から消え去っていく。すると突然ふっと身体が軽くなり、肩からも力が抜けた。
「レイレイが笑ってる……」
美來は驚き半分不気味半分といった表情で、笑っている僕を見つめた。
「ッ…… 勝手にしろよ。僕は知らない」
笑いを無理やり抑え込み、僕は二人に告げた。
「あぁ、そうさせてもらうぜ」
「私も!」
美來と奏刃は笑い合うとすぐに返事をした。
「ただし、ついて来るって言ったんだ。来るなら最後の最後、全てが終わるまでついてこい」
僕は言い終える前に破獣の大群の方に向き直った。
その言葉に返事はなかった。だがそれでも二人がついてくることは空気で感じ取れた。
「後ろは振り返んじゃねぇぞ。お前は前だけ見てろ。後ろにあるのは思い出だけだ。今見据えるべきなのは前、未来だ。一人じゃ不安でもオレ達がいる。だから安心して突き進め!」
「あぁ……」
僕達三人は破獣の大群に、いやその先に囚われている氷華の元へと駆け出した。
駆け出した僕達の前を破獣がのろのろと進行している。それらは足音で察知したのか気配で感知したのか、一斉にこちらを向いた。流石にこの数と対面すると怖気付きそうになる。それでも僕は止まりかけた脚に鞭打って大群に突っ込む。
「アァァ……」
僕達を感知して破獣が次々と断末魔のような鳴き声を上げ始める。
そのタイミングで僕は砕かんばかりに地を蹴って破獣との間合いを一気に詰めた。
まず一体。人型に近い個体の頭部を握り潰すかの如く右掌で掴んだ。そして消滅間際の破獣の身体を足場に次の破獣へ。これを数瞬のうちに幾度となく繰り返すと最前線、破獣達からしたら最後衛に当たる十数体が一気に塵と化す。
「オラァッ! 朽ちろッ!」
続いて奏刃の蹴撃が破獣を捉える。その軌道上で黒銀のアンクレットが煌めいた。
その輝きが僕の眼に届く頃には破獣の身体は吹き飛んでおり、群がりを薙ぎ払っていった。
「レイレイ! 上!」
「!!」
数秒間ではあったが僕は奏刃の様子を立ち止まって見ていたため、美來の大声によりはっとした。後方上空からは小型の鳥型が数十体。空の一角を埋め尽くすほどの大群だ。
「二手に分かれて左右からくるよ!」
美來の言葉の直後、破獣はその通りに動いた。それらの一連の動きは一見黒い大蛇のようにも見えた。
僕はそれを視認して一歩飛び退く。すると左右から飛来した破獣は互いにぶつかり合い落下した。僕は落下した鳥の大群に向けて大きく右手を振るって赤黒い靄で遠方から全てを消滅させた。
「シンちゃんの後ろに三体!」
僕は戦っている奏刃に目を向けた。瞬間、僕はそこへと移動。美來の予知通り前方に三体の破獣が出現して攻撃を放ってきた。僕はそれを往なしカウンターを放つ。まず左右の破獣の頭部を握り、そのままの状態から前方に蹴りを繰り出し中央の破獣を押しのける。
直後、左右の破獣が消滅したのを確認するや、押し退けた破獣の背後に回り込み頭部に掌底を打ち込む。突き抜けるような衝撃がコアを破壊した。
「サンキュー」
僕と奏刃は背中を合わせた。
「上からでっかい鳥が来てその間に下の何体かが襲いかかってくるよ!」
「上」
「下」
僕が呟くと奏刃が即答した。途端に巨大な影が僕達を覆う。それを合図に僕は跳躍し、奏刃は瞳に力を込めた。
地上では奏刃がやったのか、破獣達の足元の地面が崩壊していた。僕はその様子を一瞥した後、すぐさま空を仰ぐ。
しかしそこには空など広がっておらずら全長五メートルを優に超えるであろう巨鳥が体格に見合う巨大な翼を広げていた。
巨大さは強さに直結するように思える。それはあながち間違ってはいない。
しかし身体が巨大ということは弱点も比例して肥大化する。頭上の巨鳥に至っては弱点であるコアが胸部に埋め込まれており、その大きさは通常の何倍もあった。
「邪魔なんだよ」
僕は既に巨鳥の懐に入り込んでいる。それを予想だにしていなかったのか、巨鳥はバサバサと翼を羽ばたかせたがもう遅い。僕はコア目掛けて全力の掌底を放った。右掌は赤黒い靄の尾を引きながら巨鳥のコアに吸い寄せられていく。掌底が命中するとコアは威力によって砕け、能力によって消滅した。コアの消滅は身体へ伝播し、やがて巨鳥は跡形もなく消え去った。
巨鳥を消し去り着地すると、先程まで群がっていた破獣が相当数朽ち果てていた。
「まだだ」
直後、僕と奏刃は同時に地を蹴った。
破獣は今だ五万といる。それでも僕は前へ進むためにその全てを壊す。
それからどれだけの時が経過しただろうか。美來の予知を聞き、僕と奏刃が撃破する。予知により戦闘の危険はかなり軽減されているため、順調に破獣の数を減らしていっていた。
僕達は少しずつだが氷華へと近付いている。そう思った矢先、戦闘の流れが崩れ去った。
「レイレ……イ……」
美來の声が突如として途絶えた。そちらに目を向けてみると、美來は地面に倒れ伏して息を荒らげていた。別に破獣に攻撃されてダメージを負ったわけではない。
僕はすぐに悟った。美來は限界に達したのだ。
彼女は戦闘開始から相当能力を酷使しており、僕達への伝達が間に合わない個体へは改変も使用していたのだ。そんなペースで能力を使用していたらすぐにガタがくることなど分かりきったことだったはずだ。
「ぐッ……」
僕が美來の方に目を向けていると背後から鈍い音と奏刃の小さな呻き声が聞こえてきた。
「やべぇ…… 力が……」
隣でゆらゆらと立ち上がった奏刃は片目を押さえながら小さく呟いた。その時、奏刃の能力の要である瞳には時計盤のような模様が明滅していた。
奏刃も能力の限界が近づいてきている。僕はまだ問題ないようだがいつまで保つか。
「くッ……」
じりじりと破獣が詰め寄ってくる。
ちらりと美來の方を一瞥してみると彼女の方にも破獣が集まり始めている。
どちらを優先するか。意識の無い美來か、破獣が目前に迫っている奏刃か。
仮に奏刃の方を優先したとしてすぐに破獣を撃破して美來の元へ向かえるだろうか。
「アァァァ!!」
そんなことを逡巡しているうちに僕の前方の破獣が痺れを切らしたかのように襲いかかってきた。
まずい。思考していたため対応が遅れてしまった。しかし無慈悲にも破獣の攻撃は迫る。
ここまでか。そう思った瞬間、空を何か巨大な物体が覆った。
そして声。
「やっと見つけたぜ」
その調子のいい声音と共に空から、いや空を覆う巨大な何かを貫いて無数の岩石のような物体が降り注いだ。それらはあたりの破獣を地面と共に爆散させていった。
ゴミのように吹き飛んでいく破獣の軍勢。その光景は圧巻の一言に尽きた。
僕達があれだけ苦労して倒してきた数を優に上回る数の破獣が数秒にして消し飛んだのだ。上空にいる声の主は確実に絶異者、それも亜空間クラスの力をもつ程の人間かもしれない。
直後、後方からボンッという小さな爆発音が僕の耳に届き、あたりは喧騒に包まれた。
「ちょっと! 何であの子まで消しちゃったのよ!」
「あ? いいだろ別に。どうせもういらねぇし」
「落っこちるの楽しかったから別にいいよ」
「死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬか思った……!」
異なった声音が飛び交う。
それらの声によって死地に等しいこの場の空気がガラリと変化した。
その後、段々と砂煙が晴れていき四人の姿を捉えることができた。
「……ッ!!」
見覚えのある四人。むしろ一度見たら忘れられないような強烈な印象の四人組。
その中の一人がこちらに振り返って口角を釣り上げながら言った。
「よぉ、レイア……」
その正体は―――
「叛燐……大牙…‥」
地の果てに幽閉されていた咎人の中で生き残った四人だった。
「二日ぶりぐらいだけど、元気だったぁ?」
赤黒い髪の少年、叛燐大牙の背後からぬっと人影が現れる。
やけに艶っぽい声音、艶かしい体躯。異性の目を引く絶世の美女、咲神璃宮は笑顔に手を振ってくる。
「元気なわけ無いでしょ璃宮姉。ずっと戦ってたみたいだし」
呆れるように言ったのは小さな子供である餓島広焔だ。
「死ぬかと思った死ぬかと思った……」
その隣でぶつぶつ呟いているのはボサボサの緑髪を背中まで伸ばした不気味な女、刺城茨。
「お前ら……なんで……?」
僕は頭の中に浮かんできた素朴な疑問をすぐさま投げかけた。
「キミを助けに来たのよぉ。ねぇ大牙ぁ?」
「ちげぇよ。オレは面白そうだと思ったから来ただけだ」
「もう、照れちゃって可愛いんだからぁ!」
咲神は自身の胸元に叛燐を抱き寄せながら満面の笑みで悶えていた。
「いや、どこが照れてん、うぷっ!」
対する叛燐は咲神の豊満な胸に顔を埋められて強引に言葉を切られた。
「おい、レイア…… なんなんだあいつらは……?」
僕の隣で、立っているのがやっとの奏刃が眼前の四人を見て呟いた。
「地の果ての咎人だ」
「こんなとこにいるってことは絶異者なのか?」
「いや、ただの」
「違うぜ」
いつの間にか咲神のホールドから逃れた叛燐は僕達の会話を切った。
こいつらは人間だったはずだ。叛燐は覇魔の分家の一族であるため人間を超越する身体能力が備わっていたが絶異者ではなかった。説明を求める僕の目線に気がついたのか叛燐が口を開いた。
「なったんだよ、絶異者に。あの薬でな」
「!!」
こんな状況の地上で無傷なことからその予測は頭の片隅にはあった。しかし僕はあの薬、《強制異能疾患剤》を飲んで全員生き残ったことに驚愕しているのだ。あの薬は投与された者の殆どを殺す悪魔の薬だ。そんなものを飲んで、更に全員が全員絶異者になれたというのか。
「そんな奇跡が……」
「奇跡じゃねぇ。オレはなれると思ってたぜ。っと…… 話してる間にまた来たな……」
言い切った叛燐は僕の後方に目を向けると小さく笑った。