遭遇 ~ヴァルナ~
僕の掌底も奏刃の蹴りもお互いの顔面目掛けて容赦なく放たれた。
僕達の攻撃はどちらも命中して対象を消滅させた。
「「アァァァァ…………」」
互いの背後に現れた破獣という対象を。
美來と蘭が絶句して僕達の様子を見ていた。その理由は僕が奏刃の左頬擦れ擦れのところに掌を通し彼の背後の破獣を、奏刃が僕の左側頭部寸前で蹴りを止め僕の背後の破獣を倒したからだろう。
「……なんだ、お前いい奴じゃねぇか」
奏刃は僕の左側頭部付近から脚を降ろすと無邪気な笑顔を向けて上機嫌そうに言ってきた。
僕はその言葉を聞くと伸ばしていた右手を引いて横に払った。すると掌の赤黒い靄がゆっくりと収束していき、やがて完全に消失した。
「僕がそのまま攻撃していたらどうしたんだよ……」
「眼を見てわかったんだよ」
呆れながら言う僕に奏刃は笑顔のままそんなことを言った。
「レイレイ、気づいてたんだ」
戦闘が終了した僕達に美來が近寄ってきた。奏刃のほうにも蘭が歩み寄ってきており美來と似たようなことを言っているのだろう。
「あぁ、あいつの後ろに影みたいなのが動いてたからな」
「でもハラハラしたよ。二人ともそのまま攻撃し合っちゃうのかと思ったもん」
確かにあの勢いのまま突っ込んでいったらそう思うのも無理はないだろう。
「なぁ」
そんな会話をしていると、正面の奏刃が声を掛けてきた。
「悪かった! オレの早とちりだったみたいだ。こっちの事情も話すからお前らの素性も教えてくれよ」
奏刃は頭を下げ、謝罪と懇願の念を込めた言葉を放ってきた。
「あぁ……」
僕達四人は隆起した大きな岩に腰掛けて話を始めた。
まず僕と美來がそれぞれ地の果て、空の果て出身者ということ。そこで何があったか。そして――
「僕の目的はその時に連れ去られた刻桜氷華を救い出すこと、それだけだ」
「なるほどな……」
「シンちゃん達は海の果て(ポントス)から来たの?」
美來は既に奏刃にもニックネームをつけていた。まだ僕のより全然まともじゃないか。
「あぁ、俺達のところも似たようなもんで《蒼海》っつー奴が襲撃してきた。そいつの力で海の果ては壊滅的なダメージを受けちまった……」
《蒼海》。襲撃者が異なっているだけで他の二つの収容所も似たような状況らしい。
「そん時に姉ちゃんやみんなが……」
奏刃は歯を食いしばり拳を強く握った。言葉を詰まらせた奏刃の代わりに蘭が口を開いた。
「海の果ての人達も大半が死んじゃったんだ…… 生き残っても大怪我を負っている人ばかり。 シンくんのお姉さんもその一人なんだ」
「……姉も絶異者なのか?」
「いや、オレも姉ちゃんも天能者だ。ただ姉ちゃんは能力も性格も争いには向いてねぇ。それなのに蒼海に立ち向かって死にかけた……」
異能を宿してこの世界に生まれ落ちたとされる天能者。そんな人間がこれほどの確率で出逢うものなのだろうか。蘭以外のこの場の三人は全員天能者だ。これは偶然などではなく何か運命的、出逢うべくして出逢ったという必然性がある気がする。
「能力…… そういえば二人の能力ってどんなのなの?」
沈黙を破って口を開いたのは美來だった。彼女は不思議そうな表情を浮かべながら奏刃達を見つめていた。
「ボクのは風を発生、操作するっていう単純なものだよ。だからここまでシンくんに助けられてばっかりだったんだ…‥」
蘭は微妙な笑みを浮かべつつそう説明した。
「じゃあ最初の竜巻はランくんの力だったんだね」
「うん。力の制御が上手くいかなくてあんな感じになっちゃたんだけど……」
僕は蘭の能力の説明を聞き終え、奏刃へと目を向ける。
「お前の能力は一体何なんだ? 戦ってみてもいまいち理解できなかった」
「あぁ、オレの能力は分かりづれぇよな。今から実践してみせる」
そう言い終えるとすぐに奏刃は目を閉じて一言。
「《奏刻の魔眼》」
そしてゆっくりと瞼を持ち上げ目を開けると瞳に先程の戦闘時と全く同じ模様が浮かび上がっていた。
「オレのこの眼は見たものの時を加速・逆流させることが出来るんだ。こんな風に……」
説明しつつ眼を地面に向けると視線が注がれている位置が朽ち果て、塵と化して消えた。
「逆巻け」
その声と共に塵と化した地面が元の位置に集結していき、やがて全くの元通りになった。
「す、すご……」
美來は目の前で起こった現象に感嘆していた。しかし驚きとともに僕の頭には疑問が浮かび上がった。
「その眼は見たもの全ての時を支配できるのか……?」
「いや、違う。この眼の力は自分以外の命を持つものには効かねぇ。それにオレがこの眼ではっきりと捉えられる物体でないと操作できねぇんだ」
なるほど、そういう制約があるのか。確かに見たもの全てを支配できるのであれば僕と戦った時や蒼海と戦った時にも身体を、というより命を加速させれば勝てただろう。
「けど生物に能力を通す方法もあるにはあるんだ」
奏刃は自らの足元に視線を落とし、足首に装備されているアンクレットを見せてきた。
「……! あの時か」
僕は奏刃が文字通り破獣を一蹴した時のことを思い出した。
「あぁ、あんときはコレを経由させて破獣の時を消滅まで加速させたんだ。オレの力なら破獣の再生能力は無視出来る。けどレイアの掌に触れたらアンクレット自体がぶっ壊れちまった」
「それが僕の能力だからな」
僕は説明するために両掌に能力を発動させた。
「《死滅者の掌》。僕の能力は形あるもの全てを死滅させる。これは無生物よりは効果が落ちるが生物にも有効だ」
「でもそんな力があったら亜空間っていう人にも勝てたんじゃ……」
僕は蘭の言葉を否定するべく、亜空間との戦闘について語り始めた。
亜空間の空間自体を消滅させる力。僕がそれによって消滅させられたこと。そして僕が消滅した空間を破壊して世界に帰還したこと。
「僕が空間を破壊してからの話は聞いた話だが、僕にはまだ自分でも理解できていない不気味な力があるらしい……」
三人は視線を落として黙り込んでいた。
その時だった。上空から尋常ではない殺気が降り注いできたのは。
「ッッ!!」
僕はすぐに首を上に向けて空を仰いだ。
「何か不思議な気配を辿ってきてみれば……」
そこには水で作られた二匹の竜のようなものが浮遊しており、その上には人間が座っていた。僕はその人間を見た瞬間、亜空間と対峙した時の感覚を思い出した。
群青色の肩あたりまである長い髪に青玉のような瞳。その美しい色彩に見合う整った顔をした青年であった。見上げているため正確か分からないが身長は僕より少し高いぐらいに見える。
「ッッ! てめぇ…… 《蒼海》!!」
奏刃は上空を仰ぎ、その青年を認識した瞬間血相を変えて叫んだ。
「こいつが……」
海の果てをたった一人で壊滅させた絶異者。だったら先程の感覚にも頷ける。
「……あぁ、また君か。君の能力は面白いけどボクの相手としては足りない」
蒼海は飽きた玩具を見るような冷めた目線で奏刃を見下ろした。
「そっちの君の方が楽しそうだ。 能力を見せてくれ」
蒼海は僕に視線を移ろわせるや、もう一匹水竜を作り出してこちらにけしかけてきた。
この青年は亜空間と同等の力を持っている可能性がある。迂闊なことは出来ない。
そう考えた僕は後方へ飛び退き水竜を躱した。
「あれ? 何で避けちゃうんだよ。能力で防げばいいじゃないか」
蒼海の言葉を聞いている最中、僕は背後に気配を察知した。
「アァァ……」
破獣だ。どこから現れたのか、完全に隙を突かれてしまった。その一体だけではなく、眼前には数十体の破獣が群がっていた。
「ボクについてきたのか…… 目障りだ、耳障りだ。消えろ化物」
その声と連動するように、僕に躱された水竜が方向転換してこちらに突っ込んできた。こちらに向かってきた水竜は僕ではなく、僕に攻撃を仕掛けてきた破獣を喰らっていった。それも一体や二体ではない。眼前に群がる全ての破獣が身体のどこかを失っていた。
僕がその光景を目の当たりにした直後、全ての破獣が水と化して地面に広がった。
「邪魔な化物は消した。だから早く見せてくれ」
「ッッ!」
僕は蒼海の圧倒的な力の前に唖然としていたため気が付くのが遅れてしまった。水竜が再び僕のほうに追随を始めているのだ。
水竜は既に僕の寸前にまで迫ってきており、この距離ではもう回避などという選択肢は消滅している。この状況下で助かる方法は一つだけ。奴の言う通りにするというのは癪だがすでにそうするしか手立てが無いのだ。
僕は突っ込んでくる水竜の頭部を鷲掴みにして握り潰すかの如く力と能力を込めた。
すると一瞬にして水竜は赤黒い靄に浸食され、蒸発するように消滅していった。
「なるほど…… 万物の破壊に異能による物理現象なら壊せるのか。けど……」
蒼海は頷きながらそんなことを呟いた。しかし言い終えて僕を見た彼の瞳には何の感情も篭っておらず、僕は思わず背筋を凍りつかせた。
「まだ足りないね。《刻鴉》だろうと力を得て間もない奴じゃボクを楽しませることは出来ない」
「お前の目的は一体……」
「ん? ボクはただ強い相手と闘いたいだけだよ」
蒼海が僕の問に答えた瞬間、彼の背後に突然人影が現れた。
「蒼海ァァァ!!!」
人影の正体、奏刃はその双眸に憎悪の念を込めて蒼海のことを睨みつけながら蹴りを放った。彼の放った蹴撃は能力によって常人には視認出来ない速度で蒼海に迫る。
「君の能力は見飽きたよ」
奏刃に背を向けたまま言った蒼海は自身の背後下方に再び一匹の水竜を作り出した。その水竜は完成した瞬間、昇天するかのように奏刃の下方から迫っていった。
「くッ……!」
奏刃は攻撃対象を変更して水竜に蹴りの軌道を合わせる。その蹴りは昇ってくる水竜とぶつかり合い相殺してしまったため蒼海に届くことはなかった。
「君の能力の汎用性はもう理解してる」
蒼海は奏刃を視界の端にすら入れずに言葉を紡ぎながら水の壁のようなものを作り上げた。それは奏刃と蒼海を空間的に隔て、奏刃の視界を全て奪っていた。
確かに蒼海は奏刃の能力を理解しているようだ。奏刃の能力はその瞳で正確に捉えたものの時を加速、逆流させる。視界を封じてしまえば能力の脅威は半減、どころかほぼ無くなってしまう。
「くッ……」
奏刃もそれを理解しているのか視界を塞がれたことに対して苦々しい表情を浮かべていた。
「君じゃボクの相手はつとまらない」
言うが早いか、蒼海は両掌付近から巨大な水竜を作り出して放った。それらは水の壁の左右を大きく迂回して奏刃に迫っていく。
「死になよ」
バッシャァッッ、という爆発のような物凄い音を立てて二匹の水竜は奏刃を挟み込むように喰らいつく。激突により水竜が壊れ、地上に豪雨を降り注がせた。
「シンくんッ!」
「シンちゃん!」
蘭と美來は揃って声を上げた。二人は奏刃が二匹の水竜の激突に巻き込まれたと勘違いしているのだろう。しかし僕には捉えることが出来た。激突の寸前、奏刃の影が物凄い勢いで落下して着地、直後再び蒼海へと向かって跳躍していったことを。きっと奏刃は自身の行動を加速させて高速落下し、再び蒼海に向かっていったのだろう。
「余裕かましてんじゃねぇよッ!!」
奏刃の怒号が上空から響き渡る。奏刃は既に蒼海の頭上に現れており、全力の蹴りを放とうとしていた。
「ッッ!」
蒼海は目を剥いて驚き、頭上からの攻撃に対処するべく上空を仰いだ。
遅い。遅すぎる。奏刃の加速した蹴りは少しでも反応が遅れれば終わりだ。
反応が遅れた蒼海に奏刃の蹴撃が命中する。
「朽ちろッッ!!」
皮膚が老朽化して裂け、中身の血肉が泡となって空気と同化した。奏刃の言葉に従うように蒼海の身体は蒸発して消え去ったのだ。その現象にこの場の誰もが勝利を確信した。
だが僕の確信はすぐさま疑問へと変貌する。何故蒼海は蒸発したのだ。奏刃が倒した破獣は灰のように朽ち果て消えていったではないか。
「ッッ! 奏ッ……」
僕がそれに気が付いた時にはもう遅かった。
「がッ……」
僕が上空を仰いだ時、奏刃の背後に突如として出現した水竜が彼の脇腹に喰らいついていた。
僕が気が付いたこととは――
「君の方こそ油断しすぎだ」
先程奏刃が蒸発させた蒼海は水で作られた分身だったということだ。
蒼海は奏刃の視界を遮っていた水の壁の中にいた。そして今、穏やかに言葉を紡ぎながら奏刃の脇腹に喰らいついている水竜の背に現れた。
「ボクがあの程度のことを予想できないとでも思ったのか?」
そしてそのまま水竜の背を伝って奏刃へと歩み寄り始めた。
「てめ……」
奏刃は何とか首を捻って片目だけで蒼海を捉えると苦しそうに小さく呟いた。
「もう一度言おう…… 君じゃボクの相手はつとまらない」
蒼海は奏刃を見下ろしながら言った。その言葉には見放すような、突き放すような冷酷な意志が組み込まれていた。
言葉の直後、奏刃に喰らいついている水竜が脇腹を食い千切った。
「ぐあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
奏刃の絶叫が木霊する。
「あ……ぁ…… シンくん……」
僕の近くで蘭が膝を付いて絶望したような声を上げる。
それと同時に上空の奏刃が大量の血液を噴出し、あたりに血の雨を降らせ始めた。
「ぐッ……ぁ…… いつか殺す…… 蒼海ァァッ!!」
奏刃は血を撒き散らしながら落下していく。蒼海はそんな奏刃に再び声を投げかけた。
「そうはならない。君はここで死ぬんだからね」
言葉の直後、僕の視界の中で何かが蠢いた。
「なッ……」