天運 ~クロノス・マティ~
僕と美來は随分と長い距離を歩いた為、雨風が防げる程度に形が残っている建物の中で休息を取ることにした。ここに至るまでの道中、人間の影を見ることはなかった。それどころか破獣以外の生物の気配すら存在しなかった。このことから第三次世界大戦が起こったことが真実で、地上に存在していた生物が絶滅してしまったことが伺える。
しかし死体すらないとはどういうことだろうか。破獣がそれらの全てを食らったということか。何の情報も無い今、この予想が最も考えられる理由だ。
「レイレイ、大丈夫?」
美來はそう言って椅子に腰掛けている僕の顔を覗き込んできた。
近い。その距離約十センチ程度。今にも美來の息遣いが聞こえてきそうだ。
「あ、あぁ……」
僕は返事をしつつ立ち上がり、自然と美來から離れて窓際に立った。そして建物の外に目を向けると、薄暗くなった外に破獣が数体群がっていた。
「怖いね、破獣」
隣に寄ってきた美來は僕の視線を追って破獣を見つめつつ呟いた。
地上について何も知らなかった美來は僕が知っていることを伝えたため、ある程度の知識をつけた。いくつもの衝撃的な事実に驚愕すると思っていたのだが、美來は案外冷静なものだった。予知という能力の性質上、世界の状況はなんとなく理解していたらしい。
「破獣なんて体表の硬度と再生能力が優れているだけで知能は低い。別に怖がるほどの生き物じゃないだろ」
僕は道中数体の破獣と交戦してきたが、弱点を理解していれば大した敵ではなかった。
「それはレイレイが強いからでしょ? 私の力じゃ勝てないよ」
「お前の力があったから弱点が分かって僕は簡単に勝てたんだ。人間適材適所で出来ることだけすればいい」
これまでは何の力も持っていなかった僕も力を得た。そんな今、僕にしか出来ないということもあるし、その逆も然りだ。
「そっか…… ありがと!」
「あぁ」
美來は笑顔でお礼を言ってきた。その後、彼女は再び外に目を向け、
「もう夜になるし、寝よっか」
先程までは薄暗い程度であった外にはいつの間にか完全な闇が降りており、曇天の隙間からほんの少しの月光が差しているのみであった。確かにこの暗闇の中を進むのは危険すぎるだろう。闇と一体化した破獣にどこから襲われるか分かったものではない。そのため今日はもうここで就寝してしまうのが懸命だろう。
「そうだな」
そして僕は床に、美來は長椅子のようなものに横たわり就寝した。
翌日の朝、達は廃墟を後にして再び北東へ向けて出発した。
「ねぇレイレイ」
歩き始めて少しすると美來が声をかけてきた。僕はそれに返事をすることなく、後方に少し向き直りながら話を聞く姿勢を見せた。
「レイレイが助けようとしている子はレイレイにとってどんな人なの?」
「僕にとって、か……」
僕はその問いに即答することが出来なかった。何故ならその問いの答えは自分でも理解していないことだからだ。
僕にとって氷華とはどういう存在なのだろうか。別に恋愛感情があるわけじゃないし、牢が正面だったというだけで特別仲が良かったわけでもない。
それなのに何故か彼女を失うことを恐れている。極めて不思議な感覚だ。
「分からない…… ただ失いたくない、それだけだ」
「……不思議な関係だね」
「そうだな…… もしかすると僕はそれを確かめるために彼女を救おうとしているのかもしれない」
僕は右拳を握りながら遠くを、氷華がいるであろう北東を見据えた。
「……私は最後まで見届けるよ。絶対にその子を助け出してね」
その言葉に僕はあえて返事をしなかった。何故なら氷華を助け出す決意はあっても確信が無いからだ。そもそもこれから向かう場所では僕の死が予知されている。ということはそこには死に直結する危険が待ち構えているのだろう。
僕はその危険を乗り越え、氷華を助け出せるのだろうか。
「その子、私と友達になってくれるかな?」
美來の一言によって僕のマイナス思考は打ち切られた。そして頭は彼女の問いに対する答えを思考した。しかし出てきた解は――
「無理だな」
「なんで!?」
美來は僕が迷いなく出した答えに対して素っ頓狂な声を上げた。
「あいつ不愛想だし無口だし、お前とは馬が合わない気がする」
「もう! なんでそういうこと言うの! 絶対友達になっちゃうんだから!!」
美來は頬を膨らましながらポカポカと僕の背を叩いた。
「……!」
「うきゅ…… 急に立ち止まってどうし……!」
歩みを止めた僕にぶつかった美來は僕の視線を追って絶句した。目の前に広がる光景は大陸を断絶したかのようなものだった。僕達の数歩前の位置から、眼下に奈落のような崖が広がっているのだ。
「ここって……」
「あぁ……」
一見崖に見えるこの場所は崖などではない。うっすらと表面に塩が張った地面にいくつもの魚の死骸。
「海だ……」
より正確に言えば海だった場所だろう。
「でも海水はどうしたんだろ」
「大戦の影響……じゃないな」
第三次世界大戦の影響だけで海が枯れるなんてことはありえないだろう。
「きっと絶異者絡みだ」
こんな芸当ができるのは絶異者しかいない。それも相当な、神にも匹敵するほどの強力な異能を宿す絶異者だ。
「こんなのって……」
美來は眼前に広がる光景に小さく呟いた。彼女の言わんとすることは分かる。こんな規格外の異能の持ち主が本当にこの世界に存在しているのか、ということだろう。
「方角はこのまま直進なんだろ?」
「え? うん」
「だったら降りるしかないな」
「え!? この高さじゃ無理でしょ!?」
美來は僕の言葉に驚愕の声を上げた。
「いや、僕の身体なら何とかなる。傾斜もなだらかだしな」
「ずっと思ってたけどレイレイの身体能力って……」
「あぁ、それは僕が《覇魔》っていう化物の一族の血を引いているからだ」
僕は美來の身体を持ち上げながら簡単に一言で説明する。
「何々!? お姫様抱っこ!?」
「これが一番持ちやすいんだ。我慢してくれ」
「ぇ……うぁ……うん」
美來は僕の腕の中で小さくなって囁くような返事をした。
「じゃあいくぞ」
僕は美來を抱えたまま海底への斜面へと跳躍した。着地と同時に斜め下方へのスライドが開始される。
「うわぁ~~~!!」
凄まじい速度で遠ざかっていく地上と景色の激流に美來は叫びを上げ始めた。
崖を滑走すること数分、僕達はようやく海底にたどり着いた。
「はぁはぁ…… 死ぬかと思った……」
地に足を付けた美來は肩で呼吸をしながら下ってきた斜面を見上げた。僕も彼女の視線をたどる。もう地上が天空のように感じられるほど低い位置にいるようだ。
地上への距離に呆然としている僕の耳に何やら風音のようなものが届いた。そちらに振り返ってみると何かが物凄い速度でこちらに接近してきていた。
「何だ……」
僕は接近してくる何かに敵意とも取れる視線を送りつつ警戒を強めた。よく見るとそれは竜巻のようなもので、あたりの小石や魚を巻き上げながらこちらに向かってきているのだ。
「どけぇぇぇぇ!!」
竜巻が声を上げた。いや、そんなはずはない。ならば一体どこから。
僕はあたりを見回すが、人影どころか何の影も認めることが出来ない。
「改変……出来ない。あの竜巻私の力じゃどうにもできない!」
美來の改変が及ばない竜巻。現象のため僕の掌でも壊すことは出来ない。だったら。
ドンッ、という破壊音を立てて僕は地面を大きく割り砕いた。そして砕けて舞い上がった岩石を回し蹴りの要領で蹴り飛ばし、竜巻へと吹き飛ばす。これで風の流れを崩して竜巻の形状が壊せるだろう。しかし、岩石と竜巻が衝突する瞬間、竜巻が雲散霧消して中から二つの人影が現れた。するとその人影へと向かっていた岩石が朽ち果て消滅した。
異能による破壊現象なのか。今の現象だけではどのようなものなのか全く予想できない。
そんなことを考えていると竜巻の推進力が未だに及んでいる二人の人影は僕達の寸前にまで迫ってきていた。迎撃するか。いや、まだ敵と決まったわけではない。
一瞬の思考。僕は傍にいる美來を引き寄せて竜巻から身を躱す。
僕達に躱された人影のうち一つは僕の背後十数メートル地点で地面を滑りながらも見事着地。もう一つは抉るような勢いで地面を滑り着地に失敗したようであった。
「……」
僕は背後に着地した人影達に向き直り、その姿を両の瞳に映した。同時に美來は僕の背に張り付き身を隠していた。
「何者だ……?」
砂煙が晴れ、手前に着地したのが男だということが分かった。
「てめぇこそ誰だ」
男は荒い言葉遣いで問を返してきた。よく見てみると男というよりは少年であった。
年齢は僕と同じくらいだろうか。真紅の短髪にアーモンド型の朱色の瞳。身長は僕と同じか少し低いぐらいだが僕よりもがっちりとしている。服は青を基調とした簡素なもので、足首には枷のような黒銀のアンクレットが装備されてる。衣服が青なだけに赤色の髪と瞳が際立っていて、目の前の少年はかなり異端に見えた。
「覇魔黎鴉……」
「オレは奏刃慎羅。てめぇはあいつの仲間か……?」
「?」
僕は何のことだか理解できなかったため、その言葉を頭の中で反芻させた。
「口篭るってことはそういうことみてぇだな……」
奏刃と名乗る少年は眉間に皺を寄せて敵意と共に言葉を放ってきた。それに次いでゆっくりと瞼をおろし瞳を閉ざした。
「《奏刻の魔眼》」
言葉が奏刃の口から零れていく中、彼の瞼がゆっくりと持ち上げられていく。
「ッ…… 何だ、その眼……」
僕は開かれた奏刃の瞳を見て驚愕した。彼の瞳は色こそ変わらないものの、眼球にまるで時計盤を思わせるような複雑な模様が浮かび上がっていたのだ。
「ッッ!」
僕はそれを危険と判断して両掌に能力を発動させ、臨戦態勢に入る。
覇魔である僕の反射神経であれば能力を目視してからでも回避することは可能だろう。
「朽ちろッ!」
奏刃が眼を見開きながら叫ぶ。それによって僕の警戒が限界点に達する。
「!?」
ガクン、と突然僕の身体が傾いた。一体何が起きたというのだ。僕は神経を尖らせて限界まで警戒していたし、奏刃も何のモーションも起こしていない。遠距離タイプの能力を使用したわけでもない。その場合は僕がこの目で補足しているはずだ。
「らぁッ!!」
僕が様々なことを思考していると、いつの間にか急接近してきていた奏刃が蹴りを放ってきていた。その足首には黒銀のアンクレットが装備されており、直撃すれば相当のダメージを負ってしまうことが予想される。
「ッッ!?」
僕はそれを躱すために地を蹴ろうとしたのだが、何故かそれが上手くいかなかった。その理由は簡単だった。僕の足元の地面が風化し朽ち果てていたためだ。
足場を崩された僕は回避不能となってしまったため、掌で受け止めるという選択肢をとった。しかし奏刃はそれを見て蹴りを中断、いや巻き戻して拳を放ってきた。
拳は蹴りとは対照的に早送りのように一瞬で加速して僕に迫る。なんとか反応して片腕で防御することに成功したのだが、拳の速度が早すぎたため身体が後方に押し飛ばされてしまった。
こいつは一体どんな能力を使っているのだ。
僕の足場を崩したり攻撃の不自然な加速。そして最も不可解なのは攻撃が巻き戻ったような現象。どれもあの異質な瞳によるものなのだろう。
「なんだよ、お前のソレ…… とんでもなく嫌な感じがする」
奏刃は赤黒い靄を纏う僕の両掌に目を向けて訝しむような表情で呟いた。
「レイレイ……」
戦闘開始時に僕から離れた美來が心配そうに声を掛けてきた。
「大丈夫だ。僕は負けない」
「シンくん、やめなよ! まだこの人達があいつの仲間だって決まったわけじゃ……」
奏刃の背後に立つ人物は大柄だったが話し方はゆったりとして優しげだった。
「うっせぇぞ、蘭。あんな不気味な異能、あいつの仲間に決まってんだろ」
「そんな決めつけ……」
その大柄な人物は図体に見合わない優しげな雰囲気の少年であった。長めの明るい茶髪に焦げ茶色の瞳。体格は僕より一回りほど大きい。
その少年は奏刃の言葉に気圧され押し黙ってしまった。
僕はその沈黙を打ち破るように地を蹴る。相手に戦いをやめるつもりがないのなら倒して止めるしかない。
次の瞬間、僕は奏刃の背後をとった。それに反応した奏刃は蘭と呼ばれた大柄の少年を払い除けて僕と正面を向いて相対した。奏刃は何かを勘違いしているようなので僕は掌ではなく拳で攻撃を仕掛けた。
「加速しろ」
「!?」
言葉の直後、奏刃の姿が僕の視界から消え去り、ほぼ同時に僕の背中に衝撃と鈍い痛みが走った。僕の動体視力を超越する移動速度。僕は背後の奏刃の力に驚愕していた。
背後からの衝撃によって僕は数十メートル吹き飛ばされ、更にその先には既に奏刃が現れて僕の身体を上空へと蹴り上げた。
「かはッ……」
僕は蹴られた腹部の痛みに耐えながら奏刃の次の行動を予測した。奴は必ず僕に追い打ちをかけてくる。僕は上空に背を向けて吹き飛んでいるため追い打ちをかけてくるなら――
「!!」
真上。
「読めてるんだよ」
僕は風圧に逆らって強引に身体を上空へ向けて呟く。
そして僕はすかさず、それなりの力を込めた拳を放つ。奏刃もそれを迎撃するために蹴撃を放ってきた。
「オォォォ!!」
雄叫びと共に奏刃の蹴りは異様なまでの加速を見せた。僕はそれを完全に視認できなかったため、咄嗟に拳を開いて能力を発動させ、蹴撃の軌道上に置く。
良くて相殺。最悪腕が吹き飛ぶかも知れない。
刹那、僕の掌と奏刃のアンクレットが触れ合い黒い火花を散らした。それが消えるや、奏刃のアンクレットが塵と化して消滅していった。同時、止まりきらなかった蹴りの作用反作用によって僕と奏刃は互いに逆方向へと吹き飛んだ。
僕は奏刃から目を離さないでいると、彼が自身の足元に目を向けることで霧散した塵が集結してアンクレットが再構築されていた。
それを見届けると、もう地面がすぐそこまで迫ってきていた。
そして着地。
「「ッッ!!」」
駆け出したのは二人とも全くの同時だったかもしれない。一瞬で互いの間合いを詰めた僕達は攻撃モーションに突入した。
「レイレイ!」
「シンくん!」
突如として戦いを見ていた二人の声が介入してきた。僕も奏刃も一瞬驚いたが二人が何を言わんとしているのかを理解し、そのまま攻撃を続行した。
「消えろ」
「朽ちろッ!」