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Guilty Hearts  作者: 夏芽 悠灯
第1章 開闢~The creation of the universe~
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予兆

 閉ざされた世界の外、こちら側とあちら側を隔てる鉄格子の向こうからの足音が僕の耳朶を叩く。

覇魔黎鴉ハマ レイア、最高責任者からだ」

 覇魔黎鴉。それが僕の名前だ。仰々しい名前ではあるが何の力も持たないただの十七歳だ。完全に名前負けしている。

 そんな僕に鉄格子の隙間から一冊の本が差し出され、僕はそれを無言で受け取る。手渡してきたアルビノ色の肌の人間は感情の消え失せた表情でそれを見届けるとすぐに僕の眼前から去っていった。

「……」

 僕は受け取った本、《ギリシア神話の神々》を開き、文字の羅列に目を落とす。何故あの人はこんなものを、と思いつつもページをめくっていく。ここでは時間だけが緩やかに過ぎ去っていくため時間を潰すものがなければ何一つすることがない。

 氷のように冷え切った床、石造りを思わせるほど硬質なベッド。それがこちら側の全てだ。

 ここには何もない。あるのは人間を閉じ込めておくための牢だけだ。両隣にも正面にも牢が並び立っている。

 鉄格子に収容者。この場所は監獄なのか、いいや違う。正確に言えば監獄の役割もなしてはいるがここはある特定の人物を収容する施設だ。

 正式名称、完全隔離収容所 《(タル)(タロス)て》。

 《地の果て》はその名称通り地下十数キロメートル地点に存在する。このような施設は他に二つ、海淵に位置する《(ポン)トスて》、対流圏の最上部に浮く《(ウラ)ノスて》。そんな場所にどのようにして建造されたのかは分からないが、その二つの施設も似たような構造となっており用途も同じだ。

 《地の果て》《海の果て》《空の果て》に幽閉されている人間は大きく分けて三つに分類される。

 分類一、歴史上から抹消されるほどの大罪を犯した《咎人とがびと

 分類二、《咎人》の血を引く《(つみ)

 分類三、現代の医学では治療することのできない奇病・難病を患う《疾患者しっかんしゃ

 僕は罪の子として地の果てに収容されている。罪の子の多くはただ咎人の血を引いているというだけで収容されている者が大半を占めている。多くの罪の子が理不尽と感じているはずだ。しかし僕はそう思わない。何故なら僕は幼い頃に両親を亡くしているからだ。もしそのまま収容されることなく、子供一人で社会に放り出されるような事態に陥ったらどうなっていただろうか。

 その点この収容所は自由を剥奪されるだけで食事や安全は保障されている。だから僕は今のこの状況に不満はない。

「レイア……」

 牢の正面から氷刃のように冷え切った声が届いた。声の主は僕と同じく罪の子として収容されている少女だ。

「何か厭な感じがする……」

「またお前の《予感》か? 厭な感じって、地の果ては何が起ころうと安全だろ」

 刻桜コクオウ 氷華ヒョウカ

 それが正面から声を放ってくる艶やかな黒髪の少女の名だ。冷徹な印象を与える非常に整った顔に、背中まで伸ばした美しい黒髪。大きな藍色の瞳はまるで宝石のように外界の光を反射しており、瞬きによって降ろされた長い睫毛が時折それを遮っている。艶っぽい唇は頻繁に動くことはなく、基本的には引き結ばれている。僕の返答を聞き取った彼女の耳はほんの少し鋭く、鴉羽のイヤリングがつけられている。総合的な出で立ちは北欧神話におけるエルフと言われても遜色がないほどの秀麗さである。常に冷静で物静か、美少女というよりは美女という言葉の方が彼女を表すには適当だろう。年齢は僕と同じ十七歳だが、移り代わりのない表情が彼女を大人びさせている。

 更に氷華には特質的な力がある。それは先程僕が言った《予感》だ。彼女は後に起こる事象をぼんやりと感じ取ることができるのだ。しかし予感程度と馬鹿にも出来ない。例えば隣に収容されている罪の子が舌を噛んで絶命したときも氷華は予感として嫌な気配を感じ取っていた。咎人が連行中に大暴れして看守の一人を殺したときも同じように予感していた。僕が聞いた中ではその予感が外れたことは未だに一度もない。

「そもそもこの中じゃ僕達に直接害のある不幸なんてそうそう起こりえない」

 僕のその言葉を否定するべく氷華は頭を振った。その動作により彼女の黒髪がさらさらと音が聞こえてくるのではないかと思うほど滑らかに揺れ動いた。

「今までのものとは桁違い…… 悪寒に変貌してしまうほどの悪い予感……」

 その言葉が嘘ではないことを証明するように氷華の顔からは血の気が引き青白くなっていた。僕はそんな氷華を見て確信した。この後、確実に僕達の身に何らかの巨大な不幸が降りかかることを。

 氷華の様子を見つめつつ、僕は自身の首から提げているネックレスに触れた。両親の形見である鴉羽のネックレスに。

「くッ……ぁ……」

 そんな中、氷華が呻きながら倒れ伏した。

 ゴゴゴゴゴゴゴ…………

 直後のことであった。僕たちの遥か頭上、つまりは地上から大気の揺れを伴う轟音がゆっくりと響いてきた。それが地の果てに辿り着くや、その全てを大きく震撼させた。

「ッ……」

 突如として襲ってきた巨大な揺れに対応できず、僕は体勢を崩し膝を付いてしまった。

 数秒の後、揺れは収束し辺りは物音一つしない無音の世界へと変貌を遂げた。

「おい看守! 何だよ今の揺れは!」

 しかしその世界は一瞬にして崩れ去り、あちこちの牢から怒号が飛び交い始めた。きっとこれは頭の悪い咎人共のものだろう。僕は飽き飽きして再びベッドに腰を下ろし、そしてちらりと牢の外を一瞥した。

「……!」

 忘れていた。この騒ぎの直前、彼女はあまりの悪寒に倒れ込んでしまっていたではないか。

「ハァ……ハァ……」

 氷華は行き過ぎた予感から変化した悪寒によって冷え切った床に倒れ臥し、肩で呼吸をしていた。うつ伏せの状態の彼女の顔は先程よりも更に蒼白で額には玉の汗を浮かべていた。

「氷華……!」

 そんな状態でも辛うじて意識を保っているのか、彼女は虚ろな瞳を懸命に動かし僕を視界に捕らえた。

 ドクンッ、と心臓の音が高鳴る。

 その瞳を見つめた瞬間、僕は彼女を救わねばならないという使命感のようなもの感じた。

「看守! 罪の子刻桜氷華の様子がおかしい!」

 僕の声に反応し、研究員を思わせる白衣を纏った看守が氷華の牢の前へと歩み寄っていった。するとすぐさま白衣の胸ポケットからカードキーを取り出して氷華の牢のロックを解除した。

 看守は開いた氷華の牢に足を踏み入れ、彼女を抱えて去っていってしまった。

 その日、氷華が牢に戻ってくることは無かった。 


 翌日、僕が目を覚ましても正面の牢に人影は無かった。

 精密検査などを受けて安静にしているためだろうか、などと考えていると二つの足音がこちらに近付いてくるのが察知できた。

 足音の間隔は僕の牢の近くで緩まっていき、やがて正面の位置で停止した。

「氷……!?」

 まず僕の目に映ったのは身体の前で手を組み手錠をかけられている氷華だった。しかし罪の子である彼女がたった一人で帰されるはずも無く、その背後から監視役の人間が姿を現した。

 僕はその監視役の人間の姿を見て驚愕した。その人物は僕の恩人であり、最も関わりたくない不気味な人間――

「……黒刀コクトウさん」

「やぁ、久しぶりだねレイア君」

 氷華の背後から歩いてきたスーツ姿の長身の男は狐のように釣り上がった双眸に僕の姿を収めると小さな笑みを浮かべつつ挨拶してきた。

「こちらこそ……」

 この男の名は黒刀コクトウ 白夜ビャクヤ。両親を亡くした僕を拾い、この施設に入れてくれた人物だ。しかし僕はこの人に心を許してはいない。

 黒刀白夜という人物は何を考えているのかが全く分からないのだ。今もそうだが、いつも取り繕った偽物の笑みを湛えながら話す。そういう所がいけ好かないし不気味だ。

「ここでの生活は相変わらずかい?」

 黒刀は氷華の手錠を外し、牢へと誘いつつ問うてきた。

「えぇ…… ここは相変わらず何も起こらないで時間だけが過ぎ去っていきますよ」

「何も起こらないということはないだろう。昨日のアレはここにも届いたはずだよ?」

「! 昨日のことについて何か知ってるんですか?」

 僕は昨日の巨大な揺れについて黒刀が何かしらの情報を持っていると踏んで質問した。

「あぁ、知ってるよ」

「一体何が……」

「けどキミに教える気も意味もない。地の果てにいる限りそんなことを知ること自体無駄にしかならない」

 そのときの黒刀の細く開かれた瞳によって僕は背筋を凍て付かせた。

「キミはいつかここを出る。その時に嫌でも知ることになるよ」

 黒刀は断言した。何を根拠にそんなことを口にしているのかは分からない。しかしこの人は確証のないことを口にするような人間ではない。だから僕は黒刀の言っていることはいずれ現実になると確信した。

「……あなたは一体何者なんですか?」

「そんなことキミも知っているだろう? 完全隔離収容所所属疾患者管理研究施設第一責任者なんて大仰な呼ばれ方してるけど…… ただの研究者だよ」

 黒刀は陰の落ちた表情から一転、柔和な笑みを浮かべてそう言った。

「…………」

 嘘だ。

 確かに疾患者の奇病・難病を主として研究しているとは言っていたがこの人はそんなところに納まる人間ではない。光さえ届かない、世界の闇の深淵にいるような人間だ。

「さて…… 私はそろそろ地上に戻るよ。そしてもう二度とここには来ないから今日でキミと会うのは最後になる」

 淡々と言葉を紡ぎ、そして継ぐ。

「じゃあまたね、レイア君……」

 黒刀は言い残し、来た道をゆっくりとした歩調で戻っていた。

「えぇ……」

 黒刀白夜。地の果てにいるどんな咎人よりも不気味でドス黒い何かを抱えている人間だ。あれほどの闇を抱えている人間と僕はもう二度と顔を合わせたくはない。

「あの人と面識があったの?」

「あぁ…… 両親を亡くした僕を地の果てに入れてくれた恩人だ。けどまぁ……信頼はしてない」

「私も彼によって今この場所にいるの…… けどあなたと同じで全く信頼はしていない」

 氷華は去っていった黒刀の背を見つめながら、睨むように目を細めて言った。

「! お前も黒刀によって保護されたのか?」

「えぇ……私は七歳の時に地の果ての入り口に捨てられていてそれをあの人に保護されたの」

「なんでそんなところに……?」

「分からないわ。そもそも私からは七歳以前の記憶が欠落している…… 親のことはおろか自分のことすら良く理解していない……」

 氷華は記憶を失っていることを畏怖するかのように自身の身体を抱きながら目を伏せた。

「…………」

 壮絶な過去を抱える人間は地の果てに山程いる。僕も氷華もそのうちの一人だ。

 自分と似たような境遇を持つ者だからこそ察知できる。過去にはそれ以上踏み込んでくるな、というシグナルを。

 だから僕はもうそれ以上氷華の過去を追及するようなことはしなかった。

「まぁ、なんだ。予感で倒れたんだからもう少し休んでおいたほうがいいんじゃないか?」

 僕は話を逸らすためベッドに腰を下ろしながらそんなことを言った。

「そう……ね」

 氷華は僕の気遣いに気が付いてしまったのか小さく頷きベッドに横たわった。


『キミはいつかここを出る』

 あれは本当のことだろう。

 ならあの一言にはどういう意図が隠されていたのか。

『今日でキミと会うのは最後になる。じゃあまたね、レイア君……』

 最後になると言っておきながら故意にそう言い残した。

 その一言により僕はまた彼と邂逅することになると確信してしまった。それも今度は牢の外、地上で。

「レイアッ……!」

 普段は大声を出さない氷華が声を張ったため、僕はすぐさま身を起こして彼女の方へ意識と視線を向けた。

「昨日の予感は昨日のものじゃなかった……」

「……どういうことだ?」

 いつになく真剣な氷華の眼差しに少し気圧された僕はすぐにそう聞き返した。

「私もおかしいとは思っていたのよ。あの程度のことであれほど気をやられるなんて……」

「つまり……?」

 次の言葉を急かすように氷華を凝視し一言。

「何故タイムラグが生じたのかは分からない。けどこれだけは確信できる……… 昨日の予感は今日これから起こるもっと大きな不幸の予感だったのよ……!!」 

 氷華は力強く、はっきりと言い切った。

 そして彼女の言葉は現実のものとなる。

 ドゴォォォォォォォン!!!!

 天の咆哮。

 そのような表現が適切なほどの凄まじい爆音が天、すなわち地上から降り注いだ。

 刹那。爆発の余波であろう巨大な揺れが地の果てへと届き、その全てを震撼させ始めた。

「「くッッ……」」

 揺れは収まるどころか加速度的に巨大化していき、遂には座っていることも困難なほどのものと化した。僕も氷華も床に倒れこんで必死に揺れに耐えていた。

 次いで爆音のような破壊音。激震に耐えかねたのか数十メートル上方の天井の一部が崩壊を始めたのだ。

 天井は瓦礫と化して僕たちの牢の上や通路に降り注ぐ。多くの収容者はパニックに陥っているのか地の果てには怒号や悲鳴が木霊していた。そんな中、僕は氷華の方に目を向けた。

 その瞬間、僕の前方に巨大な瓦礫が降り注ぎ、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの途轍もない轟音と共に、牢自体を吹き飛ばすような突風を巻き起こした。

「くッ……」

 背後に引力点が発生したかの如く身体が一瞬にして吹き飛んだ。ゴッッ、という鈍い音と共に後頭部へと物凄い衝撃と痛みが迸った。

「ぐぁ……」

 衝撃により思考が不可能となる。やがて視界が歪み、瓦礫が地面に打ち付けられる轟音さえもが遠ざかり始めた。

「う……ぁ……」

 瓦礫の雨が降り注ぐ惨状の中、僕の意識は失われた。

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