チート‐その2 ~ この世界と物々交換、そして酒場の女将について
異世界異世界、と言ってきたがこの世界には一応名前があるそうだ。
その名は、『ユニベール』
50億年程前に創造神により生み出されたこの世界。
だが、創世の強い光は同時に闇も生みだした。
万魔の王、ニュイという存在と創造神の戦いは創世のその日から3億年にも及び、
最後には両者ともに力を使い果たして世界の深い深い位相に沈み込んで消えてしまった。
だが、両者はそれでも争いをやめる気がなかった。
それゆえに自らの現身を送り出す。
光の王、ルミエール。
闇の王、オブスキュリテ。
俺の召喚されたこの『マニフィクツ』、国の名前でもあり王都の名前でもある此処は、
前者、光の王、ルミエールの子孫の国であるらしい。
で、俺たち日本人を召喚した理由は、闇の王の子孫である「魔王クリミネル」の誕生と彼に付き従う魔族の活性化により急速に『マニフィクツ』の領土が侵食され正に「人類の危機」に瀕しているからだそうだ。
とはいえ、今は辺境地域のみに被害がとどまっており、勇者も現れたという事で活気はある。
思ったより町の空気は緊張していない。
…と、あのお姉さんに聞いた。
聞けば、お城の女官でお姫様の直属にあるエリートの卵なんだそうな。
それは兎も角。
初めての異世界の王都に繰り出した訳だが…。
――正直、俺は異世界を舐めていた事を知った。
……ああ、ドワーフね、とか。もしくは、エルフが少ないながら歩いているね、ああ、本当に美形だね、だとかハーフリングは本当に子どもみたいな背丈だね、とか。
そんな感想を第一に抱くと思っていたのだ、今この瞬間までは。
だが実際に、一番に、頭を占領したのはそんな事ではなく。
目の前に広がる、音楽と踊りと熱気。
……そして、見た事も無い様式の建物に圧倒された。
――何者の計画も統制も受けず、
――粗野で素朴でいながらも、
――根源的で根から葉の先まで通った命そのままに。
それらは不可分でありながら自由奔放。
自分勝手でありながら相互に補完して、一種の原始的な美を形成していた。
「ああ…」
美しい、と単に言葉に出すのは野暮に思うと続ける言葉が失われてため息がこぼれた。勇者とやらにはなり損ねたし、綺麗なオネーチャンと懇ろにもなり損なったようだが。
――これだけで、異世界に渡った意義はあった。
目の前の光景にはそう断言できるだけの価値が、少なくとも俺にはあると思えたのだから。
※※※
「あの…」
どれくらい、そうしていたのだろうか。
我に返ったのは背後から声をかけられたからだが、そうでなければ更なる時間を木偶のように突っ立っていたに違いない自分に苦笑しながら振り返るとそこにいたのは。
「あなたは……、日本人、です……か?」
くりっとした目がやたら印象的な青年だった。
見るに異世界見物に繰り出したは良いが戸惑い、同郷の人間を探してしまったという風情か。
「ああ。俺の名前は倉木 築人だ……が、自己紹介を長々する前に、どこか店にでも入らないか? 折角異世界に来たんだし」
「は、はい!」
「綺麗なチャンネーがいると尚良いんだが…」
「え!?」
青年は目を丸くする。見た目通りそういうのに免疫はない…、か。
「おっと、何でもない。すまん。それよりも、適当な店で…そこなんかどうだ?」
まあ、所謂「酒場」といった風情の、目の前の店を顎でしゃくった。
通りを歩いていて「料金表」が掲示されている店は珍しかったが、そこはそんな珍しい店の一つらしい。それでいてそこそこ粗野っぽく野性味溢れる活気が店の外まではみ出しており「異世界」を堪能しながら一杯やるには良い塩梅に思われたのだ。
「は……、はい……」
「そうか。なら、決まりだな」
こうして、俺はこの気弱そうな青年と一杯ひっかけていくことにしたのだった。
※※※
「……なるほど。田沼君のチートは”物々交換”って分けか。確かにバトル向けじゃあないかもな」
「はい……」
青年は酒も入ってか、栗鼠の様な顔面をくりくりとせわしなく動かしている。そのせいで目端に溜まったわずかな水滴が今にも落ちそうだ。
……ちょっと可愛いかもしれない、と思った俺はヤバいのかもしれない。酒のせいだな、きっと。
青年の名前は田沼靖幸。
IT関連会社に勤めていて趣味はラノベとネトゲ。
異世界に憧れて転生したはいいものの、俺と同じくやる事の無い城内ニートとなってしまい、
町をうろついていた所、スーツ姿の俺を見つけて同郷とわかり話しかけてしまった、そうだ。
26歳というから立派な青年なのだが良くて大学生くらいにしか見えない容姿、そして何よりその言動!
大よそ男らしくないと言っていいのだが、これがいわゆる「草食系男子」というやつか。
あるいは通り越して「草」、の方かもしれん。
まあ、年上の女性からちやほやされそうでもあるが、どちらにしても捕食される側にしか見えない。
そんな彼はちょっとした手品を見せてくれた。
目の前の俺のエール酒と彼の木の実ジュース。
それに対して「”交換”!」と唱えると…
「……入れ替わった!?」
思わず感嘆の声を上げた。
種も仕掛けもない、どころではない。目の前で握りしめていたエール酒のジョッキが木の実ジュースのカップにすげ変わったのだから。
「……ほっ」
そんな俺の様子に自慢げではなく、ほっとした様子で胸をなでおろす青年。彼はきっと、主張の強いタイプではないのだろう。
しくじらないで良かった、と心の声がこちらの方まで聞こえてきそうである。
聞けば彼の物々交換のチートは距離も質量も関係なく任意の物の位相を入れ替える能力なのだそうだ。
よ~く考えれば魔王の軍勢討伐に大きな貢献ができそうではあるが、もっと直接的なチートである光の勇者がいる以上、無理に提案しても仕方あるまい。
ちなみに酒場は”そこそこに野性味あふれる”をテーマにチョイスした通り、周りにはスキンヘッドやら脛以外にも色々傷がありそうなのがゴロゴロといて、しかし、そんな中に花とばかりにエルフの女冒険者?といった様な姿も見えていた。
田沼青年は既に2,3回ハゲやモヒカンに絡まれていたが、向こうも悪気は無い様で…適用にいじくると自分の席に帰って行った。
その度に。
(ふるふる…)
子犬の様な目でこちらを見てくれるが。……正直男は専門外なんで、そこは彼の自主性に任せる事にした。
そんな感じで彼と飲んでいると、
―ガタン!
突如酒場の、何と言ったらいいか、そう。西部劇の様な雑な扉だかゲートだかわからないものがかなり乱暴に開いた。
何事かと見れば、そこには。
「”親父”! ビール……じゃなくてエール酒頼むわ」
大学生くらいか?
チェックのシャツによれよれのジーンズ。そのくせメガネと時計だけには気を使った男がちょっと気取った仕草と共に酒の注文を発すると酒場へと足を踏み入れた。
「あ・・・」
田沼青年が気まずそうな声をあげかけるが、遠慮がちに引っ込んだ。
なぜなら・・・
「ぉおおお″ぃぃっ! ランチェラ姉さんに向かって”親父”たぁ何事だぁこの野郎っ!?」
直ぐに野太い声がカウンターの向こうから弾けたからだ。
そう。
この酒場の主人は一見屈強に見えるが、断じて「親父」ではない。
「女将さん」もしくは「お姉さん」と呼べればエクセレント。明日から立派な営業マンになれるだろうが、、、社会で打ちひしがれる直前、「今まさに春!」の人生ピークにあるだろう彼には「様子を見て行動する」という習性は無いに相違なく、……それ故にアリガチなトラブルにはまった様だ。
歯が折られるか、何かが掘られるかは知らないが、まあ、いい勉強になるだろう。
…皆そうやって大人になるもんだ。俺がそうだった。掘られてはいないが彫り物のあるお方に詰められた事なら2や3度はある。
「あ……、あ……」
こいう場面に出くわした事の少なそうな、優等生然とした田沼青年は惨劇を予想して固まっている様だが、…俺は面白おかしく高みの見物を決め込むことにした。
(折る……掘る……折る……掘る……)
手遊びに花びらをつまみながら放り投げていく。手近にあった菊に似た花で始めてしまったので占いの結論が出る前にすべて終わってしまいそうだが。
と、そうこうするうちにも親父…否、”女将”が動き出した。
(……早い!)
流石異世界というべきか。
人間である事を疑うレベルの俊敏さで巨躯が無知な若者に迫ると、
――すぽんっ!
若者の衣服が飛び上がった。
……もう、ズボンしか残ってない状況に。
「うふふ……礼儀を教えてあ・げ・る……わっ!」
そうして獰猛に血走った視線を下半身に寄せるとそこにも手が伸びる。
(かわいそうに。”掘られる”の方だったか……)
予想以上のスピード確定に菊もどきを毟る手を止める。
一方、止まらずむしられそうになる青年のズボン…いや、今それも毟られた。
「!?」
目ん玉を真ん丸に。田沼青年はいつも以上にビクビクしているが、
そんな様子を他所に、状況は更なるカオスへと向かい進んでいく。
「さあ、最後はそのぱん…」
いよいよ最後の砦に熊の如き手がかかる。
(……もうダメだ!)
……とでも言う様に、何故か他人事にも関わらず祈るようにして目を瞑った青年はきっと善良な心の持ち主。
他方、wktkしている俺は……一体なんなんだろうな。
ひょっとすると……悪魔なのかもしれん。
ただ他にも俺の様に対岸の火事を楽しみたい野卑な期待の目は多い。
周囲の大多数の好奇の目と一部の祈りは渾然一体となり、酒場を異様な空気が包み込んだ。
だが、そんな中、予想外の事態が起きた。
「”平伏せぃっ!”」
青年が、妙に威厳ある声を発すると、
っざ……。
(…………!?)
熊の様な親父…女将だけでなく、
ざっ……!
ざざざっ……!
酒場中が皆、意志と関係なく土下座を始めたのだ。
(な、なんだこれ……)
俺も、田沼青年も例外なく。
酒場にはパンツ一丁の若者と、それを中心にしてひれ伏す荒くれ共、という奇妙な絵面が展開されたのだった。