農村
山の斜面に点在している、小屋や畑。
至る所で鍬を持った男たちが汗を垂らして働いている。
どうやらここは、農村のようだ。
山に作られた村だからなのか、大きな岩なんかもそのまま残っている。
空気は澄み、その日は天気も良かった。
連れてこられたのは、その村では一番大きな屋敷だった。
「あ、ちょっと、マスター様、何をしておられるので?」
「え?」
玄関先で、靴を脱ごうとして止められる。
「マスター様は変わった習慣をお持ちのようだ」
小太りの男は和ますように笑った。
「あ、あはは……」
そう俺も笑って、靴を履きなおす。
あれ?でも俺、何で靴を脱ごうとしたんだっけ?
連れてこられたのは屋敷の一番奥の部屋だった。
さらに奥の玉座のような大きな椅子に、小太りの男が座る。
部屋の中にはすでに、使用人らしき者が何人も壁際に整列していて、その光景はまるで王への謁見のようだった。
男が椅子に座るのタイミングに合わせて、両サイドにいる使用人が一斉に片膝を折った。
どうやらそれが礼儀のようなので、合わせて俺も膝を折る。
「ああ、いえ!マスター様は、そのままで結構でございます!」
「は、はあ……」
小太りの男が言うので、俺は折りかけた膝を戻す。
やがて、がたがたと屋敷の中が騒がしくなってきた。屋敷の使用人が何か準備を始めたようだ。
「さて」
小太りの男が咳払いをする。
「ご挨拶が遅れましたな。私は、このヤシロ村を総べるココと言います。
隣にいるのはコルム。私の子息になります」
村長の紹介に預かり、コルムが頭を下げる。
その動作は美しく、立派な教育を受けている事が分かる。
「さて、ではこの村のご説明にあがりたいと思いますが……失礼ですが、先にお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「え?」
村長にそう言われ、俺は戸惑う。
「俺は……」
自分の名前を言おうとするも、出てこない。
必死に思い出そうとし、いくつかの単語を頭をよぎらせるも、これが自分の名前だというものが思い当たらない。
困惑。
また、無理に思い出そうとすると、今度は頭痛が襲った。
そんな俺の様子を見て、村長が軽くなだめた。
「まあ、無理に思い出そうとしなくても結構です。『マスター』が『元の世界』に名前を置いてきてしまうのはよくあること。えーっと、そういう場合は、そう!アルファベットの中から順に付けていく!」
村長が従者から薄い書を渡され、文字を辿る。
「えーと、A B C …… R!
ええ、あなたには名前を思い出すまでの間、Rと名乗って頂きます」
「R……ですか」
たった今、名づけられたRという名前。
「Rでは呼びにくいでしょうから、Rを基にした名前ではどうですかな?
アル、ライト、アルフォンソ、ロビン……」
「呼びやすいので、アルでいいです」
「それでは、アル。ようこそ、『こちらの世界』へ」
そうしてココは、にこやかな笑顔を作った。
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「伝説によると、『マスター』はある日突然、異世界から現れると言われています。
元の世界の記憶があるかどうかは人によってバラバラ。中には自分の所属している世界、名前、年齢まで明言している人もいます。
そして『マスター』は大抵、馬小屋に現れる。それはこの村だけでなく、世界各地で起こっている現象です。
『マスター』には必ず共通点があります。
それは必ず、一匹の『竜』と一緒に召喚されるということです。
『竜』は強大な力を持ちますが、不思議な事に『マスター』の言う事は必ず聞くようになっています。
『マスター』は『竜』を操り、世界中で活躍しています。
ある者は魔物退治の友として、ある者は労働力として、ある者は戦争における巨大戦力として。
それぞれ『竜』の強大な力を利用して、世界各地で活躍し、こちらの世界では英雄として崇められています」
ココは、そう説明した。
そして、俺がその『マスター』だと言いたいらしい。
確かにその伝承があるとするならば、俺の状況はそのマスターの特徴に当てはまる。
しかし、まったく記憶が無い状態でマスターを断言するのはいささか危険な気もする。
まあ、いずれにせよマスターとやらはこの世界で慕われているのだろう。ココの口調からは敵意が感じられない。
「『竜』は、『マスター』が来たその夜、町に訪れ、夜明けとともにその姿を現すそうです。なので、明日には、我々も『竜』と対面できるかと思います」
説明を続けるココ。
「そこで貴方に頼みがあるのですが……」
おっと、来た。やっと本題らしい。
ココは声をやや潜めて、俺に話を始めた。
俺はココの言葉に耳を傾ける。
「貴殿には、その『竜』の力を使って……少し農作業を手伝ってもらいたい。
それで村が潤えば、新たな事業が展開できますからな」
ココはとても恥ずかしそうに言った。
俺はおかしくなって、思わず笑いそうになってしまった。
なんにせよ、その『強大な竜の力』とやらを農作業に使いたいというのだから。
村人たちも、あのハンサムなコルムでさえ、真剣な目でこちらを見ている。
俺は笑顔で言った。
「はい、いいですよ。喜んでやります」
瞬間、村人から歓声が上がる。
使用人、村人、あの大男さえ、一緒に笑いあっている。それを見て、俺は少し、良かった、と思った。
ココがパンパン、と二回手を叩き、声を張り上げる。
「皆の者!たった今、偉大なるドラゴンマスター、『アル』が私たちの仲間になりました!
皆の者!今日は宴です!準備を!」
「はっ!」
屋敷の者は、全員、部屋を出て準備を支度に向かった。支度をするその最中にも、無邪気に笑い声がこぼれている。
「さあ、マスター・アル。宴の準備が出来るまで、よろしければこの村をご案内しますが、いかがでしょうか?」
ココは椅子から立ち、俺のそばまで来て言う。
「ええ、ぜひ」
「よかった。この村の絶景ポイントをご覧入れましょう」
ココはにしし、と嬉しそうに笑った。