アウトブレイク
静岡県、東富士演習場
東富士演習場の野を重装備の自衛官たちが走る。鉄帽に被せられたカバーについたゴムに草を挟み、顔にはドーランを塗って陰影をぼかしている。
「前へ!」
那智は手に持つ89式小銃を伏せ撃ち姿勢で構えながら草むらに飛び込むように伏せると、乾いた破裂音を聞きながら匍匐で草をかき分けるようにして進み、遮蔽地より身を乗り出して89式小銃に載せた戦闘光学照準器を覗いて目標を探す。
「目標、正面!四の台!」
先に目標を見つけたらしい牛島曹長が声を張り上げる。牛島は小隊の最先任陸曹で、四十代中盤に差し掛かろうとしているが、身体能力は依然健在だ。那智は二百メートルほど離れた丘の上に小銃を向ける。
目標はこちらを捕捉しており、即座に小さな発砲炎が光った。遅れて銃声が聞こえたような錯覚だが、自動小銃の連射音に隊員たちは一層地面に体を押し付けるようにして伏せ、応戦の態勢を取る。
「撃て!」
同じように伏せ撃ちの姿勢を取っていた隊員たちが応戦する形で射撃する。乾いた破裂音がそこら中から鳴り響き、たちまちその場を銃声が支配する。
「犬井士長、戦死!」
「岩国二曹が撃たれた!」
隊員たちの声が響く。バトラーと呼ばれるレーザー交戦用訓練装置を隊員たちは身につけていた。これはより実戦的な訓練を行うために導入された訓練装置で、実弾の代わりにレーザーを撃ち合って戦うもので、レーザーを受けた部位によって負傷の具合や戦死判定が行われる。
「スモークを投げて煙覆!敵の射線より離脱して迂回する!」
小隊長の代わりに指揮を取る若山三尉が声を張り上げる。若く有能な幹部だが、型に縛られ過ぎてはいないかとたまに不安に思うことがある。だが、今は兵士としてその命令を忠実に遂行することだけを考える。
「投てき!」
那智はポーチから抜いた煙幕手榴弾の安全ピンを引き抜くと前へ向かって投げた。地面に転がった煙幕手榴弾から白い濃厚な煙が吹き出し、視界を奪っていく。
「那智、古森、四名率いて側面に向かえ!」
若山三尉が指名つきで怒鳴る。若い新米陸曹をよく指名してくれたものだ。それに応えなくては胸のレンジャー徽章が泣く。那智は「了解」と短く怒鳴ると匍匐して下がり、分隊員を呼んだ。
「樫原、太田、板部、和田、来い!」
那智は古森と四人の隊員と共に草むらを縫って敵の側方に向かう。それを援護するように残りの隊員たちが丘に向かって射撃を続け、反対側へ迂回していく。その発砲音を背後に聞きながら那智は草むらをかき分けて前進していく。草の切れ目の地隙に入り、敵の側方へ急いだ。
敵も迂回する本隊を追撃して射撃している。機関銃陣地が見えた。
手信号で続く仲間たちに合図し、那智は目の前の草を分け、小銃を向ける。
四名の人影が見えた。
「撃て!」
那智は分隊員たちに怒鳴ると共に即座に切換えレバーを単射に持ってくると引き金を引く。乾いた破裂音が響き、こちらに四人も気付いた。
四人の頭に取り付けられたバトラーシステムが赤く光る。
『マルヒト、こちらヒトヒト!四の台の目標撃破!』
無線に中隊長へ報告する若山三尉の声がトランシーバーに響く。那智は切換えレバーを安全装置の位置に戻すと小隊に合流するべく再び進んだ。
汗が顔に塗ったドーランを伝って首に流れ落ちる。草を掻き分けて進んだ代償の青臭い匂いを身に纏い、汗まみれの体で那智は進む。
小隊は前進を再開。目標へと向かって歩き出す。訓練はつつがなく進行していた。だが、そこへ一輛の高機動車が砂煙を上げながら走ってきた。
「どこの部隊だ、状況中だぞ」
84mm無反動砲を担いだ板部士長が不満そうに呟く。那智は89式小銃を構えてACOGで所属が読めないか確認したが、その車輛も訓練中らしくバンパー付近にある所属の文字は隠され、偽装網が被せられていた。
高機動車は小隊が進む砂利道の前にタイヤをややロックさせて小石を蹴散らしながら停止し、中から隊員が飛び降りてくる。その姿を見て那智は眉を潜めた。
「二小隊長?」
「どうしたんだ、切羽詰まって」
那智は陸士たちの私語を制しながら降りてきた第二小隊長と不審な顔を浮かべながら対応しようと前に出た石狩小隊長と若山三尉を見る。第二小隊長はこちらにある程度近づくと怒鳴るように声を張り上げた。
「状況中止!東京で暴動だ」
その言葉で訓練は中止となった。
東京都、山手線
『次は渋谷。お出口は右側です。The next station is SHIBUYA. The doors on the right side will open……』
アナウンスが山手線を走る車両の中に流れる。渋谷駅で降りようとする客がちらほらと立ち上がり、電車が減速し始めていた。その時だった。
強烈な金属の擦れる音ともに急制動がかかり、車両が急停止に入る。慣性に従って立ち並び、吊革に掴まっていた人々は投げ出され、将棋倒しとなり、悲鳴が錯綜した。
完全に電車が止まると悪態や痛みを訴えながら人々がなんとか立ち上がり始めた。
『お客様にお詫び申し上げます。ただいまの急停車は、線路内に人が侵入、接触したためです。現在安全確認のため停止中です』
流れるアナウンスに乗客からは不満の声も上がるが、大きな混乱はなかった。
時計を見やった会社員の一人は先頭車両の様子を窺おうと車窓へ目を向けた。車掌が線路内を走って先頭車両へ向かっている。
しかし、突然新たに線路内に侵入してきた男がその車掌に襲い掛かった。車掌は咄嗟に掴みかかってくる男をなんとか押しのけようとするが、腕を掴まれると引き寄せられ、肩にかじりつかれた。
「おいおい、なんだあれ?」
「ヤバいんじゃないのか?」
車掌が悲鳴を上げ、押し倒された。先頭車両の方からまた別の男が走ってくるのが見えた。運転士ではない。サラリーマン風の男だ。助けに向かったのかと思ったが、違った。組み伏せられた車掌にその男もかじりついたのだ。
「何してんのあれ?」
「おいおい、車掌さん襲われてないか?」
「え……ヤバいでしょ、助けないと」
「どうやって開けんだよ」
「開けるんじゃない、あいつらが入ってくるぞ!」
乗客たちは混乱して口々に叫び合った。中にはスマートフォンで撮影し出す者もいる。
『お客様に申しあげます。指示があるまで車両の外へは出ないでください。繰り返します……』
運転士の震える声がアナウンスで響く。やがて車掌を襲っていた二人の男が顔を上げる。二人とも顔を血で染めており、お互いに流血し、怪我を負っていた。それにも関わらず、電車に目がけて突進してくる。車内はパニックになった。
東京
『先ほど石川内閣官房長官は緊急記者会見を行い、治安を維持し、予測される最悪の事態に備えるため陸上自衛隊に出動を要請したと……』
『……繰り返しお伝えします。本日午後一時、災害等を未然に防ぐ緊急対処事態が認定され、警報が発令されました。要避難地域にお住まいのみなさんは、テレビやラジオなどのニュースに耳を傾け、落ち着いて行動してください。要避難地域は以下の通り……』
電光掲示板に流れるニュースや近くの店内から聞こえるラジオの声に耳を傾けながらも丹原由希は友人の冬木千春とともに街の中を歩いていた。
「避難ってどこに避難すればいいのよ……」
冬木が無責任に流れるニュースに不満を口にする。道路は見通せる限り車で溢れ、先ほどから不安を煽り立てるクラクションなどが険呑に鳴らされているが、雪隠詰めになった車列は動く気配はない。警察が検問や交通規制を行っているせいだとドライバーが悪態をついていた。上空を何度もヘリが通過し、窓を揺さぶる轟音を響かせている。
「ねえ、どこか建物の中に行かない?」
「駅前に行きましょう」
冬木の問いかけに丹原は短く答えた。
──ここにいてはマズイ。本能的な何かがそう告げていた。
生き残るためには指示に従い、秩序を保ち、円滑な活動を行うことに協力する場合と、自力で行動しなくてはいけない場合がある。二人はまだ高校三年生で前者を選ぶべきなのだろうが、この場で直接、指示をしてくれる人間はいない。今は後者だ。周囲に身を任せていては危険だ。
テロが起きた、暴動だ、殺人犯が逃げているなどとネット上に広がるデマはあっという間に誇張されて拡散し、人々の不安をいたずらに煽っていた。正確な情報が何なのか自分で見極めなくてはならない。
「でも人通りの多い場所への外出は避けるようにとか、屋内避難警報が発令されてるって……」
「ここはまだ大丈夫よ。でも急がないと」
冬木の不安そうな表情に丹原は気丈に微笑んで見せながらも内心は不安だった。
来るべきではなかった。数日前から都心部では不穏な事件が多発していた。昨日、家族に都心部へ冬木と買い物に出ることを話したときも止められたのに、大丈夫大丈夫と言って出てきてしまったのだ。
周囲にいる人々も困惑し、立ち止まってスマートフォンなどを見て情報を集めようとしていた。丹原は冬木とともにその人垣をかき分けていく。
駅前が見える通りに出ると警察官がようやくちらほらと見えてきた。
駅前には警察車両が集まり、赤色灯を回転させていて警官たちは道路の確保に躍起になっていた。あそこまでいけば何か分かるだろう。
透明の盾を持った紺色の服と防具に身を包んだ機動隊員たちが並ぶ物々しい雰囲気の駅前のターミナルで丹原は身近の警察官に声をかけた。眼鏡をかけた神経質そうな顔の若い警察官の表情は緊張で固い。
「すみません。この近くの避難場所を探しているんですが……」
「駅は封鎖されました。最寄りの避難所までバスが出ています」
警察官が示す方向には確かに警察によって確保されたのだろう、大型の観光バスが列を成していた。
「避難所に向かうバスはこちらです!落ち着いて並んで乗ってください」
拡声器で呼びかける警察官もいる。
「ありがとうございます」
丹原は頭を下げるとターミナルへと向かった。
「いいから避難を急がせろ!新宿、渋谷方面はマズイ!」
「この先で事故が起きています、ルートの変更を」
「国立競技場まで行けば何とかなる。とにかく道路を確保するんだ」
声を張り上げる緊迫した雰囲気の警察官たちの横を通り過ぎながら避難バスに乗り込む列に丹原は並んだ。
バスへの列は長い。冬木はすでに疲れ切った表情をしていた。
「酷い日になっちゃったね」
丹原の言葉に冬木は頷いた。
「……今日中に家に帰れればいいんだけど」
その冬木の呟きに丹原は嫌な予感がした。
首都圏を中心に交通機関が次々に麻痺していた。事故が多発し、緊急車両の通行にも支障をきたし、混乱が始まった。各地で110番や119番通報が多発。警察・消防は総出で事の対処に当たろうとしている。
首都を守る警視庁機動隊の第六機動隊、通称六機は渋谷方面に向かっていた。命令は渋谷駅周辺の市民の救助及び避難誘導。隊員たちはほとんど情報を得ないまま、マイクロバスの輸送車に詰め込まれ、現場に向かっていた。
その車内で六機の銃器対策部隊に所属する桐ヶ谷巡査部長は難燃性のバラクラバ帽を被った上から防護面付きのヘルメットを被り、顎紐を閉めて揺さぶってみた。
『至急、至急!渋谷駅前交番、緊急事態発生!突然現れた暴漢の集団に襲われ、多数の死傷者が──』
『市民より入電!暴漢の集団は現在、市民を無差別に殺傷しつつ、渋谷駅方面に向かっている!急行中の警邏は直ちに──』
無線に入感する声はどれも切羽詰っている。とんでもないことが起きているようだった。
「凄い渋滞だ」
小諸第一小隊長が車窓から外を眺めて言った。交通規制下にあるというのに対向車線は反対側に向かう車でいっぱいだった。避難誘導に当たる警邏の姿があったが、どちらに誘導したらいいのかも分からずただ走る市民を見送っている始末だった。あちこちで警察や消防のサイレンの音が鳴り響き、喧騒は酷くなるばかりだった。赤色灯を回してサイレンを鳴らしているのにも関わらず、輸送車の車列はなかなか進むことが出来ないでいた。
小諸は副官を伴って輸送車を降り、前の様子を見に向かった。桐ヶ谷はその間に装具と持ち物の点検を済ませ、バラクラバをずらして自販機で購入したペットボトルのスポーツドリンクを口に含んだ。緊張で異常に喉が渇いている。
自分が現役の間にまさか日本でテロ紛いの暴動が起きるとは思わなかった。デモなどがあっても事前に自治体に通告して大人しくやるのが日本だ。人が殺し合い、死傷者が出る事態など想像もしなかった。
警視庁に走った動揺も大きいだろう。片っ端から出動可能な機動隊が武装して投入されているのだ。警備地区を越えていたり、重複した配置であったり、上の混乱も激しい。
携帯電話を見ると家族からいくつもの着信やメールが入っていた。桐ヶ谷は唇を固く結んで携帯電話をポケットに突っ込む。
──無事に戻ってから確認しよう……
隊員達は紺の出動服に、防眩黒色のタクティカルベストに膝や肘を守るパッドと脛当や籠手の受傷防止機材を着装している。こんな重装備でも今日は肌寒かった。
「銃を点検しろ。降車するぞ」
小諸が戻ってきた。隊員たちはそれぞれの銃を手に取る。
それは、世界中の法執行機関特殊部隊が愛用するヘッケラー&コック社製の短機関銃、MP5で、数あるサブマシンガンの中でも、命中精度、信頼性は抜きんでている。
日本警察はその伸縮式銃床型のMP5A5を、照準を補助するドットサイトと共に運用している。
ドットサイトは採用された時期や隊などによって種類が異なっているが、どれも無倍率で円筒内にレーザーで狙点を示し、広い視界で標的を捉えられるものだ。桐ヶ谷のMP5に乗るのはエイムポイント社製のCOMP M4で、ハンドガードを社外製のRASハンドガードにし、SUREFIREのX400ライトとフォアグリップを取り付けている。
「異常ないな?全員降車!」
隊員たちは小諸に続いて輸送車を降りた。
先行していた六機の輸送車から機動隊員たちが下りてくる。手には暴動鎮圧用のガス銃であったり、ポリカーボネイト製の大楯、ライオットシールドが握られている。
そのさらに先で路上を塞いでいる車をどけようとしている警邏や消防士が見えた。ほとんどがすでに乗り捨てられた放置車両だ。質の悪いことに非常時に路上に車を放置する際の規則に従わず、車内に鍵を残さないどころかドアロックまでしている車すらあり、道路の確保は難航していた。
「先に出てる警邏と連絡を取れ!」
小諸は指示しながら指揮官車の中隊長の元に向かった。前方で機動隊員たちは整然と整列し、進み始めた。
「我々も行きましょう」
戻ってきた小諸に副官が言う。しかし小諸は茫然としたように機動隊員たちが向かっていく先を見た。
「現時点で現場に臨場した警邏から応答はない。現時点で確認されている殉職者は十名」
小諸の言葉に隊員たちの顔からも余裕が消えた。出動からまだ一時間も立っていない。
「どういうことですか?」
恐る恐る隊員が聞いた。
「暴漢に襲われたらしい。相手の武装などは不明だが、かなり凶悪な被疑者が複数いる模様。全力でこれを検挙、暴動を鎮圧する」
小諸はすぐに現実に意識を切り換えて指示をする。分隊ごとに分けてまずは機動隊の援護だ。彼らが持つ武器はガス銃や警棒、拳銃が最大の武器だ。暴徒がどんな武器を持っているか分からない状況で、そんな彼らをほぼ丸腰で矢面に立たせるわけにはいかなかった。
「おい、市民が向かってくるぞ!」
「暴徒か?」
「この道は通せない、止めろ!」
機動隊員たちがポリカーボネイト製の盾を持って市民を押しとどめようとする。
「この道は通れません、西側に迂回してください」
機動隊員が声をかけるが、市民の顔は必死でその言葉を聞く余裕もなかった。
「ここは緊急時、通行禁止の道路です!」
「今、道を開けていますので、ここを離れてください!」
警官たちが呼びかけるが、市民は殺気立っている。男だけではなく、若い女や老人、中には血を流す怪我人もいた。
「そんなこと言ってる場合か!」
「助けてくれ、噛まれたんだ!」
「冗談じゃない、殺される!」
皆、酷く興奮し、怯えている。
「落ち着いてください、暴徒の数は?今、どのあたりにいるんです?」
「あれが暴徒だって!?あれは、あれは……!」
「ゾンビだ、人が食われてるんだぞ!何を悠長に構えてるんだ」
「何を言っているんですか……?」
事情が飲み込めない警官たちの顔も不安になる。
「とにかくここは通れません。別の道を──」
「あれを見てもまだそんなことを言ってられるのか!」
人々が逃げてくる道の先、異様な人影が近づいてくる。その姿を見た桐ヶ谷は唖然とした。
なんだあれは。
全力疾走でこちらに向かってくるのは血に塗れた人々の大軍だった。様子がおかしいというよりもその姿は一目で異常だと分かった。明らかに重傷、すぐに病院に運ばなくては助からないという外傷を負った人間が大勢走っている。腕振りを忘れたような不気味な走り方で、その顔は憎悪に満ち、まさに襲いかかろうとする獣のようだった。
「あれは……人?」
目を凝らした警官が恐る恐る口にする。
「あれが人に見えるのか!?」
「き、来たぁ!ゾンビだ!」
「逃げろッ!」
呆気にとられる警官たちを押しのけて押しかけていた民間人が必死に走り出す。追いつかれた民間人が向かってきた血まみれの人々に襲い掛かられていた。
「ぼ、暴徒だ!市民を守れ!」
「あ、あれが、暴徒?聞いてないですよ!」
「あいつらなにやってるんだ!?」
機動隊員たちが悲鳴に近い声でやり取りするなか、小諸が襲われる市民の元へ走る。桐ヶ谷もそれに続いた。機動隊員たちも次々に駆け出し、市民を守るために迫りくる暴徒に立ち向かう。
「やめろ、撃つぞ!」
小諸は市民に襲い掛かる“暴徒”に向けてグロック19自動拳銃を構える。襲われる若い男は悲鳴を上げていて暴徒たちの間からはその男の血が飛び散っている。
桐ヶ谷はその正体を知って尻餅をつきそうになった。襲っている暴徒たちは今まさに泣き叫ぶ男の体に歯を立て、肉を引き裂き、それを咀嚼して嚥下しようとしているのだ。
「ひ、人を食ってる……!」
歯を食いしばって小諸は頭上にグロックを向けると二度発砲した。乾いた銃声が鳴り響く。暴徒たちはその威嚇射撃に手を止めるどころか迫っていたほかの暴徒が発砲した小諸に向かって飛びかかった。
「小隊長!」
咄嗟に桐ヶ谷はMP5を構えた。小隊長を守るためには逡巡している暇はなく、致命傷を避ける部位に向かって桐ヶ谷は発砲した。
放たれた9mmパラベラム弾は狙いを違わず大腿部を直撃して貫通する。足を撃ち抜かれた暴徒が小隊長に襲い掛かる前に倒れてアスファルトの地面へ派手に転がる。しかし、もがきながらもその暴徒の男はまだ小諸に向かおうとしていた。周囲で連れられて銃声が鳴り響く。
「やめろ、撃つな!」
「早く助け出せ!」
現場は大混乱だった。機動隊のガス銃分隊が迫ってくる暴徒たちに向かって催涙ガス弾を斉射する。非殺傷の刺激系催涙ガスによって暴漢たちは咳き込み、落涙し、嘔吐などの症状を訴えて散り散りに逃げていくはずだった。だが、そんな願いは簡単に打ち砕かれる。暴徒たちはそんなことに苦しむ様子もなく勢いを緩めなかった。最初にぶつかり合っていた暴徒たちは先頭集団で少なかったが、後から続く暴徒たちはまるで波のようだ。
放水車が慌てて放水を開始し、暴徒たちを食い止めようとする。放水車の高圧放水に向かってきていた暴徒たちが溜まらず蹴散らされる。しかし吹き飛ばされても諦めず暴徒たちは次々にその数を増やして迫ってくる。
「だ、駄目だ!下がれ!」
機動隊の隊員たちもその姿に圧倒され、たまらず逃げ出す。そんな警官たちに暴徒たちは容赦なく襲い掛かる。
「ぎゃあぁあああッ!」
「た、助けてくれぇ!」
襲われた警官は暴徒たちに防具の間を噛みつかれ、絶叫している。だが、そんな警官を救う余裕は全くなかった。暴徒たちは暴力を振るうというよりも獣のごとく捕食のために襲い掛かっているという様子だった。本能的な恐怖が勝った。
「小隊長、これは一体!?」
「知るか、逃げろ!」
小諸も隊員を連れて逃げ出す。機動隊員も警官も皆、散り散りになって逃げ出す。銃声が鳴り響き、悲鳴と絶叫がこだまする。背後からは獣のような唸り声を上げながら暴徒が迫っていた。
追いつかれたら死ぬ……!
重い装具をすべて脱ぎ捨てたい。しかしそんな暇もないほどだった。
「まだ逃げ遅れた市民が!」
警官たちの走る先には逃げ遅れた市民がいる。その姿を見ると本能よりも理性が勝った。彼らを守らなくてはならない。
同じように思ったのだろう。振り返って襲い掛かる暴徒を食い止めようとした銃器対策部隊の隊員が襲われて地面に押し倒される。生きたまま食われる恐怖で必死に抵抗した隊員の持っていたMP5が乱射され、9mm弾がそばを掠めた。
しかし桐ヶ谷のように幸運な隊員ばかりではなかった。一人の機動隊員が9mm弾を浴びて昏倒し、何人かが負傷して地面でのたうっている。
「あの車輛まで走ったら振り返って射撃しろ!」
「威嚇ですか!?」
「危害射撃だ!市民を守れ!」
隊員たちは止められた放水車などの警察車両を超えると振り返る。火ぶたを切るように桐ヶ谷は一番最初に照準し、引き金を引いていた。
乾いた銃声が鳴り響くと向かってきていた先頭の暴徒たちから血が飛び散り、倒れる。その威力と人を撃ったことに怯みながらも弾倉の弾が尽きるまで桐ヶ谷は引き金を絞り続け、弾が切れるとボルトを後退させてロックし、弾倉を急いで交換する。交換するとボルトを叩いて前進させ、再び引き金を引く。
こんな乱暴に銃を扱ったことはなかった。凄い威力だと驚いたのもつかの間、暴徒はそんな弾幕など意に介せず後から後から突っ込んできた。たちまち距離が詰まる。放水車の放水もこの数を前にしては焼け石に水の状態だった。
「駄目だ、退避!」
慌てて警官たちは逃げ出す。追いついた暴徒が警官の首に食らいつく。
目の前にあった輸送車に乗り込む警官に続いて桐ヶ谷も輸送車に飛び込んだ。
「早く出せ!」
「乗せてくれ、乗せろ!」
エンジンを始動した輸送車に逃げる警官たちが殺到する。強い衝撃がその輸送車を襲う。窓から外を見ると追いついた暴徒が輸送車に体当たりしていた。ドアに取り付こうとする暴徒をブーツの底で容赦なく蹴り飛ばし、輸送車は逃げ出すようにバックする。後ろの放置車両に激突しながらなんとか反転すると路肩のパイロンや標識を蹴散らして文字通り命からがら逃げ出したのだった。