脅威の影は忍び寄り……(2)
市街地戦闘訓練は引き続き、別の中隊が行い、那智たちの第3中隊は一度滝ヶ原駐屯地に帰隊し、AARを行う。今週一週間はこのようなハードメニューの訓練が続く。
AARで訓練の反省などが話し合われるとちょうど、終礼の時間だった。隊舎の外へ隊員たちは整列する。
国旗降下のラッパが鳴り、集合していた隊員たちは国旗に正対して下がりきるまで敬礼する。ラッパが国旗降下終了を知らせると終礼が始まった。連絡事項等などが済み、中隊長である柘植三佐が正面に立つ。
「本日の訓練はご苦労だった。一週間後の日米合同訓練に向けてしっかりと調整していってもらいたい。訓練が立て込んでいて忙しくなっているが、即動態勢の維持及び強化を今週から行う。なお、明日から部隊は第二種非常勤務体制に移行、営内者は無期限の外出禁止となる」
その言葉に思わず陸士たちが「ええっ」と動揺の声を上げる。営内者――駐屯地内で生活する隊員は駐屯地外へ出る際は許可証を受領して出なくてはならず、外出禁止となれば駐屯地から出ることはできない。年頃の若い隊員たちにとっては死活問題に近い。
「無期限というのはどれくらいの期間になる見積もりなのですか」
別の小隊の先任陸曹が尋ねる。
「不明だ。FTX終了までと思われるが、まだ何も具体的な命令はない。とにかく即動態勢を強化せよ。以上だ」
腑に落ちない様子の隊員が大多数だったが、中隊長に敬礼を行い、終礼は終わった。解散すると全員口々にそれぞれの思いを吐露する。
「外出禁止っていつまでなんだよ」
「週末は映画見に行くつもりだったのに」
「やべぇ借りてたDVDどうやって返そう」
陸士たちは呑気な意見ばかりだが、陸曹は違った。
「なんでしょうね。また左な連中が反対運動でもするんでしょうか」
「それだけで外出禁止措置なんてするか?テロ予告でもあったんじゃないか」
「そりゃあ大事だ」
そんな会話を小耳にはさみながら那智は古森と合流する。
「とりあえず夕飯食いに行こう」
「ああ」
そんな二人にいつものように樫原やその他の陸士がついてくる。
「自分たちも行きます」
配膳の列に並びながら食堂に設置されたテレビを眺める。
『……今日夕方、福岡港で入国管理局の職員二名が遺体で発見されました。発見された二人の遺体は損壊が激しく、複数犯による犯行と思われることから福岡県警ではこの猟奇殺人事件の対策本部を設置して捜査しています』
「福岡は物騒だな」
古森が顔をしかめて言った。
「またヤクザじゃないのか」
「あのRPG(対戦車ロケット弾)持ってるヤクザ?」
「なんでヤクザがRPGなんか持ってるかねぇ……」
トレーに皿を載せ終え、テーブルに着くと一同は黙々と食べ始めた。自衛隊は早飯も芸の内だ。
『──インドネシアで発生した暴動はジャワ島へ拡大。首都ジャカルタにまで及んでおり、この暴動による死傷者は一万人を超えると思われます。日本大使館の情報によりますと邦人がこの暴動に巻き込まれたとの情報はありませんが、インドネシアには一万人を越える邦人が在留しており、防衛省は陸上自衛隊の部隊を邦人移送のために派遣する用意があると発表しています』
「行くとしたら中央即応連隊ッスね」
樫原がテレビを眺めながら言った。その言葉には羨むような含みがある。国際貢献の場で働くことを樫原は目標としていた。筋肉バカと謗られているが、熱心に英語も勉強している。
インドネシアでの暴動のニュースはだいぶ大きく取り上げられていた。ジャカルタの空港では事故も起きたらしく、現地から日本人が避難できなくなっているらしい。すでに大使館が安否を確認できない邦人がいるそうだ。
「あちこちで暴動だな」
古森はうんざりした顔をする。
「アラブの春以来、世界情勢は不安定だ」
「日本も対岸の火事じゃ済まないだろうな。インドネシアはイスラム教信者を抱えてる。飛び火するぞ」
「東南アジアは相当荒れてる」
那智はテレビを見上げた。まだニュースはインドネシアの暴動関連だ。
『マラッカ海峡沿岸部の治安の悪化などから海上輸送の安全性が揺らぎ、原油価格の高騰を招いています。株価は軒並みダウン。ヨーロッパや米国の世情不安から円を買う動きも強まり、日経平均株価は──』
「こないだ、羽田空港でSATとかがテロ想定の訓練してたよな。自衛隊は呑気だと思わないか?」
「そんなことないだろ。俺たちはこうやって海兵隊と訓練してるし、34連隊とか13連隊も日米合同訓練中だろ。警察との訓練だって東部方面隊管内でやってるし」
「だけど来週からの予定は全部空白なんだよな。予定表見たか?」
「見たさ。それよりなんで外出禁止になってるんだと思う?」
すでに食事の席でも陸士たちはそのことをぼやいていてかなり不満を抱えている。事情も知らされず、代休にもならない駐屯地待機は休みとは言えない。
「知らないよ。やっと溜めてたゲーム消化できる」
「暢気だな。代わりに輸送科は忙しそうだ。だいぶ特大(7トントラック)やセミトレ(セミトレーラー)が行き来してるよな」
最近駐屯地では頻繁に輸送科の輸送車輛が出入りし、物資が運び込まれていた。なんの物資かは分からないが、集積されている物資の中には燃料や弾薬まであった。
「何運んでんだろうな」
「ひょっとして勤務体制の強化ってこれじゃないか。インドネシアは日本企業もあるし、邦人もいっぱいいるだろ」
「救出に行くのか、俺たちが?中央即応連隊とか空挺だろ、行くとしても」
「だよなぁ……」
あちこちで起きる暴動に、自衛隊内の不穏な動き……。弾薬などの物資を集めるなどまるで戦争準備だ。不審に思うことが起きている。那智は胸騒ぎをここ最近覚えていた。
石川県、航空自衛隊小松基地
唸るサイレンが日本海に面する石川県小松基地のアラート待機所に鳴り響いた。アラート待機所に待機していたフル装備のパイロット達が咄嗟にランプを見上げるとH/SC──ホット・スクランブルのレッドランプが灯っていた。
「ホット・スクランブル!」
飛行管理官が声を張り上げ、パイロットたちはイスを蹴って駆け出す。二名のパイロットはアラート待機所を飛び出すとアラートハンガーに駆け込み、そこに駐機された二機の戦闘機のラダーを駆け上る。パイロットたちと同時に飛び込んできた整備班員たちも素早く二機の周りに散り、作業にかかる。
サイレンの鳴るアラートハンガーの扉が開いていく。アラートハンガーはハンガー内でエンジンを始動できるよう、後ろも開く仕組みだ。
乗り込んだパイロット二人は同時に右手の人差し指をコックピットから突き出す。慣性起動機始動の合図だ。
慣性起動機が回り始める。起動機が一定の回転に達したことを確認すると、続いて中指を突きたてる。
「右エンジン始動」
辺りを雷鳴のようなF-15Jイーグル戦闘機のF100-IHI-220Eターボファンエンジンの音が包み込むと同時に、右側エアインテークががくんと下を向く。続いて左エンジンを始動。その間にアラート整備員たちは機体のチェックを行い、車輪止め、ミサイルのカバーとセフティピンを回収する。二人は計器チェックを一部省略し、整備員へ準備完了の合図を送る。
「EAGLE with 2 flight, check in. KOMATSU grand, request taxi, scramble. Information Delta.(イーグル二機編隊、チェックイン。小松グラウンド、スクランブルによるタキシングを要求します。ATIS航空情報デルタを取得済み)」
『EAGLE flight, cleared to taxi runway 24L. QNH 3018(イーグル編隊、滑走路24Lへのタキシングを許可する。高度計規正値は3018)』
整備員が敬礼し、二機を送る。
二機のF-15SJはゆっくりと誘導路を地上滑走し始めた。
『EAGLE flight, contact tower,315.8(スリーワンファイブ・デジマル・エイト).Good-lack.(イーグル編隊、周波数三一五・八メガヘルツにて管制塔と交信せよ。幸運を祈る)』
「Roger, contact tower. Thanks.(了解、管制塔と交信する。ありがとう)」
滑走路手前に近づいたところで管制はグラウンドからタワーにハンドオフされた。
「KOMATSU tower, EAGLE flight, on your fraquencv.(小松管制塔、こちらイーグル。そちらの周波数に合わせました)」
『EAGLE flight, wind 020 at 5, runway 24L, cleared for take‐off.(イーグル編隊、風は方位〇二〇より五ノット、滑走路24Lからの離陸を許可する)』
二機は滑走路中心から左右に一機ずつ停止。
「Runway 24L, cleared for take‐off(滑走路24Lより離陸する)」
『Two(二番機了解)』
タキシー・ブレーキを踏み込んだまま、確認のためにエンジンを片方ずつミリタリーパワーに入れる。エンジンが唸りを上げ、回転が正常に上がるのを耳と計器で確認した後にスロットルをアフターバーナー・ゾーンに叩き込む。
アフターバーナー点火。エンジン音がさらに高まり、機体が振動する。
ブレーキを解放した瞬間、機体は滑走路を走り始めた。離陸速度一五〇ノットに加速するまで計器を睨む。一五〇ノットに達し、操縦桿を手前に引いた。
一番機は離陸。一番機離陸から十五秒後、二番機も離陸を開始する。二機は離陸を完了した。
『EAGLE flight, contact departure. Good‐rack.(イーグル編隊、ディパーチャーと交信せよ。幸運を祈る)』
「Roger, contact departure. Thanks.(了解、ディパーチャーと交信する。ありがとう)」
『Two(二番機了解)』
二機のF-15Jは順調に離陸し、イーグル編隊はディパーチャーと交信。安全な航路の指示を仰ぐ。
「KOMATSU departure, EAGLE flight airborne. Leaving 1800, for 5000.(小松ディパーチャー、イーグル編隊離陸しました。現在千八百フィートから五千フィートへ上昇中)」
『EAGLE flight, radar contact. Turn heading 350, climd and maintain 8000.(イーグル編隊、レーダーで捕捉しました。方位350へ旋回、高度八千まで上昇し、それを維持せよ)』
「Roger(了解)」
『Two(二番機了解)』
二機は問題無くディパーチャー管制空域外に達した。
管制塔から要撃司令室へと指揮が移る。
『EAGLE flight, frequency change uploaded. Good‐rack.(イーグル編隊、周波数の変更を許可する。幸運を祈る)』
「Roger, thanks(了解、感謝する)」
すかさず地上要撃管制から無線が入る。
『EAGLE flight, vector to target, turn heading 350, climd and maintain angel 40 by gate. Follow data‐link.(イーグル編隊、目標機へ向け誘導、方位350度へ旋回、高度四〇〇〇〇フィートまでアフターバーナーを使用して上昇し、それを維持せよ。以後はデータリンクに従え)』
「Roger, follow data‐link.(了解、データリンクに従う)」
『Two(二番機了解)』
二機は一気に仰角を取り、高度四万フィートへ向け、上昇する。高度計は勢いよく回転し、数値は跳ね上がっていく。
F-15J戦闘機は長らく航空自衛隊の主力戦闘機として君臨してきた。基本設計は半世紀以上前のため、旧式化は歪めないが、その性能は近隣諸国の保有する戦闘機と比べても上位に当たる。
近代化改修を受けてデータリンクシステムやIRSTの運用能力などを取得しており、F-4EJ改戦闘機の代替として調達が開始されている新型のステルス戦闘機、F-35Jにもまだ主力の座は譲っていない。
阿久津進也一等空尉は編隊長機のコックピット内で身動ぎした。どうも腰が落ち着かない。胸騒ぎがするようだった。
阿久津は防衛大出のパイロットで、エリートコースを進んできた叩き上げだった。高校まで運動は得意ではなかったが、防衛大生活を通してその秘められた身体能力を開花させ、持ち前の才能と目の良さを生かしてパイロットとなった。
阿久津は闇夜に目を慣らすためにHUDの照度をさらに落とした。対応しているスクランブルはおおよそ“東京急行”だ。冷戦時代が最盛期で、ソ連の哨戒機や偵察機、電子戦機が日本の周辺を飛行し、哨戒や偵察を行ってきた。向かってくる国籍不明機の針路などからしても間違いない。
阿久津は僚機の朝倉幹久二等空尉が乗り込むF-15Jを見た。朝倉は同い年だが、航空学生を経ており、飛行時間は編隊長の阿久津よりも長い。しかし阿久津はただ防衛大を出て階級が一つ上だからという理由で編隊長となっている訳ではなかった。
目指す目標が近づいてきた。要撃管制に従い、後ろに回り込むための機動をとる。旋回し、背後をとると後は接近するだけだ。二機は速度を上げて目標へと近づく。朝倉は編隊長の阿久津にぴったりと機体を合わせ、編隊を保っていた。優秀なウィングマンだった。
『しかしロシア軍機、ここ一週間で数が倍増しているな』
朝倉が呼びかけてきた。朝倉とは空にいるときだけは、階級の敷居は取っ払っている。
確かにここ一週間で偵察飛行するロシア軍機の数は倍増していた。それも日本の防空識別圏を掠めて韓国の方向に向かって飛ぶコースばかりだった。ロシアは韓国方面へ偵察力を指向していると分析されている。
「そうだな。今週になってもう十機を越えてる」
『韓国に何か気になるもんでもできたのかね』
やがて月明かりが雲を照らす夜の空に黒い影が見えてきた。朝倉が見つける前にすかさず「目標視認」と叫ぶ。
黒い影の正体は近づくにつれ、はっきりとしてくる。ロシア軍のツポレフTu-95ベアだ。
四発の二重反転プロペラを回転させるターボプロップエンジンを備えたソ連の大型戦略爆撃機で、原型の初飛行は1952年だが、その貫禄を感じさせながらも未だに現役である。
無線に舌打ちが聞こえた。朝倉が阿久津に先に見つけられたことを悔しがっている。先に見つけた方が勝ちと言って誰も彼もがウィングマンと競いあっていた。
一杯奢りな、と心の中で阿久津は呟く。
『Target in sight(目標視認).12時の方向、上方』
朝倉が言う。二機は上昇して高度を合わせて飛ぶ。
「ターゲット確認。国籍ロシア、官用機、Tu-95KM単機。現在水平飛行中」
DCに報告しながらポジションを占位する針路は日本の防空識別圏を掠めていたが、その先の朝鮮半島に向いていた。
『了解。通告を開始せよ』
「ラジャー」
阿久津は朝倉の方を見る。朝倉がサムアップしてこちらを見ていた。阿久津も頷き、援護させるとTu-95の真横へと機体を滑らせる。
「注目せよ、注目せよ。こちらは日本国航空自衛隊。貴機は日本国領空に接近中。針路を変更せよ」
英語、ロシア語で通告を実施してもTu-95の足並みが変わることはなかった。ミサイルを搭載した戦闘機がすぐ横を飛んでいても、領空に入らなければ撃たれないとたかをくくっているのか。そもそも日本は領空に入られても攻撃を受けるまでは攻撃することなどできないが。
「通告一回実施。目標に変化なし。通告を続行する」
もう一度同じ言葉を繰り返し、通告するが、Tu-95は全く意に介さなかった。Tu-95のコックピットが見える位置まで行くとパイロットと乗員がこちらに手を振り、一眼レフのカメラを向けてピースしていた。
緊張状態にある最前線だが、パイロットたちに敵意はない。彼らは命令に従って機を飛ばすだけだ。Tu-95はそのまま日本の防空識別圏を出て韓国の防空識別圏に向かっていた。
『奴さん、韓国を偵察してるんじゃないか……?』
ロシア機が日本の脅威ではなくなり、緊張が緩んだタイミングで朝倉が無線で呼びかけた。対象機は防空識別圏を出たものの、再び旋回してくる可能性も考慮してGCIは戦闘空中哨戒を命じた。防空識別圏を哨戒飛行するように飛ぶ。
「そういえば最近、北朝鮮の通信が沈黙しているらしい」
情報部の知り合いから聞いた話だったが、無線交信などがめっきり減り、米韓合同軍事演習以降閉ざされていた国境を結ぶ電話も復旧することはなかった。国内情勢に何か変化があったのではないかと見て米韓は警戒していたが、それはロシアも同じようだ。
『ソウルでは暴動があったらしいけど、何か関係があると思うか?』
「ああ、あれか……」
ソウル市内では暴漢が病院を襲撃するという事件が起き、その後、軍を投入して暴徒を鎮圧する事件が起きたばかりだった。その後もまだ事態は沈静化していないらしく、海外のメディアはシャットアウトされているため、事件の全容は分かっていない。
『情報がろくにないし、どうも事態がきな臭いと思わないか』
「日本もああやって偵察でもできれば良いんだがな」
たまにロシアが羨ましくなることがある。数年前にロシアがウクライナのクリミア半島を軍事力を持って制圧し、強引に編入してしまった事件は記憶に新しい。国益を守るためには周りの国の顔色を窺うこともなく、必要な行動を行う。軍事力の行使はともかく、日本にもそうした決断力があればいいと幾度となく思った。
最近は中国が軍事力を台頭させ、でかい顔をして日本の領海や領空にわが物顔で侵入することもある。日本を守るには現場の努力だけでは足りないものが多すぎた。