壱
わたしの家の近所には溜め池がある。
田んぼに水を引くためにつくられたものだ。
小学校の通学路沿いに位置しているため、児童が立ち入らないようにするための対策が施されてある。
溜め池を囲うように金網フェンスが張り巡らされおり、道路からしっかりと視認できる場所には、注意喚起のための看板がくくりつけられてもいた。
はいっちゃ ダメ!
○○小PTA
と、書きつづられた看板は、手作りである。
白い塗装が施された薄い鉄板に、赤字で警告文を書いただけの簡素な出来だ。
だいぶ前から雨風に晒されており、腐食が進んでいて赤サビが蔓延ってはいるのだけれど、それでも文面を読むのには申し分なかった。
しかしながら、わたしの学級(五年生)の男の子たちには、その警告文がまったく眼中に入っていかない様子である。
あるまじきことに、彼らはいつも鼻歌まじりに何食わぬ顔でフェンスを乗り越え、溜め池で釣りやら石投げやらを楽しんでいるのだ。
男子一同のおこないは、誰かが正してやらなければならないとても危険な行為である。
そして彼らの無法振りを一目見たときから、矯正の役目は学級委員長であるこのわたしが負うべき宿命であると、天啓を受けるがごとく感取していた。
わたしは生まれつき崇高な正義感を持った人間なのである。
それからというもの、道草を食べてイケナイ事に勤しんでいる男子諸君を、学校帰りに発見するたび、ちくいち足を止めては健気にも諭してあげているのだけれど、悪餓鬼どもを改心させることはなかなかできない。
……成し遂げるのは至難の業である。
「ちょっと男子、ここで遊んじゃダメだって言ってるでしょっ!」
「うるせぇ、ブース!」
フェンス越しに呼びかけても、まるで耳を貸してはもらえず、毎度毎度、心無い言葉を浴びせかけられては馬鹿にされるのだった。
わたしが男子のようにフェンスを乗り越えて叱りに行くことができればいいのだけれど、持ち前の運動音痴が祟って叶わないし、例え乗り越えて行ける能力が備わっていたとしても「はいっちゃ ダメ!」という禁則事項を破ることになるので、そもそも立ち入ることができない。
彼らは、わたしが「決められたルールを厳守する人間」であり、禁を破って実力行使で排除しにくることは無いと知っているのである。その上でわたしのことを見下してからかうのだ。はなはだ賤しい所業なのである。
観音菩薩のように尊いわたしも、さすがに頭に来る。
『みんな池に落ちて溺れ死ねばいいのに……』
と、しまいには本末転倒なことを胸のうちで泣く泣く願って、その場を後にする日々が続いていた。
そんな或る夏の日のことである。
西日が差した黄昏時だ。
放課後、友人宅で遊んでから帰途についていたわたしは、件の溜め池で釣りをしている級友の後ろ姿を見つけた。
人数は一人だけで、早瀬という名の人物だ。
我が学級の和を乱すトラブルメイカーであり、清楚で可憐なわたしのことを事あるごとに「ブス」と罵る不逞の輩でもある。彼は釣りが何よりも好きなようで、ひっきりなしに立入禁止の溜め池へと忍び込んでいるのだ。
もう幾度となく注意しているけれど、効果は得られない。もはや叱りつけられたいがためにそこに居るようにも思えてくる始末だ。
いっそのこと先生に注意してもらえばすぐにでも収まりそうではあるのだけれど、これはわたしの使命なのであり、大人に助けを乞うのは学級委員長としてのプライドが許さない。
自己解決してやろうと半分維持になっていた。
「今日こそは言うことをきかせてやるわ」
という強い意気込みでもって、叱責にむかったのだった。