第二話 彼女は天使で女神でフェアリーで……
五歳の春のある日。珍しく外へ出かけようとした母親と一緒に、俺は村の近くにあるラクシュ湖という湖に行った。
ここは湖の透明度が高く美しい事から、大陸ではちょっと有名な場所だ。
現代日本と違うのは自然がありのまま息づいている所だろう。
雄大な湖と、剪定されていない木々や思い思いに伸びていく草花の色彩に圧倒される。美しい。そりゃ精霊が大量にいる訳だ。
この湖は獣も魔物も利用するので俺の母親が村に来るまでは水汲みも命がけだったらしいが、母親が湖の一部だけ結界を張ったので、今では生活用水を汲んだり魚を釣ったりするだけではなく、村人の憩いの場所にもなっている。
ちなみに、何故湖の『一部』かと言うと全てを人間のものにしては『生命の樹の輪』を乱すかららしい。多分生態系の事だろう。
咲き乱れる花々の中に母親と座り、春の花々から薬草になるものなどを聞く。寡黙だが美しかった母親は、魔導や薬草の事になると饒舌だったのを覚えている。
そんな時、俺は彼女に会ったのだ。
人の気配がするので振り向いたら天使が居た。
両親と手を繋いでピクニックに来たのであろう華奢で小さな女の子。
幼子特有のさらさらで柔らかい栗色の髪は天使の輪が出来ていた。
村の子供に比べて真っ白な肌と湖に感動して紅潮している頬。キラキラ光る薄緑の瞳。
一目で恋に落ちた。
TVや本でならいくらでも『美人』や『美少女』を見た事があるが、そんなものとは違う感動があった。
精神的に成人しているつもりの俺だ。最初はロリコンになったかとも思ったが、幼子の俺の全身全霊で彼女を求めていた。きっとこれが運命だ。
『恋というのは今までの自分の価値観が全て壊れ、再構築する過程の事だ』
病室で読んだ何かの本に書いてあったな。
俺と彼女――エルゼ――の出会いはまさにそれだった。
とりあえず近くにあった花を摘んで簡単な指輪を作り左手の薬指に嵌めて、ツバを付けておいた。周りの大人は思いっきり呆れていたが。
俺が家に帰ってすぐした事は、今までは病気で外に出ていなかった彼女の詳細を調べる事と、彼女が生まれた時に勝手に婚約者なんてものになっていた隣村の三男と穏便に穏便に話し合いをする事だった。
それからの俺は変わった。
この世界にそんなに長く居る気が無かった俺が放置していた様々な村の問題に「精霊から知識をもらった」と言いながら現代知識を披露して解決していった。
俺と彼女が住む村だ。いい場所であって欲しいし、体の弱い彼女に不衛生や不摂生は厳禁だ。
最初は簡単な事から少しずつ、徐々に重要な事を……。オヤジを通して、思いつく限り、できる限りの事を提案し実行してみた。
そんな積極的な俺を見て、今までは不気味そうに遠くから眺めていた村人や村の子供達が恐る恐る近付いて来たのは予想外の結果だった。
エルゼも知れば知るほど魅力的で、頑張り屋さんで健気、しかも思った事がすぐに顔に現れるので見ていて飽きなかった。
彼女に対しては村で普通に行われている求婚方法ではインパクトに欠ける気がして、この世界では馴染みのないエンゲージから平安時代の貴族の風習・三日の餅までやってみた。
北米インディアンの風習に則って自作の歌でプロポーズしてみたりもした。
当然エルゼには何がなんだか分からなかっただろう。俺にも分からないくらいだ。
だが、しっかりしているのに何処か抜けているエルゼだ。俺が「そういうものだ」と言ったら「そうなのかしら」と納得する可能性もある。やはり地道にコツコツと外堀を埋めていくのがいいだろう。
訳の分からない風習に混乱しているエルゼは超可愛かった。
その後エルゼの部屋の出入り禁止になったのはメチャクチャ痛かったが!!!
今日の俺はエルゼが倒れたどさくさに紛れて部屋に入ったが、彼女は追い出す素振りもしない。
それどころか、恐る恐る頬に触れた俺の手に小さくて柔らかい手を大切そうに重ねて目を閉じる。
初めて受け入れられたキス。
俺は十九歳という年を忘れないだろう。
前世の俺が死んだ年齢でもあり、エルゼと両想いになった年齢にもなった。
長年の想いは成就したのだ!
俺はエルゼの顔中にキスの雨を降らせて、そして……
……話は変わるが、この村の貞操観念は硬い。
婚前交渉なんてもっての外だ。
精霊に報告する結婚式までは男女ともに清らかなのが慣例だ。逆らおうとすると精霊が邪魔をする。
普通の精霊が見えない村人ですら「あれ? なんか邪魔されてね?」と感じるくらいだ。
どうやらこの村が出来た頃に村人が見守るように精霊に頼んだらしい。余計な事をしやがって!
基本精霊はその辺を漂っているだけで、人間に頼まれない限りはこっちに干渉しない。
勝手な思い込みだが、村社会というものは他に娯楽が無くて性に乱れるのがデフォルトだと思う。
何でこの村は乱れてないんだよ!
まだガキの頃に村の娯楽の少なさに愕然とした俺がオセロやトランプ、囲碁などの病院のテレビ室にあったような娯楽を村に提供したのが悪かったのか?
いやそれ以前からの悪習だよな。エルゼが無事だからこそ言える事だが、乱れるエルゼ(もちろん俺限定)もそれはそれでアリだと思う。
なぜ今こんな話をしているかと言うと、現在進行形で精霊に邪魔をされているからだ。
ポンと衝撃を受けた後、目の前に居るのは座敷童風の幼女。
人間にはありえない水色の髪の毛は肩よりも上で揃えられていて、洋風座敷童といった風情だ。……格好は普通の村の子供だが。
この世界によくいるちっこくてふわふわした精霊達とは違い、人の子どもと同じ大きさで存在感がある不思議な精霊だ。
こいつの事は昔から知っているが、どうやらエルゼの家に棲みついているらしい。
エルゼの家が繁栄するのなら好きなだけ棲みつけ。だが俺の邪魔はするな!
「ディルクぅ。エルゼが困ってるよ。駄目だよ。かわいそうだよ!」
エルゼのベッドから俺を押しのけて、彼女を庇うように両手を広げて立ち塞がる座敷童。
ちなみにこいつはエルゼや他の村人には見えていないらしい。
「ディルク。そこに精霊様がいるの?」
さすが幼馴染。俺が苦々しい顔をしている理由がエルゼには分かっているらしい。
「ああ。居たけど消えたよ」願望を込めて俺は言った。
座敷童が膨れているが、俺には見えない。見えてないぞ!
「……カキゴオリ、溶けちゃったね」
そんなのいつだって作ってやるのに、エルゼはサイドテーブルを見ながら残念そうに言う。
キスの余韻か彼女の頬はまだ赤い。
俺のこの体が思春期を迎えてからの数年、俺の中のエルゼは凄いことになっているが、本物は初々しくて最高だ。
エルゼをもう一度寝かしつけて家を出ると、一人の男がすぐ側の樹の下で俺を待っていた。
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