テオテル村のエルゼ・後編
私の村は山の中腹にあり、冬になると力のある男達は山を降りて街へと出稼ぎに行きます。
ディルクも例にもれず、初年は嫌々ながらも出稼ぎに行って春に帰って来ましたが、その年の間に彼の知識と技術と魔導を駆使した『ロープウェイ』なる山を行き来する乗り物を造り、冬でも毎日私のもとに帰ってくるというありえない生活をやらかしました。
彼に従い嬉々としてロープウェイを造った村の男達の姿が思い出されます。
この数年、彼は街に居た時に何をしていたのでしょう?
考えるのが恐ろしいです。
村の売りだった穏やかさや長閑さが消え、厳つくなっていく村に戦慄が走ります。
私の想像では数年後には見事な山々やラクシュ湖のもたらす豊かな郷土料理と私達の頑張り、ディルクが生み出した数々の発明で、よりいっそう素敵な場所になるはずのテオテル村。
その理想が遠くに思えてなりません。
-村一つで王宮に戦を仕掛け滅ぼされた。-
歴史書にそのような記述がされる気がするのは私の思いすごしでしょうか?
しかもディルクのことです。それなりに善戦しそうで、なおのこと恐ろしいのです。
このままでは王都へもこの村の動きが届くでしょう。
そうなる前に私は彼を止めなければいけません!
「はぁ……はぁっ……!」
走る私の先には、村の自警団とむさ苦しい冒険者達を涼しげな顔で束ねるディルクがいます。
「ディルク!!!」
「あぁ、エルゼ! 今日も可愛いね」
蒸し暑い夏の日に思いっきり走ったので額には汗で髪の毛が張り付き、顔も真っ赤になっているに違いありません。
それなのにディルクは眩しいものを見るかのように微笑むのです。私は上下する肩をがっくりと落としました。
「あっ……あなた何を考えているの? 殿下にはきちんとお断りの返事をしたわ。それに、こんな田舎の村娘に本気で声を掛けるわけがないでしょう?」
「はぁ~。エルゼは自分の魅力がわかってないよな。俺が一目で落とされたのに……。それにヤツは必ず来る。俺はエルゼの恋人として、村の自警団長として、ヤツの侵入を許すわけにはいかないんだ」
真摯な瞳で訴えるディルクに私の頭は言葉の中身を処理しきれません。
誰が誰の恋人なのでしょう?
『ヤツ』とは恐れ多くも王太子様の事でしょうか?
混乱する私の頭に大きな手が優しく触れました。
「俺は五歳になるまで、なんでこんなファンタジーな世界に生まれてきたか分からなかったんだ。だがあの春の日にエルゼに出会って分かった。俺はエルゼの為に生まれたんだ。だからこそ俺は現代日本の知識を駆使してエルゼと、エルゼの好きなこの村を守るよ」
頭上から注がれるディルクの声。
言っている事の半分も理解できません。ですが、彼が私を何よりも大切にしてくれている事は伝わります。
「ディルク……っ?」
思い切って見上げた彼の顔は湖のヌシに挑む漁師のように活き活きとしていました。今まで見たどんな笑顔よりも恐ろしいです。
「まずは王太子のヤツを血祭りだな! 王都にも攻撃を仕掛けて、二度と頭の悪いヤツが出てこないようにしなくちゃいけない。大丈夫! 人数が少なくても勝てる方法はいくらでもある!」
その言葉を聞いた私は、ふらりと貴族のご令嬢のように意識を失ったのでした。
気を失った事を私が激しく後悔したのは、運ばれた自室で意識を取り戻した後です。
何故なら、枕元に馴染みに馴染んだ彼の気配があるからです。出入り禁止にしていたのに……。
目を閉じたままだった自分を褒めてやりたいです。
あぁ、起きるのが怖いです。
ですが、シャリシャリという涼しげな音も聞こえます。
これはきっと私の大好きなラクシュ湖の水で作った『カキゴオリ』でしょう。
彼はこう言う所で決して外したりはしませんから……。
初めて食べたのは幼い頃でしたが、氷結魔法をこのような事に使うディルクに驚くと同時に、見慣れたラクシュ湖の水がこのような美味しい食べ物になるなんて! と、すごく感激したのを覚えています。
それ以降、彼は夏になると私にカキゴオリを作ってくれますし、村おこしにも一役買ったのです。
時々カキゴオリと一緒に差し出される、氷に閉じ込められた花『花氷』も私のお気に入りです。
きっと私が熱中症で倒れたとでも思ったのですね。原因はあなたですよ。
目を閉じたまま徒然と考えましたが、結局食欲に負け、色々諦めた私はゆっくり瞳を開きました。
認めたくなかったこの恋心を彼に伝えたら、きっと極端な行動は取らなくなるはずですから……。