雨、その表情は
日本で「天気」といえば、天候そのものだけではなくよく「晴れ」を指す。
英語圏の国でも、「weather」といえば、これは日本とは逆に「雨天」を指す。
天気というのは、古来より人間に深くかかわってきている。
私は時折、ふと思うことがある。小説を書いている者として、「天気」というのは情景描写によく使われるが、特に「雨」に関することは多いのではないか、と。私と同じく、物書きを趣味とする、あるいは生業とする人ならば、共感していただける方も多かろうと思う。物書きだけではない。映画などもそうだ。
小説を含め、創作活動において大事なことの一つには、登場人物の情景描写がある。喜怒哀楽を中心に、様々な感情を、様々な手段で表す。例えば、雲一つない青空、だとか、あるいはどんよりとした空模様、だとか、はたまた靄がかかる、だとか、その情景描写に天気天候を使うことは多い。もはや空模様と天気というのは、似ているところが多いとかそんな次元を通り越し、ほとんど同じものなのではないかとも思う。心が目に見えないから、空が代わりに表わす……そう思えるほどに。
こういった天候の使用率の多さには、古来より天気が人間の暮らしに大きな影響を与えていたことが原因の一つではなかろうか。特に、雨というのは人間の暮らしにもっとも深く結びついているのではないかと思う。雨が降れば、獲物を狩りに行くことは困難になるが、作物を育てることが出来る。雨の頻度が変われば、季節の変わり目が分かる。緯度の高い地域では雪も密接に関わってくるだろうが、その土地でももちろん雨は降る。南北の極地などでなければ。そしてそんな雨だからこそ、私は情景描写にも多く使われるのではないかと思う。
情景描写において、「晴れ」といえば、一般的には喜怒哀楽の喜と楽を表すことが多い。風が強ければ、怒や哀に使われることが多いだろうか。喜怒哀楽だけではない。靄はよく、悩みや迷い、謎を表すし、曇りといえば晴れと対極的に、喜や楽がほとんどない時を表すことが多い。天候を広義的に捕らえ、昼夜も含めるとすれば、ほとんど天候だけで人の心というのは表現できてしまう気がする。
さて、本題だ。雨というと、様々な降り方をする。故に、私は先程までも言っていた「雨という天候の情景描写の多さ」を思うのである。例えば強く激しく振るならば、怒りや喪失感、哀しみを表せる。別のニュアンスで、シトシトと降らせても後者二つを表現することが出来る。逆に、ある程度穏やかな降り方ならば、やりようによっては……例えば子供たちに雨合羽を着させワイワイと騒がせるなどして、楽しげな様子を演出することもできる。雨を「止ませる」ことで、悩みの晴れた様子を表すこともできる。挙げ出せばキリがない。雨は水であるが、水というのは変幻自在である。その性質を表現するかのように、雨の描写もまた、姿を変える。
そもそも、天気というと、大体「晴れ」「曇り」「雨」が多い。雪の多い土地ならば雪がここに増えるなど例外はあれど、おおよそこの三つで間違いなかろう。となれば、様々な振り方をする雨という天気がこうも情景描写にすぐれるのも、必然なのかもしれない。
雨というのは、私の好きな天気のひとつだ。その一つに、様々な表情をまるで人の心のように、見せてくれるからなのかもしれない。だから、私の書く小説で情景描写には、雨が多いのかもしれない。