リアルワールドへようこそ!!
時空移動研究組織クロノスでは世界一の頭脳集団と呼ばれる人々が働いている。
クロノスの採用試験は難度を極めており昔中国で行われた科挙など足元にも及ばない。
そのレベルは一流大学の教授をもってしても「不可能」と言わしめる程で、
人知を超えた頭脳の持ち主のみがクロノスの研究員になる栄誉を与えられる。
組織の構成員は3000人。
いずれも採用試験を合格した桁違いの天才集団だが、
中でも更に能力の高い人たちはサミットと呼ばれている。
ちなみにサミットとよばれる研究員はそのうちの50人程度にすぎない。
その50人が時空移動研究の要所を担う選ばれた天才たちであり、
その天才たちの頂点に立つのがアーロンベック博士だ。
このアーロンベック博士こそが時空間移動を可能にした人物で
タイムマシーンと瞬間移動装置を作り上げた世界最大の発明家である。
彼の頭脳はサミットにおいてNO2に位置づけられる
リッケン博士をして神の頭脳と言わしめる程だった。
その神の頭脳と呼ばれるアーロンベック博士から
ディナーの誘いがあったのは昨日のことだ。
博士はサミットでもない
ただのクロノスの構成員である私と本日、一対一で食事がしたいという。
少し不自然な話ではあったが、
アーロンベック博士と一緒に時間を過ごせるなんて滅多にあることではない。
私は迷うことなく博士からのお誘いに承諾した。
研究所から歩いて10分に位置する
ホテル「エンパイアー」のレストランで私は席について待っていると
博士は待ち合わせ時間よりも15分遅れで到着した。
「遅れてすまないね。少し論文をまとめるのに時間がかかってしまったよ」
「いえお気になさらず。博士がお忙しいことは承知しております」
ウェイターがやってきて博士はワインとコースを注文した。
私も博士に合わせて同じものを頼む。
かしこまりました、と言ってウェイターが去っていくと博士は
「実はね、今日は君に頼みたい事があって誘ったのだよ」と言った。
「一体なんでしょう?私にできる事ならなんでもいたしますが」
「ふむ、それは君にしかできないことだ。
こう言えば、君にも何となく察しがつくんじゃないかね?」
そう言われて思い当たる節はいくつかあった。
クロノスで働いていれば特定の個人にしかできない仕事は少なくない。
「ええ。まぁ、いくつかは。でも一体、なんでしょう?」と私は答える。
「ふむ、今の反応から察するにどうもよく分かってないようだね。
私はクロノスの構成員としての君に頼みたいわけではない。
君個人の特異性に関しての話をしているつもりなのだが………」
そう言われて、私は博士が何について話しているのかようやく思い当たる。
だが、まさかそんな事がありえるのだろうか………
「まさかという顔をしているね?うん、実はそのまさかなんだ。
ところで君はタイムマシーンと瞬間移動が
どのように行われているかその理論は分かるね?」
「え、ええ、まぁ」
「下手をしたら、いや下手をしなくとも
この理論を私以上に君は理解しているんじゃないかね?」
「………………」
私は答えなかった。だが、その沈黙は肯定の証しだ。
「時間移動と空間移動。
その性質こそ違うものの二つは情報転送という意味で似通っている。
つまり我々、一人一人の個体を一つの情報として扱い
その情報ごと別の時間、別の空間に転送するという意味でだ。
私はマクレイン博士の「時の欠片理論」を応用してタイムマシーンを完成させた。
空間移動に関しても同じようにタナカ博士の「空間座標軸理論」の応用だよ。
この二人の理論というのが凄まじい理論でね。
これらの理論は時間と空間を計算式として数値化することに成功したんだ。
だが、ここで問題が生じてくる。
実は、時間や空間を数字に置き換える事だけならそんなに難しいことではない。
けれどもその「基準点」を正確に割り出すことなんて不可能に等しいんだ。
君はマクレイン博士とタナカ博士の論文は読んだかね?」
「ええ、もちろんです」
「彼等の論文は共通点がある。
時間の数値化、空間の数値化に関してその計算式については書かれている。
だが、その数値化するに当たってどのように「基準点」を割りだしたのか?
この点については全く触れられていないんだよ。
まるであたかも、初めから基準点の位置を知っていたかのようにね。
では、そんな神のような真似を可能にした
マクレイン博士とは何者だろう?タナカ博士とは何者だろう?」
「……………」
「正直言ってこんな理論は私でも考えつく事すらできないよ。
二人は私の遥か彼方をいく天才的頭脳の持ち主なのか
そうでなければ、本当に『神の頭脳』の持ち主かのいずれかだ。
君はもちろん、彼らの正体を知っている。そうだね?」
「…………」 私は無言で頷いた。
「君に頼みたいことは、一つだ。私は君たちが来たであろう上位世界に行きたい」
グッド・ドリーム社という大手枕会社が電子機器メーカーの大手である
パイナップル社と商品の共同開発に乗り出したのは西暦2334年のことだ。
「~深く快適な睡眠を~」を合言葉に世界中のユーザーから愛されてきた
グッド・ドリーム社のヒット商品「リアル・ドリーム」は
睡眠中に好きな夢を自由自在に見ることができるという画期的な製品だった。
元々は裕福層にしか手の届かない高額商品だったが、
アフリカ大陸に工場をつくって製品の大量生産に成功すると、
誰にでも手の届く日用品になり
全世界人口のおよそ半数の人々が使用するという壮絶なシェアを獲得したのだった。
その「リアル・ドリーム」という製品の可能性に目を付けた
パイナップル社のワークス社長は
自社のネットワーク技術の提供をグッド・ドリーム社に打診した。
夢の世界を巨大ネットワークで世界中の人々と共有する、という
ワークス社長の理想像が現実となって形になったのは
構想から20年経った2354年のことである。
リアル・ドリームをネットワーク化した
新商品「リアル・ワールド」はこうして二社の協力の下に誕生した。
発売から5年もしないうちに世界中の人々が
リアル・ドリームからリアル・ワールドへと乗り換えを完了させ、
そのシェアは全世界で60%を超えるに至った。
ヒットに至った理由には睡眠中の快適さもさることながら、
夢の世界でありながら起きている時と同じように
現実世界の人々と一緒にリアル・ワールドの世界で生活できるという点にあった。
リアル・ワールドの世界では現実世界の人々ともネットワークを通じて
他の人々とも睡眠中に交流ができる上に、
この世界で得た知識もしっかりと現実世界に反映することができるのだ。
しかもリアル・ワールドの世界においては
現実よりも体感的な時間の流れが遅いという特徴があり
その体感時間はなんと現実世界の3倍。
すなわち8時間の睡眠を取るとすれば
リアル・ワールドの世界では24時間も動けるということを意味するのだ。
リアル・ワールドの中で生活することによって
限られた我々の人生を更に有意義に活用することができるというのが
この製品の最大の売りであり、
それ故、現実社会においても第一線で活躍するためには
リアル・ワールドでの経験の底上げが必要不可欠になったのだった。
そんな夢のような製品が比較的手ごろな値段で購入できるのだから
売れないはずがなかったのである。
発売から一年後、グッド・ドリーム社と
パイナップル社は共同出資してリアル・ワールドを運営するため
新たな子会社「デミウルゴス社」を作りあげた。
デミウルゴス社によるアップデートによって
リアル・ワールドはそのたびに進化を重ね、
ユーザーにとってより快適な空間を作り出すことに成功したのだった。
こうした改良の中でも最も進化したのが、
リアル・ワールド内のNPCだ。
好き勝手に過ごすことのできるリアル・ワールドだが、
夢の中とはいえ多くの人々の暮らす空間においては
必ず誰かが仕事をする必要性がでてくる。
考えれば当たり前のことだが、
夢の中で退屈な業務に従事して必死に働きたいと思うプレーヤーはあまりいない。
そのため瑣末な雑務などはNPCに任せて、
ユーザーはこの世界で有意義に過してもらえるように必要な仕事をNPCに与えたのだった。
NPCを配置する以上、そのNPCが限られたセリフしか言えない
ロボットでは折角のリアル・ワールドも興ざめだ。
そのためNPCには人工知能が与えられ自立した思考ができるようになっており、
一般ユーザーと区別がつかないようにされたのだった。
最初のうちはそんなにも多くは配置されなかったNPCだったが、
リアル・ワールド内の世界が広りどんどんと
大きくなってゆくにつれ土地の広大さと人口密度に釣り合いがとれなくなりはじめた。
そのためデミウルゴス社は対策として
雑務を行うだめのNPCだけではなく、住民としてのNPCを
配置することでそのバランスをとったのだった。
ちなみに現在ではNPCと一般ユーザーの割合は10:1くらいだろうと言われている。
このようにしてリアル・ワールドではNPCと一般ユーザーが共存して
生活をするようになっていき、
その過程でさまざまな文化や文明が発達していったのだった。
多くの人間が生活する空間であるため
リアル・ワールド内ではさまざまなルールが存在するが、
基本的にルールを守る限りにおいて行動制限はあまりない。
ある者はリアル・ワールド内のキャラクターと結婚して家庭を持ったり、
ある者はのんびりと南国で生活したり、
またある者は現実世界にも通用するスキルを身につけたり、
またある者は仕事を持ってリアル・ワールド内で
お金を稼いだりと楽しみ方は人それぞれだった。
ちなみに私は時空間移動研究組織のクロノスの研究員になった。
現実世界では天才と呼ばれる物理学者である私が
このリアル・ワールドの世界においてどの程度通用するか試してみたかったからだ。
ちなみに私はクロノスの採用試験を8回受けて7回落ちた。
どうやら凄まじい速さでカリキュレートできる
優れたNPC以外には採用されないという前提で
この採用試験が用意されているらしいと気が付いたのは私が5回も落ちた後だった。
5回落ちた後、現実世界で調べて知ったことだが
このクロノスという組織はデミウルゴス社によって直接運営されていた。
時間移動や空間移動は時として運営する側にとっては必要な技術なのだが、
仮想現実空間とはいえ多くの人々が生活する世界において
時間移動や空間移動は制限されるべき技術だったに違いない。
そのため間違っても一般ユーザーが
これらの技術に触れることがないようクロノスの採用試験を限りなく
難しくすることによって優れたNPC以外の採用を防いでいたのだった。
それを知った私は断然、燃えた。
採用試験の過去問題を徹底的に洗い、予想問題を徹底的に解き、
現実世界とは異なるリアル・ワールド独自の物理法則を研究して試験に挑んだ。
それでも8回目の試験で私が合格したのは奇跡的な出来事だったに違いない。
こうして私は………私の勘違いでなければ、
私は至極、真っ当な方法によってシステムの裏をかくことで
この世界において唯一クロノスで研究員を務める一般ユーザーになったのだった。
「君に頼みたいことは、一つだ。私は君たちが来たであろう上位世界に行きたい」
「………」
NPCには知る由もない我々の世界について
博士が言及したことに驚きを隠せなかった。
一般ユーザーが現実世界へ戻っている際には
ユーザーキャラクターはそのユーザーの行動データに沿って
NPCとして活動するため矛盾は生じないようにできているし、
一般ユーザーがNPCに対して我々の世界に関して教えることは
NG行動として常に監視されている。
このルールを破った場合、
運営側の判断によって現行のキャラクターは使用不可になり
強制的にNPCにされた上で、その事実を告げられたNPCの記憶は操作されてしまう。
博士の言葉に対して無言を貫いてはいるものの、
私は今現在、物凄く危ない橋を渡っているのだ。
「博士はどうやって?」
博士はどうやって上位世界について知りえたのですか?
そう尋ねたかったが、NG行為を考えるとそう質問するのが限界だった。
いや、実際には既にNG行為に接触している。
今はもうはっきりと言葉には出さない事で
その行為が発覚することを防いでいるだけに過ぎない。
私の質問に違和感を覚えたのか
博士は不思議そうな顔をして私の目を覗きこむと、
何かに思い当たったかのように頷いた。
どうやら今の質問だけで私の意図を理解してくれたうえ、
こちらの立場までも把握してくれたらしい。
博士は先ほどと比べるといくぶん声のトーンを低くして言った。
「まず一つ目、この世界は不自然なほど数学的すぎるということだ。
とりわけ時間の概念、空間の概念に関してはそれが顕著に表れている。
時の欠片理論にしても、空間座標軸理論にしても
それは自然な形としての数学で導き出される計算ではない。
これは何者かが「管理」するために作られた計算式だよ。
そして二つ目、時の欠片理論の計算式が完璧だと仮定すれば、
私の開発したタイムマシーンで
いける時代といけない時代が存在することはおかしい。
理論上は人類が生まれる以前の時代にもいけるだろうし、
この世界が滅んだ後の時代にも行くことができるはずなのに
時代によってはそれが可能ではない。それはどういうことだろうね?
私が思うに単純にそれが上位世界にとって
「管理外の時代」だからじゃないかと思うのだよ。そうだろう?」
「……………」
私は喋らない。喋れない。
だが、その博士の推測は正しい。私は無言で肯定を示す。
「しかし博士はどうして私が?(別世界から来たと分かったのですか?)」
「前に空間軸調査をするためにサムソン山脈に昇っただろう?
その時、クロノスに採用される程に優秀な君が
この国の国鳥であるジュピターバードを知らなかったからね。
もしやと思ったんだ。この男は別世界から来たのではないかとね」
「まさか、博士はそれだけで?」
「それだけだが、十分すぎるだろう。
『君が知らない』というのはそれだけ不自然なことなんだよ。
実は私は上位世界から非常に多くの人間が来ていると考えている
だが、このクロノスの中ではおそらく君だけだ。そうだろう?」
博士はワインの入った
グラスを傾けながらニヤリと笑った。
「さて、本題に入ろうか。君が私の望みを叶えることは可能か否か?」と言った。
「…………………難しいです」
私は正直に答える。
いや不可能と言わなかった分、私は嘘吐きかもしれない。
いくらなんでも夢の中の住人を現実世界へと連れていくなんて
そんなことはできないだろう。少なくとも私には無理だった。
「難しい?それは理論的にかね?それとも予算的にかね?」
「どちらもです」と私は正直に答えた。
しかしその私の言葉に対して、博士は別の見解を提示した。
「理論的には、私は可能だと思う。
別に私はこの身体のまま上位世界へと言っているわけではないのだよ。
こんな優れた世界を作り上げた文明なのだから、
おそらくこの世界における家庭用メイドロボットのような
アンドロイドが向こうの世界にもあると思うのだが、存在はするかね?」
「…………」私は無言のまま頷く。その通りだったからだ。
「おそらく空間や時間が「管理」されているように、
間違いなく「私のデータ」も上位世界のどこかしらに「管理」されていると思う。
その私の個人データ情報を、そうしたアンドロイドの中に転送すれば
私の意識だけならば上位世界にいけるのではないだろうか?」
「そうですね………理論上は」
私は肯定した。
確かに博士の言う通り、理論上は可能だった。
だがそのためにはデミウルゴス社のサーバーにアクセスしなければならない。
はっきり言って、関係者でもない私がそのデータに触れることは不可能に等しい。
「ええ、それでも難しいかと」と難色を示す私に対して博士は
「成功報酬として200億ギル。
こちらの世界のお金だが
おそらく向こうの世界でも貨幣的価値が存在すると思うのだが?」
200億ギル?200億ギルだって?!私は破格の金額提示に驚愕した。
博士の言う通り、世界中の人々がリアル・ワールドに参加している以上、
こちらのお金を現実世界で取引することは可能だ。
そして博士の提示した金額は現実世界でも
リアル・ワールドの世界でも一生贅沢をして遊んで暮らせる額だった。
「わかりました、博士。やってみましょう
諸経費として三億ギルの用意をお願いします。」
資金さえあればデミウルゴス社のサーバー管理者に
賄賂を掴ませることでデータベース内の情報を横流しさせることもできるだろう。
そして何より私には興味があった。
現実世界で天才と呼ばれた私の遥か彼方をいく
頭脳の持ち主がこちらの世界にやってくるということにだ。
リアル・ワールドという環境が生み出した
史上最高の天才的人物の召喚。これほど面白そうな話があるだろうか?
私は博士の依頼を引き受ける決心をした。
地獄の沙汰も金次第。
案の定、資金があればアーロンベック博士のデータ情報を手に入れることは簡単だった。
教授仲間の知り合いから紹介してもらった
デミウルゴス社の社員に大金を掴ませると三日後には
アーロンベック博士の個人データの入った記録媒体が速達で届けられた。
それから数日後、博士に似せて特注したアンドロイドも届いた。
手に入れた博士の個人データをPCを通じてアンドロイドの性格情報へ流しこめば、
リアル・ワールドの世界にいたアーロンベック博士が目を覚ますことになる。
私はアンドロイドを自室のベットに寝かして首のあたりに
PCから繋がったコードを射しこむと情報入力を始めた。
準備はこれだけで完了だ。
これから30分もしないうちにデータインストールは終わるだろう。
そして彼が起きて活動を始めた瞬間に
学界のありとあらゆるセオリーが彼の手によって覆されるに違いない。
なぜならアーロンベック博士は
現実世界とリアル・ワールドが生み出したブレイン・モンスターなのだから。
元々、NPCだったアーロンベック博士の頭脳に勝てる生身の人間など存在はしない。
私は思わず、笑い声をあげていた。
愉快だ。これほどまでに愉快なことがあるだろうか?
あと数年もしないうちに仮想現実が現実を凌駕し、
その現実のセオリーが仮想現実の作りあげられた人物によってひっくり返るのだ。
ピーーーーーーーーーとインストール終了を告げる音がした。
全てのデータ転送が完了したようだ。
頭にあるボタンを押せば
アーロンベック博士の記憶を持ったアンドロイドが起動する。
私は生唾を飲み込むと、意を決してそのボタンを押した。
「ここは………もしや?!」
目を覚ましたアーロンベック博士に対して
私はにっこりとほほ笑むと「私が誰だか分りますか?」と尋ねた。
「お、おぉ、君かね!ならば依頼は成功したのだね!!」
歓喜の声を上げて私の部屋を見回す彼に
私は博士の有する頭脳と知識に最大限の敬意と
たっぷりの皮肉を込めて歓迎の言葉を述べた。
「ようこそ、アーロンベック博士。この不自由な物理学の世界へ」