書き手の想い
誠に残念ながら、今回ご投稿して頂いた…
見慣れた文章が白い用紙に並ぶ。
慎重に協議した結果、沢山のご応募をいただき、ご期待に添えず、またの機会に…
自分でも同じ文書を空で作れるくらいに暗記してしまった内容の通知書は、すでに何枚目かもわからない。
某出版社に自作の小説を投稿し続けて、もう、30年になる。
初めて投稿した内容はもうおぼろげだが、その当時の気持ちは不思議と覚えている。
まだ若い自分が初めて書きあげた、自信作だった。
プロット作りから独学で試行錯誤した末の処女作。確か学生が主人公の、サスペンスだったはずだ。
今から思えばなぜそんな稚拙な物をと恥ずかしいが、それが若さ故の勢いだったとわかる今だから、同じ分だけ愛しくも思う。
それから30年。
入賞などする影もなく、小説家として食べれるわけもなく、文系の大学へ進み、いちサラリーマンとなった。
相変わらずちまちまと小説を書き、相変わらずの通知が届き、家族が増えて、食うために文学とは何ら関係のない健康食品の営業に出る。
唯一の読者は妻だった。
誰の目にも止まらないような素人の小説を、私だけが読めるなんて贅沢ね、と言って2日かけて目を通す。
家事やパートに忙しい妻だったが、必ず2日目に読み終える。評価や感想は言わない。それがもどかしい時もあれば、救われる時もあった。
そんな彼女も一昨年、癌で亡くなった。
幸い、早くに出来た一人息子は独り立ちしており、子供と二人、生活に困ることはない。
ただ、家が静かになった。
茶の間にある机の上に置いてある恒例の通知書も、昨年からは自分で郵便受けから取り出した。
来年には孫が生まれる。息子は同居を提案しているが、せっかくきてくれた嫁さんに、こんな邪魔にしかならない中年親父の世話を赤子と同時にさせるなど出来る筈がない。
それに、私にはライフワークがある。
相変わらず面白みのない、もはやエッセイのような小説を書く。そしてそれを仏壇に2日ばかり置いておく。それから相変わらず同じ出版社へと投稿し、通知書が届くのを待つ。
定期的にある一般公募に、定期的に行うそれらの一連の流れ自体が、私のライフワークだ。
決まったジャンルでもなく、とりとめもない内容で、妻が息抜きできる程度の面白さで。
あの頃感じた、これはいける、という不明確な自信。そのあとに繰り返された失望感。それらを越えて、尚書き続けた書くことへの愛情。
私の作品はきっと、日の目を見ることはこの先ずっと無いのだろう。
でも、それでもいいのだ。
書くことの意味は、私だけが知っている。
続けていくことで生まれる何かも、私だけが感じている。
もしかしたら、という薄っぺらな可能性も、私だけが信じれる。
くたびれたネクタイを外して、しがない営業マンの皮を脱ぎ、年代物になりつつある木製の机に向かう。
4代目になる愛用の万年筆を手に取り、今夜も私は原稿用紙に想いの言葉を書き綴るのだ。