【短編版】稀代の悪女が婚約破棄されて嫁いだら、私の旦那様が双子の子どもを残して行方不明でした
「クラウディア・ヴァリス伯爵令嬢よ。お前は私の婚約者でありながら、未来の公爵夫人になるための教育を怠慢し、ひとたび夜会に出れば、男をその体で誘惑する。眉目秀麗で尊い私という存在を蔑ろにし、男どもに色目を使うお前とは今日でお別れだ。よって、今日でお前との婚約を破棄し、ここにいるメリーを新しい私の婚約者とする」
夜会で高らかに宣言した彼は、言ってやったとばかりにふんぞり返り、クラウディアを蔑むように見た。
彼の新しい婚約者というメリーは可愛らしい巻髪を手でくるりと撫でた後、そのままあざとく唇に人差し指を添える。
「ポール様、そこまで言ってはクラウディア様が可哀そうですわ。それよりも私はあなたのお傍にいられるだけで幸せです」
目を潤ませて上目遣いで囁く彼女の言葉に、ポールは感心してため息をつく。
「なんて素晴らしい女性なんだ! 君はやはり『博愛の女神』! それに比べてクラウディアは『稀代の悪女』だ! 男を惑わしたぶらかし、悪の道へと誘う。最低な人間だ」
そうして二人の女性を比べ、元婚約者のクラウディアの地位を一気に落とした彼だったが、彼女は意外にも冷静で賢い女性だった。
(なるほど……最近何か私にこそこそしていたのは、このためでしたか。こうも堂々と婚約破棄されるとは……)
クラウディアの胸の内を知らぬポールは、彼女にさらなる命を下す。
「ただ、お前はもう十八だ。その年で婚約者がいなくなると大変だろう。そう思って私が直々に用意してやったぞ、お前の嫁ぎ先を」
「あらまあ! ポール様ったら、なんてお優しいの! クラウディア様のこともお考えになるなんて!」
猫撫で声で嫌味たっぷりに発言する彼女におだてられ、さらに高らかにポールは言う。
「『幽霊騎士』を知っているだろう?」
「ええ……」
『幽霊騎士』とは社交界でまことしやかにささやかれている噂の存在。
非常に残忍な性格で、血も涙もなく敵を次々に討ち果たして戦場を駆ける──。
そんな恐ろしい彼が戦場から戻って森の奥深くの屋敷に引きこもっているというのだ。
「そいつがお前の嫁ぎ先だ! どうだ!? 『幽霊騎士』と『稀代の悪女』の結婚! ぴったりじゃないか!」
ポールが高笑いしている隣で密やかにメリーが笑みを浮かべていた。
勝ち誇ったような二人に向かい、クラウディアが驚いた表情を見せて尋ねる。
「あの『幽霊騎士』様がわたくしとの結婚をご了承なさったのですか?」
「ああ……そうだが……」
すると、クラウディアはふっと笑みを浮かべ、ドレスの裾を持って丁寧にお辞儀をした。
「婚約破棄のお申し出、ありがたいですわ」
「なっ!」
「そして、私の嫁ぎ先まで斡旋していただきまして、嬉しい限りでございますわ」
予想外の反応をした彼女に、ポールは訝し気な顔をしている。
「なぜ、婚約破棄されてそんな嬉しそうなんだ! 頭がおかしいのか!?」
「いいえ、あなた様がいかに愚かだったか、そしてそんなあなた様から離れられることが嬉しいのですわ」
「なんだと!?」
クラウディアの反撃にポールは怒りで拳を震わせた。
そしてそのあまりにも妙な笑みを浮かべる彼女に、次第にメリーも眉をひそめていく。
「そのご様子だと、『幽霊騎士』の本当のお姿を知らないのですね」
「なに?」
ポールはなんのことかわからずただ怪訝な表情を浮かべている。
一方、クラウディアは意味深な笑みをメリーに向けると、彼女の背中にじんわりと汗が滲んだ。
『幽霊騎士』の正体について知らない二人に、クラウディアは告げる。
「我が叔父が戦場によく行っていたのはご存じですか?」
クラウディアの叔父は騎士団長であり、剣の腕が王国で随一と呼ばれている。
そんな彼が戦場で活躍していることはポールの耳にも入っていた。
「お前の叔父上がどうしたのだ!」
「あら、戦場で指揮を執っていたのは『幽霊騎士』」
その言葉を聞いてメリーは何かに気づきハッとするが、すぐに何もなかったかのように冷静さを取り戻す。
そんな彼女の表情の変化をクラウディアは見逃さなかった。
「あら、メリー様は知っているわよね、もちろん」
「な、なんのことかしら……?」
「ふふ、とぼけちゃって。ご存じのはずでしょう。『幽霊騎士』、あのお方がどれほど高貴なお方か」
メリーはクラウディアに悟られないように冷静さを保つが、額からすでに汗が流れている。
「なっ! お前たち! 何を言い合っているんだ!」
「ポール様、申し訳ございませんでした。あなた様を置き去りにしてしまいましたわ。メリー様はすでにお気づきのようですが、あなた様はまだですわね。では、特別に教えて差し上げますわ」
「な、なにをだ!」
「『幽霊騎士』の本当の正体を……」
そう口にすると、クラウディアはポールのもとにゆっくりと近づいていく。
そしてそっと彼の耳元で囁いた。
「な……」
ポールは目を見開き、次の瞬間にはその場にへたり込んでしまう。
その足はガクガクと震えて顔がどんどん引きつっていく。
「ゆ、幽霊騎士が……実は第二王子のライベルト殿下だと……!?」
衝撃の事実を告げられて口が大きく開いたままのポールに、クラウディアはさらに追い打ちをかける。
「さあ、あなた様があのお方を『幽霊騎士』と蔑んでいたことも、ご両親に内緒でわたくしとの婚約を破棄したことも知られたらどうなるでしょうね?」
(元々ポール様と私の結婚は両家の友好の大事な証だった。それをご両親に内緒で破棄したとあれば、ただではすまないはず)
「それに、メリー様はポール様のお家を乗っ取るために近づいている隣国のスパイ一家の娘。『稀代の悪女』と罵ったあなたのほうが、害悪ではなくて?」
その言葉を聞いてポールはメリーに詰め寄る。
「嘘だよなっ!? メリー!」
「嘘に決まっていますわよ。ポール様と私の仲を羨んでのでたらめですわ!」
彼女の言葉を聞いたクラウディアは、冷静にじっと二人の様子を見つめて言う。
「でたらめかどうかは、すぐにわかるでしょうね。さあ、わたくしは元婚約者様のご指示通り、『幽霊騎士』様のもとへ向かうといたしますわ」
「ま、待てっ! お前と復縁してやる!」
「な、私を捨てると言うの!?」
ポールが保身のためにクラウディアとの婚約破棄をなかったものにしようとするが、それを許すまじといった様子でメリーに食ってかかった。
そんな醜き争いの末に破滅の未来を見たクラウディアは、振り向きざまに告げる。
「わたくしは『稀代の悪女』ですので。『眉目秀麗で尊い』あなた様とは釣り合いませんわ。ごめんあそばせ」
彼女はわずかに笑みを浮かべてその場を去った。
ポールはその直後に実家で両親からひどく叱られ、勘当。メリーもスパイ容疑で拘束され、一家で投獄されたのだった──。
一方、華麗に去ったクラウディアが『幽霊騎士』の屋敷に到着すると、彼女の叫び声が響き渡った。
「なんですって!? ライベルト殿下が行方不明!?」
クラウディアは執事長であるジベルに詰め寄る。
「殿下が行方不明とは、どういうことなのですか!?」
「それが、ミシール峠への遠征から戻られた翌日に急に姿を消してしまわれたのです」
それ以上は何もわからないといった様子でジベルは険しい表情をしている。
「叔父様は!? パトリシオ叔父様が殿下のお傍にいたはずでは!?」
「パトリシオ騎士団長も殿下についていったっきり、戻らないのです」
「そんな……」
ミシール峠の遠征は隣国との作戦の情報漏れを防ぐために内密におこなわれた境界線防衛であり、その指揮を執っていたのが『幽霊騎士』こと第二王子ライベルトであった。
彼は弱冠十六歳で初陣を飾り、それ以降一度も負けたことがない戦上手。
今回の遠征も見事に勝ったと叔父から手紙で聞いていたクラウディアだったが、まさかその遠征から一週間も経たず指揮官と側近が行方不明になるとは思いもよらなかった。
「殿下はお戻りにはなったのですよね?」
「はい……しかし、その三日後に『用がある』と言ってパトリシオ様と出たきり、お二人とも戻っておりません」
(なんてことなの……)
クラウディアは自分が嫁いだという事実よりも彼らの安否が気になり、ジベルに質問を続ける。
「ジベル、このことを陛下は?」
「ご存じです。しかし、殿下の捜索をするような素振りは……」
(どういうことなの……? 陛下は殿下が失踪なさったことについて何か知っていらっしゃる? それとも何かよくない陰謀が……)
現国王と王妃の間には第一王子ルイディードと第二王子ライベルトの二人の息子がいる。
社交界では「国王陛下は第一王子を次期国王にと考えている」と囁かれているが、芯が強いルイディードは何かと貴族院と意見の対立をしてしまっていた。
また昨今の王国弱体化の波も受けて、建国当時の強国に戻そうとしている強国推進派の貴族がライベルトを時期国王にと推す動きもある。
(もしかして、ライベルト殿下を推す勢力を削ぐために、陛下が何かしら策を……?)
クラウディアの脳内に内政紛争の構図が思い浮かぶ。
その紛争にライベルトと自分の叔父は巻き込まれているのではないか。
そのような推測がよぎり、クラウディアの表情はどんどん暗くなっていく。
(私の結婚を殿下が承諾したのは、失踪直前のはず。でも、本当に殿下が承諾した?)
確かにポール伝いで『幽霊騎士』とクラウディアの結婚が承諾されたと聞き、屋敷に赴いたものの、確かな証拠はない。
むしろその確認も兼ねて実際にこちらに足を運んだということもある。
(殿下と叔父様に一体何が……)
真剣な面持ちで考えている時、クラウディアの足に小さな男の子がしがみついた。
「お母様……?」
「え……?」
その子はうさぎのぬいぐるみを持って、クラウディアにすがるような目を向けている。
六歳くらいだろうか。
外はねとミルクティー色の髪にまん丸く青い瞳が目立つ、可愛らしい子どもだった。
「男の子……?」
困惑していた矢先、クラウディアの背中に誰かがのしかかった。
「うわっ!」
「えへへ! なに!? 新しいお母様ー?」
活発で明るい声を響かせたその子は、目の前にいる男の子と似た容姿をしている。
小さなドレスに身を包んだ女の子は、クラウディアの背中に飛びついた後、その場に勢いよく降り立った。
「お母様……?」
どういうことなのかわからずジベルに困惑の視線を向けると、彼は頭を下げて告げる。
「このお二人は、レオ様とアクア様で双子の御姉弟でございます」
「双子……」
「彼らはライベルト殿下のお子でございます」
「……へ?」
ジベルは手を胸に当てて答える。
「殿下に嫁いでいらっしゃったクラウディア様には、このお二人と共に過ごしていただきます」
(私、旦那様の顔も見ないままにこの子達の母親になるの……!?)
姉の影に隠れてじっと見つめるレオと、にっこりと笑って堂々と振舞うアクアの二人に見つめられて、クラウディアは動けなくなる。
アクアはじっと動けずにいるクラウディアに近づくと、品定めをするようにじろじろと見つめる。
そして、腰に手を当てて目を細めていう。
「ふ~ん、今度はずいぶん若い『お母様』なのね」
「え……?」
(「今度」? 私以外にもお母様がいる?)
この国では重婚は王国憲法で違反となっている。
まさかその国のトップである王族がその違反をするはずがない。
(いや、でも……なにかしらで事情が……)
顎に手を当てて考えて考え込んでいると、それをつまんないというようにアクアが言う。
「たくっ! もうっ! そんな辛気臭い顔しないでよ! こっちが暗くなる」
「す、すみません……」
小さな子どもに謝罪するような事態はクラウディアの人生史上初めてであった。
「アクア……だめだよ、そんなこといっちゃ……」
そんな強気なアクアと正反対に、姉にぴったりとくっついて小声で話すレオはかなり内気そう。
消え入りそうな声と弱々しい表情は何かに怯えているようだった。
(この子達と暮らすのよね……? まずはご挨拶したほうがよいかも)
クラウディアは双子に視線を合わせるようにしゃがむと、にっこりと笑う。
「初めまして。クラウディアと申します。殿下に嫁いで……えっと、お二人と一緒に暮らすことになりまして」
普段、冷静で度胸もあり様々なことにも対応しきる彼女であるが、子どもと触れ合うのは初めてで少し戸惑ってしまう。
(お母様……なのよね?)
彼女はそう告げようとした時、アクアが牽制するように言う。
「あなたと一緒に暮らしてあげてもいいわ。でも、『お母様』とは呼ばない」
「え……?」
アクアがそう言うと、ぬいぐるみとぎゅっと抱きしめて口元を隠しながらレオが告げる。
「『お母様』は私たちを産んだノアお母様だけ……」
その言葉を聞いてクラウディアはハッとする。
(そうだ。当たり前だ、私が産んだわけではない。彼女たちにお母様と呼ばれる資格はない)
クラウディアは頷くと、彼女らに声をかける。
「もちろんです。私のことはクラウディアと呼んでください」
そこまで話してジベルが双子のことをみやりながら、クラウディアに説明する。
「お二方のお母君であるノア様は、一年前に亡くなっております」
(そんな……殿下と離婚とかではなくまさかお亡くなりになってたなんて……でも、そうしたら、ノア様は殿下の奥様だったわけよね? 殿下はどうして私と結婚したのかしら……)
クラウディアはこの二人を抱きしめたい気持ちでいっぱいであった。
しかし、今日会ったばかりの自分に過度に接されても嫌だろう。
そう考えてその手を引っ込めた。
「アクア様、レオ様」
「なあに?」
「今日からご一緒に過ごさせていただきます。よろしくお願いいたします」
クラウディアは二人に向かって、お辞儀をした。
あまりに綺麗で美しい所作のカーテシーに、アクアとレオは目を丸くする。
アクアは一歩前に出ると、同じように可愛らしくも整った所作でお辞儀した。
「当屋敷の留守を預かる者として、あなたを歓迎します。クラウディア」
その姿はさっきまでの無邪気な様子とは違って、凛としている。
(この子の大人っぽさはなに? こんなに強い理由はなに? 両親ともいない状態でこんなにも凛とできる子どもがいるなんて……)
レオと同じ青い瞳はクラウディアをじっと見つめている。
あまりの美しく無垢な瞳に吸い込まれそうになった。
「早速ですが、私たちとゲームをしましょう?」
「ゲーム?」
「どちらが私か当てるゲーム。私とレオが同じ格好をするから見分けられたらあなたの勝ち、見分けられなかったら……」
(見分けられなかったら……?)
クラウディアが息を飲んだ瞬間、アクアの顔からふっと笑顔が消えて冷たい声で言い放つ。
「見分けられなかったら、すぐにあなたにはこの家を出て行ってもらいます」
「このお屋敷から出て行く……」
それは明らかな拒絶の言葉であり、クラウディアに心を許していないという証であった。
アクアの瞳の奥には「敵意」が潜んでおり、レオの瞳の奥には「恐れ」が見え隠れしている。
(出会って間もない双子の子どもを見分ける……かなり難易度が高い、いえ不可能に近いわね)
確率論ではなく、単純に彼女と双子の信頼度の問題である。
今日であったばかりであり、男女の違いはあれどまだ幼い子どもであり見分けるのはかなり難しい。
クラウディアはそう考え、一つの条件を提示した。
「わかりました。でも、私とあなたたちは会ったばかり。せめてあなたたちと触れ合う時間がほしいの。三日いただけないかしら?」
じっと彼女の言葉に耳を傾けて、アクアは考え込んでいる。
そして後ろに隠れているレオとひそひそと話し合うと、彼女はクラウディアに告げた。
「一日」
「え……?」
「一日だけなら待ってあげる。私たちはなるべくあなたといるようにする。これでどう?」
「ええ、もちろんです。お願いします」
アクアの返答にクラウディアはにこっと笑った。
しかし、背中に汗が流れていく。
(三日と提示すれば、二日は与えてもらえると思ったけど。意外と彼女らは厳しいわね。いえ……)
クラウディアはずっと気になっていたことに考えを巡らせる。
それと同時にさっきアクアがレオとひそひそと話し合っていた光景を思い出した。
(アクア様が表立っているけれど、恐らく二人の間で「頭脳」なのはレオ様のほう。彼は内気ながらも冷静に状況を把握して姉であるアクアに助言している。この二人は、「二人だからこそ」手ごわい)
すでに二人の観察を始めている彼女の様子に気づいたのか、レオはクラウディアに背を向けて去っていく。
「じゃあ、僕はもう行くから」
「あ……! 待ってください!」
クラウディアの制止も虚しく、彼は部屋を出て行ってしまう。
焦りの表情を見たアクアは、微笑みながら告げる。
「大丈夫よ、レオはピアノ部屋よ」
「ピアノ部屋……?」
「レオはピアノが得意なの。ほら」
直後に遠くからピアノの音色が響いてくる。
(すごい……)
旋律はとても細やかで繊細、流れるような心地よいリズム。
「綺麗……」
アクアの呟きがクラウディアの耳に届くも、彼女の感想は意外なものだった。
(綺麗だけど、悲しい旋律……何か心の中の虚しさが感じられる……)
その虚無感はどこから起こっているものなのか。
(母親がいないことへの悲しさ? それとも、殿下がいないこと?)
いくつもの可能性が考えつくが、まだ彼と言葉をほとんど交わしていない彼女にはわからない。
(耳に残る……切なさの理由を知りたい……)
クラウディアはレオへ思いを馳せる。
一方、アクアはというと無邪気な様子でクラウディアの手を取って引っ張った。
「うわっ!」
「ねえっ! 私とおままごとしましょっ! こっち!」
そう言って連れられたのは隣の部屋だった。
おもちゃやぬいぐるみがたくさんあり、カーペットの上には小さめのベッドやキッチンのようなものが置かれている。
(手作りのおままごとセット……)
貴族の家ではこうしたおままごとのセットが王都に売られている。
それを買って遊ぶのが大半の貴族の令息や令嬢たちの遊び方であるが、この子達は手作りのものを使用していた。
「これはね、ジベルが作ってくれたのよ」
「そうなのですね……」
クラウディアはアクアに告げられた後、アクアの手を確認してみる。
(やっぱり。手にわずかに傷がある。これは木の板や紙を切ってこれを自分で作った証拠。さっきまでそれをしていたのかしら。わずかに接着剤が腕についている……)
「さあ、あなたは私の犬ね!」
「犬……ですか……」
(人間じゃないんかいっ!)
クラウディアの心の中の声がアクアに届くことはない。
(ひとまず、何か二人を見分ける手がかりを探す。そのためにはアクア様とのおままごとを完璧にこなしてみせる!)
そうして、クラウディアとアクアのおままごとは始まった。
「わん、わんっ……」
「だめっ! もっと大きな声で!」
(そ、そんな無茶な……)
アクアのおままごと指導は過酷を極めていた。
さすがのクラウディアも音を上げそうになるが、ぐっとこらえて床に向いていた顔をあげた。
(そうよ、私は犬っ!)
「わお~んっ!」
「そうっ! よくできるじゃない!」
諸外国では小さい犬も多い中でこの国は寒さに厳しいためか、大型の犬しか在来種がいない。
そのためここでアクアが指示している犬は、狼に近いほどの大きさの犬である。
クラウディアの立派な遠吠えが部屋に響き渡った。
「はい、これエサよ。私の手作りだから、美味しく食べてね」
器に乗せられてやってきたのは、犬用のエサそっくりのクッキーであった。
(このクッキー……もしかして手作り?)
売っている犬用のエサでもなければ、貴族が行くようなお菓子屋さんで売っていそうなクッキーでもない。
形はいびつで薄さもまばら。
(そうか。かすかにこの子から漂ってた甘い匂いは、これを焼いてた?)
「どうしたの? 食べてよ」
「あ、ごめんなさい。じゃなかった……わんっ!」
そう言いつつもじっと器にあるクッキーを眺める。
(もし毒が入っていたら……? いや、さすがにそれはないか)
考えすぎだと言わんばかりに首を左右に振るが、クラウディアの脳内には昔に聞いた言葉がよみがえってくる。
『お嬢様、ご無事ですか!? そのスープを飲まないでください! 毒が、毒が入っております!』
彼女の手にあったスプーンがするりと落ちて、床に音を立てて落ちた。
5歳のクラウディアは専属侍女の制止の声を聞き、手を震えてしまう。
『あの新入りの侍女が犯人よ! 捕まえて!』
クラウディアの母親の叫び声が響き渡った後、ほどなくして犯人である侍女は捕縛された。
彼女はクラウディアの家であるヴァリス伯爵家の政敵である伯爵家のスパイであり、一家を毒殺して皆殺しにしようとしていたのだ。
(その日から、私は両親によって毒耐性の訓練を受けさせられた。体力もつけて自分の身を自分で守れるように努力した)
クラウディアはクッキーを見つめて思案した後、アクアの瞳をじっと見つめる。
「なっ! なによ、そんなにじっと見て」
不機嫌に顔を逸らしたアクアに対して、クラウディアは彼女の手を握って尋ねる。
「アクア様、このクッキーには何も入っていませんか?」
「なっ!」
その瞬間、アクアがクラウディアの頬を思いっきり叩いた。
じんわりと痛む自らの頬に手を当ててアクアのほうを見る。
「あ……」
幼いその瞳には大粒の涙が溜まっていて、唇を噛んだ瞬間零れ落ちた。
「あなたも私のことを『嘘つき』っていうのね!」
「ご、ごめんなさ……」
「毒なんて入ってない! 私はそんな卑怯なことしない!」
そう言って部屋を飛び出していく。
「アクア様っ!!」
手を伸ばすも足がしびれてうまく立ち上がれない。
クラウディアはその場に力なく座り込んで頭を抱えた。
「私、ばかだ……」
(自分の過去と今を重ね合わせてしまった。『疑う癖』が出てしまった……絶対やってはいけないこと。彼女を傷つけた……)
悔やんで目をつぶった瞬間、彼女の耳にもう一人の子の声が届く。
「あなたは毒でも飲まされたことあるの?」
その声に顔をあげてみると、部屋の入口にはレオがいた。
「レオ様……」
「アクアのこと傷つけたこと、許さないから」
そう言ってレオはアクアを追いかけていく。
(私は二人を傷つけた……)
すると、クラウディアの傍にジベルが近寄ってくる。
「このままではあなたにあの二人と暮らすのは無理でしょう。ですが、私の独り言を聞いてはもらえませんか?」
「え……?」
「アクア様とレオ様の思い出話をしましょう」
ジベルはクラウディアへ向けて、アクアとレオの生まれた頃の話を始めた。
「アクア様とレオ様のお母君であるノア様は、若くからこの屋敷の侍女として仕えていらっしゃいました」
(このお屋敷の侍女だったの……)
「妖精のように愛らしい顔つきと背丈、そして侍女としても優秀であったために周りの人々からも慕われていました。そんな日々の中でノア様はアクア様とレオ様を身籠り、この屋敷で出産されました」
(ライベルト殿下と結婚して、そのままご出産なさったのね。でも……)
クラウディアの表情が曇ったのが分かったのか、ジベルは一つ頷きながら話を続ける。
その表情はかなり辛そうであった。
「ノア様はご病気で亡くなり、幼いお二人が残された。この頃、殿下が戦地遠征から戻って来られ、お二人のことを知りました。そして、このお二人をお育てになる決心をなさったのです」
(幼い二人の年齢から考えて、殿下の戦地遠征はきっとメシド地方で勃発した『メシド領民反逆事件』……)
『メシド領民反逆事件』とは、領民が税金に不満を抱いた領民たちが領主であるパラール伯爵を殺害した事件のこと。
このパラール伯爵はこの時期名産品の輸出入の利権扱いで領民と協議を重ねている最中であったが、この協議の結果に不満を抱いた領民のリーダーがこの事件を扇動したと言われている。
(この時、パトリシオ叔父様も殿下と共に出兵なされて事後処理などに手間取ったと聞いているわ)
クラウディアが当時の事を思い出していた時、レオのピアノの音が響いてきた。
「ピアノ……」
彼女がじっとその音色に耳を傾けていると、ジベルは切ない瞳で遠くを見つめて言う。
「クラウディア様もご存じの『メシド領民反逆事件』で亡くなったパラール伯爵家は、ノア様のご実家。ノア様は病床で一人、実父の訃報を知った後に亡くなりました」
「そんな……! では、ノア様はその訃報を聞いて……?」
「その訃報が関係していたのかはわかりません。ノア様は心臓のご病気でしたから、もしかするとそのご心痛が響き、亡くなったのかもしれません」
(あの事件の裏でこんな悲しいことも起きていたなんて……)
「ピアノを嗜まれたノア様が病床でお作りになった曲が、今レオ様がお弾きになっている曲です」
(それでこんなにも悲しい旋律だったの……。ノア様もそしてこれを弾いているレオ様もどんなお気持ちなんでしょう)
「殿下は戻って来られて遺されたアクア様とレオ様を大事にお育てになりました。お二人も殿下に懐き、心を許していました。そして、お二人は殿下からノア様がもうこの世にいないことを聞いたのです」
「お二人はどんな反応だったのですか?」
「静かに事実を受け止めていらっしゃいました。泣くでも怒るでもなくただじっと、殿下の言葉に耳を傾けていらっしゃいました」
ノアの最期と双子たちの様子を知り、悲しさと虚しさでクラウディアの心は痛む。
(だから、あの子たちはあんなにも悲しさや寂しさを漂わせていたのね)
母親を幼くして亡くしていれば二人のように寂しさを募らせる子どもが大半だろう。
しかし、そんな中でアクアとレオは唯一の心のよりどころとなっていたライベルトも今いない状態である。
(どれだけ心細いでしょう。辛いでしょう……。そんな子を私は疑って、そして傷つけた)
ジベルの話を聞いたクラウディアは彼に告げる。
「私は……私はまだあの子たちの母親代わりにはなれないかもしれません。それでも、二人の傍にいたいと思いました」
「あなたならそう仰ると思っていました」
クラウディアは少し目を閉じて考え込んだ後、覚悟を決めた瞳をジベルに見せた。
「私、二人に話をしてきます」
「ええ、お二人は向かいの部屋にいらっしゃると思います」
クラウディアは礼を言って部屋を後にした。
クラウディアが双子のもとへ向かった時には、ちょうど日が傾き始めた時だった。
夏の終わりの少しひんやりした空気がカーテンを揺らしている。
「アクア様、レオ様……」
「なによ」
部屋に入って近づくクラウディアの足がその言葉で止まる。
彼女の「拒絶」を含んだ声とこちらを睨んでいるレオの視線を受けたから。
(やっぱり、私に心を閉じてしまっている……こんな時はまず相手の……)
そこまで考えをあれこれと巡らせた時、クラウディアは思考を止めた。
そして、今考えた自身の考えを振り切るように首を左右に振る。
これまでの彼女であれば、今のように相手の心理を考え最適な答えを探し出していたのだ。
しかし、今日の彼女は違った。
ジベルから聞いた二人の過去が彼女の心を動かし、二人には「心」で会話したいと考えた。
彼女はアクアとレオから少し距離をとったところで二人の視線に合わせるように膝をついた。
クラウディアのその様子にアクアは驚く。
彼女たちと距離をとったところから、クラウディアは床に頭をつくほどに深く謝罪した。
「なっ! なにしてんのよ、あなた!」
「アクア様、さっきはせっかく作ってくださったクッキーに毒が入っていることを疑ってしまい、申し訳ございませんでした」
その言葉はあまりにストレートでアクアの心に刺さる。
「アクア、聞かなくていいよ、この人の……君を疑う人の言葉なんか」
レオは姉の耳を塞ぐと、彼女をクラウディアから守るような視線を向ける。
(やっぱりレオ様の「恐れ」が明確に「敵意」に変わった。最初に見えた内気な雰囲気とは違う。きっとこれは姉のアクア様を守りたい一心から……)
レオに耳を塞がれながらアクアの気持ちは揺らぎ始めている。
すると、アクアはレオの手を外して口を開く。
「アクア……?」
「レオ、私なら大丈夫。クラウディア、あなたはどうして謝ったの?」
アクアは真っ直ぐな瞳を向けながら、クラウディアの返答を待った。
クラウディアは頭を上げて、小さな彼女のまん丸い瞳を見つめながら言う。
「アクア様の心を傷つけたと思ったからです。私は自分が毒殺されかけた過去から人を疑ってしまう癖があります。でも、それでもあなた様が好意で差し出してくださったものをあんな風に疑っていいわけがなかった……ごめんなさい」
「毒殺……」
アクアはクラウディアがなぜ自分のクッキーに毒が入っていることを疑ったのかを知り、ショックを受けて俯いてしまう。
「アクア、もう行こう」
彼女をこれ以上傷つけたくないと思ったレオは、アクアの手を引いて部屋を出ようとする。
しかし、アクアはその手を離した。
「アクア……?」
「クラウディア、あなたは殺されかけたことがあったの?」
アクアの言葉にクラウディアは答える。
「……はい」
「あなたも家族も無事だった?」
「はい、私も両親も生きております」
その瞬間、アクアはクラウディアの胸に飛び込んだ。
「アクア、様……?」
「よかった。死んじゃったんじゃないかって思った」
その言葉を聞いた時、クラウディアはアクアの「心」を理解できた。
(もしかして、お母様を亡くされたから……だから、「死」に敏感なのかもしれない。自分たちだけじゃない。生きていることで安心してくださった)
そのことを理解したクラウディアは、自分の胸に飛び込んできたアクアの頭を撫でようとした。
しかし、その手を止めてそっと背中に回して言葉をかける。
「アクア様はお優しいですね。ジベルにノア様のことを伺いました。辛かった……と慰めるのは簡単かもしれませんが、それでもあなた方は頑張っていると思います。私なら、寂しくて泣きわめいてしまいます」
「ほんと……?」
「ええ」
そこで俯いて立っていたレオにもクラウディアは声をかける。
「レオ様が弾いていた曲はノア様がお作りになったものだと伺いました」
「そこまで聞いたの……」
「お母様も、そして殿下もいないのは不安ですよね。今の私ではあなたたちを見分けることはできないと思います。ですが、アクア様とレオ様と一緒に過ごしたいと思えました」
彼女の言葉にアクアとレオは目を合わせて、しばらくした後静かに頷いた。
そして、アクアが口を開く。
「あなたが私たちを見分けられるとは思ってなかったの。無茶苦茶なこといってどうするか見たかったの。試すようなことをしてごめんなさい」
(やっぱりこの二人は私を試していたのね。でも何のために?)
クラウディアがそう疑問に思ったところで、彼女はアクアに手を引かれる。
「さあ、おままごとするわよ。ほら、今度はレオも!」
「僕も!?」
(ああ、そうか。「心」で接していいんだ。疑うことなんてしなくていいのかもしれない。この子たちには真っ直ぐな気持ちで接したい……)
おままごとをしながらすっかり眠ってしまった三人を見つけたジベルは、白い髭を揺らして笑った──。
そして、翌日クラウディアが支度をして双子たちと共にリビングに向かうと、「彼」がいた。
「ライベルト殿下……!」
「久しいな、クラウディア」
行方不明だった旦那様は帰ってきていたのだ──。
「殿下っ! ご無事だったんですか!」
クラウディアはライベルトに駆け寄ると、彼はリビングの椅子に深く座って笑みを浮かべた。
すると、アクアとレオは走って彼のもとへ向かった。
「よく耐えたな」
「おかえりなさいませ、殿下!」
(あれ、殿下と呼んでいるの? お父様とかでは……?)
クラウディアの考えを読んだように、ライベルトは両膝に双子を一人ずつ乗せて頭を撫でながら言う。
「七年ぶりか。そなたがパトリシオと共に挨拶に来たのは」
「ええ、ご無沙汰しております」
(『幽霊騎士』として第二王子が戦場に出ることを国内で知る者はほとんどいない。それゆえ何かあった時のために、叔父上から私が殿下の所在や状況は把握することになっていた。叔父上から直々に教育を受けていた私が……)
クラウディアは第二王子ライベルトの頭脳として叔父パトリシオと共に働く予定だった。
それがまさか殿下の妻になることになろうとは思わず、彼女も戸惑ったのである。
「なぜ私がそなたの結婚相手になったのか、聞きたいようだな」
「はい。元婚約者であるポール様のお申し出をなぜ受けたのか、彼は『幽霊騎士』であるあなた様に無礼を働いたはず。なぜ……」
すると、彼はポールからの手紙を取り出してクラウディアに伝える。
「あやつはこの私の正体を知らぬままお前の嫁ぎ先を斡旋して面白かったな。私が承諾したのは、もちろんこの子らのためだ」
「殿下のお子、でございますよね?」
「答えは半分YESで、半分NOだ」
「え……?」
アクアとレオは興味がそがれたのか、ライベルトの膝の上にいながら二人で手遊びをしている。
「二人の母親はノアだが、父親は私ではない。私は引き取って王位継承権を持たぬ養子にしたまで」
(本当の子では、ない……? では、二人のお父様は一体……)
クラウディアの疑問に答えるように、ライベルトは語り始める。
そこの表情は少し切なげにクラウディアには見えた。
「ノアはこの屋敷に侍女として行儀見習いに来て、そして二人の子を身籠った。その父親は、戦地で死んだ私の部下だった」
(そんな……じゃあ、ノア様はご自身の父上だけでなく、恋人まで……)
「責任を感じた、などと綺麗ごとをいいつもりはない。だが、ノアは病に伏せ、この子らを育てることもできなかった」
「それで、殿下が……?」
クラウディアのその言葉に静かに頷いた。
「ほとんどはジベルや侍女たちが面倒を見ていた。私はこの子が成長する場所を提供する。それだけだ」
そう言葉にしたライベルトだったが、彼がうわべだけで子育てをしていたわけではないことがクラウディアにはすぐにわかった。
(こんなに懐いていて、ただ場所を提供していただけじゃないはず。きっと殿下は二人に愛情をしっかり向けていらっしゃる)
「何人かの母親候補はいたが、二人と合わなかった。そうしていた矢先、お前の婚約者からクラウディアの嫁ぎ先になれと手紙が来たのだ。なぜ、子息一人が他人の嫁ぎ先を決められると思ったかは謎だがな」
(ポール様はなかなか世間知らずなところあったけれど、婚約者だった人間とはいえ嫁ぎ先を決められるわけないのに、さすがのお方だわ……)
ライベルトはさっと立ち上がると、双子たちを抱っこして床に降ろした。
そして、クラウディアのもとへ行き、頭を下げる。
「殿下!?」
「この子たちは初めて自分たちの内に私以外の者を入れた。それはそなたを母親代わりとして認めた証だろう」
ライベルトは婚姻届を見せてペンを差し出した。
そこにはすでにライベルトの署名が書かれている。
「そなたの両親にもパトリシオにも承認は得ている。私と共にこの子らを育ててもらえるか?」
「叔父様にも承諾をすでに!?」
「ああ」
すると、アクアがクラウディアに抱き着いた。
「なに!? ついに『けっこん』するの!?」
「あ、アクア様!!」
その言葉にクラウディアの頬は赤くなっていく。
(殿下と結婚……それに双子の子どもたちの子育て……私にできるのかしら……)
クラウディアは不安になると、ライベルトは彼女の耳元で囁く。
「私はそなたの聡明なところ気に入っている。私に恋をしないか?」
「で、殿下!?」
甘く蕩けるようなその言葉に、クラウディアの頬はさらに赤くなった。
『稀代の悪女』と呼ばれた彼女の幸せな結婚生活がはじまった──。
読んでくださってありがとうございます!
婚約破棄と可愛い双子を書きたい想いから書き始めました。
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