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初恋Reading  作者: 養生
6/11

第3話 (2/2)

「あっ、そうそう。高瀬舟、あの後ちゃんと全部読んだんだけどさ」

 弁当を食べ終えて片付けていると、また花村は唐突に話を振ってきた。花村はとっくに焼きそばパンを完食している。

「本で読むのと朗読で聴くのとじゃ、受ける印象が全然違うんだよね」

「そりゃそうだろ。本で読んだ方が分かりやすいに決まってる」

「ううん、違うよ。その逆」

「え?」

 花村は後ろに両手をついて、階段の上で足を投げ出した。

「俺、本読むのあんまり得意じゃなくてさ。文字だけじゃなんかうまくイメージできなくて……でも湊の朗読だと違うんだよ。映画観てるみたいに、頭ん中にそのシーンが映像で浮かんでくるんだ」

 前にも言ってたっけ。おれの朗読を聴くと、映画一本観た後みたいな気分になるって。素人の朗読でそこまでイメージを膨らませることができるなんて、何ともまあ安上がりで逞しい想像力だ。その時ばかりは純粋に花村を羨ましいと思った。

「でね、朗読聴いてからもっかい本で読み直してみると、一回目には気が付かなかったことがいっぱい出てくるんだよね。特に弟の気持ちとか、最初は全然考えもしなかったのに、湊の朗読聴いた後だとなんかすっごい考えちゃって、そのせいでなかなか読み進められなくて」

 花村はこっちに少し身を乗り出すようにして、一気にまくし立てるように言った。

「あ、ああ……そう」

 どう反応したらいいのか分からず、気の抜けた返事しかできない。おれが引いてると思ったのか、花村ははっとしたように身を引いて座り直し、照れたように笑った。

「だから今日、ちょっと寝不足。昨夜も遅くまで湊の朗読動画聴いてたから」

「そ……そんな何回も聴くようなもんじゃないだろ」

 まただ。胸の奥がこそばゆい、むずむずする変な感じ。嫌な感じではないけど、慣れない感覚だからどうにも落ち着かない。


 褒められたり、自分の朗読を気に入ってもらえるのは素直に嬉しいと思う。でもこれはプレッシャーだな、とも思ってしまう。

 おれはいつも一人だから朗読できてるのであって、人に見られているとまともに本の音読なんてできないのだ。果たしておれは、花村の前で生朗読なんて披露できるのだろうか。もしかろうじてできたとしても、花村が期待しているようなクオリティには到底及ばないだろう。

 がっかりさせるかもしれない。それが何より不安で怖かった。


「で、明日学校終わってからでいい? さっきの返事、まだ聞いてないよ」

 そう言えばそうだった。花村は横からおれの顔を覗き込むようにして、おれの返事を待っている。

 どうせ先延ばしにしたところで何も変わらないだろう。いつも朗読を録る前に練習なんてやらないし、どんなに事前準備をして臨んだところで必ず上手くできるという保証などない。当日のおれのメンタルとコンディション次第で全ては決まってしまうのだ。

 花村を落胆させる結果に終わることは今の時点でもう既に火を見るより明らかなのだが、断ってもどうせこいつは聞き入れないだろう。一回だけ生朗読を聴かせたら、その出来がどうであれ花村との約束は果たしたことになる。おれが緊張でろくに朗読できなかったとしても、それを花村がどう受け取るのかは花村の問題であっておれが憂慮することではない、はずだ。

「まあ……いいよ、明日で。特に用事ないし」

 半ばヤケクソでそう答えると、花村はぱっと顔をほころばせた。

「よし、決まりな!」

「場所は? どこでやるつもりだよ」

「あっ、それね。カラオケで聴かせてもらおうと思ってんだけど、どう? カラオケなら防音されてるし、落ち着いて朗読できるでしょ」

 花村は得意げにふふんと笑った。

「カラオケ……? 歌わないのに、朗読なんかのために利用していいのか」

「大丈夫だよ。一曲も歌わないで飲み食いするだけとか、DVD観るだけとか、そんな人いっぱいいるし」

「へえ……そんなもんなんだ」

「もしかして湊って、カラオケ行ったことないの?」

 ぎくりとして返答に詰まる。カラオケなんて陽キャのたまり場みたいなところに、おれのような陰キャが行くわけないだろ。おれにとってはこの世で最も縁のない場所だ。

 しかし、ここでバカ正直にそれを打ち明けたら絶対笑われる。いや、笑われるだけならまだいい。ドン引きされる可能性だってある、そっちの方が屈辱的だ。

「……あんまり、行ったことない」

 迷った末、おれは曖昧に誤魔化した。これなら嘘は言っていないはずだ、一応。

「ふーん。じゃ、駅前で待ち合わせにしよっか。駅の西口からちょっと歩いたとこにあるんだよね。俺、そこの店の会員証持ってるし」

 おれの返答には特に反応せず、花村は自分のスマートフォンで地図アプリを見ながらてきぱきと話を進めている。

 こういう時、スムーズに段取りを進められる奴を見ると、同じ年でも洗練されているなと心底感心してしまう。人並みの社会経験を積む機会がないというのは、友達がいない陰キャにとってはもはや死活問題でもある。本来ならおれも一人で朗読なんかしているよりは、そういう娯楽施設の利用方法を実践で学ぶ努力をする方がよっぽど有益なのかもしれない。


 花村だって、放課後におれと二人でカラオケなんて行きたくないだろうに。本来なら仲のいい友達と行くところなのに。そう思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。

 わざわざ時間を作ってくれたのに、おれの生朗読が散々な出来だったら、花村はきっとがっかりするだろう。もう二度とこんなふうに話しかけてくることもなくなるかもしれない。


 少しひんやりした風が、頬をくすぐるように撫でて去っていく。先月はまだ残暑が続いていて、ちょっと外を歩くだけでも汗だくになっていたのに。季節の移り変わりはいつもあっけない。

 今年の秋もすぐに過ぎ去ってしまうのだろう。


「あー、今から楽しみ。早く明日になんないかな」

 隣から聞こえる弾んだ声が、おれの胸に重く圧し掛かってくる。おれはきっと、花村をがっかりさせてしまう。花村の期待に応えられるような朗読を披露することは、おれにはできない。

 今ならまだ間に合う。やっぱり断って、この話はなかったことにできないだろうか。

「あの……」

「ん?」

 こっちを向いた花村の笑顔を見た途端、言いかけていた言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。

 だめだ、やっぱり言えない。

「……何でもない」


 誰かに褒めてほしくてやってるわけじゃないとか、どうせおれの自己満足だとか、そんなふうに割り切って考えていたはずだったのに。

 どうしてだろう。花村をがっかりさせたくない、今のおれはただそればっかり気にしてる。


「多分ね、湊の朗読聴いてなかったら、俺ここまで考えて読んでないと思うんだ」

 花村は非常階段の上の空を仰いでいる。夕日に当たると淡い橙色に透ける少し癖のある髪は、今は見慣れた栗色をしていた。

「喜助の弟って、よっぽど喜助のことが好きだったんだろうね」

「……え?」

「や、何となくだけど。読んでてそう思った」

 花村の髪が風に揺れるのをぼうっと見ていたせいで、花村が何のことを言っているのかすぐには分からなかったけど、どうやら高瀬舟の話をしているらしいとすぐに気付いた。

「なんて言うか……病気で働けなくて喜助に悪いなって思っちゃうのは分かるけど、だからって死のうとは思わないでしょ。剃刀で喉を切るなんて、よっぽど好きな人のためじゃなきゃできないよ」

 意外だな、と思った。花村がそこまで自分なりの解釈を確立するほど読み込んでいるとは思っていなかったのだ。

 それと同時に、花村の捉え方がおれとは全く違っていることにも少し驚いた。そういう解釈もあるのかと、一人で本を読んでいるだけじゃ決して知ることのない切り口を見せられたような気がして、それはおれにとって新鮮な驚きでもあった。

「弟は喜助のためじゃなくて、ただ自分がこの世から消えたくて喉を切ったんだろ。自分のためにやったんだよ」

 おれの解釈を述べると、花村はこっちを向いて不満げな声を上げた。

「ええ? 何それ。湊って変な考え方するんだね」

「別に変じゃない。変なのは花村の解釈の方だ」

 好きな人のために自らの命を断とうとするなんて、そんなのただの自己陶酔の極みでしかない。そんなことしたって誰も喜ぶわけがない、どんな理由があったとしても結局は自分のためにやったことだという結論に行き着くはずだ。おれはそう思っている。


 花村はしばらく不服そうな顔をして黙っていたが、自分の膝に頬杖をついて小さくため息をついた。

「まあ、もし自分のためにやったんだとしたら、弟って相当なメンヘラだよね」

「なんで?」

「やることが結構えげつないよなって。だってあれ、たった一人の兄にとどめを刺せって言ってるようなもんだろ?」

「……」

「そんなことしたら、絶対一生忘れらんなくなるに決まってんじゃん。生まれた時からずっと一緒にいた弟を自分の手で息の根止めたなんて、死ぬまで忘れることなんかできないでしょ」


 それは、おれも朗読する前に考えていたことだった。

 ただ早く楽になりたい、弟は本当にそれしか考えていなかったのだろうか。子供の頃からずっと一緒にいた兄を残して死ぬこと、その手助けを兄にやらせることに、何のためらいも感じなかったのだろうか。

 そんなことをどんなに考えたところで朗読には関係ないから無駄だと途中で考えるのをやめてしまったけど、おれの中で弟の気持ちについての答えはまだ出ていない。


「……そうかもな」

 弟はそこまで考えて、喜助に剃刀を抜いてくれと頼んだのかもしれない。そんなことをさせたら喜助がどう思うのか、ずっとそばで見ていた弟なら分かっていただろうに。

 何もかも分かった上で喜助にやらせたんだとしたら、そこにあったであろう弟の思惑を無視することはできない。弟がたった一人の兄に対して抱いていたかもしれない感情を世間では何と呼ぶのか、それはあまりに深く、そして昏くて、既にこの世にある言葉で定義できるものではないように思える。だけど。


「おれは、よく分かる気がする。弟の気持ち」


 朗読する前はあまりピンとくる解釈ができなかったけど、何故か今はまるで自分のことのように弟の気持ちを想像できる。

 弟はきっと、他の誰でもない喜助の手によって終わらせてほしかったんだろう。この先に何の望みも持てない自分の命も、自分の気持ちも。

 自分の望むものはどんなに欲しくても手に入らないと知っていたからこそ、その全てを喜助の手で終わらせてもらえるのなら本望だろうと思う。


「ええ? マジで? 湊ってもしかして、好きな人の気を引こうとしてそういうことするタイプ?」

 だが、花村は少し引いているようだった。どこかあきれたような口調でそう言われて、おれはあわてて否定した。

「バカ、そんなんじゃないって」

「でもさー、要はそういうことなんじゃないの? あの時の弟に、喜助に忘れられたくないって気持ちが本当に一ミリもなかったって言い切れる?」

「それは……多少はあったかもしれないけど」

「だろ? だったらそんなやり方じゃなくってさ、もうストレートに口で言えばよかったのに。自分のこと忘れないでって」

 花村らしい解釈だと思う。こいつならきっとそう言えただろう。

 でも、そういうことが当たり前にできない人間だっているのだ。花村みたいにできる奴には一生分からないだろうけど。

「……きっと、言いたくても言えなかったんだよ。だから、そうするしかなかったんだろ」


 きっとおれだったら、そんなこと言えない。

 自分が死んだ後も自分を忘れないでくれ、なんて、そんなことを言ったらきっと、喜助は死ぬまでその言葉に縛られたまま生きていかなくてはならなくなる。

 自分の気持ちが、言葉が、大好きな兄を死ぬまで縛り続ける。弟はそんなこと望んでいなかったはずだ。


「……ふーん」

 校庭の方から微かに聞こえてくる喧騒に掻き消されそうなほど、花村の声は小さかった。さっきまでと打って変わって、興味なさそうな冷めた声。

「自分が死んだ後、一人になった喜助がどんな気持ちになるかは考えないのに? ずいぶん自分勝手だよね、それ」

 自分勝手、という耳慣れないその単語は、つい最近花村に言われたばかりだ。花村は頬杖をついたまま、おれの目を探るようにじっと覗き込んでいる。

「なんか、どこかの誰かさんとそっくり」

 むっとして、つい花村を睨みつけてしまった。

「何が言いたいんだよ」

「べーつーに。何も」


 その時、午後の授業開始が近いことを知らせる予鈴が遠くから響いてきた。

「おっと、そろそろ行かないと」

 花村は腰を上げながら尻についた砂埃をぱんぱんと軽く払うと、おれの方を見ずに非常口の扉を開けた。

「後でメッセする。明日、忘れんなよ」

「……おう」

 重い扉が閉まる無機質な音を、おれは階段に座ったままぼんやりと聞いていた。

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