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初恋Reading  作者: 養生
10/11

最終話 (1/2)

 その日、おれは生まれて初めて学校をサボった。

 言い訳をするつもりはないが、朝起きてから家を出るまではサボるつもりではなかった。学校に行きたくないと思ってはいたけど、今日休んだら明日は絶対行けなくなると分かっていたから、できるだけ学校のことを考えないように別のことを考えながら身支度を整え、弁当を用意して、靴を履いて玄関を出た。

 でも結局、行けなかった。バス停へ向かう道の途中、少しずつ足取りが重くなっていって、のろのろと歩いた先でいつも乗っているバスが停留所から発車して遠ざかっていくのを見た瞬間、どうしようもないほどほっとしていたのだ。いつもだったら遅刻するかもと真っ青になっているはずなのに。

(……帰ろ)

 踵を返して、来た道を戻る。どうせ今日は夜まで家に誰もいない。学校には風邪をひいたとか言って欠席の連絡だけしたら、後はもう寝ていよう。


 何をするでもなく部屋のベッドでゴロゴロしていると、昼過ぎに母ちゃんからメッセージがきた。今日の帰りは遅くなりそうだから晩ごはんは先に食べておいて、とのことだ。

 そう言えば今日休んでること、まだ母ちゃんに伝えてないな。

(まあ、いいか……)

 ほんの数文字のメッセージを打ち込むのでさえ億劫だ。明日にでも報告すればいいだろう。

 でも明日、また学校に行けなかったら? 明日だけじゃない、その次の日も行けなかったら。

「……」

 クッションをぎゅっと抱きしめて、そこに顔を埋めた。今はもう何も考えたくない。もし明日行けなかったとして、それが何だっていうんだ。

 もう、どうだっていい。


 昨日、おれは一時間目の授業をサボって、二時間目が始まる二分前に教室に戻った。おれが入った瞬間、それまで騒がしかった教室がしんと静かになり、続けてひそひそと喋る声があちこちから聞こえてきたけど、おれはじっと下を向いたまま自分の席について次の授業の準備を始めた。

 朝はあんなにおれと花村をからかっていた奴らも、示し合わせたように何も言ってこない。ただ、こっちをちらちらと見ている好奇の視線だけは痛いほど感じた。

 そんな中、花村だけはおれの方を見ていなかった。自分の席に座って、誰とも喋らずただ前を向いている。まるで、おれのことなど見えていないみたいに。


 *


 今朝に用意しておいた弁当を食べた後は、何もせずただベッドに横たわっていた。眠ってしまえば夢の世界に逃避できるかもと思って目を瞑っても、いつもなら学校で授業を受けている時間だからなかなか寝つけない。

 平日の昼下がり、住宅街は本当に静かだ。時折、散歩をしている母親と小さな子供のはしゃいだ声が家の前を通り過ぎていく以外には人の声は聞こえてこない。遠くから車の走る音が微かに聞こえて、それは自分が今いる部屋とは別のどこか遠い世界から聞こえてくる音のようだった。

 ごろりと身体の向きを変えると、机の上に置いたノートパソコンと朗読の録音に使っているマイクが視界に入ってくる。

(そう言えば最後に朗読動画上げてから、何日くらいだったっけ……)

 最後に上げたのは『高瀬舟』の朗読だったはずだ。あれを上げた三日後、学校から帰ろうとしていたところで花村に声をかけられたんだっけか。あれからまだ何日も経っていないのに、何だかずいぶんと前のことのような気がする。


 もう朗読の配信は、やめようかな。


 もともと人前で喋ることへの苦手意識を少しでも克服できるようにと始めたことだったのに、花村の前で本の音読どころかまともに喋ることすらできなかったということは、結局のところおれが今までしてきたことは何の意味もなかったってことだ。

 おれは子供の頃から何も変わっていないし、きっとこの先もずっと変われないのだろう。死ぬまでずっとこの性分のまま、下を向いておどおどしながら生きていかなきゃいけないんだ。

 だったらもう、朗読なんかこれ以上続けてたって何の意味もない。どうせ朗読動画を聴きに来てくれる人はそんなにいないし、そのわずかな視聴者たちだっておれがある日突然チャンネルを閉じてもさほど驚くこともなく、また他の似たような動画を探しに行っておれのことなんか一日と経たず忘れるだろう。

 大体、誰かに聴いてほしくてやってたわけじゃない。おれ一人の自己満足で続けていただけだ。


『俺さ、湊の朗読がすごく好きなんだよね』


 花村はおれの朗読を褒めてくれて、おれの朗読が好きだって言ってくれた。そう言ってもらえて嬉しかった。

 だから花村をがっかりさせたくないって思ったけど、おれが朗読を始めた理由を知ったらきっとあいつはあきれるだろう。いや、もう既にあきれてるか。あんなに緊張しているところを見られたのだから。

 あいつももうおれの朗読なんか聴かないだろう。意味のないことを続けていても仕方がない、やめるのにちょうどいい機会だったのかもしれない。


 のそのそと起き上がり、ベッドから下りようとしたその時、枕元に置いてあったスマートフォンが一度だけ短く振動した。

 母ちゃんからのメッセージかと思い何も考えずメッセージアプリを開いた瞬間、おれは息を呑んだ。花村だ。

 咄嗟に時刻を確認すると、もうとっくに午後の授業が始まってずいぶん経っている時間だ。先週の金曜にカラオケへ行ってからずっと花村はメッセージなんてひとつも送ってこなかったのに、なんで今になって。

「……」

 誰もいないのに、指が勝手に震えだす。今ここで見なかったことにしても、メッセージの内容が気になってそのことだけで頭がいっぱいになったまま悶々として過ごさないといけなくなるのは目に見えている。おれは意を決して花村とのトーク画面を開いた。


『いま湊んち向かってるんだけど、バスどこで降りたらいいの? あけぼの小学校前? 七夕川?』


 ……え。

 思わずスマートフォンを両手で持って凝視してしまう。見間違いかと思ったからだ。でも花村が記してきたバス停の名前はどう見ても、おれがいつも利用している路線バスの通過する停留所名ばかりだ。

 な、なんで。どうして花村がおれの家に?

 そこではたと思い出した。そう言えば花村と図書室で高瀬舟の本を探した日、あいつと一緒に帰って駅前のバスロータリーのところで別れたんだっけ。あの時おれが並んでいた停留所から当たりをつけてバスに乗ったんだ。

 いや、今はそんなことどうでもいい。早く花村を帰さないと、家の近くに来てしまう。

『早く帰れ。学校はどうしたんだよ?』

 震える指で何とかそれだけ打って送信する。数秒で返事が返ってきた。

『サボった』

 余計まずいだろ。花村に学校サボらせたなんて知られたら、クラスの奴らだけじゃなく担任にだって何を言われるか分かったものじゃない。

 どうにかして諦めて帰ってもらわないと、でもどうすれば。焦っているといくら考えても妙案なぞひとつも浮かんでこない。固まったまま頭の中だけはぐるぐるとフル回転していると、おれの返事を待たずに向こうからもうひとつメッセージが飛んできた。


『湊の顔見たらすぐ帰るよ。だからバス停だけ教えて』


 その途端、頭の回転もぴたと止まってしまう。

 おれの顔見たらってなんだよ。そんなことのためにわざわざ学校サボって、知らない町までバスに乗ってきたのかよ。

「……」

 きっとこれが最後になる。花村と話すことができるのは、これが最後だ。

 おれだってあんな終わり方をしたままでいいとは思ってない。せめて、花村をがっかりさせたことについては謝りたい。それと『迷惑だ』なんてひどいことを言った、そのことも。


 おれは家の最寄りのバス停を花村に伝えると、立ち上がって椅子に掛けてある部屋着のジップアップパーカーを羽織って部屋を出た。


 *


 バス停からおれの家までは歩いて数分程度だが、おれは玄関を出るとバス停へ向かって駆け出した。朝の通勤通学の時間帯だとそこそこ人がいるのに、この時間は人影もなくあたりはひっそりとしている。まだ昼を過ぎてそんなに経っていないのに、日はもう傾き始めているのが分かる。

「あ……」

 行く手にバス停が見えてきたところで、向こうから一台のバスが徐行しながら滑り込んでくるのが見えた。おれが駆け寄る間にバスは停車し、開いた乗降口からうちの学校の制服を着た男が一人だけ降りると、ドアはゆっくりと閉まった。

「……え、湊? なんで」

 花村はこっちを見て目を丸くしている。返事をしようにも、家からずっと走ってきたから息が上がって声が出せない。

 やがてバスはゆっくりと走り出し、おれと花村の横を通り過ぎて道路の向こうへと走り去っていった。


 黙ったまま肩で息をしているおれの前に歩み寄ると、花村は手にしていたスマートフォンを制服のポケットにしまった。少し困ったように笑いながら、落ち着かない様子であたりに目を泳がせている。

「バス停に着いたらメッセしようと思ってたのに。風邪ひいてんだろ? 寝てないとダメだよ」

「風邪なんかひいてない。今日はサボっただけだから」

「湊でもサボることあるんだ」

 そう言っている割には、あまり驚いているようには見えない。おそらくおれが仮病で休んだことなんてとっくに気付いていたのだろう。

「湊のそういう格好、初めて見た」

「え? あ……」

 言われて初めて、自分が部屋着のまま飛び出してきてしまったことにようやく気付く。Tシャツにスウェットパンツ、その上には洗濯を繰り返してよれよれになったグレーのパーカー。しかも足元は履き古したクロッグサンダル。近所のスーパーやコンビニへ買い物に行く時だってもう少しまともな格好をしているのに、これはあまりにもひどい。

「ごめん。その……ずっとゴロゴロしてたから」

「いやいや、なんで謝んの。俺も家にいる時はそんなもんだよ。つか、もっとひどいかも」

「これよりひどいって、どんなだよ」

 つい口元が緩んでしまう。つられて笑ってくれるかと思ったのに、花村は急に黙り込んでしまった。ぼうっとしたようにおれを見ている。

 しまった、今のは少し感じが悪かったかな。決して花村をバカにしたつもりではなかったけど、花村にとってみれば自分の家での格好を笑われたと思っても不思議ではない。

「あの……」

 謝ろうと口を開きかけた時、不意に花村は下を向いて小さくため息をついた。

「……やっと、笑った」

「え?」

「カラオケ行った時からずっと、湊の笑った顔見てないから……」

 下を向いたまま、花村は自分の髪をくしゃっと雑に掻き上げた。花村の顔はよく見えないけど、その栗色の髪から覗く耳の端は熟れた桃のように赤く染まっている。

「……」

 こういう時の気持ちって、伝染するものなんだろうか。何とも微妙な空気が流れておれも黙り込んでしまう。


 さっきのメッセージの通り、花村が本当におれの顔だけ見たら帰るつもりだとは思っていない。おれに話したいことがあるのだろうと、そのくらいは分かっていた。だけど、何を話すつもりなのかまでは分からない。

 こいつのことだから、昨日クラスの奴らにからかわれたのは自分のせいだとか思っているのだろう。でももしそうだとして、そんなことを謝るためにわざわざ学校サボってまでおれの家に行こうとするだろうか。おれがまた学校に来たらその時に謝るか、メッセージで適当に謝ればそれで済む話だろうに。

 もしかしたら、もうおれが学校に来ないと思ったのかもしれない。昨日おれは一時間だけだけど授業をサボっていたから、おそらく担任が変に勘繰ってクラスの奴らに事情聴取でもしたのだろうと簡単に察しがつく。花村からしたら、自分のせいでおれが不登校になったなどと思われてはたまったものではないだろう。


「……心配かけて、ごめん」

 おれの声に、花村はそっと顔を上げた。その頬はやっぱり少し赤い。

「でも、もう大丈夫だから。明日はちゃんと学校行くよ。花村が責任感じることじゃない」

「俺は……責任とかじゃなくて」

「先生に何か言われたから来てくれたんだろ。花村は何も悪くないのに」

「だから違うって! そんなんじゃないよ」

 突然、花村は声を荒らげた。でもおれの肩がビクッと震えるのを見て、はっとしたように口をつぐんでしまう。

 さっきからずっとこうだ。おれが何か言えば言うほど、花村に嫌な思いをさせている。おれにそんなつもりはないのに、おれの言葉はことごとくおれの意図していない形で花村に伝わってしまう。

 おれの言い方が悪いんだ。話すのが苦手だからとか人見知りだからとか、そんな理由を盾にして逃げ続けてきたツケが回ってきたんだ。一人で朗読なんかやっても何の意味もなかった本当の原因はそこにあるのだろう。思っていることを自分の言葉で伝える努力をしてこなかった、そのせいでおれは、花村を傷つけた。


 もう何か言うのが怖い。おれが余計なことを言う度に、きっと花村は不快な思いをする。

 視線を落として黙り込んでいると、少し先の曲がり角からリードに繋いだ柴犬を連れた大柄な中年男性がのしのしと歩いてきた。さほど広くない歩道で立ち話をしていたおれ達は、無言で端に寄って道を空ける。柴犬がこっちをちらちら振り返りながら男性と去っていくのを見送りながら、花村がぽつりと言った。

「ちょっと、移動しよっか」

「うん……」

 しかし、どこに行けばいいものか。このあたりには落ち着いて話ができるような飲食店なんてないし、そもそもおれは金を持ってきていない。おれの家に連れていくしかないような気がする。

「おれの家、来るか」

「そうしたいけど……やめとく」

「なんで」

「だって湊、俺と二人っきりになりたくないでしょ」

「そ、そんなこと」

 咄嗟に顔を上げてしまう。目が合った途端、花村はまつ毛を伏せて力なく微笑んだ。

「信じらんないと思うけど、もうあんなことしないから。だから、俺のこと怖がらないで」

「……」

「そうだ。さっきバス乗ってた時にちらっと見えたんだけど、向こうに小さい公園あるよね? あんまり人いないみたいだったから、そこに行こうよ」

「あ……うん。そうだな」

 おれに背中を向けて歩き出す花村の後を、少し遅れてついていく。花村の隣に並ぶことはできなかった。

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