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5.なぜか量子力学と商談の成立

「じつはですね。世の中にある物質をどんどん小さくしていくと、最終的には量子と呼ばれるものすごい小さな物質になります。そして、この量子の動きというのは、我々が普段目にする物質の動きとは異なった動きをするのです」

「ほうほう!」

「動きどころか、なんと言えばいいのか。存在のあり方すら違うのです。このコップを量子だとします。量子は波と点、2つの状態を同時に獲得しています。つまり、このコップを点の状態だとしたら、コップは同時に池に石を投げたときに現れる波紋のような状態でもあるのです」

「ん? しかし、私は物体が波の状態になっているのを見たことがないぞ?」

「はい。波と点の状態が切り替わるのは観測されているかどうかがポイントになります。

観測していれば点に。観測していなければ波になるのです」

「ということはじゃ。マキトちょっと右を向け」

 私が右を向くと、対面している彼女は左を向いた。つまり、二人とも同じ方角を向いた状態だ。

「今、私たちは同じ方向を見ているな。ということは、私たちの後方は誰も観察しておらぬ。ならば、今、後ろにあるものは波になっておるということか?」

「理屈としてはそうです。しかし、物体が大きくなるほど、点の状態であり続けるので、波にはなっていません。あくまでこの性質は、とんでもなく小さな世界の中でしか起こらないのです」

「よくわからんが不思議な話じゃの」

「はい。数学的には正しいとされているのですが、私もよくわかりません。この量子の振る舞いを量子力学というのですが、研究者の中には、量子を理解している者はいない。と言う人もいるくらいですから」

「不思議な話じゃなぁ」

「ええ。だから面白いんです。でも、私は量子力学の性質について、面白おかしく解説した物をいくつか読んだだけなんで、あまり信用しないでくださいね」

 本当にこの点については自信がない。じっさい、量子力学の本を何冊も読んでるし、量子物理学の講義も何度か聞いている。それでも、計算式が出てきたらまったくわからない。

 なのであまりこの話は信用しないでもらいたいのだが……。

 校長ことアリシアの目がキラキラと輝いている。


「そうなるとマナも量子? いや、しかし、そうだとしても……あ! そういえば、双子マナが量子に似ているという話はどうなったんじゃ?」

「そうでした。えっと、量子の性質の1つに“量子もつれ”というものがあります。これは、同じ量子。つまり、そちらで言う双子マナのような状態です。それらは、たとえば、片方が上向きのスピンをすると、もう片方はどれだけ離れていても、その動きに対応する動き、この場合だと下向きにスピンする。と言われていて、その話を思い出しました」

「ほう。それはたしかに似ておるな」

「ええ。ですから、マナについて私は何もわかりませんが、量子っぽい性質はあるかもとは思います」

「そうか。マナは量子というものなのか。うん! 面白いな。いや、面白い! うん。すっごく面白い!」

 だんだんと興奮してくるアリシア。

「おい! お主。このような話はまだあるのか?」

「量子については私も詳しくないので、これ以上のことはわかりません。しかし、ご希望に添える話なら、いくつかはあると思います」

 彼女は少しだけ「うーん」と考えた後、机に両手を乗せ、体をグッと前方、つまり私のほうにグイッと押し出しながら聞いた。

「……よし! お主、何が望みだ!」

 彼女の勢いに私は少し体を反らせながら答える。

「私は、この世界に来たばかりです。そのため、何もわかりません。なので、とりあえずは生活の安定、なるべくなら、この世界で生活できる知識と技術が身に付くまでお世話していただければと思います。また、私にも魔法の才があるようなので、そちらもご享受いただければ幸いです」

「ほう。それくらいのことでいいのか。それは、衣食住と学べる環境ということで良いな?」

「ええ」

「ま、お主もいつまでも素っ裸でいるわけにもいかんだろうしな」

 たしかにそうだ。あまりにも事態がコロコロ変わるので、今も自分が毛布一枚の全裸であることを忘れていた。そのことを思い出し、思わず笑みがこぼれてしまう。

「ええ。たしかにそうですね」

「まぁ、ジジイになったら裸も恥ずかしいと思わんからな」

「あ、わかりますか」

「うむ。私も何とも思わん。だが、見た目がこんなだから、他の教師から、口うるさく言われてな。服装だけには気を使うようになったわ」

 とても気を使っているとは思えないが、たぶん、彼女にとって、服を着ること自体が服装に気を使うことなのだろう。彼女の下に着く教師陣の苦労が少しわかってきた。

「その点に関しては似た者同士ですね」

「うむ。あいわかった。この研究棟には空き部屋がいくつもある。ここに住めばよい。で、お主を今日から私の研究助手として雇う。金のことは心配するな。さっきも言った通り契約書の発行だけで毎月、山ほど大金が入ってくるんでな」

 そう言って「はっはっはー」と笑うアリシア。

 よしよし、衣食住の確保は成功したようだな。

「そして、私はここで何をすればよいのですか?」

「うーん。ま、しばらくは私の話し相手だな」

「かしこまりました」

 よし。とりあえず、最高の形で終えることができた。

 今回の商談を振り返る。そもそもは、貴族の子どもだと思わせることで保護を目的とした交渉を目論んでいたのに、いつの間にか、情報と金品の交換という普通の商売になった。

 運が良かった。と言わざるを得ないだろう。

 そもそも彼女が私から得られる情報は未知数だ。彼女からしたら利益に繋がるかどうかわからない。期待値を込めて私の情報を買ってくれたのだ。

 静かな笑みがこぼれる。ビジネスでいちばん嬉しい瞬間だ。契約の中に確固たる信頼を感じたとき、ビジネスという無機質な関係に一気に血が通う。

 これまでの経験上、この感覚を得たときは最高の仕事ができる。

 ふと、彼女を見ると相変わらず興奮を隠しきれない笑みを浮かべているが、私と目が合った瞬間、同じように悟ったような笑顔を見せる。

 そして、立ち上がり、再び握手を求めた。

「では、よろしくな」

「よろしくおねがいします」



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