4.研究棟の校長と不思議な契約書
まずは、校長の分析だ。
なぜ、これだけ若いのかはわからないが、性格はおおよそ掴めた。簡単に言えば、彼女は研究の虫だ。
わけのわからない機械に囲まれた部屋。そして、今、私が座っている二人掛けのソファーの背には毛布がかけられ、枕代わりになりそうなクッションも置いてある。おそらく研究が興に乗れば、ここでそのまま寝てしまうのだろう。
そして、おそらく彼女の研究者としてのレベルは相当高い。
内容は魔法研究だろうが、その理論はかなりの水準に達していると見ていい。予想ではあるが、この研究によって彼女は相応の地位を与えられたのだろう。
しかし、研究の虫である彼女の頭の中には研究しかない。ゆえに校長という役職は、研究費を得られるという一点にしか価値がなく、校長業務そのものは邪魔でしかない。実際、その仕事は他に任せきりなのだろう。
他者を介在させず、自分の世界に入り込んでいるがゆえに、社会的常識や通念が欠落している。
それが「変人」と呼ばれる所以だ。
……うん。
このタイプの研究者と何度か対峙したことがある。
対処は簡単だ。理解しているかは気にせず、相手の興味があることだけを話せばいい。
そして、私の持つ地球の科学は、彼女にとって垂涎の情報になるはずだ。
スタンスは決まった。おそらく道を間違わなければ結果はついてくるだろう。
彼女が聞いてきた。
「お主は、何者じゃ?」
私は答える。
「わかりません。突然、この校舎の時計台の上に居ました。それ以上のことは何も」
校長は私に鋭い眼光を向けて言う。
「嘘じゃな。いや、言っていること自体は本当か。だが、職員室での会話を聞くに、お主は混乱よりも理解に思考を走らせておる。そんな人間が、ただの記憶喪失なわけがなかろう」
さらに続ける。
「これが他国のスパイであれば、この国の現状に対する理解となる。だが、お主の理解は、この世界そのものに向いておる。魔法であったり、先ほどの私の会話に対してもそうじゃな。どんな研究をしているのかではなく、私の話から、この国……いや、この世界の理を探ろうとしておる」
「つまり、お主には記憶がある。ただし、今置かれている現状とその記憶が結びつかないため、理解が追いついておらん。そういうことじゃろう?」
「ならば、私が教えてやる。代わりに、お主のことも教えてくれ」
とても中学生くらいの人間とは思えないほど、明敏な考察だ。
話し方や視線から、こちらの思考を読み取っている。しかも、驚くほど正確に。
なるほど。天才の類か。
じつは、ビジネスにおいて天才との商談は、もっともイージーである。
この手の天才は、すでに先を読んでいる。そして、私の希望を読み、自身の希望と比較する。そこに契約の価値あり。と判断したときのみ商談に応じる。ゆえに、対面している時点で契約成功は確定しているのだ。また、知性型の天才は、嘘や偽る必要がないため性格的に素直な人が多い。
逆に、こちらに嘘偽り、打算など、信頼を損なう要素を感じたり、知性が低いと判断されると商談はご破算となる。すなわち、この手の天才にとって商談とは相手が信用に足る人物かの確認作業でしかない。そして、信用の基礎は正直さから生まれる。
ゆえに天才との商談はラクなのだ。何も飾らず話せば良いだけ。
今まで教師と接していたときは、同情を買いやすくしたり、必要以上に振る舞いを正しくして接したりしていたが、もう必要ない。これまでの打算を吐き出すように、私はゆっくりと息を吐いた。
「ご考察、痛み入ります。後学のためにも、どこで見抜いたのか教えていただけないでしょうか?」
「ふむ。ま、簡単に言えば“邪気”じゃな」
「邪気?」
「そう。邪な気持ちじゃ。相手を陥れるために知識を得ようとする人間と、純粋な好奇心で知識を求める人間では、目の輝きが違う」
「目の輝き、ですか」
「ん? 疑っておるのか? 疑うならいいもーん。何も教えてやらんもんねー」
急に子どものような顔に戻り、彼女は拗ねだした。感情の機微をすぐに表に出して、ストレスを緩和する。自身の頭脳の働きを余計なストレスで鈍らせないようにする処置。これも天才に多い傾向だ。ただ、その振る舞いで他者がどう思うかは気にしない。天才にとってもっとも大事なことは、頭の回転を損なわないこと。それ以外はどうでもいい。
そして、また変人が加速する。まぁ、私に対する他意はないので問題ない。
「あ、いえいえ。疑っているわけではなく、どうすればそのような慧眼を持てるのか知りたいだけです」
「ふむふむ。そういうことか。それなら良かろう」
「ま、人生経験じゃな」
「人生経験?」
「ふふふ。お主にも秘密があるように、私にだって秘密くらいあるんじゃぞ?」
「ま、お主が正直に話せば、私も話してやらんことはない。ということで、そろそろ教えてくれんかの?」
そういえば、彼女の口調は老婆のようですらある。見た目のせいでキャラのように見えるが……。
そんなことを考えている間にも、彼女は顎をしゃくりながら「ん? ん?」と促してくる。
よし、そろそろ本題に入るべきだろう。
「えっと、その……仰るとおり、私に秘密はあります。しかし、これは他言無用にしたいのです」
「なぜじゃ?」
「わかりません。何しろ私は、この世界のことを何も知りませんから。ですから、私の秘密がどのような影響を与えるかがわからないのです。それがわかるまでは他言無用にしたいのです」
「ほう。この世界と来たか。なるほどな。よし、わかった。ならば……これでどうだ?」
そう言いながら、彼女は一枚の紙を取り出し、私の前に置いた。そこには「契約書」と書かれている。
「契約書ですか」
「うむ。ただの契約書ではないぞ。これは、私が開発した魔法の契約書で、現在、もっとも信頼できる契約書として世界中で使われておるのじゃぞ。この契約書は双子マナを使った最初で最高の利益をあげる商品となってな……」
「ちょ、待ってください。えっと、とりあえず好奇心の赴くままに聞きますけど、双子マナって、いえ、そもそもマナってなんですか?」
「ふーむ。マナも知らんとは。この世界の人間とは思えん発言だな」
そう言いながら、彼女の目はキラリと光る。まさか、異世界人と予想しているのか?
……まぁいい。どうせ、バラすことになる。
私が考えていると、彼女はその反応に満足したようで、話を続けた。
「マナとは、魔素とも呼ばれる魔法を繰り出す元となる物体だな。そして、双子マナとは、マナを分裂させてまったく同じ性質を持つマナを生成したものじゃ。そして、これで作ったのがこの契約書じゃ。この紙は2枚重ねになっておってな。この四角い枠をグッと押すことで、下の紙に書かれた魔法陣が発動するようになっておる。これにより、双子マナを生成し、マナに行動を与えておる。……ま、とりあえずやってみるか」
正直、何を話しているのか理解できないが、ここは相手に任せよう。彼女は契約書に何か書き込み、それを私に見せながら話す。
「まず、契約内容の確認じゃ。この研究室で話すお互いの秘密は他言無用とする。これで良いな?」
「はい」
「期間は決めんでいいか。無期限じゃな。よし、契約内容に合意が取れたら、ここを強く押す。これで、双子マナが生まれ、片方は紙と紙の間に入り込み、もう片方は私の指にいる。そして、これを」
そう言いながら、彼女は自分の指先をぺろりと舐めた。
「これでOK。契約成立だ」
「は? これでどうなるのですか?」
「今、片方のマナは私の体に入り、発動した魔法陣に書いてある命令に従っておる。命令は、脳を監視し、契約内容に違反したと相手が認識したら動け。というものだ」
「動く。ですか?」
「うむ。双子マナは同じ行動。正確には反転した行動を取る。上に行けば下に、下に行けば上にといった感じじゃな。ま、その動きはどうでも良いのじゃが。脳のマナが動けば、魔法陣のマナも動く。魔法陣には、もう1つの命令。魔法陣上のマナが動いたら魔法陣を発光させよと設定しておる。……ちょっと待っておれ」
そういうと、彼女はもう一枚契約書を取り出し、そこにサラサラと何かを書き込んで私に見せる。そこには「マキト・ハザマにバカと言ってはいけない」と書かれていた。
「これでよいか?」
「はい」
彼女は先程と同じく四角い枠をグッと押し、その指を舐めた。そして、また急に子どもっぽい顔に戻って叫びだした。
「ばーか、ばーか、マキトのバーカ! お尻ペンペーンだ」
お尻ペンペンは契約内容に入っていないのだが……。なぜ、お尻を向けてまで罵倒する必要があったのだろう?
なんてことを考えてはいけない。天才の思考は単純だ。やりたいからやっただけ。
彼女は満足気に椅子に座り直した。
「……と、これで契約違反じゃな」
その瞬間、契約書がじんわりと光り始めた。
「おぉ……」
ペラペラの紙が魔法陣の形を浮かび上がらせながら、青白くぼんやりと輝く。思わず感嘆の声をあげてしまう。
「というわけじゃ」
これはいい。裁判要らずだ。でも……。
「でも、それだと相手が意識せずに契約違反をした場合、どうするのですか?」
私の質問に彼女はニヤリと笑う。いいところを突いてきたな。と言ったところか。
「そのときは、契約書を見せればいい。この契約書は、大きな契約時に使われるので、お互い相応の覚悟のもと契約に向かう。ならば、契約書を見せれば嫌でも思い出すじゃろ?」
なるほど。地球では契約内容にふさわしい部屋を用意することはあるが、契約書自体に重要性を含ませることができるというのは面白い発想だ。
高級和紙に透かし彫り、コピー不可能な細かい印刷を施した契約書を使えば、たしかに相手により高い緊張感と契約の重さを物質として提示できる。これは、生前やっておいても良かったな。
「これでこの部屋でお互いの秘密に関しては他言無用となった。ま、契約を結んだのは私だけだがな」
彼女なりの譲歩だろう。私も誠意を持って答えなければ。これまで以上に彼女に向き合う覚悟を決めた。
「私は、この世界の人間ではありません」
「ふむ。話の流れからそうだとは思ったが、では、なぜ、この世界に来たのだ?」
「それが、まったくわからないのです。私は病気で死にました。しかし、気付くと、この世界のこの校舎のあそこの時計台の上に居たのです」
「なるほどなるほど。それだとお主の思考にも納得がいくな。過去はあるが理解ができない。だから、この世界について探ろうとしておった。ということか」
「そのとおりです」
「ん? 病気で死んだ。ということはお主、今、何歳じゃ?」
「えっと、54歳? すいません。最後は1年ほど病院にいたので。たぶん54歳か55歳だと思います。私の国では若くして死んだという印象になりますね」
「ほぉ。年下か?」
「へ?」
私が驚いて間抜けな声を出していると、彼女はスッと立ち上がり名乗りを上げた。
「王立魔法学園の校長、アリシア・ベイランドである。御年75歳じゃ! よろしくな」
そう言いながら私に手を差し伸べてきた。75歳? 見た目もそうだが、握った手も若々しい。見た目は小学生と中学生の握手。でも、中身は55歳と75歳。わけがわからん。
「ま、そういうわけで、これからも気兼ね無く敬語で話してくれ」
気兼ね無く敬語。なかなか聞かない言葉だが、たしかに仕事人間として生きてしまうと、フランクに話すより敬語で話すほうがラクというのはある。ということまで察知しての発言なのか? きっと、そうなのだろう。
「はい、わかりました」
「というわけで、まず聞きたいのが、私があいつらに双子マナを使った新しい道具の説明をしているとき、お主は何を考えていた?」
これは、どう説明すればよいのだろう? いや、彼女相手にそんなことは考えなくても良いだろう。そもそも彼女も相手の理解などお構い無しに話すタイプだ。ならばこちらもそれに合わせよう。




