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1.時計台と空飛ぶ教師

はじめての投稿です。よろしくお願いします。


 まぶたの裏を焼くような、刺すような日差し。

 南国のビーチで寝そべっているのなら最高だったろうが、残念ながら私を揺り起こしたのは、後頭部を直撃する硬く冷たいコンクリートの感触と全身を包む冷たい大気だった。

「……ん、うぅ……。カーテン閉めて……」

 重い頭を揺らしながら、ゆっくりと目を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、吸い込まれそうなほどに真っ青な空。

 遮るもののない、どこまでも突き抜けた蒼穹(そうきゅう)だ。

 あれ、病院の天井ってこんなに青かったっけ?

「……って、寒っ!?」

 起き上がろうとした瞬間、全身を突き抜けるような冷気が肌を叩いた。

 私はパニックを抑えながら周囲を見渡す。


 ビジネスマンにとって、現状把握(アセスメント)の遅れは致命傷になる。

 そこは、二メートル四方ほどの、ひどく狭いコンクリートの足場だった。

 中央には、天を衝くような一本の長い鉄柱がそびえ立っている。

 壁も、扉も、階段もない。あるのは、天を指す針と、吹きさらしの恐怖だけ。

 震える手足で、おそるおそる足場の端へと這っていった。

 眼下を覗き込むと、そこには、どこか欧州の古都を思わせる石造りの校舎が広がっていた。

 広いグラウンド、立派な講堂。

 そして真下には、カチカチと時を刻む大きな時計の文字盤。

 どうやら私は、学校の時計台の――その最上部、屋根の上の狭い平地にいるらしい。

 地上までは、ざっと見てビル四、五階分。落ちれば確実に「詰み」だ。

 私は避雷針にしがみつき、必死に記憶のインデックスを検索した。

 記憶はまだらだが、やがて確信に至る。

(そうだ……私は、死んだはずだ)


 最後に見たのは、無機質な病室の白い天井。

 私は若くしていくつもの事業を成功させた、いわゆる「勝ち組」の実業家だった。

 入院中もノートパソコンを離さず、死の直前まで市場の動向を追い、部下に指示を飛ばしていた。

 あぁ、金も稼いだ。人脈も作った。悪くない人生だった。

 過去を振り返ろうとした途端に寒風が体を貫いた。

「寒っ!」

 寒さで記憶の世界から引き戻された瞬間、私は自分の異変に気づいた。

 震える腕や足は、驚くほど細い。だが、みずみずしく、すべすべとしている。

 顔も体も痩せこけ、枯れ木のようだった自分の身体とは全く違う。

 若返っている? それも、記憶を追えないほど遥か昔の幼い身体に。

「死んだはずの私が、なぜ若返って、この姿で時計台の上にいる……?」

 普通ならここで狂乱するところだが、長年のビジネス経験が私を冷静にさせた。

 わからないことを考えてもコストの無駄。


 まず、現状の確認。

 私は全裸だ。遮るものなど何もない、生まれたままの姿。

 だが不思議なことに、羞恥心というものが微塵も湧いてこない。

(……まあ、あんな生活を経験していればな)

 ふと、病床の日々を思い出す。

 長期入院、それも末期ともなれば、病院という場所は患者から「プライバシー」と「恥」という感情を徹底的に剥ぎ取っていく。

 下半身には管を通され、排泄すらも他人の手を借り、おまるをセットしてもらう。そんな毎日を繰り返していれば、裸を晒すことへの抵抗感など、とっくに摩耗して消え失せている。

 ま、この恥ずかしくない。というのも、私が得た新たなスキルとして、今この状況に利用すべきだろう。

 これを含めて生存のための救助要請にリソースを割くべきだ。

(よし、プレゼン開始だ)


 晩年は部下に仕事を任せきりだったせいか、久しぶりに感じる現場感覚にどこか高揚感を持ちながら、四つん這いの姿勢で時計台の端まで行き、校庭に向かって叫び始めた。

「助けてください! HELP ME! Aidez-moi! 救命! 도와주세요!」

 日本語に続き、英語、フランス語、中国語、そして韓国語。

 海外拠点との商談やトラブル対応の最前線で叩き込んできた多言語による懇願のデパートだ。

 全裸で時計台のてっぺんから救助を呼ぶためにこの語学力を発揮することになるとは思いもしなかったが、何事もスキルは持っておくものである。

 ちょうど登校時間だったらしい。

 生徒たちが足を止め、指を差して空を見上げる。

 その波紋は一気に広がり、校舎の前にはあっという間に黒山の人だかりができた。

「おい君! 誰だ、何をしている!」

 階下から響いたのは、聞き慣れた日本語だった。

(通じた……!)

 言葉の壁という最大のリスクが解消されたことに、心底安堵した。

 言語が通じる。それだけでこの異世界の攻略難易度は一気に下がる。

「わかりませーん! 気がついたらここにいたんです! とにかく降ろしてくださーい!」

 私はそう言いながら立ち上がった。全裸なのに。


「キャーーー!」


 女生徒たちの悲鳴が上がる。が、私は大丈夫。むしろ、この異様な発言に異様な格好はベストマッチと言える。早急に何とかしようと動いてくれるだろう。

 教師たちは顔を寄せ合い議論していたが、やがて一人が意を決したように叫んだ。

「わかった! そこで待ってなさい! 今、助けるから!」

「あぁ、ありがたい」

 安堵して救助を待つことにした私の視界の端から、一人の教師が「スーッ」と重力を無視して浮上してきた。


「は……? え、飛んだ?」

 ロープも隠しギミックもない。

 男はただ、当然のように空中を歩き、私の目の前に着地したのだ。

「ん? そうか、君はまだ飛べないのか」

 さらりと言われた言葉に、私の思考回路がショートしそうになる。

(……待てよ。このシチュエーション、どこかで……)

 私の会社の一部門に、コンテンツビジネスを専門に扱う部署があった。優秀な部下に「1つ好きな仕事を任せるからやってみなさい」と言ったところ、彼は新たな仕事を立ち上げた。聞けば彼は学生時代、創作フィギュアに熱を上げていて、会社に入るか、この世界に行くか真剣に悩んだようだ。学生時代にいくつかの出版社やアニメプロダクションと仕事をした経験もあり、この人脈を伝い、版権物のグッズを扱う会社をあっという間に設立した。

 彼の働きぶりに興味を持った私は、そこで彼から多くの作品を教わり、その中に異世界転生モノというジャンルの作品も含まれていた。


 彼は言う。

「これらは、流行りの異世界転生モノですね。作品としての質というより、主に設定がウケるジャンルです。そのため、他のジャンル以上にキャラクターデザインが重要視されるため、作品より物語の舞台装置とキャラクターのクオリティで版権元に打診するか判断できるので、結構美味しいジャンルなんですよ」

 私の時代、オタクというのは、差別的な扱いを受けていたものだった。そのため、オタク本人もどこか卑屈になってしまっていた。

しかし、時代が変わり差別意識がなくなったオタクは社会にすんなり溶け込み、ビジネスの場でも堂々とそのスキルをいかんなく発揮できるようになった。もちろん、彼が優秀であった。という前提条件があってのことだが。

 ただ、彼を新ビジネスに起用したことが、まさか、今ここで役に立つとは思わなかった。

 世の中、いや、この世界を「世」に入れていいかはわからないが、本当に何が役に立つかはわからないものだ。


 死後の転生。魔法。空飛ぶ人間。

 なるほど、ここはそういう「異世界」というやつか。

 まさかファンタジーが現実になろうとは。

 市場規模不明。物理法則不明。だが、これはとんでもないフロンティアだ。

 胸の奥で、かつて起業した時のような熱い野心が、寒さを上書きして燃え上がるのを感じた。

「ウォッホン」

 大げさな咳払いが聞こえた。どうやら、考え込んでいる私をしばし放置してくれていたようだが、さすがに待たせ過ぎた。

「たしかに、何もわからないようだな。でも、考えるのは後だ。こんなところにいると風邪を引いちゃうぞ」

 男はそう言って、背中に乗るよう促した。

 今の私は、日本人で言えば小学3、4年生といったところか。ふむ。少々言葉遣いに気を使ったほうがいいな。長年、企業のトップとして君臨していたがゆえに、命令口調がクセになっているかもしれない。とにかく丁寧に話すことを心がけるとしよう。


 些細な決意を胸に、私は彼の大きな背中にしがみついた。

「よし、しっかり捕まってろよ」

 ふわっと浮遊感が全身を包む。

 彼は私を背負ったまま空へと舞い、放物線を描いて校庭へと降り立った。

 着地し、私が離れようとすると、彼はすぐさま私の動きを制止した。

「待て待て、君は裸だろ。このまま職員室まで直行だ」

「あ、それもそうですね」

 リスクを最小限に抑える適切な判断。

 彼は再びふわりと浮き上がると、生徒たちの驚嘆の視線を浴びながら、開いた窓を抜けて校舎の中へと滑り込んでいった。

 私の新しい人生の第一歩は、どうやら「空飛ぶ教師」の背中から始まるらしい。


序盤が終わったあたりから「1話1雑学」を心がけて執筆しています。

もし、ほんのわずかでも、面白さを感じていただけたのなら、評価していただけるとモチベーションに直結しますので、よろしくお願いします。

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