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04.あと少し



 卒業まであと一月を切ったある日の事。

 ここ一ヶ月でベルガー公爵家に馴染んだカイエルといつもの如く、ティータイムという名のダラダラ時間を過ごしていたペトラの前に小さな音が落ちた。


「あ、」

 

 その音の主はペトラと同じく本を読んでいたカイエルである。静かな空間での一音は実によく聞こえる。ペトラは声がしたと同時に文字の羅列から顔を上げた。


「なに?」


 カイエルはペトラと目を合わせると本に栞を挟み、パタンと閉じる。そして対面にいるペトラと近くなるよう前屈みになった。


「聞いた? ワルター君の話」


「聞いてない。そもそも最近は登校してないし」


 それもそうだが、きっと登校していてもペトラの耳にはワルターの事は何一つ入ってこないだろう。それ程までにあの中庭でのキスは皆衝撃的だったのだ。ペトラの周りではもはや事件扱いである。その為あの日から彼らの名前さえ聞いていない。ペトラとしては有り難い話である。

 

 だがそんな事、カイエルも知っているだろうに。話したそうなカイエルに合わせ、ペトラも手元の本を閉じた。


「また何かやってるの? あれは」


「そうなんだよ。どうやら卒業パーティーは君とじゃなくてドロテアと行くらしいよ」


 面白いよね、とカイエルは楽しそうに声を弾ませている。しかし当のペトラにはその面白さが分からない。

 表情を変えぬままペトラは本の表紙をひと撫でし、視線を窓に向ける。

 窓ガラスの外に広がる薄雲がほのかに温かみを帯び始めていた。時間が経つのはあっという間だ。


「婚約破棄を知っているならわかるよ? でもまだワルター君は知らないじゃない?」


 窓ガラスの反射越しに見るカイエルは真っ直ぐにペトラを見ていた。何となく申し訳ない気持ちになり、ペトラは顔を正面に向ける。

 紫色の瞳が僅かに弧を描いた。


 後出しで申し訳ないが、ペトラは何となくそんな気がしていた。先日ワルターから贈られてきたドレスがあんまりなものだったからだ。

 何処で仕立てたのか、もしくは買ったのか思うくらい流行遅れなデザインで思わず引き笑いが出た程。本当にあれが良いと思い、贈ってくれていたらどうしようと思っていたのでペトラは少し安心した。

 

 やはりあれは悪意の産物だったのだ。


「最近人も遠巻きみたいだよ」


「そうでしょうね」


 溜息を吐き、存在を忘れていたティーカップに口付ける。既に冷え切ったミルクティーが乾いた喉を程よく潤した。


「彼はいつ知るのかな」


 どこか面白そうなカイエルがヒョイとペトラの横に移動してきた。まだペトラが手元に置いていた本を自分の横に置き、背もたれに腕を回す。ペトラは退かされた本を視線で追いながら栞をちゃんと挟んだかどうか不安になった。


「卒業までは言わない約束だから、遅くとも卒業パーティーの翌日には知るんじゃない?」


「僕の予想はね、パーティー会場だと思うよ」


「そうかな」


 ペトラは先程のドレスを思い出し、ふっと笑う。


「そうかも。惨めにさせた筈の婚約者が他の男と腕組んで会場にきたら顔を真っ赤にして怒鳴ってきそう」


「僕もほぼ同じ見立て」


 そう言ってカイエルはカップに手を伸ばした。だが彼が手に持ったのは自分のではなく、ペトラの冷たいミルクティー。まさか自分のカップを取られるとは思わず、ペトラは慌ててカップに手を伸ばした。しかしカップに指が触れた時にはもう既に遅く、ごくりとカイエルの喉が動く。


「なんで私の飲むのよ」


 空になったカップを見て口を尖らせれば、カップがそっとソーサーに戻される。一体何が悪いか分からない、そんな顔をしたカイエルがペトラの少し膨らんだ頬を人差し指で突いた。


 気に障る男である。だが、それにも慣れてしまったのだろう。ペトラは諦めたように溜息を吐くと、テーブルの端に置いていたベルを鳴らした。


 カイエルはもう膨らんでいない頬をそれでもまだふにふにと触っていた。

 





 そうして日々は巡り、卒業パーティーの日となった。ペトラの気持ちを反映させたような快晴に心が躍る。これで漸く全ての悪縁が切れるのだ。

 だが、そう全てが上手くいくとも思っていない。しかし、その時はその時だとも思う。何故ならもうペトラとワルターの縁はほぼ切れている。彼が何をしようがどうでも良いのだから。


 ペトラは口角を上げ、煌びやかなホールを開かれた扉越しに見た。もう既に沢山の人らがまるで絵画や歌劇のように談笑している。


「緊張してる?」


 ペトラの一筋顔に掛かった髪を耳に掛けながらカイエルが笑う。ペトラは紫色の瞳を見上げた。


「するわけない。何年公爵令嬢やってると思ってるの?」


「18年」


「正解」


 そしてペトラはカイエルの腕を見ながら顎をしゃくる。カイエルは目尻を下げた後、小さく笑いエスコートの形をとった。


「それにしても」


 自分達が呼ばれるまであと1組となった時、カイエルがぽつりと溢した。


「ペトラは制服でも綺麗だけど、着飾ると一層凄いね」


 一体何が凄いのか。何とも分かりづらい言葉に口元がもにょりと下がる。


「凄いって何」


 悪口にも褒め言葉にも聞こえる言葉だ。これで悪口であれば容赦はしないとペトラは器用に片眉の角度を上げた。

 ぐぐぐと歪になった目も眉も、本当ならばすぐに直さなければならなかったのかもしれない。だがその時、妙にふわりとカイエルが微笑んだものだからその表情のまま固まってしまった。


 ふっとカイエルの指がペトラの眉間に触れた。


「凄い綺麗って事」


 今日のドレスと同じ紫色の瞳がペトラを映す。シャンデリアの灯りのせいか妙に輝いて見えた。


「ペトラ・ベルガー公爵令嬢、カイエル・ヴァルネス様のご入場です!」


 自分達の入場を知らせる声にペトラはハッとして前を向いた。


「行こう」


 カイエルはいつもの軽い笑みを浮かべていた。

 自分を動揺させておいて何を言う。だが此処でおかしな顔はもう出来ない。自信溢れる姿を演出する為にペトラは姿勢を正し、口角を上げた。




読んで頂きありがとうございます。

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